第2話 クリスマスの朝

「あれ? どしたん、鈴木? いつもなら朝から前田とイチャコラしてんのに?」


「……別に、いいだろ」


「ははん。さては、昨日のデートでなんか失敗したな?」


「違うよ、バーカ」


 二十五日の朝。補習前のホームルーム。

 目ざとく浅田の奴に、自分の席に居ることを見つけられた僕は、彼のそのからかうような口ぶりを軽くあしらってみせた。


 ふぅん、と、なんだか興味なさげに言う浅田。


 遅刻常習犯のこいつが教室にやって来た。

 ということは、そろそろホームルームが始まる時間だ。


 僕の勘は見事に当たった。

 浅田が自分の席に着くのとほぼ同時に、担任が教室へとやって来た。


 起立、礼、着席。


 出席簿を手に、補習の出席人数を確認する。

 そして――。


 まるでというように、担任は、前田の名前を呼ぶのをスルーした。

 なんでもない素振りだった。

 だが、一部の女子が違和感に気づいたらしい。


 にわかに教室にざわめきが広がった。


 それがこれ以上大きくならないようにということだろうか。

 白髪交じりの僕らのクラスの担任は、出席確認が終わると同時に、「おほん」と、咳ばらいをして、場を鎮めてみせたのだった。


 いつもだったら、咳払いもなしだ。

 今日も一日頑張るように、と、言ってホームルームは終わる。

 けれども。


「えー、今日は連絡事項があります」


 これもまた、という感じだ。

 色めきたつ女子生徒たちに、その疑問の答えを担任は提示した。


「前田恵理さんですが、手術のため本日から入院することになりました」


 えぇ、と、クラスの女子たちに動揺の声が走る。


 なんでだろうか。

 それがうすら寒く感じられて、僕は机に肘を置いて頬杖をついた。


 別に、前田と友達でもなんでもないというのに。

 律儀な反応をする奴らだ。


 いや、文化祭を通して、少しは彼女にも交友関係があったのかもしれない。

 なんといっても、半年も一緒のクラスで活動しているのだ。


 僕だけしか話し相手が居ない。

 なんてのは、もしかしたら、僕の勝手な思い上がりだったのかもしれない。


「前田さん、どこの病院に入院されたんですか!!」


「私たち、お見舞いに行きます!!」


「本人とご家族の意向でね、それは伝えられないことになってる」


「えぇ!?」


「どういうことですか!?」


「それも詳しく教えられないんだ」


 その事情については、僕は思い当たる所があった。


 彼女は、手術によって混乱してしまう記憶を、酷く怖がっていた。


 もし、迂闊に入院場所を教えれば、おせっかいな彼女たちは入り浸るだろう。

 それでなくても、、と、自ら前田は離れたのだ。


 混乱の被害を最小限に抑えるために。


 立命館高校への進学をあきらめて。

 彼女は桂高校にやってきたのだ。


 そこまでしたのに、ここで臆病風に吹かれて日和る。

 前田はそんな弱い女の子じゃない。


 だからあえてだろう。

 彼女は、入院先を教えないでくれと、学校側に頼んだんだ。きっと。


 なんて辛い選択なんだろう。

 脳の中をいじくるなんて手術を前に、たった一人で挑まなくてはいけない。

 その恐怖は僕の無残に足りていない頭にも、十分に恐ろしく感じられた。


 そして。

 その手術を無事に終えたとしても。

 その先に待っているのは記憶の混乱だ。


 一時の寂しさに竿をさして関わることを選んでしまえば。

 彼女は多くの人を悲しませることになってしまう。


 辛い。

 あまりに辛い。


 なにそれ、冷たくない、と、女子の間から声があがった。

 そういうこと言うもんじゃないよ、と、庇う声もすぐにあがった。


 結局、しつこく彼女たちが担任に食い下がることはなく、前田のプライバシーと、願いは叶えられることとなった。


 それでも、まだ納得のいかないのだろう。

 何人かの女子たちが、ぶつくさと何かを言っていた。

 だが、僕はあえて何も聞こえない振りをした。


「なぁ、鈴木」


「……なんだよ」


 ホームルームが終わり、つかの間の休み時間。

 浅田が、また、僕に話しかけて来た。


 彼は僕の隣の席に陣取ると、椅子に逆方向――背もたれの方に腕をかける。

 そして、コミカルなこいつらしい、不思議そうな顔をこちらに向けた。


「お前、知ってたのかよ、前田のこと」


「……知らなかったよ」


「けど、お前、平然としてるじゃん」


「もとから、僕はこういう感じなんだよ」


「いやいや、んな訳ないっしょ。あれだろ、前田の入院先知ってるからだろ?」


「知らないよ」


「なんで? 彼氏なんだろ?」


 彼氏だから知らないんだよ。

 たとえ、知っていたとしてもだ。

 どうしてお前に教えなくちゃいけないんだ。


「頼むよ。俺が前田の入院先教えたらさ、矢島の奴が喜ぶかもしれないしさ」


「……お前、矢島のこと好きだったのか」


「……悪いか?」


 悪くないと思う。

 矢島は、クラスの女子の中でも美人の部類に入る女の子だ。


 栗毛色のロングヘアーをした彼女は、確かバレー部に所属している。

 スラッとした長身に、ほどよい肉付きの身体。

 健全な男だったら、きっと、彼女みたいな女の子にときめいたりするんだろう。


 けど。


「僕は前田の方が大事だから」


 教えない。そう言い切って、僕はトイレに席を立った。

 授業開始までそう時間はない。けれども、教室に僕の居場所はなかった。


 前田の居ない教室に。

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