ガラスの境界、丘の向こう

須藤樹里

第1章 イギリスの窓の魔法使い

1 イギリスの窓の魔法使い


 マーカスのことを好きになったのは偶然じゃなくってはじめから決まっていたんだ。

 大人になって一連のできごとを思い返したとき、眞奈はいつもそう感じた。


 その頃、パパの海外転勤のため、眞奈たち一家がイギリスに引っ越してきて六ヶ月目、斉藤眞奈はちょうど十四歳になったばかりだった。


 イギリスに来て眞奈がまず一番初めに好きになったのはマーカスではなく……、そうだ、イギリスの『窓』だ。


 アンティークレースのカーテンがかかった白い格子窓、大きく張り出されたエレガントな出窓、片トビラだけちょこっと開くかわいい窓、上が尖ったアーチ型になっている教会の窓、神秘的な開かずの飾り窓……。イギリスの窓たちには一つひとつ表情があった。


 窓ガラスの向こうがわはどんな部屋なのか。


 窓がとても愛らしいのだから室内もきっと素敵にちがいない。花模様の壁紙や落ち着いたオーク材の家具、手入れの行き届いた銀器などがあるのだろう、眞奈は窓向こうの部屋を想像することが楽しかった。


 それでいて、どんな人がその部屋に住んでいるのかはあんまり考えたくなかった。人間に関しては現実の世界と同じ、灰色にかすんで姿が見えない、いや見たくない。


 英語もうまく話せず、どう接していいかもわからず、他の生徒なんかそばにいれば面倒だと思っている眞奈にとって、イギリスの家の素敵な部屋には住人がいない方がよかった。ガラスの境界のこちら側から、かわいい部屋だけを想像していればそれで満足だった。


 眞奈の心を動かす魅惑的な窓は、眞奈が通うウィストウハウス・スクールにもたくさんあった。


 学校の校舎は、かつて由緒あるイギリス貴族のお屋敷だったウィストウハウスが利用されていた。お屋敷は学校向けにさまざまな改築が行われたものの、できるだけ元の造りが活かされ、特に『外観』は当時のまま残された。

 窓もそのうちの一つである。


 建物正面、一階と二階は縦長の白い窓が澄ましたように整然と並んでいたし、三階は小ぶりで愛らしい窓がはめ込まれていた。いくつかの階段には階段窓、一階の裏手には大きなフランス窓、ステイブルブロックには重厚なはめ込み式の窓もあった。


 眞奈はそんなウィストウハウスの窓たちを見るのが好きだった。


そして同級生のマーカス・ウェントワースはいつも窓のそばにいた。

 マーカスが授業のとき選ぶ席はいつだって窓がわだ。ほおづえをついてずっと窓の外を見ている。休み時間は窓を開け身をのり出して外を眺めている。あるいは窓台に座ってスケッチブックに絵を描いていたり、窓ガラスに寄りかかって友達としゃべっていたりする。


 だから眞奈がふと教室の窓の方向を向くと、必ず視界にマーカスの姿が入った。


 無造作に伸びている茶色の髪に優しそうな茶色の目は、いかにもイギリスの田舎の素朴な男の子だったが、彼には不思議な雰囲気があるように感じられた。

 マーカスはまるで『窓の魔法使い』みたい、眞奈はそう思っていた。



 眞奈はイギリスで唯一友達のウィルに『窓の魔法使い』について話したことがある。

「ねぇねぇ、ウィル。私、絶対イギリスには『窓の魔法使い』がいると思うの!」


「窓の何だって? え? 窓の何だって?」、ウィリアム・ランバートはぶしつけにも二度聞き返した。


「『窓の魔法使い』だよ」、眞奈は繰り返した。


 ウィルは大真面目に言った。

「なぁ、マナ。俺はいつも迷うんだよな。おまえのあやしげな英語が間違っていて意味が理解できないのか、それとも言葉は関係なくって、おまえの元々の言いたいことが意味不明で理解できないのか」


 眞奈はやけになって英単語を一区切りごと発音し、もう一度言ってみた。

「だから、『窓・の・魔・法・使・い』だってば! どう、これで理解できたでしょ?」


 もしもこれでまだ通じないなら、単語の綴りをアルファベット読みしようと、眞奈は身構えた。しかしながら、なんとか通じたらしい。


 ウィルは合点がいったというふうにうなずいた。

「なるほど、どうやら英語にはなってるようだな……。つまり、今の場合は言葉の問題じゃなく、おまえの元々の言いたいことがあやしいから理解できないってわけだ」


 眞奈はむっとして言った。

「もう、イギリスはファンタジーやSFの国のはずでしょ、ウィルはファンタジーの国生まれじゃない。なんでイギリス人のくせに魔法使いをバカにするの?」


 ウィルはうっすらと嘲笑を浮かべた。

「べつにバカになんてしてないぞ。魔法使いもファンタジーも一大輸出商品だしな。で、おまえの窓の魔法使いとやらは……、そいつはどんな魔法が使えるんだ?」


「へ? えーと、そうね……」、そこまで考えていなかった眞奈は返事につまった。

「そうそう、窓を操って、窓の向こうのパラレルワールドに行けたり、窓ガラスに未来や過去を映し出したりできるの!」、眞奈は彼の魔法スキルをなんとかひねり出した。


 そしてこのままでは大切な空想をバカにされたまま終わってしまうと感じたので、頑張ってウィルに説明しはじめた。

「イギリスには魔法使いとか妖精とかいるじゃない。日本にはそれと似たように、山の神様とか川の神様とか風の神様がいるのよ」


 ウィルは肩をすくめた。「ふーん、で?」


「でも日本の場合『神様』といってもキリスト教と違って、もっと気さくで親しみやすいの。イギリスでいうと『魔法使い』とか『妖精』とかになると思うんだけど……。その理屈に当てはめると、イギリスに『窓の魔法使い』がいてもちっともおかしくないでしょ」


 どの理屈に当てはめるとおかしくないのかウィルにはさっぱりわからず、呆れるのを通りこしてにやにや笑い出した。

「マナがそう言うんだったら、ま、日本の窓には『窓の魔法使い』とやらがいるんだろうさ、もちろん。でもイギリスの窓に関しちゃあ、ずいぶん独創的なアイデアだな」


 独創的なアイデア。


 眞奈はやっとウィルが窓の魔法使いを理解してくれたのだと思って、ちょっと得意な気持ちだった。


 でもよくよく考えてみると……。


「ねぇ、『独創的なアイデア』って、それって皮肉? 私が子どもっぽくてバカだってこと言いたいの?」


「お、言語コミュニケーション能力がレベルアップしたじゃんか。よかったなぁ」、ウィルは感じ悪く笑った。


「もう、これだからイギリス人は。もっと簡単な表現で言ってよ! 褒めてんだか皮肉なんだかはっきりしないじゃない」、眞奈はむくれた。


 確かにウィルの言うとおり、『窓の魔法使い』なんて信じているのは子どもっぽくてバカみたいだ、それくらい眞奈にだってわかる。


 でも、魔法使いを信じることは『幼稚で愚かなこと』という定義は、東京や大阪、ロンドンといった無骨で気の利かない都会における定義だ。眞奈たちの今いるここ、美しいイギリスのカントリーサイドであるウィストウ村では、魔法使いや妖精こそが真実なはず。


 ウィストウ村では山や川、風と同じように『窓』にも精霊が宿っている、そして魔法の力を持っている……、眞奈はそう強く感じていた。


 どうして、ウィルや他の人には感じないんだろう。

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