第10話 久しぶりに本気を出しました。

「きりーつ、きをつけ、れい、ちゃくせーき」

「はい、それでは授業を始めます。後ろに保護者の方が来ていますが、いつも通り行いますからね」


 長い戦いが今、幕を開けた。初めから寝るというミスをするはずもなく、冬夜は姿勢正しく座っている。その様子を見て多くの生徒は驚いているようだ。教師も話をしながら時々視線を向けてきている。


「あー、ではここの部分を、神楽坂君。読んでくれますか?」


 早速冬夜は指名された。

 だが、ただ読むだけではだめだ。そんな普通ではレスティーヤは納得しないだろう。

 そう考えた冬夜は起立すると、声に緩急を付け臨場感を表現しつつ読み始める。ナレーションの部分は演劇の語り部のように、セリフの部分は感情を込めて声に出した。

 指定された部分まで読み終わったが、教師の反応が全くない。教室もシンッとしており、隣の教室の教師の声が聞こえてくるほど静かだった。


「先生。読み終わったが……」

「あっ、はい、大変よくできました。それでは、教科書35ページに書かれている……」


 冬夜の声でようやく現実世界へと戻ってきた教師は、授業を再開した。

 冬夜は後ろをちらりと見ると、レスティーヤがほほ笑んでいるのを確認した。どうやらレスティーヤとしての評価はなかなかに高かったようだ。


 昼休み。

 他の時間も同じように、難しい問題をすらすらと前で解くなど、優等生のようにふるまっていた冬夜は、和人と桜を連れて屋上へと来ていた。レスティーヤは、他の保護者と話をしているようで、ここにはいない。

 冬夜は、はー、と深いため息を吐くと、ベンチに寝転がる。


「これはきつい。かなりしんどいぞ」

「でも、冬夜すごいじゃない。やればできるんだから普段からそうしてたらいいのに……」


 桜にべた褒めされるが、冬夜は手をひらりひらりと左右に振る。


「こんなこと毎日できるわけないだろう? もう限界だ」

「だが、あと2限じゃないか。俺のフォローなんていらなさそうだぜ?」

「私もいらないっぽいよ」

「いや、正直3限目からミスしそうでしかたなかったぞ? 今も倒れそうなほど眠いしな。後2限持つかどうか」


 冬夜は弁当を食べ終わると、時間ぎりぎりまで屋上でゆっくりと過ごした。ラストスパートを頑張るために体力を蓄えなければならない。



 5限目。担当する教師は坂口大和。教科は体育。男子生徒たちはグラウンドへと出ると、準備体操を始めた。


「冬夜、大丈夫そうか? 今日はサッカーだが……」


 ボールを足で転がしながら、和人は尋ねる。しかし、冬夜は目を見開いたまま何も答えなかった。


「冬夜? おい、大丈夫か?」


 肩を揺すると、冬夜はびくりと震えた後、目をぱちぱちと閉じたり開いたりした。どうやら、寝かかっていたらしい。


「ああ、すまない。意識が飛んでいた。サッカーだったな。何とかなるだろ」


 そう言って冬夜は、集合場所へと急ぐのだった。


 試合の合図が鳴り響く。ボールの奪い合いが始まるも、冬夜は動かずに腰を落としたまま、ゴールの前から微動だにせず、立っていた。幸いなことにキーパーに選ばれたためだ。他のポジションならば動き続けなければおかしいが、キーパーならば動かなくても不自然ではない。

 そう考えた冬夜は、目を開けながら眠っていたのだが、そこへ一人の生徒がボールを蹴りながら走ってきた。その生徒はどうやらサーカー部らしく、一人二人と抜きつづけ、五人抜いたところで、防衛が冬夜たったひとりとなったゴールに強烈な一撃をボールへと打ち込んだ。サーカー部の生徒は来てくれた親にいい所を見せようと張り切ったようだ。

 するとボールは、ゴールど真ん中の冬夜のもとへと向かう。このコースだと顔面直撃だろう。誰かが危ないと声を上げたが、冬夜は微動だにしなかった。誰もが直撃する。そう思った瞬間、冬夜の手がぶれ、片手でボールをつかみ、投げ返した。するとボールは高速で反対側のゴールへと向かい、ロープを突き抜けて飛んでいった。それを見て皆言葉を失う。


「ヤベッ、反射的にやっちまった!」


 後悔するも時すでに遅し、辺りはあまりの出来事にざわつき始める。しかし、和人がゴールに近寄り、大声を上げた。


「先生! このロープかなりほつれて今にも切れそうだったみたいです!」


 冬夜はでかした、と思い、神力を広げて目撃者全員を包み込む。


(全員の意識を、ロープが切れたことに集中。そしてロープはもとから切れそうだった)


 神力を使い意識を冬夜からロープへと変更させ、そのロープは元から切れそうだったと記憶させる。

 そして、冬夜が高速でボールを投げたことに関する記憶を極端に薄れさせ、ロープが切れたことに集中させた。

 一種の暗示や洗脳のようなものだ。


「おおっ! そうか、それなら仕方ないな。ロープは変えようがないからそのまま続行することにしよう」


 大和の声に、冬夜はほっとする。和人の方を見て親指を立てるのだった。


 

 そして6限目。6限目は美術だ。適当な人と組んで相手の顔を描くというのが今回のお題だ。

 芸術は選択科目で、冬夜と桜が選択している。ちなみに和人は書道を選択しているようだ。

 次々と組みを作っていく中、桜とだけは誰も組もうとしなかった。近くにいる人たちはみんな桜を避けるように他の人と組んでいる。桜はいつもの笑みを浮かべているが、どこか辛そうだ。

 そこで冬夜は桜に近づくと、


「桜、お前の顔を描いてやる。ブサイクにな」


 すると桜は作り笑いではなく、本当の笑みを浮かべながら言った。


「バカ、綺麗に書かないと承知しないよ!」


 全員描く相手は決まったので、美術の授業が始まった。

 冬夜と桜はお互いに顔を描き合い始めたが、冬夜は5分もしないうちに船をこき始める。


「冬夜、寝るの早すぎだよ。レスティーヤさんに見られるよ」


 桜の声にピクリと反応した冬夜は、目を見開きつつ手を動かしながら意識は夢の中へと旅立たせるという高等技術を披露した。目を開きながら寝る人の上位互換ともいえる技術だ。

 おかげで誰にも気づかれないようで、桜にさえ注意されることはなかった。

 そして5限目終了間近。

 互いに相手の描いた絵を見て意見を述べ合う時間が作られたため、桜は冬夜の絵を確認すると、そこには桜ではなく、明らかに違う誰かの絵が描かれていた。

 その絵の人物は桜よりも幼い顔立ちで、眠たそうな目をした少女だった。しかし、本人がその場にいると錯覚するほどにうまくかけている。


「冬夜、ちょっとこれ私と違うよ」


 桜が冬夜の肩を揺すると、冬夜は目を数回瞬かせ大きく伸びをした。


「ん? ああ、すまない。ちょっと寝ていた」

「寝てたの⁉ ちゃんと目、開いてたよ⁉」


 桜は目を見開きながら驚く。


「そんなこと、俺にとっては容易いことだ。それよりなんだって?」

「そんなことって……。まあいいや、それよりもこの絵は誰? どう見ても私じゃないんだけど」


 桜に言われて冬夜は自分の描いた絵に視線を向け、一瞬悲しげな顔をすると……


「せいっ!」


 突然冬夜はせっかく描いた絵を破り捨てようとする。それを見て桜は冬夜の両手を掴んで止めた。


「ちょっと、待って冬夜! 破ったらレスティーヤさんに不審に思われちゃうよ」

「だが俺はこれをこの世に残しておきたくないんだ」


 すると、桜は数瞬考えた後、


「分かった。ならこうしよう」


 そう言うと桜は冬夜の持っている絵を奪い取ると、びりびりに破り捨てた。

 突然の出来事にクラス中がざわめき始める。冬夜も、まさか桜が破り捨てるとは思わずにぼう然と佇む。


「春野さん⁉ 一体どうしたの」


 美術の教師がやってきて桜に問いかけた。すると桜はにこやかに、


「冬夜が私をあまりにもブサイクに描いていたので破りました」


 一言そう言い放った。しかし、それで納得する者は居らず、皆、口々に桜の悪口を言い始める。


「……とにかく、あとで春野さんは職員室に来てください。皆さんは終わって結構です」


 皆が片づけを始める中、冬夜は桜に詰め寄った。


「おい、どうしてあんなことをした。お前が犠牲になるんだったら俺は全くうれしくないぞ」


 冬夜は珍しくその顔に怒りの表情を浮かべているが、桜は全く動じることなく言った。


「大丈夫だよ。私は慣れているから」

「嘘を吐くな。いつも辛そうにしているだろうが」

「なら、冬夜。これは一つ貸しでいいよ」

「貸し?」


 冬夜は疑問を浮かべる。


「一つだけ私の言うことを聞いて。それで今回のことはなしだよ」


 冬夜は数瞬考えるが、桜の要求を飲む以外のことが思い付かなかった。


「……分かった。そうしよう」


 冬夜は渋々と桜の言う通りにした。





「はぁ、ようやく終わった」


 最後の授業も終わり、放課後、冬夜は机に突っ伏していた。もうすでに保護者の姿はなく、教室には、生徒しか残っていない。


「お疲れさん、冬夜」

「ああ、和人もありがとうな。あれはものすごく助かった」

「レスティーヤさんにはばれて、……ないわけないよな。どうするんだ?」

「別にあれは構わないだろう。そもそも、ばれそうになったら力をつかえと言ったのは雪菜さんだしな」

「何の話?」


 二人で話をしていると、桜がやってくる。


「いや、和人には助けられたっていう話だ」


 その後冬夜は二人と別れる。どうやら二人とも親と帰るらしく、さっさと帰っていってしまった。

 冬夜は二人を見送ると、自分も帰る準備をしてさっさと教室を出た。しかし、校舎を出たところで、レスティーヤさんの姿が見える。


(おっと、待っていてくれたのか。急がなければな)


 歩く速度を上げると、レスティーヤだけでなく、大和の姿も見えた。どうやら二人で話をしているらしい。


「あら、冬夜さん。終わったの? じゃあ一緒に帰りましょうか」

「ああ、坂口先生との話はいいのか?」

「十分お話を聞けたわ。それでは坂口先生、これで失礼します」


 二人で帰路につくと、突然レスティーヤが爆弾を落とした。


「ねえ、冬夜さん。いつもは授業中寝てばかりだったのね」


 ぶっ、と冬夜は吹き出す。


「どうしてそれを⁉」

「さっき坂口先生からすべて聞いたわ」


 冬夜は内心舌打ちをする。全てが水の泡になってしまったのだ。


「いつもは寝てばかりだけれど、今日は人が変わったように授業を受けてくれてうれしかったそうよ」

「恨むぞ、坂口め」

「……冬夜さん」


 レスティーヤは手を冬夜へと伸ばす。冬夜は怒られると思い、びくりと震えた。しかし、いつまでたっても痛みは来ず、逆に、頭をやさしく撫でられた。


「冬夜さん。学校の勉強も大切だけれどね、一番大切なのは友達だと私は思うの。授業中寝てばかりというのもある意味問題かもしれないけれど、それが、そんなことって言えるくらい、友達の方が大切だと思う。

私はね、授業を真面目に受けなかったせいで友達ができないのだったら問題だと思っていたわ。でもね、冬夜さんは、ちゃんと友達を作っていた。和人君だけじゃなくて、あの女の子とも親しそうにしていたでしょう。

だから、私、安心したの。だから、無理して授業を受けなくってもいいのよ。私はそんなことで怒らないわ」


 レスティーヤの言葉に、目に涙がにじむ。レスティーヤの姿と、かつての母の姿が重なって見えたからだ。

 そして、冬夜はジャージの袖で涙を拭いていると、


「冬夜さん、あの絵のことなんだけど……もしかして間違えてあの子を描いたの?」


 レスティーヤの質問に冬夜は動きを止める。そう、無意識に描いてしまったのだ。この世で一番嫌いなあいつを。


「やっぱり見ていたのか」

「ええ、冬夜さんが破ろうとして、一度彼女が止めたところからね。私の目を欺くためだけに周りの人から奇異の目で見られるなんて、申し訳ないことをしたわ」

「いや、レスティーヤさんが悪いわけじゃない。俺が止められなかったんだ。それに俺が無意識に描いたのが悪い。まあ、桜は言うことを一つだけ聞いてくれたらそれでいいって言っているから、それでチャラでいいだろう」

「そうなの? 冬夜さんがそれでいいならいいけれど……」


 二人はまた歩き出す。今度は他愛もない話をしながら。







「それでは失礼します」


 そう言って、雪菜は襖をゆっくりと閉めると、小さく息を吐いた。

 ここは、雪菜の実家である大きな一軒家だ。家の大きさは冬夜の住む家の数倍の広さはあるだろうか。あまりの広さと部屋の多さに、初めて来た人であれば迷子になること間違いなしだ。


 庭には石組みや池などがあり、全体として和風な家づくりとなっている。雰囲気は冬夜の住む家とよく似ている。違いと言えば、冬夜の住む家には池がないこと、そして、冬夜が育てているような植物の多彩さがこの家にはないことだろう。また、どこか重苦しい雰囲気を纏っている。


 雪菜は静かに音を立てずに廊下を歩く。先ほど家主である雪菜の祖母に会ってきたところだ。

 話の内容を思い出して、思わず雪菜はため息を吐く。


(面倒なことを押し付けられたものだな)


 正確には、押し付けられたのは雪菜ではないものの、厄介ごとであることに間違いはない。

 すると、目の前から雪菜胸元ほどの身長の少年がやってくる。その厄介ごとを持ち込んだ張本人だ。


「やあ、雪菜。奇遇だね」

「よくも面倒ごとを持ち込んでくれたな。ルース」


 にこやかな笑みを浮かべるルースに対して、雪菜は敵対的だ。ここが雪菜の実家でなければ大声を上げていたかもしれない。


「そんなに怒らないでくれよ。僕としても困っているんだ」

「前から言っているだろ。お前は甘すぎると。だからこんなことになるんだ」


 雪菜は大きなため息を吐くが、相変わらずルースは笑みを絶やさない。


「そうは言ってもだね、やっぱり甘くなってしまうものだよ。キミだって……って、キミはいつも厳しいんだったね。でもいいじゃないか。キミに頼んだんじゃなくて、冬夜くんに頼んだんだから」

「あいつの保護者は私だ。あいつが失敗すれば私に回ってくる。これは貸しひとつだからな」


 雪菜はルースを睨み付けると、ルースはやれやれと言った様子で頷く。金色に輝く短い髪がさらりと揺れた。


「しかたないね。その代り、ちゃんとしてくれよ。僕の唯一の娘なんだから」

「分かっている。たとえ冬夜が失敗したとしても、私がしっかりと仕事をこなしてやろう」


 そう言って雪菜は不気味な笑みを浮かべる。その大丈夫ではなさそうな様子に、ルースは顔をひきつらせた。


「本当に頼むよ。くれぐれも廃人なんかにはしないでおくれ」

「任せておけ、そこら辺の調整は心得ている」

「……やっぱり君には任せたくないかな」


 ルースはそうぽつりとつぶやいた。嫌そうな顔をしながら。




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