2 様変わりしたウィストウハウス
眞奈とウィルが通っているウィストウハウス・スクールは、イギリス北部、ヨークシャー州の小さなウィストウ村にあった。
初めて眞奈がウィストウハウスを見たのは六ヶ月前、ママやパパと一緒に学校見学に来たときだった。ちょうど夏休みで学校は人の気配がなく閑散としていた。
連なる緑色の丘を背景に、瑞々しい霧にかすんだウィストウハウスは、とても孤高な建物に感じられた。眞奈はただ言葉もなくウィストウハウスに魅せられた。
でも、ママはあんまり気に入らないらしく、「なんだか陰気だわ」と言った。
「そんなことないさ、今は生徒がいないせいだろう。それにしてもいかにも英国的な古きよき建物だなぁ」、パパは称賛した。
眞奈はウィストウハウスをママのように陰気だとも思わなかったし、パパのように古きよき英国の産物だとも思わなかった。ただこのリアルに美しい洋館の孤高なたたずまいに感じ入っていた。
バス停まで出迎えてくれた校長のエレノア・オースティン先生は、六十歳ぐらいの明るい有能そうな女性だった。
パパは得意のクィーンズイングリッシュを響かせながら会話を盛り上げた。
「ずいぶん立派な建物とガーデンですね。歴史的価値が大いにありそうだな」
オースティン校長先生は誇らしげに言った。
「そうですわね。ガーデンはヨークシャー州でも有数の風景式庭園でして、大きな湖や広い森もあって手入れも行き届いております。校舎はジョージ王朝時代の貴族のお屋敷を学校用へと改築した建物で、エリザベス女王の叔母さんがよくいらっしゃっていたぐらい格式があったんですの。それに三〇〇年経った今でも外観はほとんど変わっていないんですのよ」
ウィストウハウスの建物は三階建だった。
壁面はクリーム色がかったライムストーンの石造りでできており、石は年代物のため少し黒ずんでいた。ポーチにはギリシャ神殿ふうの円柱が数本立ち、建物はその入口から左右対称につくられていた。
そしてファサードには縦長の大きな白い窓がいくつもある。建物自体は武骨で厳かだったが、白い格子窓はエレガントな感じを出していた。
眞奈はどうしても窓が気になりじっと見つめた。
「窓が素敵ですね」、眞奈は慣れない英語でおずおずと言った。
校長先生はにっこりした。
「そうね、マナ。この窓は建設当時ウィストウ村の大変な自慢だったのよ。立派なお館様を持つ村ってことでね。まだガラスがめずらしくて高価な時代、窓がたくさんあるお屋敷はお金持ちの印だったの」
ポーチの円柱の間を抜けて、眞奈たちは厳めしい大きな両開きの玄関にたどり着いた。
オースティン校長先生は真鍮(しんちゅう)のドアノブに手をかけながら、「でもね、マナ……」と悲しそうに言った。
「外観とは違って、建物内部は当時とはすっかり変わってしまっているのよ」
ドアが開かれると、眞奈はドキドキしながらオースティン校長先生と一緒に館内を見学した。
校長先生の言うとおりだった。当時はきらびやかであったろうに、今やウィストウハウスの昔の面影はまったくない。大広間や客間、寝室、書斎、ギャラリーなどは、学生や先生たちが使いやすいよう無惨に小さな部屋に分割されていた。高級家具や価値の高い絵画などは、売りに出され、代わりに妙にピカピカで真新しいイスや机、ホワイトボードなど学校の備品が大量に入れられていた。
眞奈は目を閉じた。
なぜだかわからないけれど、眞奈にはウィストウハウスの全盛期の姿を容易に想像することができた。
三〇〇年前の華やかな舞踏会。
優雅な弦楽四重奏のメロディ、グラスに次々ワインが注がれる音。またたくキャンドル、キラキラ輝く銀器。人々の笑い声と熱気、女性たちが着ているドレスの衣擦れの音。マントルピースには赤々と火が燃えている……。
眞奈はそっと目を開けた。
舞踏会の光景は一瞬で消えてしまった。
大広間には今や、安っぽいスチールと人工木材でできた机やイス、ロッカー、簡易本棚が並んでいるだけ。
「もし三〇〇年前の持ち主のゴーストが現れたら嘆き悲しみそう」、眞奈はつい口に出して言った。
オースティン校長先生はいたずらっぽく微笑んだ。
「実はそんな噂もあるのよ、少女の亡霊が出るってね」
「亡霊が?」、眞奈は聞き返した。
「亡霊よ」、校長先生はそう繰り返し、「ねぇ、ヘレン、ウィストウハウスの少女の亡霊伝説はけっこう有名よね?」と、ちょうどドアを開けて部屋に入ってきた用務員らしき老女に声をかけた。
ヘレンと呼ばれた無愛想なおばあさんは亡霊話については一言も答えず、「お花を持ってきました」としゃがれ声で言いながら、大きな花瓶を投げつけるように置いた。
いつものことなのか、オースティン校長先生は老女の態度についてなんとも思っていない様子だった。
校長先生は楽しそうに言った。
「ウィストウハウス・スクールには『少女の亡霊』の他にもいくつか伝説になっている謎があるんですよ。『夜中に動き出す甲冑の騎士』、『ひとりでに鳴る音楽室のピアノ』などね。そういえばこのミセス・ヘレン・ハドソンは『少女の亡霊』を見たことがあるらしいのよ」
眞奈は心の中でつぶやいた。
ミセス・ハドソンが亡霊を『見た』なんて信じられない。だってミセス・ハドソン『こそ』が亡霊か老いた魔女みたいだもん!
老女はレトロな黒いワンピースを着ており、白髪は一つまとめのシニヨン。小太りで動きがのっしのっしと遅い。無表情な顔のシワにはいかにもな苦悩や不幸が刻まれていそうだ。
眞奈は好奇心を抑えられず、ミセス・ハドソンの方に身をのり出した。
「本当に少女の亡霊を見たんですか、すごいですね。どんな感じの少女なんですか?」
ところが、ミセス・ハドソンは眞奈の質問を完全に無視した。ぶすっとしたまま何も言わず、ドアを手荒く閉めさっさと校長室を出て行ってしまった。
ママは不快そうに眉をひそめた。一方、パパは愉快そうにミセス・ハドソンが出て行ったドアを見つめた。眞奈は今、自分にされた態度をどう考えればいいのか戸惑った。
オースティン校長先生はやれやれといった感じで、「申し訳ありません。失礼なことをしまして」と謝罪した。そしてミセス・ハドソンの代わりに答えた。
「少女の亡霊はブロンドの巻き毛のとてもかわいい女の子で、年代物の淡いグリーンのドレスを着ているらしいのよ。大昔、ウィストウハウスで若くして亡くなった女の子じゃないかといわれているわ」
「どうして亡霊になっているんですか?」
「そうね、どうしてかしら。そういえば、これからあなたの同級生になるマーカス・ウェントワースは小さい頃、少女の亡霊に会ったと言って、また会いたいからと幽霊探検倶楽部をつくっていたわね。興味があれば彼に聞いてみるといいわ」
そうだ、眞奈はそのとき初めてマーカスの名前を聞いたのだ、亡霊に会ったことがある男の子として。
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