第36話 初めての幸せ

 翌々日。

 クーリュイアは未だに冬夜の家にいた。

 少しでも長く一緒にいたいという願望を優先することにしたのだ。

 だがそれには2つ問題があった。

 1つ目はレイスだ。レイスが来ればおそらく冬夜たちは死んでしまうだろう。それだけは避けたかった。だが、来ないと言う可能性も考えられる。全てはレイス次第だ。

 2つ目は破壊衝動のことだ。もうここへきて4日目だ。いつもであれば2、3日に一度の頻度で破壊衝動が起こる。そのためもういつ起きてもおかしくない状態なのだ。

 破壊衝動が起きれば冬夜たちを傷つける、最悪の場合は殺してしまうかもしれなかった。

 破壊衝動が起こるかもしれなかった日曜日に姿を消そうとも考えたが、思わず自分の欲望を優先してしまった。

 そして今日も……


「……行ってきます」

「いってらっしゃい、気を付けて行ってくるのよ」


 冬夜の乗り気ではない声に、冬夜の母は明るく言った。

 どうやら冬夜は学校というものにいかなくてはならないらしい。

 冬夜を見送ると、クーリュイアは冬夜の母の家事の手伝いをして1日を過ごした。

 お世話になっている分お返しがしたかったのだ。

 そう言うと冬夜の母は笑顔で了承した。

 そして冬夜の帰りを待っていると、冬夜の父がボロボロの冬夜を抱えて帰ってきた。


「冬夜!」


 冬夜の母が悲痛の声を上げる。


「大丈夫だ、命の危険はない。冬夜を見ていてくれるか、俺は冬夜をこんな目に合わせたやつを見つけ出して来る」


 冬夜の父はそう言うと玄関を飛び出していった。

 冬夜の母は冬夜を布団に寝かせると、傷を治療して血を綺麗に拭いた。

 クーリュイアはそれの手伝いをして、冬夜の隣で冬夜が目を冷ますのを待つことにした。


「クーリュイアちゃん?」

「……」


 しばらくすると、冬夜が目を覚まし、体を起こそうとした。

 クーリュイアは一体何をいえばいいのか分からなかったが、こう言う時にするといいことを自分は経験で知っていた。


「……寝てて」

「えっ?」

「……そういうときは、寝るのが一番」


 クーリュイアが冬夜の両肩をそっと抑えると、冬夜はそれに逆らうことなく倒れ込んだ。


「……おやすみ」


 そう言ってクーリュイアはもう1つの力を使うことにした。

 クーリュイアが持つ力は2つ。

 1つ目は気配を消す力。そしてもう1つは相手を眠りに誘う力だ。

 相手を眠りに誘う力は大したことはない。少し眠たくするくらいで、かかりたくないと思えば簡単に弾いてしまうことができる。


 これで少しでも冬夜はが元気になればいいと願いを込めてかけると、冬夜はゆっくりと目を閉じた。

 それを確認してからクーリュイアは自分の布団に眠りに行くのだった。


 翌朝、突然の破壊衝動にクーリュイアは目を覚ました。


「ぐぅっ!」


 思わずうめき声をあげるが、幸いなことに隣の布団には冬夜の母はいなかった。おそらく先に起きたのだろう。


 もうここにはいられないと思ったクーリュイアは全力で気配を消した後、家から飛び出した。

 胸を強く握りしめながらふらふらと歩き、ようやく辿り着いた先は一番はじめにこの世界に転移した、誰も住んでいない家だった。


「あぐっ!」


 破壊衝動が酷くなる。歩くのも厳しくなったクーリュイアは家の中に入り、畳の部屋で座り込んだ。

 この世界の破壊だけはしたくなかった。この大切な人がいるこの世界だけは。

 クーリュイアは自分が暴走しそうなのを必死に抑えてただひたすら耐えた。

 他の世界に転移することも考えたが、世界が壊れないように穴を開けることができそうになかった。

 世界は意外と丈夫にできており、多少の歪みを作った程度では修復される。

 どこに穴を開ければ世界が壊れないかが、クーリュイアたち歪人には分かるのだ。

 しかし、破壊衝動を必死に抑える状態のクーリュイアに、力を制御することはできそうになかった。

 そのためひたすら耐えるしか他ない。


 一体何時間経っただろうか。


 クーリュイアは脂汗をかきながらも必死に破壊衝動を抑えていた。だがそれも、もう我慢の限界に近い。


「……だれか、……たすけて」


 もう何年も出ることのなかった涙が、クーリュイアの瞳からこぼれ落ちた。

 その瞬間、クーリュイアの耳に聞こえるはずのない声が聞こえてきた。


「クーリュイアちゃん、見つけたよ」


 その声にクーリュイアは驚きのあまり体をビクリと震わせた。

 顔を上げて見れば、そのにはもう二度と会えないと思った冬夜の姿があった。


「……どうして?」

「どうして見つけられたのかって? 言ったでしょ。僕は見つけるのが得意なんだ。だからクーリュイアちゃんがどこにいたって見つけるから」


 そう言って冬夜はクーリュイアに近づこうとする。


「こないで!!!」


 クーリュイアは初めて大きな声で叫んだ。

 破壊したい、殺したい、そんな自分のものではない感情が溢れ出してくるのだ。

 現に、目の前にいる冬夜を殺したくて仕方なかった。

 自分の体が勝手に動き、ナイフを手に取る。次の瞬間にはその鋭く輝いた切っ先が、冬夜の心臓に突き刺さっていそうで、クーリュイアは恐ろしかった。


「どうしたの? 苦しいの?」

「……こないで、私はあなたを殺したくはない。もう帰って」


 しかし、冬夜はクーリュイアの願いに反して立ち去る様子はなかった。

 ナイフが見えているにもかかわらず、冬夜は微笑みながらゆっくりと近づいてくる。


「ねぇ、クーリュイアちゃん。ぼくね、クーリュイアちゃんといて本当に楽しかったんだ」


“楽しい”その感情は言葉では知っていても、どう言ったものなのかクーリュイアは知らなかった。


「ぼくはいつも学校でいじめられているけど、クーリュイアちゃんや結衣ちゃんは普通に接してくれる。学校の奴らみたいに媚びたりなんかもしない。そんな二人がぼくは大好きなんだ。もちろんそれだけじゃないよ? それ以外にもいっぱいある。結衣ちゃんは優しいし、クーリュイアちゃんはぼくに勇気をくれる。だからね……」


 ついに冬夜の手がクーリュイアに触れる。そして冬夜に優しく抱きしめられながら頭を撫でられた。

 すると、今まで自分を苦しめていた破壊衝動が、潮が引くようにみるみるうちに消えていくではないか。クーリュイアは初めての感覚に言葉を失った。

 温かく、まるで風呂にでも使っているようなポカポカとした気持ち。心臓が早く鼓動を打ち、顔が熱くなるのを感じた。


「だから、ずっとぼくと一緒にいてほしいな。ぼくがクーリュイアちゃんにしてあげられることがあるかは分からないけど、精いっぱい努力するから」


 クーリュイアは力が抜け、ナイフを落とす。

 もう冬夜を殺したいという感情もなく、いつもの自分に戻っていた。

 ゆっくりと顔を上げると、冬夜の目を見ながらポツリと呟いた。


「……とうや」

「なに? クーリュイアちゃん」

「……また、こうして欲しい」

「いいよ。いくらでもしてあげる」


 クーリュイアは、冬夜がこうして抱きしめて頭を撫でれば今後も破壊衝動が収まる、そう確信した。

 それだけではなく、クーリュイアはこの心地良い感覚が気に入った。ずっとこうしていたい、そう思ったのだ。



「……とうや」

「なに? クーリュイアちゃん」

「……クーでいい。わたしのこと」

「どうして?」

「……略すと親しみが持てるって」

「ああ、そうだね。じゃあクー。これからもよろしくね」

「……よろしく。とー」

「うーん、ぼくの名前はあまり略さないかな。そのままでいいよ」

「……わかった。とうや」


 クーリュイアは冬夜の笑みにつられるように微笑んだ。

 初めてクーリュイアは幸せというものを感じた気がするのだった。

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