第9話 さあ、勝負の時です。
翌朝。
いつもよりも早く設定された目覚ましで冬夜は目を覚ます。いつものように植物の世話をするが、今日はいつもと少し様子が違った。まるで、戦場へと向かう兵士のような顔つきをする冬夜を見てか、植物たちは不安げにゆらりゆらりと左右に揺れる。
「ああ、大丈夫だ。心配するな。俺は必ず無事に戻ってくるからな」
カーネーションである花子の茎の部分をそっと手で撫でた後、冬夜は家の中へと戻る。
「あら? 冬夜さん、今朝はずいぶん早いのね」
本日の天敵、レスティーヤがその姿を現した。もうすでに勝負は始まっている。今、この時から、冬夜は優等生に成るのだ。ふーと深呼吸した冬夜はニコリと笑いながら、
「いや、いつも月曜日はこんなものだ。それよりも、レスティーヤさん。朝食の準備を手伝うぞ」
「あら、そう? じゃあ、一緒に作りましょうか」
二人で作ったため、かなり早く作り終えることができた。それを二人で会話をしながら食べる。内容は主に冬夜についてだ。学校生活や、友人関係について聞かれ、多少、ほんの少しだけ、ちょぴっと美化したかもしれないが、冬夜はレスティーヤの質問に次から次へと答えていった。
ふと壁に掛けられている振り子時計に目を向けると、針は6時を指していた。
「レスティーヤさん、俺はそろそろ学校に行くわ」
「もう行くの? 気をつけて言ってらっしゃい」
冬夜はレスティーヤにいつもの笑顔5割増しで微笑むと、行ってくると言って冬夜は学校へと向かった。
朝7時30分、ここ、冬夜の通う神ヶ原高校の職員室に、大きなため息を吐く教師がいた。
名前は坂口大和。今年で48となり、少々薄毛が気になってきている。ただ、それは年齢のせいでもあるのだが、大半は抱えているストレスによるものだということを、大和はうすうす感じている。特に今日のような日には……
「おや、坂口先生、ため息を吐くと幸せが逃げて行ってしまいますよ。一体どうしたんですか?」
隣に座る教師に声をかけられた。彼は大和よりも3年程先輩の教師で、大和が教師になったばかりの頃世話になり、最近同じ高校に転勤したため、また一緒に働くことになったのだ。
「森谷先生、いえね、今日の授業参観なんですが、ちょっと憂鬱でして……」
「どうしてです? もう何年も働いているじゃないですか。確かに授業参観は保護者の方に見られるので緊張しますが、ため息の出るようなことでもないでしょう」
「それがですね、俺の受け持つ2年の生徒の中にちょっと厄介なのがいましてね」
「2年と言いますと、私は授業したことありませんね。どんな生徒なんですか?」
「あいつは、見た限り普通の生徒なんですよ。あまり交友関係は広くないみたいですが、一緒に話している生徒も見かけますし、決して一人ではないみたいなんです」
「それはいいじゃないですか。クラスの中には話しかけることもできない孤独な生徒がいることも多くありますし……。それで、その生徒のどんなところが問題なんですか?」
「……、寝るんですよ。授業も休み時間も昼休みも、常に寝ているんです。ようやく起きたかと思えばもう放課後ですよ! 一体あいつは学校をなんだと思っているんだ!」
そう言って大和はドンっと手を机にたたきつけた。周囲の人の目が大和に集まる。
「落ち着いてください、坂口先生」
「……すみません。つい興奮してしまいました」
大和はカバンの中からペットボトルを取り出すと、一気にあおった。
「それで、その生徒はテストの点数も悪いんですか? いえ、毎日寝ているとなるとあまりよくはないんでしょうね」
「そうだと思うじゃないですか。……違うんですよ。あいつは、毎回毎回テストでクラスの平均ばかり取るんです。それも、全教科ですよ。正直気味悪いんですよ。そんなこと普通できないでしょう?」
「それは……すごいですね」
誰かの点数と同じ、もしくは一つの教科だけなら偶然かもしれない。だが、すべて平均点となると狙ってとれるものではないだろう。
「授業中に寝るなと注意したりはしたんですよね?」
「ええ、ですが、毎回夢うつつで、すみませんとはいうものの、一向に改善する気配がないのです」
「保護者に話したりはしないんですか?」
「もちろんしましたよ。ですが、保護者も保護者で、放っておけっていうんですよ」
「それは困りましたね」と、森谷は眉を八の字にした。
「ですが、保護者も放っておけというのであればもう放っておいてもいいのではないですか?……教師としては失格かもしれませんが、教師も人です。あまり考えすぎると体調を崩してしまいますし」
「そうしたいのは山々なんですがね、話は戻りますが、今日は授業参観でしょう? あいつは今日みたいな日にも寝るんですよ。すると、他の保護者からこの学校の教師は何をしているんだと苦情が入るんです。だから憂鬱なんですよ」
「……それは、……ご苦労様です」
大和は再び大きなため息を吐く。時計に視線を向ければ、そろそろ生徒たちが登校し始める時間帯だった。
「……そろそろ一度、生徒たちの様子を見に行ってきますね。幸いあいつは学校が始まるぎりぎりにしか登校してきませんから、もう少しゆっくりできますし」
そういって、大和はふらりふらりと職員室を出て行った。
「……坂口先生は大変ですね。今度飲みにでも誘いますか」
森谷は、どうにか大和のストレスを軽減させられないかと考えるのだった。
「おはようございます、坂口先生」
「ああ、おはよう、斉藤。今日も授業がんばれよ」
「おはようございまーす、坂口先生! 何か具合悪そうですが大丈夫ですか?」
「おお、水谷、今日も元気そうで何よりだ。俺は大丈夫だぞ。授業参観にはお前の親も来るんだろう? 授業しっかりな」
すれ違う生徒たちに挨拶をされる坂口。生徒一人一人の体調を見て、元気がなさそうな生徒には声をかける。そんなことを毎日続けていたら、自然と生徒たちに慕われるようになっていき、他クラスの生徒にも、人気の教師となっていた。別に下心があったわけではなく、純粋に生徒たちを心配して行動をとっていたらそのようになっていたのだ。
最初のうちは冬夜にも他の生徒たちと同じように接していた。ずいぶん長く眠っていることにも疑問を感じ、病気や、私生活の乱れによるものかもしれないと、ネットで検索したりもした。しかし、冬夜と仲のいい生徒や、保護者にも話を聞いて、冬夜は単純にサボっているだけなのだと知った。
それからというものの、一応冬夜を気にはかけるものの、最近では注意することも少なくなってしまった。だが、大和はどうにか改心できないかと考えてしまう。それが、大和と言う人間性なのだろう。
「ん? 何か騒がしいぞ?」
大和は、2年の教室に近づくにつれ、何やら騒がしいことに気が付く。見ると、生徒たちが教室に入らず、外から中の様子を覗っているようだった。
「おい、お前ら、どうしたんだ?」
「あっ! 坂口先生! それが……」
ためらう生徒に疑問を覚えるも、その原因でありそうな教室をちらりとのぞくと、その光景に驚いた。
「なっ、なんじゃこりゃ!!」
綺麗なのだ。朝日に照らされ光り輝く窓。黒板には汚れなどなく、チョークはピシっっときれいに並べられている。床にはチリ一つも落ちておらず、ワックスでもかけたかのように輝いていた。
「どういうことだ? 一体何が?」
あまりの光景に大和は口をぽかんと開けて驚いていると、制服姿にエプロンをつけ、掃除道具を持った問題児の冬夜が現れた。
「ん? 坂口先生、おはよう。どうしたんだ? そんな鳩が豆鉄砲くらったような顔をして」
「……おい、神楽坂、お前がやったのか? これを一人で?」
大和は指を指しながら尋ねる。
「ああ、俺がやった。やっぱり保護者の方が来るんだったら、綺麗にしていた方がいいからな。気持ちよく迎えないといけないから。(少しでもレスティーヤさんにいい印象を持ってもらわないとな)」
そうか、と大和は呟く。大和の目には涙が集まりつつあった。ようやく冬夜が改心したのかと。これまでの行為は無駄ではなかったと、大和は報われた思いだった。
「神楽坂! 俺はうれしいぞ。これからもがんばれよ!」
そう言って大和は冬夜の肩をパンパンと叩く。
「ああ! ありがとう! 俺、(今日は)頑張るぞ!」
再びうるっときた大和は、教室の前に集まる生徒たちに中に入るよう指示を出すと、一度職員室へと戻った。
入れ替わるように桜が冬夜のもとへと駆けてくる。
「冬夜! いったいどうしたの? 悪いものでも食べた?」
「いや、ちょっとな。悪いが、俺はこれからこれを片づけてこなきゃならん」
冬夜は掃除道具を持って、去って行った。数十分後、桜は教室で冬夜を待っていると、教室の扉を開けた瞬間ぽかんと口を開ける和人の姿が桜の目に映る。
「桜、これはいったい何事だ?」
近づいてきた和人は桜に問いかける。
「それはこっちが聞きたいよ。冬夜がこれをやったみたいなんだけど、何か心当たりはないの?」
「……いや、分からんな」
そこへ、掃除道具の片づけを終えた冬夜が、教室へとやってきた。冬夜は席に着くと、はーと深呼吸をする。
「よう、冬夜。何かあったのか?」
「ああ、和人か。実はかくかくしかじかでな」
「分かるかって」
ふざける冬夜に突っ込みを入れる和人。疲れているようだが、冬夜にはまだ余裕がありそうだと桜は思った。
冗談もほどほどに、桜は冬夜から事情を聴いた。そして話を聞き、協力を頼まれたので仕方なく了承する。
「冬夜、優等生のふりなんてできるの? 毎日寝てばかりじゃない。今だってほんとは眠いんじゃないの?」
「大丈夫だ。一日程度ならどうとでもなる。……一限目は国語だったな」
冬夜が今まで一度も使ったことがない真新しい教科書を机に置き、準備をした。すると、授業が始まる時間が近づき、桜は席に着くと、静かになった教室にガラガラと扉を開く音が響き渡った。視線の先のドアはいまだ開いていない。と言うことは後ろ側の扉だろう。
視線を後ろへ向けると、次から次へと保護者が入ってきた。冬夜からは仮の保護者は美しい女性だからすぐに分かると聞いていた。初めはそんな情報じゃ足りないと思ったが、桜はその女性を見てすぐにその人が冬夜の言っていたレスティーヤという人だと分かった。周りの母方に比べて異常なほど美しい女性だったからだ。
「本当に綺麗な人」
桜は思わず呟く。しかし、同時にふと思う。桜の席は冬夜と和人と違って離れているため、協力なんてできないのではないかと。
(まあ、私にできることをすればいいかな)
冬夜の横顔を見ながらそう思うのだった。
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