第六章 冬休みもまだまだ前田の季節です
第1話 大切な人
僕が呑気に花を選んでいたクリスマスの前日。
前田は、長らく世話になっている病院で、手術に向けての検査を受けていた。
そしてやはり早急に手術を要するという主治医による判断により、二十五日――。
つまり明日から入院することが決まったのだ。
この冬に手術をするということは決まっていた。
彼女もそれは覚悟していた。
けれども、あまりに急な話に前田も、そして彼女の家族も戸惑った。
前田が僕とのデートに遅れたのはそのためだ。
母親と、昼過ぎまで入院の準備をしていた前田。
それでも彼女は、どうしても外すことのできない用事があるのだと母親に告げて、こうして、僕の所へ来てくれたのだ。
きっと前田のお母さんは、娘の言葉の意味を分かっていたんだと思う。
クリスマスの用事なんてそうそうない
それでも彼女をこうして僕の元に送り出してくれた。
会ったことのない前田の母親に、僕は言葉にできない感謝を覚えた。
話しが終わり、ファーストキッチンをすごすごと後にした僕達。
確実に昼よりも人通りの多くなった寺町通りを通り抜ける。
そうして、寒いからと言って四条通の地下道へと降りた。
「ちょっと待っててくれる?」
「……なに?」
訳を話さず、僕は河原町駅の前にあるロッカーへと移動した。
ポケットの中から橙色のキーを取り出す。
そして、今朝仕込んできた――花束の入った――ロッカーの扉を開いた。
つんと匂いたつ花の香り。
ロッカーを開けると、それは強烈に漂って来る。
前田に見えないよう気をつけ、僕は後ろ手にそれを隠した。
ロッカーを閉めると、ゆっくりとした足取りで、僕は彼女の元へと戻る。
「メリークリスマス、前田」
不意打ち気味に。僕は背中の花束を彼女に差し出した。
「……お花?」
「そう。クリスマスプレゼント」
僕がプレゼントを用意するなんて思っていなかったのか。
それとも花なんて似合わないものを持ってきたのが意外だったのか。
前田は、きょとりとした顔のまま、暫くの間固まっていた。
ほら、と、少し強引に突き出してやる。
すると、ようやく彼女はそれを受け取ってくれた。
すん、と、その小さな鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
大型ショッピングモールの専門店。そんなお店の仕事にしては、なかなかと凝った感じの花束を眺めて、満足げに微笑んだのだった。
「鈴木くんのことだから、プレゼントなんて用意してないと思ってたよ」
「僕も、そう言われるんじゃないかって、思ってたよ」
くすくす、と、花束で口元を隠して笑う前田。
少しだけその表情に、いつもの元気が戻ってきているような、そんな気がした。
「ありがとう、大切にするね」
「おう。明日からの入院生活で、寂しくなったら、これを見て僕を思い出せよ」
「……なにそれ。もっとロマンチックな言い方があるんじゃないの?」
「これでも精いっぱいロマンチックに言ったつもりだよ」
前田の笑い声に合わせて花束が揺れた。
もう少し大事に扱えよ。
そんなツッコミを入れると、ようやく彼女の身体の揺れが収まった。
それから――。
「私もね、プレゼント用意して来たよ」
前田はそう言って、手提げ鞄の中から包装紙に包まれた箱を取り出した。
群青色と銀色のストライプが印象的。
きっといい所で買ったプレゼントだ。
僕の送った花束なんかより、よっぽど価値があるんじゃないだろうか。
受け取ると、それはかたかたと、なんだか堅い音がした。
「……開けてみていいかい?」
「いいよ」
丁寧に包装されているそれ。
裏側のビニールテープを爪先で裂いて外す。
出来る範囲で慎重に、折り目を崩さないように、僕はゆっくりと包みを開いた。
中に入っていたのはコミックサイズより一回り大きい白箱。
上蓋を外せば――余裕を持ってそれに収まった、写真立てが出て来た。
しかも写真が既に収まっている。
いつの、何のときのものだろうか。
はたして、写真の真中には。
文化祭の最中、皆で撮った記念写真が納まっていた。
文化祭実行委員の二人――僕と前田を中心にして撮影された一枚だ。
そういや、こんなの撮ったけかな。
撮るだけ撮って、貰うのをすっかりと忘れていた気がする。
けど、改めて額に入ったこれを見て思うよ。
いい写真だって。
手ぶれしていて、微妙に傾いていて、被写体の表情もポーズもバラバラだ。
けど、そんな雑さが、甘酸っぱいような青春の匂いを感じさせてくれた。
って、何を言っているんだ。
おっさんかよ、僕は。
「こんなの、用意してくれてたんだ」
「……うん」
「けど、これはお前が持ってた方がいいんじゃないのか?」
「大丈夫」
「へ?」
「私はもう、だいぶ前から、それ飾ってあるから」
そして、病院にも持って行くつもりだから。
そう、前田が言った。
なんだろう。
こっぱずかしいやり取りだなって、ちょと身もだえしたくなった。
そして、どうして僕は彼女と違ってこの写真の存在を、今の今まで忘れていたんだろう、と、そんな複雑な気分になった。
この写真のようになってはいけない。
僕は、彼女のことを忘れてはいけない――。
「そろそろ、いい、時間だね」
「家まで、送るよ」
「いいの? 帰るの遅くなっちゃうんじゃ」
「いいよ、今日だけは僕も、不良少年だ」
サンタクロースも神様も仏様も。
そしておそらく校長先生様だって、きっと今日くらいは許してくれる。
そんな気分で僕は、前田と一緒に四条の地下街を烏丸通りに向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇
烏丸駅からもなるべく市営地下鉄の通路を使った。
地下から出ても、暗い通りを極力避けて、僕らは前田の家へと向かった。
すると、彼女のマンションの前で、心配そうに立っている女性を見つけた。
「……お母さん?」
思わずこぼした前田の言葉が全てを物語っていた。
身支度を既に済ましたのだろう。
病身の娘の帰りを待って、前田のお母さんはマンションの前に立っていた。
前田によく似た、綺麗な顔立ちの女性だった。
品があって、それでいて貧相な前田からは想像できない、肉感的な体をしていた。
あるいは彼女も成長すると、あんな風になるのかもしれない。
闇夜にも煌いて見える長い髪を揺らして、彼女はこちらに視線を向けた。
ふと、僕と目が合うと、前田のお母さんは優しい笑顔を僕に見せる。
娘の彼氏に向ける表情として、それは正しいものなのだろうか。
ちょっと分からなくて僕は息を呑んだ。
そんな僕を放っておいて、親子二人は顔を会わせて話を始めた。
「おかえりなさい、恵理」
「……ただいま、お母さん」
「大切な用事はちゃんと済んだの?」
「……うん」
そう、と、笑う前田のお母さん。
彼女はまるで幼い子供にするように、前田の頭を優しく撫でた。
綺麗に切りそろえられた姫カットの頭。
その髪の流れに逆らわないように、優しく、何度も何度も丁寧に。
もうっ、と、前田が耐えかねたようにその手を払う。
真っ赤に染まったその顔を、ふふふ、と、彼女の母もまた口元を指で隠して笑う。
「やめてよ、鈴木くんの前で!! 恥ずかしいなぁ!!」
「へぇ、鈴木くんって言うのね。貴方の大切な人は」
「……そうだよ」
なんだろう。
僕のことについてちゃんと説明していなかったのだろうか。
もう一度、前田のお母さんは僕の方を向いた。
あまり目がよくないのだろうか、じっとこちらを見る目は細まっている。
そして何か納得したような感じで、彼女は突然頷いた。
「写真立ての子」
「あーっ!! あーっ!!」
「お父さんが、『誰だこいつ、近いんだよ』、って、怒ってたけど」
「どうかお父さんには内密に」
「あの人の勘も当たる時はあるのね」
そう言って、また笑う、前田のお母さん。
こう言っちゃなんだけれど、それは、娘をこれから病院へ、そして手術へと送り出そうという、緊張感なんて感じさせないものだった。
こういうものなのだろうか。
身内に、重い病気になった人間がいないから、ちょっと分からないな。
戸惑っている僕に、再び前田のお母さんの視線が向いた。
彼女はゆっくりと僕に近づくと、ストールの中から手を出して、そっと、そのかじかんだ手を、僕の手に重ねて来たのだった。
「いつも、恵理のことを支えてくれて、ありがとうね」
「……いえ、そんな」
「そして、これからも、支えてあげてね」
親子そろって、ずるいことを言うんだな。
いきなり涙目になった前田のお母さんに対して、僕は頷くことしかできなかった。
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