第18話 束の間の日常(混沌)

 翌日、まだ日も昇っていない早朝。

 深夜に雪菜からたたき起こされた冬夜は歪みの修復に出かけ、ようやく帰ってきた。

 いろいろあって歪みの修復には行っていなかったが、今日からまたいつものように平日は夜に、休日は昼間に歪みの修復に出かけるように雪菜から言われたのだ。

 加えて、ティリアの教育もしなくてはいけないようで、冬夜はどちらか片方だけにしてほしいと不満を言いながらも、雪菜に逆らうことができず、それも引き受けることになった。

 あくびをしながら縁側を歩いていると、月明かりに照らされるティリアの姿が目に映った。


「ティリア、どうしたんだ? 眠れないのか?」


 冬夜は近づいて声をかけると、ティリアは驚いたのかびくりと体を震わせた。


「お兄様! おかえりなさい」

「ああ、ただいま。それで、どうしたんだ? こんな朝早くから」

「すみません。ちょっと眠れなくて」


 寝間着姿のティリアは、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら言った。


「何か心配ごとか?」

「い、いえ。そんなことは……」

「あるんだな」

「……」


 ティリアは黙ってうつむいてしまった。


「なんだ? 学校のことか? それとも神力のことか? ……それとも花子が何か言ったか?」


 花子と二人で話をしてから、どこかティリアの様子がおかしかったことに冬夜は気が付いていた。すると、最後の質問にティリアはピクリと反応を示した。



「ティリアは分かりやすいな」

「もう、お兄様! 桜さんのようなことをしないでください!」


 ティリアが冬夜の胸元を軽くポンポンと叩きながら怒り出す。


「それで、何を言われたんだ?」


 冬夜の質問にティリアは冬夜を叩く手をピタリと止める。そして、自分の胸元に手を置くティリアの手が少しだけ震えているのが分かった。


「本当に何を言われたんだ?」

「い、いえ。大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろ。いいか、ティリア。自分一人で抱え込むことなんてないんだ。何か辛いことや悲しいことがあれば誰かに話してみろ。それで解決することだってあるんだ。それに、俺はお前の兄なんだろう? だったらなおさら俺に相談しろ。何とかしてやるから」


(そう、かつて自分が母にしてもらったように)


 そう、冬夜は思った。

 すると、ティリアは少しの間考え込み、震える手を握り締めて言った。


「花子さんからお兄様のお父様とお母様のことを聞きました。……そして二人が亡くなったことも」


 そういうと、冬夜は驚きに目を見開いた後、苦笑いをしながら「そうか」と呟いた。


「ということは歪人のことが気になっていたのか」

「……はい」


 冬夜は大きく深呼吸すると、ティリアの目を見ながら言った。


「ティリア、心配するなといっても無理かもしれないが、大丈夫だ。俺が何とかしてやるさ」

「……お兄様」

「俺はお前の兄だからな。何が何でも守ってやる」


 そういって冬夜はティリアに微笑みかけた。

 すると、ティリアの震える手が止まった。そして、


「はいっ!」


 そう言ってティリアは晴れやかに笑った。その笑顔を見た冬夜は一安心する。


「じゃあ、明日も学校だから今からでも寝ろよ。睡眠は重要だぞ」

「はい、お兄様。ありがとうございました」


 ティリアはトテトテと駆け足で自分の部屋へと戻っていった。

 そんなティリアの後ろ姿を見送って冬夜は大きなため息を吐く。


「守ってやる、か。俺にできるのかな、父さん」


 冬夜は空に浮かぶ星々を見ながらそう呟いた。

 冬夜のつぶやきに答えるように、視線の先の星が強く輝いた気がするのだった。





 ティリアが家に来て一ヶ月がたった。

 6月に入り、少しずつ気温が上がってきている。教室を見渡せば、もうカーディガンを着る生徒もほとんどいない。

 何故か着ている者もいるが、暑さを感じていないのだろうか。

 五月半ばの中間試験も終わり、生徒たちの大半は気楽に過ごしていた。ただ、一部の生徒たちは暗い顔をしている。察しの通り、真っ赤な点数を取った者たちのことだ。

 そんな中に、見知った顔がいるのが見える。それは、


「冬夜~助けてくれ~」


 亡霊のように冬夜の背後に憑りつくのはそう、毬栗、間違えた。

 そう、和人だ。


「とりあえずは離れろ。暑苦しい」


 冬夜は和人を引きはがし、尋ねた。


「それで、今回はどれだけ赤点取ったんだ?」

「……3つ」

「3つ⁉ まあ、1年の時よりはマシか」


 そう、和人は1年の時も大量に赤点を取っている。しかも、赤点を免れたのは1教科のみだったこともあるようだ。

 職員室で教師に土下座して、単位を習得したことがあるとかないとか。

 要するに、和人は馬鹿だということだ。


「仕方ないだろう。家に帰ったって勉強なんてできないんだから」

「勉強せずに何をやっているんだ? 部活は今休みなんだろ? いっぱい時間はあるよな」

「そりゃ、遊ぶだろ。ゲームだってしたいし、遊びにだって行きたいしな」

「……もういい、ここまでお前が馬鹿だとは思っていなかった」


 呆れたように冬夜は首を左右に振り、寝る体勢に入った。

 それを見た和人は、飼い主に擦り寄る猫のように冬夜にすり寄る。


「なあ、なあ、そこにおります冬夜様。お恵みを下さいませんかニャア」


 和人は猫の手を作り、冬夜につぶらな瞳を見せた。

 控えめに言って、


「気持ち悪い! 鳥肌たったぞ。分かった、教えてやるから今すぐそれをやめろ」

「しゃあ!」


 和人はガッツポーズを決めると、余裕そうな笑みを浮かべながら席に着いた。


「サンキュー、冬夜。やっぱり持つべきは友だな」

「変わり身の早いことで」


 冬夜は呆れたようにそう言った。

 二人でくだらない話をしていると、そこに近づいてくる影が一つ。


「お兄様。お弁当を食べに行きましょう」


 ティリアだ。今日は頭の右ではなく左で髪をまとめている。どうやら気分で変えているらしく、ここ一ヶ月の間に規則性はない。


「ああ、もう先生の呼び出しはいいのか?」

「はい。くだらない用事でした」

「なんだったんだ?」


 和人が尋ねると、ティリアは先ほどのことを思い出して心底嫌そうな顔をしながら言った。


「この間の中間試験の結果が良すぎたのでカンニングしたんじゃないかって疑われました」

「マジかよ。……ちなみに何点だったんだ?」


 和人は、恐る恐る尋ねた。

 すると、ティリアは何でもないように言った。


「全教科満点です」

「それは教師もカンニングを疑うわ。っていうかティリアちゃんそんなに頭良かったのか?」

「俺らは文字通り頭の出来が違うからな。テストくらいは余裕で何とかなる」

「文字通り?」


 和人は冬夜の妙な言い回しに首をかしげるが、数瞬してようやく冬夜が言っている本当の意味に気が付いたようだ。つまりは、神や天使に関係しているということだ。

冬夜たち神や天使は一般人よりも格段に記憶力がいい。詳しいことは分からないが、どうやら神力が影響しているようだ。


「チートじゃねーか! 冬夜、ずりーぞ!」

「しかたがないだろう。生まれ持った者の違いだ。個性というやつだな」

「俺だってそんな頭が欲しかった! そうすればテストなんて……」


 冬夜は頭を抱えて嘆き悲しむ和人を無視して、ティリアに注意した。


「ティリア、今回は俺も言っていなかったから仕方がないが、今度からは点数を抑えろよ。ついでに言っておくと平均が一番だ」

「分かりました。お兄様」


 これでクラスの平均点ばかり取るものが二人に増えたわけだ。

 その後桜が合流したため、4人はいつものように屋上へと向かい昼食をとる。


「お兄様。お弁当のお味はどうでしょうか」

「ああ、うまいな。やっぱりティリアのご飯が一番だ」


 ここ一ヶ月は毎日ティリアが弁当を作っていた。冬夜としては自分のことは自分で何とかしたいところなのだが、弁当を断ろうとするとティリアが目じりに涙をためて悲しむので、食事はティリアに任せることにしている。

 今日の弁当もとてもおいしそうに出来上がっており、それを見た和人が自分だけコンビニ食だと嘆いていた。


「にしてもだいぶ暑くなってきたな」

「そうだね、カーディガンを着ている生徒ももうほとんど居なくなったし」


 和人と桜は暑そうに言った。屋上は陽を遮るものがないので暑いのだろう。直射日光に当てられて、2人は玉の汗をかいていた。


「そういえばお兄様。私たちはこの学校の制服を着ていますが、お兄様はなぜいつもジャージなのですか?」

「それは最強装備だからな」


 ティリアは冬夜の答えに首をかしげた。

その仕草はまるで首をかしげる子猫のようだ。そんなティリアを見た和人と桜は同情のまなざしでティリアを見る。


「ティリアちゃん、冬夜に服装のことを聞いても無駄だよ。冬夜はジャージ以外一切着ないからね」

「そうだぞ。俺も中学生の頃から冬夜を知っているが、こいつはジャージ以外何も着ない。しかも年中という馬鹿げた注意書きが付く」


 それを聞き、ティリア苦笑いをしていた。当の本人は自分の回答におかしいことがあったのかと考えるが、間違いなどみじんもなかったという結論に至った。


「逆にみんなは何でジャージを着ないんだ? 昔から不思議に思っていたことなんだが」

「冬夜、TPOって知ってる?」

「Time Place Occasionだろ? それがどうしたんだ?」


桜の質問の意図が冬夜はわからなかった。


「冬夜は誰かの結婚式にジャージで行くの?」

「まさか、そんなわけがないだろう」

「そうだよね、まさかそんなはずがあるわけない――」

「一着1万近くするいいジャージを履いて行くさ」

「……ねぇ、ティリアちゃん。こんな男ってどう思う?」


すると、ティリアは両手を振りながら、


「私に振らないでください! 和人さん、何とかしてください。お兄様の親友ですよね?」

「俺に言われてもな……。まあ、いいんじゃないか……その、個性とか……あると思うし」

「言っておくけど、もし私が結婚したとして、ジャージなんかで来られたらその人をすぐさま会場から叩きだすよ?」


桜は心底嫌そうに言った。だが、冬夜は全く話についていけなかった。ジャージをこよなく愛する冬夜にとって、ジャージ以外の服を着るという選択肢はないのだ。


「以外だな。桜は結婚したいのか?」


冬夜は肉団子を一つ口に入れながら尋ねた。


「例えばだよ。でも将来的にはしたいかな。ティリアちゃんはどうなの?」

「えっ、私は別に……」

「その反応は興味はあるみたいだね」

「もう! 私の考えを読まないでください!」

「ティリアちゃんの考えは読みやすいから」


そう言って桜は意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「あまりティリアをからかうなよ? 嫌われるぞ」

「でも冬夜! 見てよ、この可愛い生き物。私こんなにかわいい生き物見たことないんだよ? 持って帰ってもいい?」


桜はティリアを両手でしっかりと抱きしめながら言う。


「だめだ、帰る場所のないならまだしもティリアにはあるからな」

「そういえばティリアちゃん。ティリアちゃんって今どの辺に住んでいるの? 冬夜と毬栗と同じ方向みたいだけど」

「ああ、俺の家に住んでいるぞ」

「「ええっ⁉」」


 和人と桜は驚きの声を上げた。対して冬夜は何か問題があるのかと首をかしげる。


「た、爛れているぞ! 冬夜!」


 和人は突然立ち上がりながら言った。


「なんだ突然。終に頭がおかしくなったか? 頭の形はいつもおかしいが」

「頭の形はおかしくない! これは俺の生き様だ!」

「毬栗、全然かっこよくないよ」


 あきれた様子で桜は和人に言った。


「そんなことを言ったら、冬夜だってそのぼさぼさの髪型は変だろ!」

「俺のは面倒だからいつも直してないだけだ」

「お兄様、私が直しましょうか?」

「いや、そこの毬栗よりましだからいいさ」


 そう言って冬夜は和人の頭を指さした。


「髪型はもういい! それより冬夜! 血の繋がっていない男女が一つ屋根の下に住んでいるんだぞ。間違いが起きたらどうする」

「そんなことは起こら――」

「ないわけあるか! もっと清く正しくだな」


 ぶつぶつと文句を言い出した和人に冬夜は呆れて大きなため息を吐いた。


「……万が一、億が一起こったとしてお前に関係ない」

「あるわ! 俺のお前に対する接し方が違ってくる。それにティリアちゃんの親がどう思うか」

「ティリアの親か? 結婚するかとか聞いてきていたな。だから問題はない」

「なぁ! 本当かティリアちゃん」

「はい、本当です。でも私は別に……」


 そう言ってもじもじとして赤くなるティリア。そんな様子を見て和人は絶望する。


「親友が結婚。俺よりも早く……」

「するか馬鹿。ちゃんと現実を見ろ」

「現実を見ているからこうなっているんだろうが!」


 冬夜は和人の文句を聞き流しながらティリアと桜の会話に耳を傾けた。


「それで、ティリアちゃん。冬夜のことはどう思っているの? 好きなの?」

「えっ、あの、好きか嫌いかと言われれば、その、好きですけど」


 顔を真っ赤にしながらティリアは答えた。


「じゃあ付き合っちゃう? 私応援するよ?」

「やめてください。私はお兄様のことを兄として好きなんです」

「そんなこと言って、本当は異性として好きなんでしょ? 冬夜のことを考えるとドキドキが止まらなくなることがあるんじゃない?」

「ッ!! そんなことはありません! 本当に私はお兄様のことが兄として好きなんです!」 


 両手を振り回して、照れながら一生懸命に弁解する様子に桜は思わずと言った感じでティリアに抱きついた。


「もう、何この子。かわいい。やっぱり持って帰りたい」

「やめてください。放して」


 桜に抱きしめられられてもがき苦しむティリア。そしていまだにぐちぐちと文句を垂らし続ける和人。

 それらを見ながら冬夜は思った。


(なんだ? このカオス地帯は)


 収拾がつくまで、昼休み全ての時間が費やされるのだった。

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