33 檻(おり)の中

 スノーウィのお風呂が終わると、眞奈とイザベルは女子寮の談話室で何か飲むことにした。


 イザベルの住んでいる棟に入ると一階に談話室があった。生徒たちの部屋は二、三階になるらしい。

二人はソファに落ち着くと、イザベルは眞奈にジュースを手渡した。そしてスノーウィを膝の上に座らせ、彼にはカフェオレボールで水を与えた。


 眞奈は談話室に入るのは初めてだったので、ものめずらしげに部屋を見回した。

 談話室には簡易キッチンや小さな冷蔵庫などの生活機器、そして大きなソファ、アームチェア、テレビなどがあって、十分くつろげそうだ。飾りボードには面白そうなイベントのフライヤー、隣りには誰かの付き合って三ヶ月記念の写真と報告レポートが貼られていた。そのまた隣りには、みんなの写真でつくられたコラージュボードがかけられており、レイチェルやクレアと一緒に変顔ポーズで撮った眞奈の写真もあって、恥ずかしくもうれしかった。


イザベルは眞奈を優しいまなざしで見つめた。

「私、マナがマーカスと仲良くなってくれてうれしいわ。マナは遠い日本から来たでしょ、ここだけじゃなくて広い世界を知っているもの」

「広い世界を知ってるなんて……、私、日本とイギリスしか知らないのよ」、眞奈は恐縮した。

「いいえ、広い世界だわよ、ここよりもずっとね。マナが来てくれたことで、なんだか新しい新鮮な風が吹きはじめたみたい。私たち長い間一緒に寮にいるから、同じような日の繰り返しで変わりばえしないの。特にマーカスはパパが外国にいることもあって、なかなか連れ出してもらえないしね」

「その変わりばえしない日々がいいんじゃない。ほんとの仲良しになれるもん。それにウィストウハウスは素晴らしいところだわ」

「そうね、ウィストウハウスは素敵なところよ。お屋敷も立派だし庭も美しいし。でもね、ときどきマーカスと話すの、まるでおりの中に閉じ込められているようだねって」

おり? ウィストウハウスが?」

 マーカスとイザベルが……、特にマーカスがそんなことを言うなんて、眞奈は心の底から驚いた。

 そんな眞奈の気持ちが伝わったらしく、イザベルは急いで打ち消した。

「いいえ、私たち、ウィストウハウスがとっても好きよ、愛しているといってもいいぐらいだわ。でもたまにそんな気持ちになるときもあるってことなの」

 眞奈はなんと言っていいか迷い、「そうね、ずっといるとそう思うときもあるかもね。私はここに来てまだそんなに経ってないから」とひかえめに同意した。


 少し沈黙が続いた。

 眞奈はどうしてもこのことは言っておかないとという気持ちで口を開いた。

「イザベル、私、あなたとマーカスはお似合いだと思うわ、ほんとに」

 イザベルは微笑んだ。

「私たち、ずっとそばにいる、ただそれだけなのよ。マーカスが四歳のときママが亡くなってすぐここに入れられたんだけど、それ以来ね」

「マーカスのママって亡くなっているの?」、眞奈には初耳だった。

「そうよ。みんなに知られたくないって極力言わないようにしてるみたい。かわいそうな子だと同情されるし、嫌な子からはからかわれたりするし、どっちも絶対嫌なんだって。先生たちは顔を見るたび心配ばかりして、母親がいないせいで繊細で精神的に弱いって決めつけられてる、いつまでも子ども扱いでうんざりだって文句言ってるのよ」

「でもママが亡くなって四歳で寮に入れられるって心配されて当然よね。まぁ、寮生活自体はイギリスでは比較的あることなのかもしれないけど」

「私の両親はマーカスの名付け親だし、彼のママとパパと親しかったからすごく気にして、私もマーカスの二ヶ月遅れでウィストウハウス・スクールに入学することになったのよ。それ以来、ずっと一緒なの。だからいつのまにかお姉ちゃん的存在なわけ」、イザベルは言った。


 確かにイザベルはもの静かな落ち着いている女の子で、タイプ的にはきれいなお姉さん系といえた。マーカスと『きょうだい』ということであれば姉であろう。でも彼女があえて自分を『姉だ』なんて言うのは思いがけないことだった。

 たぶん私がマーカスを好きなことを感づいているのだろう。私に気をつかって無理して言っているにちがいない。


 自分に気をつかわずイザベルが二人の仲を打ち明けられるように、眞奈はあえて言った。

「あなたたちは『運命の二人』だと思うわ。だってウィストウハウスゆかりのボウモントとウェントワースの女の子と男の子が一緒にウィストウハウス・スクールにいて仲良くしてるっていうのは『運命』以外何ものでもないでしょ。恋に落ちるのが自然じゃない?」

 イザベルは笑った。

「マナってすごいロマンティストなのね! 日本人って素敵ね。マーカスにそれ言ってごらんなさい、一笑されるわよ」

「そうかな」、眞奈は戸惑った。


 イザベルの言い方や笑い方は眞奈をバカにしている様子はまったくなく、ちょうどレイチェルとクレアに笑われるような、友達のおしゃべりの中で気兼ねなくからかっている仲のよい友達の会話、そのものだった。

不意にイザベルはちょっとさみしそうに言った。

「それに私にできないことをあなたはできるもの。それこそがマーカスにとって必要なことだと思うわ」

眞奈は驚いた。

「まさか」

「いいえ、ずっと一緒にいるから私にはわかるの。それってマーカスだけじゃなくって私にとっても同じよ。私と友達になってくれてうれしいわ、マナ」


 今までイザベルは眞奈にとって近寄りがたいイギリス人の女の子であった。

 日本人にはなじみのないブロンドの髪にすみれ色の目、美しくて可憐で、もの静かで才能があって、男女ともから人気者で……。イザベルは遠くでキラキラしている宝石みたいな女の子で、眞奈にとって遠巻きに見ている何か美しいものの一つだった。

 ところが、実際イザベルのそばで横顔を見たりしゃべったりしてみると、彼女は意外と親しみやすく気さくな女の子のようだ。


 眞奈は心の中で思った。

 信じられないことだが、イザベルも自分と同じく実は人見知りなのかもしれない。

だから相手にちょっと近寄りがたい女の子だと思われてしまうのではないだろうか。イザベルにも自分と同じく不器用だったり傷ついたりするときだってあるのではないだろうか。


 そう考えると、眞奈は急にイザベルと近しい気持ちを抱いた。

 不思議なことにイザベルも眞奈に対し同じ気持ちを持ちはじめているみたいだった。イザベルは眞奈を見て微笑みかけた。

 眞奈とイザベルは互いの心が通うのを感じた。

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