過去編-1 side冬夜

第23話 すべての始まり

「よし、誰もいないな」


 冬夜は教室に入り扉を閉めると、周囲に人がいないか確認する。

 予想通り教室には誰もいなかった。

 再度近くに人がいないか確認すると、冬夜は転移を行使した。場所は冬夜が昔両親と住んでいた小さな一軒家があった場所だ。

 転移すると、懐かしい変わらない風景がそこにあった。周囲に広がる田んぼ、今の時期は稲にまだ穂はついておらず、だんだんと大きく成長してきている姿があった。

 そして田んぼだけではなく、畑もある。畑には夏に向けて様々な野菜が植えられている。これから大きくなっていくのだろう。もうずいぶんと長く住んでいなかった家の庭には、残念なことに草が生え放題だった。家は昔のまま、全壊してしまっている。

 そんな植物たちにとっては嬉しいことに、先ほどまで冬夜がいた地域とは異なりここは暗雲が立ち込めていた。地面が濡れていることから先ほどまで降っていたのだろう。だが、冬夜にとってはその暗雲は嫌な予感を加速させるほど不気味に思えるのだった。

 とりあえず、冬夜は歪みが発生しているところへと急いだ。時には民家の敷地内を通り抜けして、問題の場所へと向かう。田んぼに水が入っているためか、蛙の鳴き声が聞こえてくる。

 歪みの場所にたどり着くと、そこは一軒の古い家の中だった。庭は長い間手入れされていないようで草が自由に背を伸ばしている。

 冬夜は念のため声をかけてから入ったが、やはりこの家には人が長い間住んでいないようだ。

 埃は積もっているし、ところどころに穴も開いている。雨漏れもしているようで天井も床も所々腐っているようだ。だが、先ほどまで誰かがそこにいた形跡があった。床に靴の跡がついていたのだ。

 奥へと進むと、畳の部屋にたどり着く。畳は長い間放置されていたためかなり腐ってしまっている。そんな部屋の中央に鎮座するように歪みがあった。

 その歪みを近くで感じ取った冬夜はすぐに理解した。この歪みは自然現象ではないと。

 自然に起こる歪みは自然と綻びてしまった布のようだが、この歪みは違う。無理矢理引き裂いたようになっているのだ。そのため修復にもひと手間がかかる。

 冬夜は急ぐ気持ちを抑えつつ歪みを修復する。十分ほどで歪みを直すと、穴を開けた当の本人を探しに家の外へと出た。

この歪みを作った本人が転移したのであれば、また歪みが生じるため、転移先がわかる。だがそんな形跡はないので、恐らくは歩いて移動しているのだろう。

 冬夜は残っている草を踏み荒らした跡と泥道を踏んだ足跡からどこへ向かったのか探る。幸いなことに、道には一つしか足跡がなかった。家の中にあった靴跡と一致することから、どうやらこの道の先に問題の人物がいるらしい。


「……この先はたしか丘の上に公園があったはず」


 そしてふと思い出した。最初に彼女に会ったのはあの丘の上の公園だったと。

 冬夜は急いでその公園へと向かった。

 15分ほど経つとその丘へとたどり着く。

丘の上にはたくさんの遊具が昔と変わらずに置かれていた。そしてその先には丘の上から風景を見下すひとりの姿があった。

 近づくとその詳細が分かってくる。

 絹のように艶のある真っ白な綺麗な髪は一度も切られたことがないほどに長く、冬夜の肩ほどの身長。そして華奢なその体。

その体に身に纏うぼろ雑巾のようなマントは雨に降られたのか滴るほどに濡れている。その人物の膝上ほどの長さのそのマントの端の方には、可愛らしいうさぎのアップリケが張られていた。

 冬夜はその後ろ姿で分かった。十中八九、自分が嫌う人物だと。

 冬夜はゆっくりと近づくと、その人物に声をかけた。


「……クーリュイア」


 すると、目の前の少女はゆっくりと振り返り、その眠たげな眼を冬夜に向けながらその桜色の唇をわずかに動かした。


「……とーや」


 幼さを強調するような声に、これは現実なのだと冬夜は再確認するのだった。


「……なぜお前がここにいる」


 冬夜のドスの効いた声に、クーリュイアは相変わらず全く表情を変えなかった。冬夜でさえクーリュイアが何を考えているのかほとんど予想できないのだ。すると、クーリュイアは表情を変えないまま呟くように言った。


「……とーやに会いに来た」

「俺はお前に会いたくなんてない。前にも言っただろう。次に会った時はお前を殺すと」

「……私、とーやに会いたかった」

「聞いていなかったのか? 前にも言ったが、俺はお前が殺したいほど憎い」

「……とーや、怒ってる?」

「ああ、怒っているな。逆にどうして怒らないと思ったんだ? あれほどのことがあったというのに」


 冬夜は強く拳を握りしめる。10年前に起きた出来事。それが全ての始まりだった。






 時は遡って10年前。

 冬夜は田舎の小さな集落に住んでいた。この地で生まれ、この地で育った。

 冬夜は神と人間のハーフだ。父が神で母が人間だった。暖かい両親に育てられ、すくすくと成長した。

 一つ問題だったのは、ティリアのように天使の学校に通っていたのだが、同級生にいじめられていたことだろう。

 神力を持つ冬夜は絶対に天使の通う学校に通わなければならなかった。だが、神と人間のハーフというのは簡単に受け入れられるものではなかった。そのため、学校で嫌なことがあってはすぐに父や母に泣きついていた。

 簡単ないたずらや無視は序の口で、酷い時には神力を使用してのいじめが行われていた。もちろん冬夜の父がそんなことを許すはずもなく、学校側に抗議をした。しかし、そう簡単に収まる物でもなく、冬夜へのいじめは7歳になっても続いた。

だが、冬夜は一度たりとも神力でやり返すことはしなかった。それが父との絶対の約束だったからだ。

 そんな冬夜心の支えになっていたのは、両親と近所に住んでいる同い年の一人の少女だった。

 少女の名を結衣と言った。毎日学校が終わっては結衣と共に丘の上の公園へ出かけて一緒に遊んでいた。

 今日も二人は公園へと足を運び遊んでいた。冬夜の運命を分ける日だとは知らずに……。


「ねえ、とうやくん。今日は何して遊ぶ?」

「そうだね、……ぼくはかくれんぼがしたい!」

「わかった! じゃあ、かくれんぼしよ。じゃんけんで負けた方がおにね」


 そう言って二人はじゃんけんをする。今回は冬夜が負けだった。


「じゃあ、とうやくんがおに! 目をつむって30数えたら探してね!」


 結衣は冬夜が目をつむったのを確認してから公園の遊具の一つに隠れる。この公園は結構広い。加えて遊具がたくさん置いてあるので隠れる場所も多い。小学生が遊ぶ分には十分な場所だ。

 どうやら村おこしのために作られたようだが、うまくはいかなかったらしい。だが、壊すこともないということでそのまま置かれており、今では冬夜と結衣の二人がほとんど独占という形で使っている。

 たまに老人たちも来るようだが、残念なことにここは少し小高い丘の上。年老いて足腰の弱い老人にとって、何度も足を運べる場所ではないのだ。

 だが苦労して登ると、その眺めは格別。自然の多いこの辺りを一望できる場所なのだ。それに風が吹き抜けているためとても心地がいい。

 30数え終わった冬夜は結衣を探し始めた。


「ここかな?」


 冬夜は呟きながら一つ一つ遊具の下にある空洞を覗き見る。何度も言うが、ここは小高い丘の上。隠れる場所は遊具の下しかないのだ。

 そして冬夜が探し始めて1分が経過した頃、何やら人の気配がする遊具を見つけたので、ニコニコ顔で覗き込んだ。


「ゆいちゃんみーつけた!」


 だが冬夜の視界に入ったのは薄汚れた白い髪を持つ、一つ年下くらいの少女だった。ぼろ雑巾のようなマントを羽織っており、全体的に薄汚れている。

 少女は冬夜の声に何の反応もせず、ボーとくうを見つめていた。

 冬夜はその少女を見てなぜか胸が苦しくなる思いだった。どこか守ってあげたくなるような、そんな少女だった。

 冬夜は結衣のことをすっかりと忘れ、その少女に勇気を持って話しかけた。


「ねぇ、キミはどこから来たの?」

「……」


 だが、少女は黙ったまま冬夜を見ようともしなかった。聞こえているのかすら怪しい所だ。


「この村に住んでいるんじゃないよね? ぼくキミみたいなかわいい子見たことないし」

「……」


 すると、少女はようやく冬夜に気がついたようで、その半分しか開いていない目が見開かれる。どうやら驚いているようだ。


「こんなところで何しているの? おとうさんとおかあさんはどこにいるの?」

「……いない」


 少女は見開いた目を半目に戻し、口を開いた。少女の可愛らしい声に惚れた冬夜だったが、少女が言った意味が分からなかった。冬夜にとって両親はいて当たり前の存在だからだ。


「どこかに出かけているの? キミはここで待っているの?」

「……」


 冬夜の質問に少女が答えることはなく、表情は一切変わらなかった。


「……もう放っておいて」


 そして次に少女が話した言葉は拒絶だった。突然の拒絶に、冬夜は何か悪いことを言ってしまったのかと焦りだす。


「ご、ごめんね。ぼく何か悪いことを言ってしまったみたいで」

「……」


 その後、長い間冬夜は黙って少女のことを見つめていたが、少女が言葉を発することはなかった。すると、外から結衣の呼ぶ声が聞こえてくる。


「とうやく~ん! どこにいるの?」

「あ、ゆいちゃんだ。……ごめんね、ぼく行かなきゃ」


 そう言って冬夜は遊具の下から出る。ずいぶん長い間少女のことを見つめていたようで、もう日が暮れかけていた。


「どうしたの? とうやくん。いつまでも探してくれないからわたし疲れちゃったよ」


 事情を話すと、結衣は怒ることなく笑って許した。


「それで、その女の子の名前はなんだったの?」

「あっ、聞き忘れちゃった」

「とうやくんはうっかりさんだね。じゃあ、一緒に聞きに行こうか」


 二人は少女のもとへと向かうと、変わらずくうをボーと見つめていた。

 冬夜は指差しながらあの子だと結衣に伝えると、結衣は少し驚いた表情をしながら少女に近づいた。


「こんにちは、はじめまして、わたしはゆいです」

「あっ、ぼくも名乗るの忘れてた。ぼくの名前はとうやだよ」

「……」


 少女はちらりと二人を見た後、なんでもなかったかのように視線を元に戻した。


「キミの名前は?」

「……」


 冬夜はそう問いかけたが、少女は一切しゃべることはなく、視線を冬夜たちに向けることもなかった。

 何度も会話を試みた二人だったが、結局少女はそれ以上会話をしてくれなかった。どうやら冬夜の質問に答えたのは気まぐれだったようだ。


「もうわたしたち帰らないと……、あなたも早く帰った方がいいよ」

「……」


 無反応の少女に別れのあいさつを済ませた二人は自分の家へと帰った。

 帰る途中、冬夜は少女のことが気になって何度も振り返ったが、少女が遊具の中から出てくることはなかった。

 結衣と別れ、冬夜は真っ先に大好きな両親のもとへと走った。すると、庭先に二人の人物が立っているのが見えた。

 一人は緑髪を肩口まで伸ばした男性、そしてもう片方は髪の長い黒髪の女性だ。

 遠目で見て冬夜はすぐに両親だと分かった。


「お父さん、お母さん、ただいま!」


 そう言って両親に飛びつくと、二人は笑顔で冬夜を抱きしめた。


「おかえり、冬夜。今日は楽しかったか?」

「うん! 今日も結衣ちゃんと遊んだんだ!」


 父の質問に、元気良く冬夜は答えた。


「それはよかったわね。もうすぐ夕飯だから手をきちんと洗って待っていなさい」

「分かった!」







 冬夜は母の言葉に頷くと、勢いよく家の中に飛び込んでいった。

 それを見送った冬夜の父と母の二人は真剣な表情をする。


「さっきも言ったように、今朝日も登っていない時間にこの辺りで歪みが出現した。見てみたが、明らかに自然にできた歪みではない。人為的なものだ。どうやら歪人ひずみびとが現れたようだ」

「その歪人って危険な人なのよね」

「ああ、彼らは俺たちと同じように特殊な能力を持っている。しかも異世界間の転移も可能だ」

「なら何が違うのかしら」

「明確に違うことが一つだけある。それは、破壊衝動があるかないかだ」

「破壊衝動?」

「ああ、何かを壊したくなるという欲求だな。それを彼らは抑えることができない。異世界への転移は小規模の歪みを発生させていることと同じだと昔言っただろう? 彼らは故意に歪みを作り、世界を破壊して回っているのさ」

「神や天使と真逆のことをしてしまうのね」

「そういうことだ」


 冬夜の父は頷く。冬夜の母も危険さが理解できたようで頷いた。


「このままではこの世界も危ない。俺でさえ彼らに勝てるかどうか……。とにかく、俺は引き続き他の神々にも協力を要請してくる。帰りは遅くなると思うが、留守を頼んだ」

「分かったわ」


 冬夜の父はそう言ってその場から姿を消した。


「何事もなければいいのだけれど……」


 冬夜の母のつぶやきは誰に聞かれることもなく風にさらわれて消えた。

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