第4話 手術の日取り

 久しぶりに聞く前田の声。

 それは僕の記憶の中にあるものと少しも変わっていなかった。


 慣れない病院生活で、すっかり憔悴してしまったんじゃないか。

 なんてことを考えていたのだが。


「なんにしても、君の声を聞けて嬉しいよ」


「私も。久しぶりに鈴木くんの声を聞けて嬉しいよ」


 なんだか湿っぽい別れ方をしたクリスマスイブ。

 それからぶりの会話だ。


 もし、彼女の入院が、こんなに早くならなければ。

 二十五日に、もう少しマシな会話をしていたかもしれない。


 いいや。

 僕たちの会話の中に、マシなものなんてなかった気がする。


 いつもいつも、何を話していたかと言えば――やれ、あの漫画が面白かった、アニメの出来がよかったという、オタトーク。

 もし、猫が人語を解していたら、もし、冬に服を着るという概念がなかったら――というようなろくでもない思考実験。


 そして、ムッツリ鈴木弄りの、どれかである。


「鈴木くん、浮気はダメだよ」


「そして今日もムッツリ鈴木ネタか」


「愛しの彼女が入院中で会えないからって、他の女の子に浮気する。そういうの、私、どうかと思うんだ」


「してないし、する気もないから安心してくれ」


「本当に? エッチな動画とか、雑誌とか見てないの?」


 それは個人の自由だ。

 浮気とかそういうのと関係なくない。


 そう返そうと思ってもごついた隙に、「ほら、やっぱり」と、機先を制するように前田に言われてしまった。


「ムッツリ鈴木だ。あぁ、浮気された。私の彼氏は最悪だぁ」


「違うって!! お前が、変なこと言うから、ちょっと戸惑ったんだよ」


「けど明確に否定はしてくれないんだ」


「……それは」


「やましいところがあるんでしょう? 変態、変態、鈴木くんのスケベ!!」


 まくしたてるように言わなくてもいいだろう。


 なんだろう今日の前田。

 ちょっと、いつもとテンションが違っている気がする。


 まぁ、ムッツリ鈴木ネタで、いろいろと弄られるのは慣れている。

 ただ、こんなストレートに、スケベスケベと言われたのは、初めてな気がする。


 あれかな。

 学校じゃないから、ちょっとセーブが外れてしまっているのかな。


 いや、病院も学校もそう変わらないだろう。

 屋上だからって、人が居ない訳じゃないんだ。


 じゃぁ、どうしてこんなにも、彼女はテンションが高いんだろうか。


 北風が吹いた。

 ウィンドブレーカーに冷たい風が入り込んでくる。


 時を同じくして、はぁ、と、スマートフォンの向こう側から。

 前田の、震える吐息が聞こえて来た。


「……やっぱり外は寒いね」


「……12月だからなぁ。仕方ないだろう」


「……そっか、そうだよねぇ」


「というか、病人が無茶するなよ。病室戻れって」


「別に、頭に腫瘍があるだけで、それ以外は普通なんだから、いいじゃん」


 そうかもしれないけど。君の身体の事が心配なんだよ。

 言ってやったら前田はどんな反応をするだろうか。


 言おうかとどうかと、迷っていると、また、彼女が僕の機先を制した。


「それに、伝えなくちゃいけないことがあるから」


 北風が吹きすさぶ中に、その声色はどこか寂しく、そして冷たく響く。


 面と向かって話す時には、彼女の顔を見れば、それが真剣な話かどうか分かった。

 けど、今は、それが分かる場所に彼女は居ない。


 声色からそれが――大切な話だと察することしか、僕にはできない。


「手術は1月5日だって。お正月休み明け、早々にやるんだってさ」


「……だったら、お正月くらい家で過ごさせてくれればいいのにな」


「いろいろと準備があるの。仕方ないよ、それは」


「……どれくらいかかりそうなんだ?」


 1月6日は土曜日だ。そして、まだ、冬休みの最中でもある。

 あれだったら、彼女のお見舞いに行くことだって――。


 いや、そうだ。

 前田が入院している病院は、分からないんだった。


 彼女は本当に、彼氏の僕にすら、入院先の病院について教えてくれなかった。

 秘密主義、ここに極まれりという奴だ。


 けれど。

 手術が無事に終わったなら、真っ先に連絡するから。

 そう、彼女は彼氏の僕に約束してくれた。


 もし、彼女の手術が無事に終わらなかったら。

 すっぽりと、僕のことを忘れてしまっていたら。

 この一年間のことを、まったく覚えていなかった。


 もう二度と、僕は、前田と会えなくなるのかもしれない。


 けれども、彼女がそうしたいと言うのだ。

 こうして電話をかけても来てくれるのだ。


 大丈夫。彼女のことを信じよう。

 手術の成功を信じよう。


 そう思って、僕は手術に対する不安を、ぎゅっと、胸の中に押し込んだ。


「うまくいくといいなって、願ってるよ」


「うまくいかないと困るんだよ!!」


「そうだよな」


「……そんな難しい手術じゃないみたいだから。きっと、大丈夫だから」


 だから、待っていてね、と、彼女は涙声で僕に言った。

 たまらず見上げた冬の京都の空は、ぼんやりとした水色に染まっていた。

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