41 丘歩きは続く

 お弁当の後、眞奈たちは後半の丘歩きを始めた。


 見晴らし台を少しずつ下って北東の方に向かうと、先ほどの丘陵より一転して木立が増え林が続く。さらに進んで行くと樹木が密集してすっかり森となった。あたり一帯はうっそうと湿り気に満ちている。もう眞奈たちの他には誰一人いなかった。


「この辺でいつも投げナイフの練習をしているんだ」、マーカスは言った。

 マーカスは今日もちゃんとナイフを持ってきていて、ポケットから取り出すと手近な木の幹に向かい投げ出した。

「気をつけてね。こっちには絶対飛ばさないでよ」、イザベルが叫ぶ。

 マーカスはどうやらカーブ投げという新たなワザを身につけたらしく、ナイフは見事な美しい弧を描いて木に刺さった。

「おお、すげぇな」、ウィルが称賛した。

「ちゃんとカーブしてる。なんか、パワーアップしてない?」、眞奈はイザベルに言った。

「すごい勢いで上達しているのよ、ほんと嫌になっちゃう。あーあ、早く飽きてくれないかなぁ」、イザベルは顔をしかめた。

「もう、マーカスとウィルは放っておいてさっさと行きましょう」、レイチェルが冷たく言った。


 眞奈たちが小道を曲がると、不意に、木立のたもとにブルーベルの群生が現れた。

 美しいブルーが一面に広がる、ひっそりとした青色の夢のような花たち……。うっかり誰かの平和な白昼夢にまぎれこんでしまったみたい。

「わぁ、きれいね! これがブルーベルなんだ。なんて素敵なの」、眞奈は大喜びだった。

「ね、きれいだって言ったでしょ。色も形も繊細な花だもん、マナが絶対好きになると思ったわ」とクレア。

「大好きよ!」、眞奈はうれしそうに花をじっくり見つめた。

 とても小さい花だったが、よく見ると一つひとつちゃんと青いベルの形をしている。なんと愛らしい花だろう。日本では見たことがない。眞奈にとってまたイギリスを好きになる理由が一つ増えた。


 後ろから追いついてきたマーカスとウィルが、今度はブルーベルが咲いている頭上の木々の幹に向かってナイフ投げを始めた。

 イザベルが本気で怒ろうと思って口を開きかけると、フレディがマーカスに声をかけた。

「マーカス、おまえはナイフの使い道ってやつをわかってないよ。おい、貸せよ」

 フレディはマーカスからナイフを奪うと、かがみながらブルーベルの群生に刃をざっとすべらせた。そして花たちの茎をそろえ持ち直すと、花束のように眞奈に差し出した。

「きっと君に似合うよ」

 眞奈は意表をつかれて真っ赤になりながら、「あ、ありがとう」と、受け取った。

 ブルーベルのブーケに顔を近づけてみると、かすかな甘い香りがした。

「なんてロマンティックなの!」、レイチェルがにやっとする。

 マーカスは吹き出した。「なるほど、ナイフの使い道としてはそっちの方がいいね!」

 ブルーベルの花の顔を出すようにして眞奈がブーケをポケットにしまうと、一行は青い花の群生を横目に小道をさらに進んだ。


 まもなく小さな広場に出た。マーカスは向こうにある大木を指さして言った。

「実は今日のためにツリーハウスもどきをつくったんだ。本当はちゃんとログハウスの形をしたツリーハウスをつくりたかったんだけど難しくて、簡単なものなんだけどさ」

「ツリーハウスもどきって、それ登れるの?」、レイチェルは半信半疑だった。

「登れるよ。強度の問題で二人ずつだけどね」

 行ってみると、そのツリーハウスは確かに完全な家の形はしておらず、高さも三段ベッドぐらいの高さであった。それでも二本の大木を利用し木板をはめて床がつくられ、床から四本の柱を建て上に屋根代わりの麻布をかぶせてある。

「えー。すごい!」

「十分立派なツリーハウスじゃない」

「ほんとに自分でつくったの?」、女の子たちは口々に言った。

「フレッドとウィルと一緒にね。放課後はずっとかかりきりだったんだよ」、マーカスは答えた。

「え? ウィルもやってたの? 全然知らなかった」、眞奈はびっくりした。

「おまえの目を盗んでな」

「ウィルったら放課後はさっさとどっか行っちゃって、ずっと一緒に帰ってなかったけど、てっきりジェニーとデートに行ってるんだと思ってた」

「おまえたちのサプライズが目的だから黙ってたんだ」、ウィルは頭をかいた。

「じゃ、今週はジェニーと会ってないの?」

「今、ジェニーはクラブのテニスで忙しいんだよ」と、ウィルは説明した。

「ナイフ投げとかだけじゃなくって、ちゃんとみんなのためにもいいことするだろ?」

 マーカスはいつも困らせている幼な友達にアピールした。

 イザベルは、褒められる気満々のマーカスを見ながら、「……そうね、みんなで登るときっと楽しいわ」と微笑んだ。

 そう答えるのに微妙な間があったので、きっとイザベルとしてはツリーハウスをつくるよりも断然ナイフ投げをやめてほしいと言いたいのだろう、眞奈は笑いそうになった。


 眞奈たちは二人ずつ順番でツリーハウスに登ることにした。

 ツリーハウスの床からはロープが下がっており、そのロープがはしご代わりだった。

「ロープなんて登れるかな」

 ところがよくしたもので、ロープには等間隔で結び目がついていて、結び目を手でつかんだり足を引っかけたりして登り降りできる仕組みになっていた。

 眞奈がおっかなびっくりロープを登り、床の上に上がってみた。

 上に登ったといっても周りは木だらけなので眺めがいいとはいえなかったが、上からの視点で森を眺めてみるとけっこう面白い。眞奈はなんだか森の妖精になったみたいで楽しかった。


 ツリーハウスを気に入った眞奈は三度も登った。

 ロープの登り降りも最初は恐々だったが、すっかり慣れてすいすいできるようになった。

 ロープの結び方は、用途によっていくつか型があるらしい。アウトドアに詳しいウィルがいろいろな結び方を教えてくれて、みんなで練習した。

 なかでも興味深かったのは、固く結いたロープの片方の端を引っ張っても絶対ほどけないのに、もう片方のロープの端を引っ張ると結び目が一瞬でハラハラほどけるという結び方だった。

「不思議ね、マジックみたい」、みんな面白がった。


 レイチェルは木の上からマーカスに声をかけた。

「でも、こんなにいっぱい木材がよくあったわね」

「ジェムがくれたんだ。去年、新しいあずま屋をつくったときの余りなんだって」、マーカスは答えた。 

 眞奈は楽しげに聞いた。「これって未来の建築家の初作品?」

 マーカスは未来の建築家と言われてうれしそうだった。

「いや、最初の作品は昔つくったスノーウィの小屋かな」

 イザベルは思い出し笑いをした。

「スノーウィに入ってもらえなかったのよね、けっこう頑張って豪邸をつくったのに」

「そうそう。餌を食べる食堂とトイレとベッドルームをつくって、かなり豪華にしてやったのに、スノーウィのやつ小屋の中にちっとも入っていこうとしないんだ。それで無理やり押し込めようとしたら引っ掻かれたんだっけ。まったく昔っから僕たち戦ってるよな。スノーウィとの戦いの歴史年表ができそうだよ」

「きっと屋根が怖かったんだと思うわ」

「そうかも。ま、建築家なんて芸術家じゃないし、相手あっての仕事だからね。住んでもらえる人や猫が居心地よくないと意味ないよね。そんなわけで初作品はボツになったんだ」、マーカスは笑った。


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