第27話 それぞれの抱える問題

 休日はあっという間に過ぎ、月曜日となった。

 冬夜にとって天使の通う学校へと行く月曜日は最も嫌いな曜日だ。これほど気乗りしない日はない。これから金曜日まで憂鬱な日が続くのだ。

 本来であれば毎日学校に行かなければならないのだが、日本の学校に則って、冬夜は特別に週2日の休日をもらっている。

 いじめの件もあり、あっさりと許可が下りた。だが、許可が簡単に下りたところを見ると、学校側としても冬夜をあまり歓迎はしていないのだろう。


「……行ってきます」

「いってらっしゃい、気を付けて行ってくるのよ」


 冬夜の乗り気ではない声に、冬夜の母は明るく言った。クーリュイアは冬夜の母の隣で冬夜にいつもの眠たげな目を向けている。

 冬夜は父に手を引かれて家を出ると、人目のない所で転移した。まだ冬夜は転移ができないので、冬夜の父に連れて行ってもらっているのだ。


「じゃあ、冬夜。いってこい」

「……うん」


 冬夜は重たい足を引きずりながら目の前にそびえたつ白い建物に入る。

 天使達の通うこの学校は控えめに言って大きい。学校の敷地内を一周しようとすると、徒歩で1時間はかかるほどだ。当然敷地内と同様に校舎も大きい。部屋数も多く、全て回ろうとするとそれだけで気が滅入るほどだ。

 なぜそれほど大きいのかと問われれば、神力が関係している。なんでも、神力を少しでも鍛えるため、普段から身体強化をして敷地内を歩きなさいという考えが教師たちにはあるらしい。

神力を纏うことさえできれば疲れることはない。だが、精神的には疲れてしまう。

 ちなみに、敷地内の転移は禁止されている。まだ制御の拙い天使が転移すれば事故が起こる可能性が高いからだ。


 冬夜は自分の教室へと向かいながら思わずため息を吐いた。

 冬夜はこの広い校舎が嫌いだった。まだうまく神力を纏うことができない冬夜にとって、この広い校舎は苦痛でしょうがない。短時間は纏えるものの、まだそれほどうまく纏うことはできないのだ。

 だがそんなことよりも辛いことがあった。


「よぅ、とうや。元気そうだな」


 そう声をかけてきたのは赤い髪を逆立てた少年だ。少年はにやにやと笑みを浮かべながら冬夜を見下ろしている。そして、その少年の両サイドには、少しやせ気味の少年と、少し太り気味の少年が同じような馬鹿にした目で冬夜を見ていた。


 この学校で冬夜に接する態度は3つに分かれる。

 一つ目は無視。一切近づかないし、話しかけもしない。冬夜にとって、正直これが一番うれしい態度だった。気を使う必要もないため、いっそのこと学校に通う天使たちが全員この態度であればと考えたことは一度や二度ではない。

 そして、二つ目は取り入ろうとしてくる者。これは滅多にいないが、いないこともない。神の息子ということで何か恩恵をもらおうとする者がいるのだ。だが、これに関しては冬夜は無視をしている。昔信用した天使がいたが、あっさりと裏切りにあったことがあったためだ。その時の冬夜の絶望感は途轍もなかった。それ以来冬夜は自分に話しかけてくる者を信じることを止めた。

 最後は最も分かりやすい。冬夜をいじめの対象にする者だ。そう、冬夜の目の前にいる赤髪の少年のような。


「お、おはよう。ごめんね、もう授業に行かなきゃ……」

「あ? まだ時間があるだろうが。少し付き合えよ」

「でも、早い目に行って準備しとかないと」

「うっせえな。黙れよ」


 そう言って赤髪の少年は手から小さな炎を出すと、冬夜の手を少し焼く。思わず冬夜は手を引っ込めたが、手は少し赤くなっていた。


「いいから来いよ」


 有無を言わさぬ物言いに、冬夜はしぶしぶと付いて行く。いつものパターンだ。付いて行けばぼこぼこにやられるだろう。

 冬夜達は人気のない校舎裏へと来ると、突然赤髪の少年が殴り掛かってきた。冬夜は避けることもできずにこめかみ辺りを殴られる。

 その場に倒れる冬夜に赤髪の少年は言った。


「これは訓練だからな。先生に聞かれてもそう答えろよな」


 そう言いながら赤髪の少年は冬夜の腹を足蹴りにする。朝、冬夜の母がつくってくれたご飯が口から出てくる。あまりの痛みと気持ち悪さに冬夜は思わず涙が出てきた。


「人間とのハーフが! おまえなんか死ね!」


 何度も何度も蹴られるが、冬夜は必死に痛みに耐える。ただただ身を小さく縮こまらせて。時々気を失いそうにもなるが、痛みが冬夜をそうさせてはくれなかった。

 やせ気味の少年と小太り気味の少年も加わり、冬夜を足蹴にしだす。絶え間なく蹴り続けられ、冬夜は息をするのも苦しい状態だ。

 しばらくすると、突然痛みが激しくなった。明らかにただ蹴っただけではない。神力を纏って、身体能力を強化しての蹴りだろう。何かが口からこみあげてくる感覚がして、冬夜は思わずそれを吐きだした。涙でうまく見えないが、恐らく血だろう。そう考えているうちに、もう一度吐き出した。

 一体何分、それとも何時間たったのか分からないが、気が付いたときには赤髪の少年たちはその場にいなかった。冬夜は痛む体を無理に動かしながら立つ。


「……授業、出られなかったな」


 時計を見れば、もう帰る時間帯だった。生徒たちもちょうど帰るようで、ぞろぞろと校舎から出てくるのが見える。

 あれほど血を吐いて危険な状態だったが、今の冬夜はかなり傷む程度で済んでいた。これも神力が癒してくれているおかげだろう。普通の体であれば死んでいてもおかしくはない。

 冬夜は痛む体に鞭を撃って冬夜の父が待っているところまで歩いていくと、冬夜の父の後ろ姿が見えた。

 ほっと安心した冬夜はそこで意識が途絶えるのだった。


 次に目を覚ましたのは自分の布団の中だった。冬夜はゆっくりと起き上がろうとして、誰かが隣にいることに気が付く。

 隣を見てみると、そこには何を考えているのか分からないクーリュイアの姿があった。


「クーリュイアちゃん?」

「……」


 話しかけても何も返事が帰って来ないが、何か考えているようにも見える。しばらく待っていると、やがてクーリュイアがその柔らかそうな唇を開いた。


「……寝てて」

「えっ?」

「……そういうときは、寝るのが一番」


 実体験なのかは分からないが、クーリュイアの言うことには何故か説得力があった。

 呆然としているとクーリュイアが冬夜の両肩をそっと押した。冬夜はそれに逆らわず倒れ込む。


「……おやすみ」


 クーリュイアにそう言われると、突然冬夜を眠気が襲った。まるで適温の湯に使っているような感覚だ。

 冬夜はその心地よい感覚に身を委ね、身体を休めるのだった。






 翌日、すっかりと良くなった冬夜は元気に朝食を食べていた。

 両親から随分心配されたが、ほとんど全快と言ってもいいほどに回復している。もう動き回っても大丈夫なほどだ。


「冬夜、もう大丈夫? 痛い所はない?」

「うん、もう平気だよ」

「今回のことはきちんとお父さんに言ってもらうことにしたから。冬夜は安心してね」

「ありがとう」


 これでいじめがなくなることはないとは思えないが、それでもこうしていろいろしてくれる両親に、冬夜は感謝の念に堪えなかった。だが、両親だけでなくクーリュイアにも感謝していた。夜遅くまで隣で見ていてくれたクーリュイアにも。


「お母さん、クーリュイアちゃんは?」

「まだ起きてこないのよ。昨日は冬夜に付きっきりだったからもう少し寝かせてあげましょう」

「起きてこない?」


 冬夜は母の言葉に疑問を覚えた。この家にある気配は2つ。冬夜と冬夜の母のものだ。冬夜の父は朝から出かけたようでいなかった。

 冬夜は嫌な予感がし、食事を中断してクーリュイアの眠る母の寝室へと向かった。しかし、そこには誰もおらず、捲れた上布団があるだけだった。


「どうしたの? 冬夜。クーリュイアちゃんが寝ているんだから静かにしないと」

「お母さん! クーリュイアちゃんがいないよ!」


 冬夜は泣きそうになりながら母に縋り付いた。

 冬夜の母は驚いた顔をしながら布団を見るが、そこにクーリュイアの姿はない。


「冬夜、落ち着いて。この辺りを探してみましょう。あなたは探すのが得意なんでしょう?」


 母に頭をなでられた冬夜は少し落ち着きを取り戻した。

 冬夜は急いで家を飛び出ると、必死に周囲を探索する。田んぼの奥、山の中、公園、様々なところを見て回るが、クーリュイアの姿はない。念のため結衣の家にも行ったが、クーリュイアはいなかった。


「どこにいるの……」


 いくら探しても見つからないことに焦りだす冬夜。しかし、刻々と時間は過ぎていき、やがて日が暮れてきた。

 だが、どこを探しても見つからない。もう帰ってしまったのかとも思ったが、そうではない気がした。ただの勘だ。根拠なんてない。だが、クーリュイアは家にきてからどことなく楽しそうにしていると冬夜は感じた。それなのにいなくなる理由が冬夜にはわからなかった。

 もう30分もすれば日が暮れて周りが見えなくなる。そうなってしまえばもう目で探すことはできなくなってしまう。

 冬夜は立ち止まり空を見上げた。うっすらと雲が赤く染まっている。風が頬をやさしくなで、蛙が合唱しているためさみしさはない。むしろ騒がしいくらいだ。

 そんな景色を見ていると心が落ち着く。冬夜は自然と一体になるように深呼吸をした。

 十分ほどそうしていると、すっかり気分が落ち着いた。そして落ち着くと、自分がどうしたいのかが見えてくる。


「”後悔だけはするな。後悔すると思ったら全力を尽くせ”、か……」


 冬夜は父の言葉を思い出した。


「お父さん、ぼく、後悔はしたくないな」


 後悔は絶対にしたくない。そう思った冬夜は父との約束を破り、そして約束を守ることにした。


「”神力、身体強化”、そして”神力、感覚強化”」


 体が軽くなると同時にいろいろなことが分かってくる。どこに何があるのか、そして誰がどこにいるのかさえ。

 だが、代償として脳にかなりの負担がかかった。それはそうだろう。周囲の情報のほとんどが頭の中に入ってくるのだ。その負担は想像に難くない。

 激しい頭痛に見舞われながらも探し続け、冬夜はようやくその姿をとらえた。


「……見つけたよ」


 冬夜は急いでクーリュイアのいる所へと向かう。今の冬夜は人の視線すらとらえる。そのため人外じみた速さで走ろうと、それを視界に入れる人は誰一人としていない。

 やがて冬夜は一軒の家にたどり着く。そこはおじいさんが一人で住んでいたのだが、最近病気で亡くなったのだ。そのため今は誰一人として住んではいない。恐らく今後も住む人はいないだろう。それほどまでにこの集落は人がいなくなってきてしまっている。

 冬夜は家の中に上がると、クーリュイアのいるところまで歩いていく。そこは畳の部屋だった。


「クーリュイアちゃん、見つけたよ」


 クーリュイアは初めて会った時のように体育図座りで顔を膝に埋めていた。冬夜が声をかけると、クーリュイアは驚いたように体を震わせ、恐る恐る顔を上げて言った。


「……どうして?」

「どうして見つけられたのかって? 言ったでしょ。僕は見つけるのが得意なんだ。だからクーリュイアちゃんがどこにいたって見つけるから」


 そう言って冬夜はクーリュイアに近づこうとすると、


「こないで!!!」


 クーリュイアが初めて大きな声で叫んだ。顔を上げた彼女の目はサファイアのような綺麗な瞳から、ルビーのような赤い瞳へと変化していた。感情はそのまま顔に現れ、いつもの無表情はなかった。そして苦しいのか、必死に胸元を押さえつけている。


「どうしたの? 苦しいの?」

「……こないで、私はあなたを殺したくはない。もう帰って」


 クーリュイアの左手には一本のナイフが握られていた。だが、冬夜は微塵も怖いとは感じなかった。むしろここでクーリュイアと離ればなれになる方が冬夜にとって恐ろしいことだった。


「ねぇ、クーリュイアちゃん。ぼくね、クーリュイアちゃんといて本当に楽しかったんだ」


 クーリュイアは訳が分からないといったようだが、冬夜は構わず続ける。


「ぼくはいつも学校でいじめられているけど、クーリュイアちゃんや結衣ちゃんは普通に接してくれる。学校の奴らみたいに媚びたりなんかもしない。そんな二人がぼくは大好きなんだ。もちろんそれだけじゃないよ? それ以外にもいっぱいある。結衣ちゃんは優しいし、クーリュイアちゃんはぼくに勇気をくれる。だからね……」


 冬夜はクーリュイアに近づくと、優しく抱きしめ、頭をなでた。


「だから、ずっとぼくと一緒にいてほしいな。ぼくがクーリュイアちゃんにしてあげられることがあるかは分からないけど、精いっぱい努力するから」


 すると、クーリュイアは固まり、動かなくなった。ドスっと畳にナイフが落ちる音が響く。

 どうやらクーリュイアに冬夜を害する気はないようで、されるがままになっている

 しばらくの間そうしていると、クーリュイアがぽつりとつぶやいた。


「……とうや」

「なに? クーリュイアちゃん」

「……また、こうして欲しい」

「いいよ。いくらでもしてあげる」


 冬夜はそう言ってクーリュイアの顔を見ると、瞳がいつもの綺麗な青色へと変化していた。


「……とうや」

「なに? クーリュイアちゃん」

「……クーでいい。わたしのこと」

「どうして?」

「……略すと親しみが持てるって」

「ああ、そうだね。じゃあクー。これからもよろしくね」

「……よろしく。とー」

「うーん、ぼくの名前はあまり略さないかな。そのままでいいよ」

「……わかった。とうや」


 クーリュイアは微笑んだ。思わずその笑顔に冬夜は再度見惚れてしまうのだった。








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