17 スペシャルな「ありがとう」
スクールバスの停留所までほんの三、四分。傘をささずに眞奈はそのまま歩きはじめた。怒りで体がほてっていたので、霧雨も寒さもちっとも感じなかった。
今日は学校をさぼるんだ、それで自分の好きな場所に行こう!
眞奈は勝ち誇って心の中で叫んだ。
ずっといい子で育ってきた眞奈にとって、学校をさぼるなんてとても悪いことに感じた。
でも、今なら『悪いこと』大歓迎!
眞奈は、忘れ物をしたことにして、スクールバスの途中のダートン駅で降りるつもりだった。この間、おこづかいをもらったばかりだから電車代ぐらいなんとかなるはずだ。
しかし、自分がいったいどこに行きたいのか思い浮かばなかった。
いいや、どこに行くかは電車に乗ったら決めようっと。
朝食抜きで来たので、スクールバスの時間よりだいぶん早くバス停に着いてしまった。
バス停には当然まだ誰もいない……と思っていたら、ウィルの姿があった。
ウィルはバス停のベンチに座ってタバコを吸っている。いつもギリギリでバスに駆け込んでくるはずなのに。
「ウィル! ずいぶん早いね」
「おう、ちょっとあってな」、ウィルはそう言うとタバコをふかした。
眞奈は彼のタバコを非難するようにジロッと見たが何か言うのはよした。そして自分のポテトチップスの袋を開けて食べ出した。
「今朝ママとパパが夫婦ゲンカしててね、なんだかダイニングに入りづらくって朝食が食べられなかったの」
「すっげぇ偶然。俺の家も朝から夫婦ゲンカでさ。しょうがないから妹三人連れて散歩に行ったんだ。帰ったときは止んでいたからよかったけど」
ウィルはやれやれといったふうに息をはいた。
「まったく早朝にまいった。なんか家にいるのもかったるいし、少し早めにバス停に来たんだ。ま、学校行くのもかったるいけどよ」
「へぇー、ウィルのうちも夫婦ゲンカ?」
眞奈はびっくりした。ランバート夫妻はどう見ても仲むつまじいイギリス人夫婦にしか見えなかったからだ。
「たびたびあんだよ。今日のはちょっと大きかったかな」
眞奈は肩をすくめた。
「うちの夫婦ゲンカは私のことで言い合っていたの。私、クラスで浮いている『友達のいない子』ってことで、イギリス不適格児だって言われてたのよ」
「そりゃあ、むかつくな」、ウィルはにやりとした。
「ママとパパの顔見るのも嫌だから、何も言わず家を出てきちゃった」
「もし家出したかったら、うちに来いよ。今さら妹が一人ぐらい増えたってどうってことないからな。だからそんときはちゃんと言えよ」
「うん、ありがとう」
「ともかく、俺が一番言いたいのはだ、『俺はいつもマナの味方だぞ』ってことだ。そりゃ、できることとできないことはあるけどよ、俺のベストの力でおまえの味方をしてやるぞ!」
眞奈のポテトチップスをつまむ手が止まった。
ウィルの言葉には真実と誠実さがあった。心に傷をおっている眞奈にはそれがはっきりと感じられた。ウィルの優しさは眞奈のガサガサした心のかたまりに染み込んで、ささくれを癒してくれるようだ。
『友達がいない子』。そう人から言われることが何だろう!
友達なんてそんなにたくさんいらない。ウィルだけで十分。大切な友達が一人いればそれでいいんだ。『友達、大勢います、だから私ハッピー』なんて本気でバカみたい。
確かにマーカス・ウェントワースのことは好きだった。でもウィルの友情はそれとは比べられない大切なものだ。
「ありがとう……」、眞奈はもう一度言った。
ありがとうという言葉は今までウィルに何百回となく言った言葉だ。でも今の一言は眞奈のスペシャルな『ありがとう』だった。
ウィルはちょっと照れたようにぷいと横を向くと、タバコの煙をはきだした。
眞奈は打ち明けた。「私、実は今日学校をさぼろうと思ってたの」
「そんなことやめろよ。さぼったってどうにかなるわけじゃなし」、ウィルは自分はさぼっているくせに、眞奈をとがめた。
「そうね」、眞奈はため息をついた。
「でも学校さぼってどこへ行こうか考えたら、どこに行ったらいいのか思いつかなかったんだ」
ウィルは吹き出した。
「さぼるのにも性格上向き不向きがあるからな」
せっかく悪いことができると(ささやかな悪さだけど)ちょっとだけ楽しい気分だったのに、ウィルと話したらさぼる気持ちは小さくしぼんでしまった。
眞奈は自分の勇気のなさに多少がっかりしたが、いけないことをしなくてもいいんだという安心感の方が大きかった。
そして黙って家を出たことでママとパパがきっと心配するだろうと思い、「寝坊したから朝ゴハン食べないで学校に行ってくるね」と急いでメールした。
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