第2話 はじまりの日



 目が覚めたら、知らない天井が見えた。



「ッ!?」



 一気に覚醒して身体を起こす。……って、なんか節々が痛い。

 怪訝に思って自分の身体を見下ろして、さらに驚いた。



「なに、この服……」



 私はいつも通り、パジャマに着替えて寝たはずだ。間違っても裾がひらひらで且つあちこちに細かい刺繍が入ってる――いかにもファンタジーでコスプレチックな服を着た覚えはない。

 というか私は床に寝ていたらしい。道理で身体が痛いわけだ。……あれ?


 視界の端を掠めた銀色に、思考が止まった。それはさらりと肩を滑り、胸に落ちてくる。いやいや、ちょっと待ってこれはもしかして。




 ……髪の、毛?




 いやいやいやそんなはずは。私髪染めたり脱色したりしてないし。もし染めるとしても銀髪なんて難易度高いのに挑戦したりしない。一歩間違えば白髪じゃないか。


 とりあえずその銀色の束を引っ張ってみた。……頭皮が引き攣れる特有の痛みが襲ってくる。思い切り引っ張ったのでちょっと涙目になった。



 マジですか。



 夢だったりしないだろうかと思いながら自分が寝ていたらしい部屋を見回す。鏡っぽいものを見つけて、それに駆け寄った。


 それに映し出されたのは――。



「誰これ……」



 胸の中ほどまでの長さの銀髪に、深い青色の瞳。いっそ幻想的なまでの白い肌。初対面だったら「何この美形。神様気合入れすぎ」とでも思いそうなほど整った顔。

 そして極めつけは、銀髪の隙間から覗く尖った耳。



 ファンタジー小説、もしくはRPGにでも出てきそうなその外見に、私の思考は今度こそ停止した。


 けれど幸か不幸か、その瞬間に闖入者は現れた。



「おーい、シーファー?」



 どんどん、と扉を叩く音。我に返った私が音の発生源の方を見るのと、その扉が開くのは同時だった。



「ああ、起きてるじゃないか。返事くらいしろ」



 現れたのは金髪碧眼のいかにもな西洋風美形だった。っていうか誰。



「? どうした。寝ぼけてるのか? 珍しいな」



 反応を示さない私に不思議そうな目線を向けながら、その人はずかずかと部屋に上がりこんで近づいてくる。



「シーファ?」



 それが自分に向けられた呼びかけだと気付くのに数秒かかった。馴染みのない名前――けれど私は『知っていた』。


 シーファ・イザン。それがこの身体の名前だと。


 そう認識した瞬間のことを、どう表せばいいだろう。

 知らないはずの記憶、知らないはずの知識、そういうものが奔流のように頭の中に溢れ出てきて、何もかも――『私』そのものが一瞬喪失される感覚。


 その感覚から解放され、そうして目の前の人物を認識して私は言葉を零した。



「レアルード……?」


「なんだ?」



 知らないはずの人、なのに。私は彼の名を知っていた。間違いなく異常事態に見舞われていることに、今更ながら愕然とする。


 そんな私の顔を覗き込む男――『レアルード』。



「具合でも悪いのか? なんか変だぞ」



 前半は見当違いだけど、後半は当たり前だ。だって私はレアルードの知る『シーファ』じゃない。

 恐らくは、いや、『シーファ』の記憶からすると確実に、『異世界』の人間である私の精神が『シーファ』の中に入っているのだ。……というか、入れ替わったとでも言うべきか。


 まだ記憶が馴染まないためなのか、それとも別の理由があるのか知らないが、所々不明な部分はあるが、私は、起きる前に聞いた悲痛な『声』の主――シーファと精神を交換する形でこの世界に来たらしい。シーファが何故そんなことをしたのかは分からないが、どうすれば帰ることが出来るのかはわかっている――シーファの『記憶』が教えてくれる。


 私はそのためにどう行動すべきかを数秒で判断し、口を開いた。



「……すまない。少し、ぼうっとしてしまったようだ」


「疲れてるのか? 今日出発できるか?」


「ああ。……大丈夫だ」



 頷いて、立ち上がる。基本が着物みたいなつくりの服だけじゃなんだか心許なくて(だってこの服結構薄い)近くにかけてあった、これまたひらひらしてる上着を羽織った。



「準備は出来ている。だが少し待っていてくれ。私は起きたばかりなんだ」


「外に出ておいたほうが良いか?」


「出来ればそうしてもらえると助かる」


「わかった」



 言葉と共にレアルードが外に出て行く。それを見届けて、私は大きく溜息を吐いた。



「……どうしよう」



 いや、どうするべきなのかというか、これからの行動指針に関しては分かっているんだけど。


 この世界には『魔王』がいるらしい。

 ……ありえない、と思うけど、異世界だからとりあえず納得しておく。


 それで、どうやら『シーファ』は魔王を退治しに行くパーティの一人だったようだ。そしてレアルードもその一人。ゲームとかで言うところの勇者がレアルード、初期メンバーの魔法使いがシーファ、みたいなポジションっぽい。


 『魔王』を倒せば元の世界に帰れるのだと、『シーファ』の記憶が告げている。私とシーファの精神を交換する術は、『魔王』を倒すことで解除されるらしい。

 『シーファ』の記憶によれば、今日が魔王を倒す旅に出る日で、それ故にレアルードが朝から尋ねてきたということなのかな。……え、わざわざこの家に?


 『シーファ』の記憶と照合して疑問が浮かぶ。だってこの家、レアルードとか他の人とかが住んでいる場所から結構離れた場所、もっと言えば森の中にある。なのにこんな朝っぱらからわざわざ?


 それはちょっとおかしくないか?


 まあ、パーティがシーファとレアルードだけならまだ分かる。面倒見いい人だなーで済ませられる。でも『シーファ』の記憶から得た知識だと、出発時のメンバーは三人なのだ。

 私シーファと、レアルードと、えーと……あれ、名前何だろう。『シーファ』の記憶は私にとって元々のものではないから、『思い出す』という工程になにか不具合でもあるのか、上手く記憶を検索できないのだ。


 まあその内思い出せる(この表現が的確かどうかは置いといて)だろうから、とりあえずそれはいいとして。

 自分の身体を見下ろす。全てが見慣れない。視線の高さも違う。声も違う。身体のラインも――。


 ……あれ?


 ぺた、と自分の胸に手を押し当てる。……平べったかった。

 一度深呼吸してもう一度確かめる。……やっぱり平べったかった。


 ……え?


 もしかして、『シーファ』って――。



 即座に閃いた嫌な予感を振り切るように『シーファ』の記憶を辿る。


 いやいやいや、百歩譲って身体の交換はいいけど、性転換だけは勘弁……!

 ほぼ半泣きで記憶を探る。触って確かめるとか無理。嫌過ぎる。下半身を意識するのも同様の理由で却下だ。


 そしてなんとか望んだ記憶を引っ張り出したわけだけど……。



「む、無性体……!?」



 思わず床に膝と手をついてうなだれたい衝動に駆られた。やらないけど。

 いや、男よりはいいけど…いいけど、無性体って……。

 上もないけど下もないってことだよね。……は、排泄器官とかどうなってるんだろう。日常に密接しすぎてて意識しないと記憶(っていうか知識?)が出てこないんだけど。


 ……まあ、ここで私が何を思おうと事実は変わらないから、この辺のことはありのままに受け止めよう。男性体じゃなかっただけマシだ。


 というかあんまり遅いとレアルードがまた突入してくるかもしれない。

 シーファが用意しておいた(と記憶が告げている)荷物を手に取る。……異様に軽いんだけど。ちゃんと旅の用意できてるんだろうか。


 ちょっと不安になって中を見てみようかと思ったところで、外からレアルードが大声で呼びかけてきた。ああもう、もうちょっとくらいゆっくりさせてくれないかな……! 一応私いきなりこの世界に連れて来られたばっかりなんだけど!


 そんなことレアルードが知るわけもないので、仕方なく扉に向かう。

 あ、ちなみに荷物が異様に軽い理由はほぼ四次元ポケットだからだった。そういう『記憶』があった。


 でも、つい耳のない猫型ロボットを連想した私を誰も責められないと思う。……実際は魔法の恩恵らしいけど、四次元ポケットって言ったら、ねぇ?



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