39 サバイバルナイフのロマン

 眞奈が音のした方を見ると、木製戸棚に貼ってあるカレンダーにサバイバルナイフが突き刺さっていた。ナイフは見事に今日の日付の数字を射ていた。

「おい、命中してるぞ、すげぇ」

「けっこう奥深くまで刺さるのな」

「心臓一突きできるぜ」

「もう一回やってみろよ」

 男子たちは盛り上がっている。

 でもダーツじゃないんだから、刺された後ろの戸棚は……。

 眞奈の心配を察したレイチェルが言った。

「ひどいでしょ。教室の戸棚だけじゃないのよ。寮でもすっかり戸棚が穴だらけ。今、ポスターで隠してるんだけど……。ま、男子寮の談話室だから、私はべつにいいけどね」


 マーカスもフレディもけっして器物破損を楽しむ乱暴な生徒ではないが、特に悪びれた様子もなくとっても自然に戸棚をダーツ代わりにしていた。

 だから、イギリスの物っていろいろ壊れているのね。自販機とか、電話ボックスとか、公共施設のテーブルやイスとか……。


 眞奈が妙に感心していると、イザベルが口をとがらせながら大声あげているのが聞こえた。

「もう、マーカス、怖いわ。前からずっとナイフ投げは止めてって言ってるじゃない。いつか絶対死人が出るわよ!」

 マーカスはイザベルの言葉を無視して得意げに言った。

「新しいナイフなんだよ。ジェムにもらったんだ、ほら、用務員でヘレンの夫の。それでまたナイフ投げ熱が復活してさ」、と言いながら、マーカスは眞奈とウィルにナイフを見せた。

「へぇー、すごいね」

 サバイバルナイフは、暗い教室のささやかな光を集め鈍く光っていた。眞奈が想像していたよりもけっこう大きく殺傷力十分という感じだ。イザベルが怖がるのも無理はない。


 ウィルがナイフの刃をさわったりしながら言った。

「切れ味よさそうだし、デザインもかっこいいし、このナイフはかなり高級ないいものだぞ。これはちょうど中型ナイフで万能な感じだな。少し厚さがあるから薪割りもなんとかいけそうだし、大き過ぎないから魚をさばくのとかもできそうだ。グリップのところがハンマー代わりになるから釘も打てる」

「なんでウィルがナイフの種類なんて知ってるの?」、眞奈はちょっと驚いた。

「俺のおやじアウトドア好きでよ、よく家族でトレッキングとかキャンプに行って、ロッククライミングや沢登りもするんだ。だからいろいろアウトドア用の道具が家にあるし、ナイフもいろいろな種類、持ってる」

 ウィルがそう言うと、「さすが通学組は違うよな」と、マーカスとフレディが尊敬したようにウィルを見た。


 ウィルとマーカスとフレディがナイフ話に夢中になっている間、女子にはあからさまにうんざりとした空気がただよっていた。

 今までマーカスとフレディの二人でもうるさかったのに、さらにもう一人加わったとなるとたまったものではない。

 イザベルが露骨に顔をしかめた。

「もう、いいかげんにしてよ、何かもっとみんなで楽しめることしましょうよ」

 レイチェルも同意した。

「そうよ。そんなことより丘へのピクニックはいつにするの?」

 マーカスは今まさにカレンダーに投げようとしていたナイフを持ったまま、眞奈の方を振り返った。

「そうだね。マナはいつが都合いいんだい?」

「もう、マーカス、危ないって! 間違って投げちゃったらマナに当たるのよ、マナに当たったらどうするの?」、そう言いながらイザベルがすねたようにぷいと横を向いた。

 確かに刃がこちらに向くとけっこう怖い。しかし、眞奈にはそれよりもなんだかイザベルの態度が気になった。

 眞奈はちょっと笑顔をひきつらせて、「わ、私はいつでも……。でも学校がお休みの日がいいよね。日曜日とかどうかな?」と言った。

 マーカスは即答した。「よし、そしたら次の日曜日に決まりだ」


 眞奈はレイチェルとクレアの三人きりになると、心配そうに聞いた。

「イザベル、丘歩きに行きたくないみたいだったわ。この間はすごく仲良くなれた気がしたのに、今はなんだか私、イザベルに嫌われているように感じるんだけど、どう思う?」

「けっこう勘がいいじゃないの。でもあんた誤解しているわ! なんでもないことなのよ」、レイチェルはいたずらっぽく目くばせをした。「うーん、なんていうか、二、三日前の話なんだけど、マナのことでちょっとひと騒動あったのよ、寮でね」

「ひと騒動? 私のことで?」、眞奈は青ざめた。「私、何かやらかしたかな?」

 クレアが教えてくれた。

「ううん、マナのせいじゃなくってマーカスなのよ。マーカスがあんたのスケッチを描いていたの。そのスケッチをイザベルが見つけて、ちょっと気まずくなったっていうか……、わかるでしょ?」

「私のスケッチを?」

 あまりに意外なことに、ぱっと頭が真っ白になり、次の瞬間、眞奈の心臓のドキドキが一気に早まった。「まさか!」

「素直に喜びなさいよ!」

「そう、そう」

 レイチェルとクレアが冷やかした。

 眞奈は慌てて言った。

「もう、そんな一枚のスケッチくらいで何だっていうの? 何かの間違いかもしれないし。イザベルのことなんて何枚も描いているんだから」

「あんたのネガティブさには恐れ入るわ」、レイチェルは笑った。

「それに私、そんなことぐらいでイザベルに嫌われたくないの。だってせっかく友達になれたんだもん」

 レイチェルは言った。

「それは大丈夫。イザベルはべつにあんたが嫌いとか、どうこうマイナスの感情があるわけじゃないのよ。前にも言ったけど、イザベルとマーカスはブラコンとシスコンなの」

「ほんとに、ただそれだけ?」

「そう、典型的なね。イザベルはマーカスの意識が自分以外に向くのが嫌なの、ほんとーにただそれだけなのよ。あんたに少し素直じゃない態度を取るかもしれないけど、それは姉としてのやきもちなだけよ」、レイチェルは軽く言った。

 クレアも同調した。

「そうそう。だって小さい頃からずっと一緒だったんだもん。特別な気持ちがあるにきまっているでしょ、だから気にする必要ないわよ」

「でも、イザベルにはいい薬だわ。いつもマーカスにとって『イザベルが一番』って決まっているわけじゃないんだから、少しは弟離れしないと」、レイチェルはスパイスみたいにぴりっと言った。

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