第52話 必死で、悲痛で、自分勝手な
うっすらと透けた『シーファ』の姿と声とともに、脳内に清廉な銀色の文字が躍る。
【――すまない】
【これほどまでに、『混ざる』のが早いとは――】
【けれど、間違えないでくれ。君は君だ。私に巻き込まれた君だ】
【だから、何も負わなくていい。――私のことを、彼らのことを、考えなくたっていいんだ】
【この旅の全ては、私が背負うものだから――】
【すべて、為すのは君じゃない、私だ。私なんだ】
必死で、悲痛で、懇願するような。
そんな声音で、『シーファ』は言葉を連ねる。
【どうか傷つかないでくれ。苦しまないでくれ。悲しまないでくれ】
【『こう』なってしまったなら、いっそすべてを私に転嫁してくれていいから】
【『君』が傷を、負わないでくれ】
無理だよ、と思う。
もう私は知ってしまった。『シーファ』を知ってしまった。『シーファ』が繰り返した旅路を知ってしまった。彼らを知ってしまった。
(やっぱりシーファは、やさしい)
そしてその優しさは、出来上がったばかりのときから、大事に大事に箱に詰められて、抱え込まれてきたから。
純粋で――そしてどこか、自分勝手な優しさだ。
(『私』が傷つかなくて、苦しまなくて、悲しまない――そんな道は、きっと無いのに)
それでも願う、願ってしまうシーファは、かわいそうで、愛しい。
小さな子どもが、現実を正しく認識できずに――あるいは認識しながらも、夢物語を願うみたいに。
『みんなみんな幸せになりますように』なんて途方もない夢を、願うみたいに。
純粋すぎて、切実すぎて、現実が見えてなくて。
きっと誰かはそれを愚かだと言うかもしれないけれど。
そう『願える』シーファで――『願えるようになった』シーファのまま、今ここにいる。それに、よかった、と思う。
その『優しさ』を獲得したシーファだからこそ、『繰り返し』はつらいものだっただろうけれど――。
【まだ、諦めないの? 『シーファ・イザン』】
【――だったら、仕方ない。また、『繰り返し』だ】
【繰り返す度、君の自我も、魂も、磨り減っていくのに】
【それでも諦めることを選ばないんだね。――ばかな子だ】
【大丈夫だよ。君が諦めた暁には、きちんとその自我も魂も癒してあげる】
【――まっさらな状態からもう一度、苦しんでね?】
脳裏をちらつく濁った血の色の文字が、実際に『シーファ』に向けられた言葉たちだとわかるから。
それだけの歪んだ執着と悪意を向けられながら、それでも諦めずにここまで来たのだとわかるから。
私はきっと、これからどんな目にあっても――シーファを責められないのだろうなと思った。
この、かわいそうで、自分勝手で、やさしくて、ひたむきな魂を。
シーファの姿が唐突に消えた。視界の隅に銀の髪の輝きを認めて、『私』が『シーファ』になったのだと確信して、そっと息を詰める。
【 待っているよ 『シーファ=イザン』 】
【 はやく おいで ここまで おいで 】
【 僕のためのエルフの子 】
【 たくさん 苦しんで 】
【 たくさん 嘆いて 】
【 そうして ここまで おいで 】
【 たのしみだね 『シーファ=イザン』 】
【 今度の君は 僕の元で どれだけ耐えられるだろう 】
【 たのしみだね…… 】
愉悦に塗れた血の色の文字が、脳内を侵食する。文字が踊って、踊り狂って、『
――だけどこれで『シーファ』が壊されることはないと、『混ざった』私は知っている。
声の主にとって、これはただの手遊びのようなもの。本気で手出しをしてきているわけじゃないのだ。『シーファ』が『狂えない』と知っていながら――知っているから行われる、悪趣味な手遊び。
そしていつかと同じように、必死な誰かの声が聞こえてきて。
全てが遠く消えていって。
「シーファ……!」
予想通り、そこには煌めく金色と、こちらを気遣う色で満ちた碧眼があった。
「……レアルード……」
「魘されていた。……やっぱり例の夢か?」
『例の夢』。
いつか想起できなかったそれは、今回は当たり前のように想起できた。
あの血の色の文字が浮かぶ夢。悪趣味な手遊びの結果。『狂えない』とはいえ、シーファの精神に多大な負荷をもたらすそれ。
あるいは、過去の『繰り返し』の記憶。フラッシュバックするように現れる、悲しみの、苦しみの、痛みの、記憶。
村にいたとき、『シーファ』がそれらに苦しむ様を見たレアルードは、眠るシーファに気を配るようになった。
レアルードに『夢』の中身は話していない。『目が覚めると忘れてしまう、けれど繰り返し見る夢』ということにしていた。
「……ああ。すまない、起こしてしまったんだろう」
「いや、前も言っただろう? 俺は元々眠りが浅いんだ。お前が魘される前から起きてた」
「……そうか」
それが本当のことでも、
それを噛みしめながら身体を起こす。もう一度眠れる気はしなかったし、空は明るんでいた。起きてもおかしくない時間帯だ。
タキは、昨夜は「最後の情報収集行ってくる」と言い置いて出て行ったまま戻っていないようで、部屋には二人だけだ。
まだ心配げにこちらを見遣るレアルードに、心の中で苦笑する。
「そんな顔をしなくても、君が起こしてくれたから、大丈夫だ。……ありがとう」
心のままに、伝える。『シーファ』としては少し逸脱してしまうのかもしれないけれど、別にいい。
一瞬目を見開いたレアルードが、ほっとしたように、そして嬉しそうに、笑ってくれたから。
(本当は、『旅』が終わったら、こうしたかったんでしょう、シーファ)
応えのないとわかっていて、心の中で呼びかける。
『今回』で最後だと言うのなら、『最後』にするのなら、『次』はない。
――『次』は、ないのだ。
遠い空の朝焼けを見つめる。
町を出る日に相応しい、晴天になりそうだった。
+ + + + + + + +
連載を完全凍結することにしたのでここまでになります。
お付き合いいただきありがとうございました。
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