第25話 少女の名

 翌日、冬夜は昼前に目を覚ました。

 少女と何を話そうか考えて眠れなかったためだ。

 冬夜はすぐさま布団から飛び起きると、居間へと向かった。


「おはよう! お母さん」

「おはよう。随分と遅かったわね」

「なかなか眠れなかったんだ。それよりもあの子は?」


 冬夜はキョロキョロと周囲を確認するが、残念ながら少女は見つからなかった。

 そのため、もう帰ってしまったのか不安がこみ上げてくる。


「そんな顔しなくてもあの子は居るわよ。まだ起きていないだけ」


 そう言いながら冬夜の母は朝ごはんという名の昼ごはんを出した。

 目玉焼きとベーコン、それに生野菜のサラダと、この田舎町でとれた米だ。

 冬夜は目玉焼きにしょうゆを、生野菜のサラダにドレッシングをかけると、いつもよりも慌てて食べる。

 少女と話をしたいという気持ちが冬夜を焦らせたのだろう。

 しかし食べている最中に、廊下の方から人が近づいてくる気配がした。

 予想通り、廊下から顔を出したのは上下ピンクのパジャマを着た少女の姿だった。

 眠そうな目をしているが実際に眠いのかは分からない。だが、目を軽くこすっているところを見ると眠たいのだろう。

 冬夜はおはようを言うこともなく、目玉焼きを口の中に入れたまま固まっていた。それは少女の出現に驚いたからではない。これでも神の息子である冬夜にとって、人の気配を察することには、人一倍才能があった。そんな冬夜が誰かが来たことに気付かないわけがない。

 冬夜は少女の可愛さに見惚れてしまったのだ。薄汚れた機能の少女とはわけが違う。少女の髪白真珠のように輝き、唇はぷっくりとした桜色。小さな手がパジャマの裾から半分だけ顔を出している。少女には少しパジャマが大きいようだ。

 二人は一言もしゃべらずに見つめ合っていたが、少女は冬夜にゆっくりと近づくと呟くように言葉を発した。


「……クーリュイア」

「……えっ?」


 一体何を言っているのかわからず、冬夜は戸惑う。だが、少女の次の言葉で少女が何を言いたいのかわかった。


「……わたしの名前、……クーリュイア」

「クーリュイア……」


 冬夜はぽつりと少女の名前を繰り返しつぶやいた。しっかりとその名を覚えるように。


「ぼくの名前はとうやだよ。よろしくね、クーリュイアちゃん」

「……とーや。知ってる」


 そう言ってクーリュイアは少し微笑んだような気がした。


「さあ、二人とも。ご飯を食べたら外にでも行って遊んできなさい。今日はこんなにも天気がいいのだから」


 そして二人が食事を食べ終わったころ、玄関のドアが開く音がした。


「だだいま、遅くなってすまなかった」


 居間に入ってきたのは冬夜の父だった。今になってようやく家に帰ってきたようだ。

 冬夜は椅子から飛び降りると、真っ先に父に飛びついた。父はそれをしゃがみ込んでしっかりとその両腕で抱きしめる。頬と頬がぶつかるが、髭をしっかりと剃っている父の頬は痛くなかった。


「冬夜、元気そうで何よりだ。それで、そこにいる少女は誰なんだ?」


 冬夜の父は若干警戒したように言った。確かに帰ってきたら知らない人物がいたら誰だって警戒するだろう。


「この子はね! クーリュイアちゃんっていうんだ」

「そうか、冬夜のお友達か? 俺は冬夜の父だ。よろしく」


 そう言って冬夜の父はクーリュイアに笑いかけた。それに対してクーリュイアはこくりと頷く。


「さて、二人とも、ご飯を食べたんだし、公園に行って遊んできなさい。もちろん、結衣ちゃんを誘ってね」

「分かった! クーリュイアちゃん、行こう!」

「その前にクーリュイアちゃんは着替えましょうね」


 冬夜は真っ白のワンピースを着たクーリュイアの手を引き、外へと出た。心地よい太陽の光が冬夜たちを迎える。






「それで、何があったのか聞かせてもらえるか」


 冬夜の父は突然現れた謎の少女のことが気になっているのだろう。冬夜の父は椅子に座りながらそう言った。

 それを見て冬夜の母も反対側の椅子に腰を下ろす。


「冬夜が昨日公園で会った女の子みたい。両親は近くにはいなかったみたいで、本人も保護者はいるみたいだけど迎えに来るかわからないって言っていたわ」

「おかしな話だな。この辺に結衣と冬夜以外に小さい子が住んでいる家庭はなかったはずだ」

「そうね、このあたりの子ではないと思うわ。髪も綺麗な白で日本人っぽくないし、誰かがここまで連れてきたんじゃないかしら?」

「そんなことをする意味が分からないが、そう考えるのが自然か。だが、その保護者というのが気になるな。一体あの子を置いて何をしているんだ?」

「それに迎えに来るかわからないというのも変だわ。まるで捨てられたかのような」

「確かに、その可能性もなくはないな。だが、あの子と一緒に来たがその保護者に何かあったあったということもあり得る。決めつけることはできないな」


 冬夜の母は同意して頷く。どちらにせよクーリュイアに行くあてはない。それならば守ってあげなければならない。それが親というものだ


「お前から見てクーリュイアはどんな子だった?」

「とてもいい子だと思ったわ。他人を思いやれるそんな子よ」

「そうか、お前がそう言うのなら大丈夫そうだな」

「当たり前じゃない。私の感は絶対よ」


 自信満々に胸を張る冬夜の母に、冬夜の父は苦笑いした。


「そうだったな。お前が言ったことで外れたことはなかったな」

「それで、あなたの方はどうだったの? 他の神様からの協力はもらえそうだったの?」

「ああ、それに関しては問題ない。いない奴らには手紙を置いてきたし、会えた奴には全員いつでも戦えるように準備してもらった」

「そう……、何事もなければいいのだけれど」

「そうだな、できれば私も戦いたくはない。奴ら相手に真っ向から戦ったらいったいどれだけの被害が出るか」

「そんなに彼らは強いの?」

「ああ、俺たちの神力を正の力とすると、彼らの力は負の力だ。肉体や精神に損傷を与える能力を得ることが多いと聞いている」

「どうして歪人が生まれてくるのでしょうね」

「詳しいことは分かっていないが、世界に絶望したものが歪人になりやすいな」

「歪人は生まれたときから歪人なんじゃないの?」

「いや、生まれたときからという例もないことはないが圧倒的に少ない。むしろ何か絶望するようなことを体験して、そのせいで歪人になることが多いようだ」

「絶望するようなこと……」


 冬夜の母は絶望と聞き、ふとクーリュイアのことを思い出した。クーリュイアの体中に会った傷は絶望に値するようなことではないのかと。突然現れた両親のいない少女、絶望するほどの傷、誰にも感情を見せず、希望のないあの目。明らかに怪しいとは思う。

 だが、自分の直感ではあの子はいい子だと言っていた。それは間違いない。そのため、冬夜の母は一度も外れたことのない直感を信じることにした。


「それで、これからどうするの?」

「とりあえずは様子見だ。歪人が何か行動を起こさない限り私たちに知るすべはない。それに、歪みを開けただけという可能性もないとは言い切れない」

「そうね、でも歪人がずっと行動を起こさなかったらどうするの?」

「大丈夫だ、それはあり得ない」


 言い切る冬夜の父に、冬夜の母は疑問に思った。


「どうして?」

「歪人は定期的に破壊衝動に見舞われる。となれば、どこかで何か大きく破壊されるか、歪みが生じるはずだ」

「なるほどね、でも後手に回るのはつらいわね」

「しかたがない、俺たちに歪人を見つける手段などないからな」


 冬夜の父は大きなため息を吐いた。神である冬夜の父が歪人を見つける手段がないと言ったのだ。ならば誰にも見つけることはできないのだろう。


「それよりも、クーリュイアって子はどうするんだ? しばらく家で預かるのか?」

「ええ、そうしようと思っているわ。私はもうあの子が娘だと思っているけれど」

「気が早いな。だがそれは良しといた方がいい」

「どうして?」

「あの子が私たちの娘になると冬夜が困るだろう。冬夜があの子を見る目は俺がお前を見る目にそっくりだ」

「……そうね、たしかにそっくりだわ」


 冬夜の母は自分の息子にもう春が来たのだと思うと、思わず笑みが零れるのだった。





 冬夜とクーリュイアの二人は車が一台通れるほどの一本道をゆっくりと歩いていた。道の両側には大きな田んぼが広がっており、朝から年配の方が稲の様子を見に来ていた。

 この小さな町に住んでいる人はみんな知り合いだ。年配の方は冬夜の姿を見ると、すぐに声をかけ、冬夜はそれに対して元気よく挨拶をする。


「ねぇ、クーリュイアちゃん。クーリュイアちゃんは何して遊びたい?」

「……遊び? なに」

「遊びを知らないの? かくれんぼだったり、おにごっこだったり、いろいろあるよ」

「……かくれんぼ?」

「かくれんぼ知らない? 一人おにを決めて、それ以外の人たちは隠れるんだ。そしておにはみんなを見つけられればおにの勝ち。逆に、おにが全員見つけられなければ隠れた人の勝ちっていう遊びなんだ」

「……そう」


 まるで興味のないような返事だった。やはりその顔には何の表情も写していない。


「ほかにもいろいろあるよ。おにごっこはね……」


 冬夜は必死に楽しそうな遊びを思い出す。

 冬夜はクーリュイアに笑ってほしいのだ。常に表情を変えない、何の興味もないような目をする彼女の笑顔が見たい。一体どんな風に笑うのか、冬夜はそれが知りたかった。

 冬夜は結衣の家に着くまでクーリュイアが笑顔になりそうなことや、興味のありそうなことを話した。慣れないダジャレまで言ったのだが、盛大に滑ってしまった。その際の気まずさと言ったら言葉では表現できないほどだった。

 もうクーリュイアは笑ってくれないんじゃないかと思いつつ、結衣の家の呼び鈴を鳴らした。


「……は~い。あら、冬夜くんじゃない。おはよう。 あら? 見かけない顔の子ね」


 家の中から出てきたのは結衣の母だった。結衣が大人になればこのような顔になるのだろうというほど結衣の母と結衣の顔立ちはよく似ている。


「おはようございます。ぼくの友達なんです、それよりゆいちゃんのお母さん。ゆいちゃんはいますか?」

「ええ、いるわよ。ちょっと待っててね」


 少し待つと、結衣の母と入れ替わり結衣が出てきた。赤い縞々の服に、赤いスカートが結衣の魅力を引き立てていた。髪は頭の上で一つにまとめられている。


「おはよう、とうやくん。それに昨日の女の子だね」

「クーリュイアちゃんっていうんだ。昨日ほごしゃが迎えに来なかったから今はうちにいるんだ」

「そうなの? ひどいね、あなたを置いていくなんて。昨日も言ったけど、わたしの名前はゆいだよ。よろしくね、クーリュイアちゃん」


 そう言って結衣はクーリュイアに手を差し出す。だが、クーリュイアは意味が分からなかったようで可愛らしく小首をかしげた。


「握手知らない? こうやってするんだよ」


 結衣はクーリュイアの手を取る。

 その後結衣が手を放すと、クーリュイアは無表情ながらも不思議そうに握られた手を見つめていた。


「じゃあ、遊びに行こうか」


 冬夜はぼーと手を見ているクーリュイアの手を取ると、結衣に続いて歩き始めた。

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