第33話 死への恐怖

 クーリュイアは少年の妹を助けることに決めた。自分というものを確かめるために。


「ダメだよ! 初めて会ったばかりのキミにそんなこと頼めないよ。それに、見たところキミ、お金持ってなさそうだし」

「……平気。盗ってくる」

「それこそダメだよ! キミにそんな危険なことをさせられない!」

「……大丈夫。妹、助けたくない?」

「ッ!」


 少年は驚いた表情をする。そして俯きながら薬がある店と場所、それから種類を話した。

 クーリュイアはそれをしっかりと記憶すると、薬の置いてある店へと走った。

 普通の人であれば難しいリスクのある盗みでも、クーリュイアにとっては息をするほどに簡単なものだ。知覚されないほど気配を消すことができるのだから。


 クーリュイアは誰にも気づかれずに店へと入ると、目的の薬を探す。すると、薬はガラスのケースの中に入っていることが分かった。

 しかし、ガラスにはしっかりと鍵が付いているため開けることはできなかった。

 クーリュイアはどうするか考える。

 一つ目の案は、このガラスのケースを割るという手段だ。たとえガラスのケースを割ったとしても、少女が気づかれることはない。だが、最悪の場合薬まで壊れてしまう可能性がある。それに騒ぎになるだろう。

 二つ目の案は、鍵のみを壊すという手段だ。だが、鍵のみを壊すというのもかなり難度が高い。勢いがついて薬が壊れてしまうかもしれない。

 三つ目の案は、鍵を盗むという手段だ。これが一番現実的に思える。だが、そのためにはまず鍵の場所を探さなくてはならない。

 しばらくの間考え、少女は一番リスクの少ない鍵を盗むことにした。


 クーリュイアはそっと店主に近づくと、ポケットなどに鍵が入っていないかを確認する。すると、ポケットの中から一つの小さな鍵が出てくる。

 それをクーリュイアはこっそりと盗むと早速薬の入っているケースのカギ穴に差し込もうとした。しかし鍵がカギ穴にはまることはなかった。どうやらここのカギではないらしい。

 次に店主の座っている場所にある小さな棚を確認するが、クーリュイアは鍵を見つけることはできなかった。

 どこに置いてあるのか考えていると、店主が席を立った。どうやら客に薬の説明をするために立ち上がったようだ。

 そして、店主が立ち上がったその足元に黒い金庫が設置されているのが目に入る。

 その金庫に、先ほどのカギを差し込んでみるとすんなりと金庫は口を開いた。中を見てみると、いくらかのお金と、重要そうな書類、それに鍵が一つ入っていた。

 クーリュイアはそのカギを手に取ると、ガラスケースのカギ穴に差し込んでみた。するとついにガラスケースが開いた。

 クーリュイアは薬を手に取ると、一目散にその店から飛び出し、少年のもとへと走った。


 少年は路地裏で、家の壁に背を預けながら俯いていた。先ほどは痛みに顔をゆがめていたが、今は痛がっている様子はなかった。


「……これ」

「えっ! もしかして持ってきてくれたの?」


 クーリュイアは少年に薬を手渡すと、少年は驚いたように薬とクーリュイアを交互に見た。そして、薬が手に入ったのだと分かると、再び涙を流し始めた。


「本当にありがとう! この恩は忘れないよ!」

「……別にいい。それよりも妹に早く飲ませてあげて」

「分かった! 本当にありがとう!」


 そう言ってニコリと笑った少年は薬をしっかりと落さないように抱え込むと路地から出て行った。





 それから数時間後、レイスがクーリュイアを迎えにやってきた。


「行きますよ。もうこの世界も終わりですから」

「……壊したの?」

「ええ。楽しかったですよ。糞共も殺すことができましたし、この世界に住む奴らも全員死ぬ。……なんて素晴らしいのでしょうか」

「……しぬ?」


 クーリュイアは理解できなかった。世界が終わる、世界を壊すということと、死ぬということが結びつかなかったのだ。

 クーリュイアは死ぬという言葉を聞き、以前レイスが持ってきた男の生首と開ききった瞳を思い出した。


「そうですよ? 分かっていなかったのですか? 世界を壊すということはそこに住むすべての生物を殺すということ。つまりは皆死ぬということです」

「あ、あああ、あああああああああああああああああっ!!!!!」


 クーリュイアは頭をかきむしりながら叫んだ。

 自分が畏怖していた死ぬということ。それを今まで自分が与え続けてきたということにようやく気が付いたのだ。

 吐き気を抑えることができずに少女は口から胃の中のものをすべて吐き出した。だが、それでもこの湧き上がる自分でもわからないこの感情が収まることはなかった。

 自分の中で何かが壊れていく。そんな気がした。


 そしてふと思い出すのは先ほど会った少年の笑顔。

 レイスは言った。先ほどこの世界を壊したのだと。そうなれば、この世界が終わるのも時間の問題だ。少年も死ぬのだろう。だが、クーリュイアにそれを止める手段など持っていなかった。


 クーリュイアは逃げるように世界を渡った。一度や二度ではない。何度も何度も転移を繰り返し、ようやく気分が落ち着いた。

 そこはどこかの家の中のようだが、真っ暗でほとんど見ることはできない。

 しかし、外に出てみると月明かりが出ていたため、歩くことは容易だった。


 クーリュイアはふらふらと歩き続け、何かいろいろなものが置いてあるところにたどり着いた。小高い丘の上にあるそれらは、雨風をしのぐにはちょうどよく、その中の一つに入るといつものように立膝をつき、顔を埋めて眠った。

 もう目覚めなければいいと思いながら。


 思いに反してクーリュイアは目を覚ます。

 どうやら日が昇ったようで、周囲は明るくなっていた。

 考えることも疲れてしまったクーリュイアはぼーっと空を見つめていた。何も考えることなく、ただ時間が過ぎるのを待った。


 すると、誰かの声が聞こえたような気がした。もう誰にも会いたくない。そう思っていたのだが、視界の端に誰かの顔が映る。


「ねぇ、キミはどこから来たの?」


 今のクーリュイアは気配が薄いことに加えて、気配を消す能力を使用していた。そのため、自分話しかけているとは微塵も思っていなかった。

 早くいなくなってほしい。そう思っていると、


「この村に住んでいるんじゃないよね? ぼくキミみたいなかわいい子見たことないし」


 視線をずらせば、少年が話しかけてきていた。

 自分に話しかけているのだと分かり、クーリュイアは驚きに目を見開く。全力ではないとはいえ、自ら気配を絶っていたのだ。それなのに、少年はクーリュイアのことを見つけた。その事実に、クーリュイアは驚きを隠せなかった。


「こんなところで何しているの? おとうさんとおかあさんはどこにいるの?」

「……いない」


 クーリュイアは正直に答えた。父親は少女が生まれる前に死に、母親は少女を生んだ後すぐに死んだと、クーリュイアは聞かされていた。


「どこかに出かけているの? キミはここで待っているの?」

「……」


 先ほどは驚きのあまりついしゃべってしまったが、クーリュイアはもうこれ以上関わってほしくなかった。


「……もう放っておいて」


 拒絶の言葉をぶつけると、少年は急に慌て始める。


「ご、ごめんね。ぼく何か悪いことを言ってしまったみたいで」

「……」


 クーリュイアはもうそれ以上少年と関わりたくなかったため、少年を無視することにした。放っておけばいずれいなくなるだろうと。

 そう思っていたのだが、いくら経っても少年が出ていくことはなかった。ただただ自分のことを見つめ続けていた。

 そしてようやく誰かに呼ばれたようで出て行ったと思えば、その誰かを連れて再度やってきた。


「こんにちは、はじめまして、わたしはゆいです」

「あっ、ぼくも名乗るの忘れてた。ぼくの名前はとうやだよ」

「……」


 クーリュイアは結衣と冬夜に視線を向けると再び何も考えずに空を見つめた。


「あなたのなまえを聞かせてもらってもいい?」

「……」


 放っておいてほしいと思いつつ、クーリュイアは無視をする。早くいなくなってほしいと思いながら。

 しばらくの間話しかけ続けてきていたが、クーリュイアが無視をつづけると、


「もうわたしたち帰らないと……、あなたも早く帰った方がいいよ」


 と結衣が言って帰っていった。

 クーリュイアはもう一度冬夜と結衣という少年少女が来るかもしれないと思い、隣の遊具へと移動し、立膝をついて顔を埋めた。いつもの夢が見られるようにと願いながら。

 しかし、クーリュイアはいつもの白い空間で漂う夢を見ることができなかった。

 見たのは昼間に見た冬夜という少年の夢。共に歩き、共に食事をとり、共に手をつなぐ。そんな内容の夢だった。

 なぜそのような夢を見たのかは分からない。だが、クーリュイアはそれを見て自分の知らない感情が込み上げてくるのを感じた。思わず口角を上げてしまうような、そんな感情だ。

 その感情が込み上げてきたときの感覚は、白い世界を漂っていたときよりも心地よいものだとクーリュイアは思った。

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