第13話 『ジアス・アルレイド』




 鏡の向こう側、『シーファ』が必死な様子で何かを言う。いつかと同じように声は全然聞こえなくて、『シーファ』はそれでも懸命に何かを伝えようとしていて、『聞こえない』ことにすごく申し訳ない気分になる。

 そっと、鏡に触れる。冷たい感触に阻まれて、向こう側に手を伸ばすことはかなわない。だけど、触れた箇所からじわりと染み出すように、『シーファ』の感情と思考の断片が伝わってきた。


 何よりも強く感じとれたのは『焦り』。それから、『動揺』。

 どうして、という思いと、やはり、という諦念。



(勘付かれたか)

(否――まだ『気まぐれ』の範疇のはず)

(直に会いさえしなければ、気付かれることはない――)



 『彼』が村に現れることは今まで無かったのに、と考える一方で、あの『接触』のせいだ、と納得する――『私』じゃない、『シーファ』の思考。


 『シーファ』が魔法陣を描いた。それがふわりと『私』に向かう。

 前のものとは違う、その魔法陣が示すのは――外敵を退けるための障壁。


 それが『私』を包み込んだ瞬間、弾かれるような衝撃が『私』の意識を揺るがして――意識が、覚醒した。




「――ッてェなぁ……」


 受けた痛みを表す言葉と裏腹にたのしげな笑みを浮かべた顔が、すぐ近くにあった。驚きに一瞬息を呑んで、慌てて現状の把握に努めようと視線を動かせば、彼が手を掛けたんだろう袷がわずかに乱れているのに気付く。

 『シーファ』が何のためにあの『魔法』をかけたのか理解して――そしてその危機が未だ去っていないことも同時に知った。


 目を開けたシーファに気付いているだろうに、大した反応も見せない男は、赤く爛れた――そして今まさに修復されている右手をぶらぶらとさせながら、もう一方の手を伸ばしてくる。再び展開された障壁を力技でこじ開けようとするのに、咄嗟に顕現させた魔法陣で本体ごと吹き飛ばした。

 空中でくるりと回転し、何事もなかったかのように着地した男――『ジアス・アルレイド』を、立ち上がって真正面から見据える。

 褐色の肌、顔の半分以上を覆う、刺青に似た紋様。切りそろえられていないざんばらの髪が、限りなく黒に近い藍色なのだと『知っている』。

 彼もまた、『シーファ』の幾度も繰り返した旅の中で、一度ならず顔を合わせることがさだめられている人物だった。



「――何の、つもりだ」


「アレ、聞こえてなかった? 『オイタはダメだぜ』って言ったろ?」


「しばらく会わないだろうという趣旨の言葉を聞いたのはつい先日だったと記憶しているが」


「あっはっは、そりゃ事情が変わっちまったから仕方ない。まァ、には介入する予定はなかったんだけどな。ついうっかり手ェ出しちまった」



 からからと笑う目前の男は、純粋な人間じゃない。もちろん『シーファ』と同じエルフであるわけもない。

 『魔王の眷属』、そして――ある意味では『シーファ』の昔馴染みと言える人物、だった。



「俺様悲しい中間管理職だからさァ、ちょっと行って来いって言われたら拒否権無いわけよ。魔王サマも何が気になったんだかねェ?」


「私が知るはずがないだろう。……それより、から出せ」


「せっかちだねェ、『シーファ・イザン』。まァもうちょっと付き合えって。まだ『確認』終わってないんでね」



 さまざまな色をぐちゃぐちゃに混ぜ込んだ末に出来上がったような混沌の闇が広がるは『ジアス・アルレイド』のテリトリーだ。『魔王』に近しいが故に与えられた力と、ジアスが生来持っていた力とが合わさって作り出された、異空間。

 ぐにゃり、と近くの空間が歪む。そこから溢れだすように現れたジアスが操る『闇』を『魔法』で打ち消そうとするも、『闇』は魔法陣すら塗りつぶす。


 ――は『ジアス・アルレイド』に有利すぎるフィールドなのだと、『記憶』が告げる。けれどそれは現状を打破するのに何の役にも立たない。


 質量を増した『闇』が幾つもの魔法陣を呑み込んで、その触手を私シーファに伸ばすのを視界に収めながら、身を翻そうとして――『ジアス・アルレイド』本人に阻まれた。



「――ッ…!」


「おお痛いってェの。俺様の回復速度上回るたァ、また随分とえげつない『魔法』なことで」



 音を立てて爛れゆく己の手に頓着せず、シーファの首を鷲掴みにしたジアスは飄々と軽口を叩いた。触れた場所から、『シーファ』が作り上げた『魔法』が無理やり壊される感覚がする。同時に、『シーファ』の中に注ぎ込まれた『闇』が活性化して、身体の自由を奪う。

 意識を失っている間に準備が為されていたことを理解して、苦々しい気持ちが湧き上がった。多分、最初の接触時――『闇』によって意識を奪われた時に仕込まれていたんだろう。



「――は、なせ…っ!」


「言われて離すくらいなら最初からやってねェって、なァ? 俺様だってちょっぴり心苦しいんデスヨ? これでもお前のこと気に入ってんだぜ、『シーファ・イザン』」



 そう言いながら、『魔法』を完膚なきまでに壊していく彼の顔は愉しくて仕方がないと言わんばかりの表情だった。

 『気に入っている』からこそ愉しんでいるのだと、言われずとも分かる。


 『魔法』が壊される速度に反比例して、ジアスが受けるダメージは減少する。時間を巻き戻すかのように『修復』されていく掌の感触が生々しい。

 それに顔をしかめるシーファを愉しんでいる風なのがまた趣味が悪い、と思う。

 ……『ジアス・アルレイド』が快楽主義の嗜虐趣味サディストなのは『シーファ』の記憶からなんとなく分かってたけど、ここまでとは。


 完全に壊された『魔法』の残滓が消え去るのを待って、ジアスは再びシーファの服の袷に手をかけた。



「いやァ、脱がしても面白くないカラダなの知ってても、なんかイケナイコトしてる気分になるねェ。やっぱ顔は大事ってことかね?」



 『シーファ』の服の構造上、あっさりと袷は解かれて。

 肌蹴させられた服の隙間から褐色の指が肌に触れた。つぅ、と指先がなぞるのは、今は発光することもなくただ在るだけの黒色の文様。



「うーん、特に変化はナイっぽいんだけどなァ……」



 ジアスの指が黒色の線に触れるたび、微かにが明滅する。

 たっぷり時間をかけて文様の全体を確認したジアスに、少しの苛立ちと呆れを込めて言葉を投げた。



「――……気は済んだか」


「うんにゃ? ケド、ま、いいか。消えてないし壊れてもないなら、魔王サマ的には別に構わないだろーし」



 やっと離れたジアスに嘆息する。拘束が解かれたのを感覚で感じ取って、自分できちんと服を整えた。



「そういや『レアルード』はどうよ? 『タキ』も一緒みたいだったし。あとあの女も」


「……答えると思うのか」


「儀礼的なアレだって。ンな怖い顔すんなよなァ」



 わざとらしく肩を竦めるのに苛立ちが募るけれど、反応を返せば相手の思うつぼだ。

 ――それに、聞かなければならないこともある。


 『ジアス・アルレイド』は紛れもなく敵側の人物だけど、『魔王』の動向を間接的に知るのに適した人物でもあるのだ。明確な『敵』として現れる場合以外の接触時には、『シーファ』は多少なりと彼と言葉を交わすようにしていた。

 もちろん彼の言を完全に信用していたわけじゃなく、ある程度の指標にしていた、ってくらいのレベルだったみたいだけど。



「それで、何を言われてこんなことをしたんだ」


「なんか気になる感じがするから見て来い、的なカンジ? こういう時下っ端は辛いねェ。その分待遇好いからいいけどさァ。何が気になるんだか、と思ってたら俺様の不意打ちも思いっきり喰らうし、何? なんかあったわけ?」


「…………」


「まァ、俺様に言う義理はねェけどさ。『最初』は制限かけとくのがお前のやり方なのは知ってるけど、なァんかちょっと違う感じするんだよなァ」



 それは十中八九『シーファ』の中に『私』が入っているからだろうけれど、もちろん口にはしない。

 ちょっとの間首を捻っていたジアスは、「まァいいか」と割合あっさり考えるのを放棄してくれたので、内心安心する。



「んじゃ、まァ、そろそろ頃合かね?」



 ニヤリと笑ったジアスがパチンと指を鳴らすと、周囲の『闇』が急速に集まって小さな立方体を形作り、ジアスの目前に浮かぶ。それを手にしたジアスが小さく何かを呟けば、『闇』の消失により脆くなっていた空間は簡単に壊れていった。



「――さァ、『シーファ・イザン』。せっかくだ、楽しませてくれよ?」



 空間の欠片が砕けて宙に消えゆく中、囁くような愉悦の混じった声が耳を掠めて。

 投げ出された先には――人質にとられたピアと、彼女を盾にする盗賊の首領、そしてそれに対峙するタキとレアルードという、見覚えがありながらも『記憶』とは決定的に違う光景が、あった。



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