40 あの丘を行こう!
丘歩きの日曜日、ちょうど約束の時間ぴったりに眞奈とウィルが待ち合わせ場所の本館に行くと、入口のギリシャ式円柱にもたれていたレイチェルが体を起こして手を振った。そばにはクレア、イザベル、マーカスとフレディもいる。
「晴れてよかったわね、こんなに晴れているのってめったにないわよ」
眞奈たちは元気いっぱいに歩き始めた。
本館周辺はきっちり整備された整形式庭園となっていた。
幾何学模様にデザインされた花壇には色とりどりの愛らしい草花が咲き、散策路には丁寧に手入れされたシャクナゲやキングサリが礼儀正しく立ち並ぶ。そして花木は散歩人を歓迎するように風に花をさざめかせている。
ウィストウハウスのガーデンは、校舎周辺と学校用グラウンド以外は、州立公園として地元の村人や観光客に一般公開されていた。眞奈たちはときどき、家族連れや犬の散歩をする地元の村人と行き交った。
少し歩くと、西の方角遠くにカメリアハウスが見えた。カメリアハウスは眞奈が過去の世界から帰ってくるとき道標にした園芸館だ。
そのうち道幅が狭くなり、年季の入った存在感ある大木が増えて周辺はうっそうとしてきた。この辺りより先、ウィストウハウスのガーデンは、イギリス独特の風景式庭園スタイルを呈してくる。
風景式庭園とは、お屋敷の広大な土地に草木や雑木林、森、湖、丘などを人工的に配置し、まるで天然の美しい風景のようにデザインされた伝統的な英国庭園のことである。お屋敷の所有者たちが自分の家の庭で、自然散策や狩り、乗馬などを楽しむためにつくられた。
一七〇〇年代に建てられたウィストウハウスもご多分にもれず、当時流行していたこの風形式庭園スタイルが取り入れられていた。
そういえば少し前の嵐の日、眞奈が一人でここに来たときは、まだ大木たちに葉はなく、骨のごとくがさついた枝だけだった。今やその枝へ身に着けた無数の緑の葉が春風に揺れ、木々もゆったりと安らいでいる様子だった。
眞奈はあのときと同じく、ウィストウハウスの建物の姿を見ようと思って後ろを振り返った。樹木の葉々の間、遠くにウィストウハウスの本館が見える。
いつもは霧がかり蒼然としているウィストウハウスの建物が、今日は太陽に明るく照らされ愉しげに感じる。古きよき時代の記憶を思い出しているかのようだ。
ウィストウハウスにだって、お屋敷の全盛期、若い恋人たちが庭で愛を語り合っていたり、一族の子どもたちが笑いながら走り回って遊んでいたり、子どもたちをママとパパが優しく抱きしめていたり……、そんな幸福な思い出があるにちがいない。
ミュージアムとして残されている他の有名カントリーハウスに比べれば、学校に様変わりしてしまったウィストウハウスの現代の姿はさびしい末路なのだろう。
うるさく粗野で小生意気な生徒たちが我が物顔でお屋敷をのし歩いている。しっちゃかめっちゃかな現代の子どもたちをウィストウハウスはどんな気持ちで見てるのだろうか。
しかし眞奈には、ウィストウハウスが学校時代の自分をけっこう楽しんでいるふうに感じられた。現代っ子たちの笑い声や青春時代の夢をあたたかい目で見守ってくれているはずだ、と思った。
しばらく歩くと、やがてロウワー湖が見えてきた。
ロウワー湖はウィストウハウスの東西に広がる大きな湖である。水は藻やコケでにごった緑色をしていたが、湖水の水面がキラキラ揺れていてきれいだった。
眞奈たちは小さなアーチ状の太鼓橋を渡った。
太鼓橋の終わりのところで、かなり先を歩いていたマーカスとイザベルが眞奈たちを待っていてくれた。
橋を渡った先に牧草地へ入る柵があった。
この間、嵐の日に一人で来たときは暴風と大雨で、眞奈はこの柵までしか進めなかった。
しかし、今日は青い空、太陽の光に輝く緑、そして爽やかな五月の風……、自然が両腕を大きく広げて眞奈を心から歓迎しているようだ。
フレディが牧草地の柵を開けてくれた。
右横に細い道が見えたので、眞奈はさて道に向かって歩き出そうとすると、マーカスが「あ、マナ、そっちじゃないよ」と声をかけた。
「え?」
「そっちの道じゃなくって、あっちの丘を横切って歩くのが公式の散歩コースなんだ」
なるほど、道は道じゃないわけだ。『道はあっても信じるな』ってことね、眞奈は妙に納得した。
なにしろバルコニーに通じるドアがないバルコニーに面した部屋を平気でつくる人たちだし。
一行がわいわい言いながら牧草地を進むと、のんびりくつろいだり草を食んだりしていた先客の羊たちが散って行く。
羊たちの遠く向こうに黄色く広がった何かが現れた。
眞奈が何だろうと目をこらすと、ゆるやかに連なる丘のところどころに菜の花が一面、満開になっていた。黄色いじゅうたんを部分ぶぶんにパッチワークしたみたいだった。
「菜の花だわ!」、眞奈は歓声をあげた。
菜の花たちはせいいっぱい伸びをして元気よく咲き誇っている。陽光に輝いてよりいっそう黄色のつややかさを増しているようだ。
菜の花畑の中には小道がつくられ、満開の菜の花の間隙(かんげき)を縫って歩くことができた。
そのうち南方向のウィストウハウスの境界線にたどり着いた。
隣り村から左方向にカーブして来る田舎道に合流すると、眞奈たちは田舎道に沿って曲がり、そこからは菜の花畑を左に見ながら坂道を歩いた。しばらく行くと馬舎があり、馬舎を過ぎると丘の上り傾斜が急になってきた。眞奈の息が上がる頃、みんなの目指す見晴らし台に到着した。
丘の上には大きな木が二本植えられ、木のベンチが置かれていた。
見晴らし台からの眺めは素晴らしいものだった。
遠くにウィストウハウスのお屋敷が小さく見える。お屋敷は無数の木立に囲まれ、その周りにはどこまでも続くなだらかな丘のうねり、点在する羊たち、輝く湖、緑深い森があった。
青い空には太陽が優しく輝き、空低く白い雲がぽっかり浮かんでいる。そして髪に頬に感じる強く涼やかな風……。
眞奈は丘の上に立ち、自分が世界で一番美しい場所にいるような気がした。
ふとイザベルの言葉を思い出した。
マーカスとイザベルがここを
眞奈にはとても信じられなかった。
もしウィストウハウスが檻だとしたなら、ずいぶん美しくて広大で、それに高潔な感じがする
後ろからウィルやレイチェルたちが追いついて来た。
「あーあ、やっとたどり着いたか!」
「ここでランチにするんでしょ、もう二時よ。お昼、我慢してたんだもん。私、お腹ぺこぺこ」
全員が到着すると、思い思いに芝生に座り、各自お弁当を出しはじめた。
眞奈は肩掛けバッグからママのつくってくれた大量のお惣菜を広げた。本当はかなり恥ずかしいので断固拒否したかったのが、娘にやっと友達ができたことではりきっていたママの好意を無視できず持ってくるはめになったのだ。
「ママがぜひみんなにも食べてほしいって言ってたくさんつくったの。だから遠慮しないで食べてね」
衣サクサクの天ぷら。ジューシーな唐揚げ、クリーミーなきのこグラタン、栄養満点の肉じゃが、時間が経ってもやわらかい一口ステーキ、ヘルシーなシーザーサラダなどなど……。
「な、何これ! どこか高級ホテルのケータリング?」、レイチェルが目をまるくした。
「ピクニックでウェディングパーティでもするつもり?」、クレアも驚いている。
「ちょっと、この黒猫は何? これは食べられないわよね」、イザベルはびっくりしながら、黒猫にデザインされたおにぎりを指さした。
「それはお米と海藻ののりでできているから食べられるのよ。キャラ弁ってわかる? スノーウィのことをママに話したらつくってくれたの。ライスを猫の形にして黒いのりを巻いたんだ」
「えー、すごい! 黄色い目の部分はチーズなのね。ひげは裂きチーズ? かわいい! でも、かわいすぎてとても食べられないわ!」、イザベルは笑った。「今日が特別じゃなくっていつもこんなのをつくるの?」
「黒猫はつくらないけど、メニュー的にはこんな感じかな」
「俺、マナのママに結婚申し込んでくっかな」、フレディが真顔で言った。
「日本こそが魔法使いの国だと思うよ」、マーカスはひたすら感心していた。
自分たちが持ってきたお弁当はすっかり忘れられ、みんなは眞奈のママがつくってくれたランチを口々においしいと言いながら、文字通りあっという間に食べ終わった。
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