第34話 夢

 クーリュイアは心地よい夢を見ながら眠っていると、突如誰かに肩を掴まれたのを感じ目を覚ます。

 腰に刺していたナイフを引き抜くと、威嚇のために相手の胸元を掴み、首元へとナイフを突きつけた。

 殺すつもりなど全くなかったが、レイスとの訓練で体が勝手に動くようになってしまったのだ。


「……だれ?」

「ぼ、ぼくだよ! とうやだよ」

「……とーや?」


 クーリュイアは冬夜が全く敵意を持っていないと判断し、ゆっくりとナイフを戻す。

 だが、ナイフを突きつけたのにもかかわらず、冬夜に恐れた様子がなかった事に気がついた。


「……怖くないの?」

「えっ? 何のこと?」

「……ナイフ」

「……うん、なぜかキミが刺さない気がしたから」

「……そう」


 確かにクーリュイアは殺意を向けていなかった。だが、そんなことは普通の人間であれば感じ取ることなどできないだろう。

 クーリュイアの頭の中に一つの可能性が浮かび上がる。目の前の少年が天使という種族である可能性だ。

 それならば自分を見つけられることにも納得がいく。

 しかしそれならば、レイスから聞いていた通りなら神や天使と歪人は敵対関係にあったはずだった。冬夜がそれに気がついて追いかけてきたのであれば、戦闘の可能性もあり得る。そうクーリュイアは考えた。


「……なんでここにいるの?」

「えっと、……キミが心配だったから」

「……それだけ?」


 クーリュイアは疑問のあまり小首をかしげた。冬夜の様子からクーリュイアが歪人であるということは知られていないようだ。だが、心配だから来たという意味がクーリュイアには分からなかった。

 思わずクーリュイアは聞き返すが、それに対しての返事は頷く事だった。


「……そう。……もうわたしに関わらないで」


 クーリュイアは冬夜の言っていることが理解できなかったが、自分が歪人だということもあり、冬夜が天使である可能性がある以上関わりたくなかった。


「けどこんなところにいたら風邪ひいちゃうよ」

「……だいじょうぶ。慣れてるから」


 クーリュイアは体育座りをして膝に顔を埋めた。夢の続きが見たかったのだ。あの心地よい夢の続きを。

 しかしそれは冬夜によって妨げられることとなった。


「行こう!」


 突如冬夜に手を掴まれ、クーリュイアはされるがままに遊具の外へと飛び出した。

 抵抗することもできたが、冬夜が一般人である場合怪我をさせてしまう可能性があった。


「今日はぼくの家に泊りなよ」

「……いい、……ここで」

「駄目だよ。それにキミなんか埃っぽいし、お風呂に入っていきなよ」

「……おふろ?」

「お風呂知らないの? 体を洗うんだよ。あ、でもお母さんに入れてもらわないといけないのか。……どうしよう?」


 クーリュイアは抵抗することなく冬夜に手を引かれる。

 先ほど夢で見ていた時のような気持ちが込み上がってくる。

 これは一体どういった感情なのだろうか。

 冬夜の手は暖かく、手を握られるだけでクーリュイアは胸のあたりが熱くなるのを感じた。

 この心地よい感覚を味わっていたい。そう思ったクーリュイアは冬夜についていった。

 冬夜はよく喋る少年だった。いや、どこか必死になっているようにも感じる。

 なぜそんなにも冬夜が必死になるのか不思議に思ったが、クーリュイアは冬夜の質問に答えていった。

 しばらく歩くと、とある一軒家にたどり着いた。どうやらここが冬夜の家らしい。

 クーリュイアは冬夜に言われてこっそりと家の中に入る。家の中は暗くほとんど見えない。懐中電灯の明かりだけが頼りだ。


「こっちだよ。もうすぐお風呂場に――」

「冬夜、どこに行っていたの?」

「うわぁ!」


 突如女性が懐中電灯に照らされて現れた。

 クーリュイアはなんとなく気配を察していたのだが、冬夜は気がついていない様子だった。果たして冬夜の気配察知能力は高いのか低いのか。

 女性は壁にあるスイッチを押すと廊下が明るく照らされる。


「まったく、こんな夜遅くにどこに行っていたの? 心配したのよ?」

「ごめんなさい。でもこの子の事が気になって……」

「この子? ……えっ!」


 どうやら女性はようやくクーリュイアに気づいたようだ。

 これが普通の人の反応だ。だが、このようにクーリュイアが見えている人に紹介すると他の人も見えるようになる。

 気配を消す力を使っていれば話は別だが。


「ごめんなさいね。ちょっと私、疲れてたみたい。あなたは?」


 女性はクーリュイアにゆっくりと近づくと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「昼間に公園で会った子なんだけど、ずっと今まで公園にいたから連れてきたんだ」


 冬夜は立ち上がりながら女性に説明する。


「両親はどうしたの?」

「いないって言ってた」


 すると女性は優しくクーリュイアを抱きしめた。

 突然のことにクーリュイアは動くことが出来なかった。しかし、嫌ではない。心地よく、いつまでもそうしてほしいと思えた。


「辛かったわね……。あなた、どこに住んでいるの? 保護者はいる?」


 頭を撫でられながらそう問いかけられる。クーリュイアはすぐにレイスのことを頭に思い浮かべた。


「……いる」

「そう……、その人は迎えに来ないの?」

「……わからない」


 クーリュイアは逃げ出してきてしまったので、レイスが追いかけてくるかどうかは分からなかった。

 だが、万が一レイスが連れに来た場合、冬夜たちが殺されてしまう可能性があった。

 レイスは人を殺すことになんの戸惑いもない。むしろ積極的に殺そうとする。

 冬夜たちが殺されてしまうのは嫌だとクーリュイアは思った。

 しかし、それと同時にもっと一緒にいたいという感情もある。

 女性はしばらく何かを考えていたが、やがてコクリと頷いた。


「なら私の家にいなさい。その保護者が迎えに来るまででもいいわ。それまではうちの子よ」


 家にいてもいい。つまりはもっと一緒にいてもいいということだ。

 クーリュイアはその誘惑につられそうになるが、冬夜たちが死んでしまうところを想像して考え直す。


「……べつにいい」

「いいことないの。行くあてがないんでしょう? 冬夜もいいわよね」

「うん! ありがとう、おかあさん」


 半ば強引に決められる。

 どうやら女性は冬夜の母親のようだ。

 ここでクーリュイアは逃げ出すこともできた。だが、クーリュイアは少しでも長くあの暖かい感覚を味わっていたかった。

 そのため、1日だけ泊まることにしたのだ。

 明日には隙を見て逃げ出そうと、そう考えて。


「まずはあなた、お風呂に入らないとね。せっかくの綺麗な髪も汚れているわ」

「……おふろ、……わからない」

「お風呂がない国から来たのかしら? いいわ。私と一緒に入りましょう。冬夜はもう夜遅いんだから部屋で寝ていなさい。明日は休日だからってゆっくり寝ていてはダメよ」

「えっ、ぼくももう少し起きていたい」

「だーめ。明日に備えて寝なさい。たくさん寝ないと背が伸びないわよ」


 冬夜は顔をしかめながら去っていった。

 残されたクーリュイアは冬夜の母の指示に従って風呂場へと向かった。


「それじゃあ、ここで服を脱いでね」

「……脱ぐ?」

「ええ、そうじゃないとお風呂に入れないわ」


 クーリュイアは戸惑いながらもゆっくりと服を脱ぐ。

 すると、冬夜の母の視線が鋭くなった。そしてナイフを服の間に隠すと、風呂場へと入った。

 冬夜の母の指示に従って椅子に座ると、髪を洗ってもらった。


「どこか痒いところはない?」


 クーリュイアは目を閉じながら小さく頷いた。

 自分で川で洗ったことはあったが、他人に現れるというのは初めてだった。

 初めは余りにも無防備な状態に恐怖を感じていたが、気持ち良さの方が優っていた。


「はい、じゃあ流すからしっかりと目をつむっていてね」


 クーリュイアは閉じている目に力を入れた。温かいお湯が心地よい。

 次に何かを髪の毛に付けられたと思ったら、蒸したタオルを頭に巻きつけられる。


「ねえ、まだあなたの名前聞いていなかったわね。あなたの名前は?」

「……」


 クーリュイアは自分の名前を名乗ろうとしなかった。

 というのも、先に冬夜に名前を聞かれていた。そのため冬夜に先に伝えたかったのだ。


「……とーやにも同じこと聞かれたから」

「……そう、冬夜に先に言ってあげたいのね。あなたは優しい子ね」


 そう言って冬夜の母は微笑んだ。

 その後クーリュイアは体を洗われて髪の毛を洗い流し、湯船に浸かった。

 大量のお湯の中に入るというのは初めてだったが、思わず息を吐くほどに気持ちのいいものだった。


「……気持ちいい」

「そうでしょう? お風呂は良い物よ。でも入りすぎには注意してね、のぼせてしまうから」

「……のぼせて?」

「そう、ふらふらして気分が悪くなることね。人によってどれくらいでのぼせるかは違うけれど」

「……わたし、ふらふら」


 そう言ってクーリュイアは顔を赤くして頭をゆらりゆらりとゆっくり振った。


「もう⁉ 早いわね。でも出ましょうか」


 二人は風呂から出た。クーリュイアは大きなタオルで体を拭かれ、温かい空気の出る何かで髪の毛を乾かした。


「うん! いいわね。これで綺麗になった」


 クーリュイアの薄汚れていた体が綺麗になった。

 試しに腕に触れてみると、ぷにぷにつるつるとしていた。

 そしてクーリュイアは大きなタオルを体に巻きつけられると、とある部屋に案内された。


「確かここに私が小さい頃の服が……」


 冬夜の母は箱の中から次々と服を取り出す。


「あった、あった。じゃあ、これ着てくれる? 下着はこれね」


 クーリュイアは服や下着を渡され、それらを指示通りに身につけると、冬夜の母は頷いた。


「可愛いわね。これで冬夜もイチコロね」

「……?」


 クーリュイアは言葉の意味がわからなかったため小首を傾げた。

 その後、冬夜の母の部屋に案内され、温かい布団に入ったクーリュイアはすぐに眠りについた。

 心地よい夢を見る、そんな気がしながら。

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