第14話 お兄様、だと!?

「……ここは」


 いつもの森の中とはどこか雰囲気が違うことにティリアはすぐに気が付いた。自分が住んでいる森は森の活力が感じられた。だが、ここはどこかさみしい感じがする。昼間なのに薄暗く、肌寒い。


「家に帰らないと……あれ?」


 うまく転移ができなかった。元から転移は苦手だというのに加え、場所の把握ができていないのが問題なのだろう。神のレベルならば問題ないが、転移は場所の把握が重要なのだ。


「なら、来た歪みに戻れば……」


しかし歪みは酷く乱れていて、中に入っても同じ場所には戻れそうにない。


「そんな……」


ティリアはあまりの不安から泣きそうになった。

 とりあえず、この不気味な森を抜けようと足を進める。が、薄暗いことに加えて木の根っこが浮き上がっているため、足を取られて転んでしまった。


「いたたた」


 膝をすりむき、血がにじむ。


「ワンピースでこんなところを歩くものじゃないですね」


 ティリアは、自分の内にある神力を使い、小さな光の玉を自分の近くに出現させる。すると、小さな光源にもかかわらず、辺りが昼間のように明るくなった。


「これでよし」


 辺りを見渡すが、一体どちらに向かえばこの森から抜けられるのか見当がつかなかった。

 とりあえず、ティリアは歩き始める。その場から動かずに救助を待った方がよかったのかも知れないのだが、ティリアは少しでも早くこの薄暗い森から脱出したかった。


 歩いて数十分後。


「ぐるるるるるるぅ」

「っなに?」


 ティリアの耳に何かの唸り声が聞こえてくる。振り返るが、そこには何もいない。ただ、何かがいる気配だけは感じ取っていた。

 普通の少女なら怖くて動く事さえできないだろう。だが、ティリアとて神の娘。護身術は学んでいるため、とっさに構える。

 背後に感じていた気配は移動し、ティリアの正面の大木の陰へと移動してくる。ティリアは、生唾を飲み込むと、神力を練り、いつでも力を使えるようにした。

 その瞬間。

 大木の陰から、一匹の狼に似た何かが飛び出してくる。それは狼のような体躯に加え、頭の上から一本の大きな角が生えていた。その姿を目でとらえた瞬間、ティリアは恐怖を押し込めて、神力を使う。


「ぐるあああああ!」

「行って!」


 ティリアの言葉と同時に、ティリアの手元から一筋の光が飛び、その狼もどきの角を貫き、額に突き刺さる。すると、狼もどきは勢いのついたままティリアにぶつかった。


「っ痛」


 狼もどきの下敷きになったティリアは何とか這い出す。

 ティリアをかわいらしくしていた水色のワンピースは狼もどきの血で汚れてしまった。


「これは……もうだめですかね」


 血と言うのはなかなか落ちにくいものだ。ティリアは自分の服を見て、もう着れないと悟った。

 とはいっても、着替えなど持っていないし、こんなところで着替えるわけにもいかない。あきらめて、とぼとぼと歩き始めた。が、数分もしないうちに先ほどの狼もどきの唸り声が聞こえてくる。


「そんな……そうか、この血が」


 そう、ティリアの服にしみ一日の匂いを嗅ぎつけた複数の狼もどきがティリアを襲いに来たのだ。

 ティリアは走った。その場にいてはより危険だと判断したからだ。それに……


「あともう少し!」


 もう少しで森を抜けられるところまで来たのだ。視線の先は太陽の光であふれていた。

 後ろから狼もどきが追いかけてくるのを感じながらひたすら走った。

 そしてもう少しと言うところで、狼の爪が自分の背中に突き刺さるのを感じた。


「きゃああああああ!」


 そのまま押し倒され、狼にのしかかられる。背中には狼の爪が食い込む。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいイタイイタイ!

 背中に激痛と熱を感じる。水色のワンピースは、今度は自分の血で赤く染まっていく。

 だが、狼もどきは放してくれない。あまりの痛みに涙が出てきた。そして、助けを呼ぼうにも、口からは悲鳴しか出てこない。


 ここで死んでしまうのだろうか。

 そんなことを考えながら、意識を失う瞬間、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ティリア!」


 それは会って謝りたかった本人。冬夜だった。

 その声を聴いた途端、ティリアは意識を失った。







 数十分前。ティリアがいなくなった後、ルースが冬夜の家に来た頃。


「ルース、落ち着け。何があったんだ?」


 詳しく話を聞こうと、冬夜はルースを落ち着ける。ルースの気が動転しすぎていて、一体何が起きたのかさっぱり分からなかったからだ。


「ごめん。気が動転していたよ」

「構わない、それで何が起きたんだ?」

「冬夜くんの話をティリアにしていたんだ。そしたら、突然ティリアが謝らなくちゃって言って」

「謝らなくちゃ? 一体何を謝るんだ? 俺は特にティリアから謝られることなんてないが」

「分からない。それで、ティリアが突然転移しようとしたんだ。たぶん冬夜くんの所に行こうとしたんだろうね。でもティリアもあせっていたのか、力が暴走していたんだ。あんな状態で転移したらどこに跳ぶかわかったものじゃない」

「なるほどな。状況は理解した。だが、それならどこに転移したのか解析すれば…」

「僕もそうしようとしたさ。でも僕は力を繊細に扱うことには長けていないんだ。昔からいくら練習してもできなくてね」

「そうか。でもなんで俺なんだ?」

「キミは力を扱うことに関してはほかの神を軽く凌駕するだろう?」

「……買いかぶりすぎだ。ちょっと神力の扱いに自信があるだけだ。だが、どこに跳んだかは分かる。すぐに向かおう」


 冬夜はすぐにルースの家へと跳んだ。そして、ティリアがいなくなった場所をよく見てみる。


「なるほどな」


 異世界転移とは、実の所、小規模の歪みを出現させていることと同じだ。開いてはすぐに閉じる。それが異世界転移の正体だ。

 だが、力が暴走して転移したのであれば、複雑ではあるものの、歪みが生じたままの状態になる。ただし、そのまま歪みの中に入っても同じ場所へ飛ぶことはできない。それは、暴走してこじ開けられた穴はとても不安定だからだ。そのため、力を整えてからどこに跳んだのか知る必要がある。


 早速冬夜は両手をかざし、歪みに残っている力を整える。すると、数分もしないうちにどこに跳んでしまったのか知ることができた。


「ここは」

「どこに跳んだのかわかったのかい?」

「ああ、俺の知っている場所だな」

「冬夜くんの知っている場所? 偶然にしてはすごいね」

「ああ、だが、偶然以外の何物でもないな。迷いの森だ」

「そこは危険な場所なのかな?」

「ああ、危険と言えば危険だな。神力が使えるようなら問題ないが…ティリアが神力を使っているところを見たことがないし心配だな」

「あの子はあまり力をうまく使えないんだよ。だから冬夜くんに頼んだのさ」

「そうなのか。なら、要練習だな。急ぐか」

「うん。行こう」


 二人は歪みに飛び込む。森の中に着くと、冬夜はすぐに歪みを消した。消し忘れると世界の崩壊を誘発するからだ。歪みを消して回っている本人が歪みを作ってしまったのでは元も子もない。


「ティリア! どこにいるんだい!」

「……近くにはいないようだな。なら…」


 冬夜は周囲の木々に語りかける。女の子が来なかったかと。すると、


(これは冬夜様。少女でしたら冬夜様から見て右方向に走っていきましたよ)


 どこからともなく声が聞こえてくる。だが、ルースには聞こえていないようだ。


「ありがとう、助かった。ルース、こっちだ」

「君の力は本当に便利だね~。植物と会話する力でしょ」

「ああ、だが光だって便利だろ。さっきから明るく照らしているのはルースだろ」

「こんなのなくたって歩けるさ。まあ、もちろんこれだけじゃないけど」


 二人は走る。木々の間を縫うように走る姿はまるで野生の獣のようだ。すると数分もしないうちにティリアの声が聞こえてくる。


「きゃああああああ!」

「やばい、急ぐぞルース」

「だね!」


 さらに二人は加速する。その先で見たものは、ティリアに狼もどきの爪が突き刺さる瞬間だった。


「ティリア!」


 冬夜はティリアを押さえつけている狼もどきの胴体を蹴り飛ばすと、ティリアに駆け寄った。


「よくも僕の大事な娘に傷をつけくれたね。後悔しながら焼け死ね」


 普段笑みを絶やさないルースの顔が憤怒に染まる。ルースは怒りを狼もどきたちにぶつけるた。ルースが手を上にかざしたと思えば、突然手のひらから光線が飛び出し、それにあたった狼たちはあっという間に蒸発してしまったのだ。塵一つ残さずに。


「ルース、そこらへんにしとけ。木々が怖がってるぞ」

「おっと、ごめんね。ついかっとなっちゃって。それで、ティリアの様子は⁉︎」

「大丈夫だ。これぐらいの傷なら放っておいても神力で癒える。だが」


 これぐらいの傷であれば神力が体を癒してくれる。しかし、傷跡は残ってしまうかもしれなかった。

 そこで、冬夜は一本の小さな木を隣に創りだすと、その木に一つの小さな果実が生る。その身を絞った汁をティリアの口に垂らし、飲み込ませると、瞬く間にティリアの傷が癒えていった。

 それを見たルースはホッと息を吐いた。


「本当に冬夜くんは万能だね。なんだい? それ」

「これはアミィリカと言う実でな。とある世界で、不老不死の材料にもなっている治癒の実だ。これで傷も残らない」

「それはまたとんでもない物を軽々と……それって、ティリアが不老不死にならないよね」


 恐る恐るといった様子でルースは冬夜に尋ねた。


「不老不死の材料ってだけだ。別に食っただけじゃならないさ」

「なら安心だね。…じゃあ、家に帰ろうか」

「ああ」


 冬夜はティリアをお姫様抱っこすると、二人はその場から掻き消えた。

 次の瞬間には二人は家の中に戻っていた。あの綺麗な湖のそばにあるルースの家だ。

 冬夜は、居間のソファにティリアを寝かせる。


「冬夜くん、ちょっとお風呂を溜めてくるからティリアのことお願いね」

「分かった」


 ルースがお風呂を貯めに行ってすぐに、ティリアは目を覚ました。


「あれ…ここは……」

「目が覚めたか。どこか具合は悪くないか?」


 ボーとしていたティリアは冬夜を視界に入れるとはっと覚醒する。


「冬夜さん⁉ どうして、私、森の中で」

「もう大丈夫だ。落ち着け」

「わたし、追いかけられて」

「ルースが追い払ったからもう大丈夫だ」


 冬夜はパニックに陥るティリアの頭をなでて落ち着かせる。

 すると、ティリアはぽつりと言葉を吐いた。


「どうして、私にそんなに優しくするんですか」

「どうして、と言われてもな」


 ティリアの頭をなでながら、冬夜は困惑する。


「私、冬夜さんに酷いことを言いました」

「そうか? 大したことは言われてないがな」

「……私聞いたんです。冬夜さんが神と人間のハーフだって」


 ティリアの頭をなでていた手が止まる。が、またすぐに頭をなで始めた。


「そうか。それで、どう思ったんだ?」


 また散々聞かされた罵声を聞くことになるかもしれないと、覚悟を決めつつ聞いた。


「……凄く尊敬できる人だと思いました。

 神と人間のハーフだから反対派の天使から酷いことを言われてきたって。なのに努力して、努力して。ようやく今の力を手に入れることができたって。それなのに私、冬夜さんが簡単に力を手に入れたと決めつけて、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 そう言ってティリアの目が涙でいっぱいになる。

 ”尊敬できる人“とティリアは言った。

 それを聞いて冬夜は心の底から喜びの感情が溢れてくるのを感じた。

 今までは自分がハーフだと分かると罵声を浴びせられた。だが、ティリアは違った。

 ティリアの言葉で、自分がここにいるのだと実感することができた。

 誰かに想われているからこそ自分がここにいるのだと実感できるのだ。

 冬夜はティリアの涙を手でそっと拭うと言った。


「なぜティリアが俺を嫌っているのか分からないが、ティリアが尊敬できる人だと言ってくれたおかげで俺は救われたよ。ありがとうティリア」

「!!」


 ティリアは冬夜の胸元に顔を埋めると、静かに涙を流すのだった。

 数分後、泣き止み、落ち着いたティリアはどうして冬夜を嫌っていたのか、話をした。


「私、いつもお父様に冬夜くん冬夜くんって言われて、何をしても冬夜さんと比べられたんです。会ったこともない人みたいに頑張れって言われて本当につらかったんです。でも頑張っても神力がうまく使えなくて。それで、勝手に冬夜さんは簡単に力を使えるようになったんだろうなって思いこんでしまって、それで」

「なるほどな、……だとさ、お父様?」


 すると、部屋の向こう側からルースがおどおどしながら出てくる。


「あ、あの、ティリア?」

「……なんですか、お父様」

「本当にごめん! まさか僕のせいだとは思わなくて。ティリアには悲しい思いなんかこれっぽっちも――」

「分かっていますよ。お父様。お父様はいつも私のことを一番に考えてくれていますから」


 そう言ってティリアはにっこりと笑った。


「本当にごめんね」


 ルースはそういってティリアに抱きついた。二人とも身長が低いので、姉に飛びついた弟のように見えたのは仕方がないことだろう。


「それじゃあ、またなティリア。今度はちゃんと教えに来るからな」

「はい! よろしくお願いします。……お兄様!」

「お、お兄様?」

「はい。…ダメ、でしょうか」


 手を目頭に当て、少し悩む冬夜。それをティリアが不安そうに見つめていた。やがて、ティリアの強い視線に冬夜は押し負けた。


「分かった。それでいい」

「はい! お兄様!」

「またね、冬夜くん」


 冬夜が去って間もなく、ティリアはルースに尋ねた。


「あの、お父様――」






 翌々日、月曜日。

 場所は冬夜の通う学校だ。


 「今日からこの学校に転入してきたティリア・ハーレイスと申します」


 冬夜は枕を取り出し、さっそく寝ようとしたところに聞こえてきたのは何やら聞き覚えのある可愛いらしい声。

 ふと顔を上げてみればそこには、長い金髪の少女がいた。


「「「ウォオオオオオオオオオ!!」」」

「はぁっ⁉」


 冬夜の驚愕の声は、クラスの男子の叫び声によってかき消された。

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