第3話 前田の居ない年末

 前田がどこに入院しているのかは、僕も知らなかった。


 手術が終わって、落ち着いたら連絡するから。

 一方的に僕にラインで告げると、彼女はそれ以上そのことについて口を閉ざした。


 もちろん、それ以外のことについては、普通に話をしている。


 病院食が美味しくない、とか。

 まだまだ手術は先なのに、どうして入院することになったのか、とか。

 入院中に、推理小説を十冊一気読みする、とか。


 そんな他愛もない話を、彼女は入院してからこまめに僕に送って来てくれた。


 僕はそれに律儀に対応した。

 けれど、なぜかその度に、「反応が真面目過ぎる」、と、切り返された。


 構って欲しいのか。欲しくないのか。

 複雑な乙女心に、どうにかなってしまいそうだ。


 そうこうしているうちに、桂高校の二学期は終わりを迎える。

 自主参加という補習が終わると、ようやく僕らは、二週間という、短い冬休みへと突入した。


 夏休みは、文化祭実行委員なんていう、厄介な役職を引き受けたこともあって、そこそこに忙しく過ごしたけれど。冬休みは、そんなこともなさそうだった。


 特にイベントのない日々。

 そして、前田の居ない日々。


 僕はそんな日々を考えて、少し辟易としていた。


 いや、辟易というよりも――。


「……不安なのかな」


 前田の手術のことが気になる。

 彼女が孤独に苦しんでいないかと心配でたまらない。


 そんな感じだからテレビの内容も頭に入ってこない。

 うつうつとした気分で、僕は家で年末特番を眺めて過ごしていた。


「悠一。あんた、もしかして暇してるのかい?」


「……え?」


「だったら、バイトでもしたらどうなの?」


 居間でテレビを点けながら、スマートフォンを弄るばかりの僕。

 そんな僕に、声をかけたのは母だ。


 母は、まるでそれが高校生として当然――というよりは、休日にごろごろとしている父に接するのと似た感じに、そんな言葉を僕へと投げかけて来た。


 きっと、自分の城である、家に居て欲しくないのだろう。

 けどそれは悪い提案ではなかった。


 基本、桂高校ではバイトは禁止されている。

 けれども、許可さえとれば、それは可能だ。

 何人かのクラスメイトが、市内や駅前のファストフード店なんかで、働いているとも聞いていた。


 既に学校は冬休みで、届け出をする先生はいない。

 事後承諾になってしまうけれど、まぁ、この持て余した時間を、紛らわすのには、ちょうどいいかもしれない。


「郵便局の年賀状仕分けのアルバイトとかさ。あれ、意外と時給いいよ?」


「……考えたこともなかったなぁ」


「応募のチラシ。取っておいたけれど、見る?」


「……お願い」


 促されるままに、僕は母親からチラシを受け取る。

 確かに時給は、思っていたより悪くはなかった。

 ファストフード店のスタッフより、ちょっと色がついた程度だが。


 うん、悪くない。


◇ ◇ ◇ ◇


「なんで、できます、なんて、簡単に返事しちゃったんだろう」


 かじかむ手で自転車のペダルを握る。

 僕は、赤い自転車の荷台に大きな籠を載せ、洛西ニュータウンの街並みの中を疾駆していた。


 僕が棲んでいる桂川離宮周辺からはそこそこに遠い場所だ。


 年賀状仕分けのスタッフとして、出向いたつもりだった。

 けれど、「君、男の子だよね」と、言われて突然雲行きが怪しくなった。


 なんでも、配達スタッフが慢性的に足りていないというのだ。


「よかったらさ、そっちの方で入れない? 時給も、もう少し上げてあげるから」


「……はぁ」


 別に自転車に乗ることには抵抗はなかった。

 内勤の作業も、ぶっちゃけて、単純作業に魅力を感じなかった。

 それで、つい、「できます」、なんて、安請け合いしてしまったのだ。


 洛西ニュータウンは山の上にある。

 なのでアップダウンがあるのは仕方ない。

 だが、登りきってしまえばそれほどきつい道がないのもまた事実。

 

 それでなくても巡回ルートについは――原動機付自転車の免許を持っていない僕に合わせて、狭い範囲に設定してくれていた。


 とはいえ、その若さを見込まれて、桂坂――ニュータウンから少し上った地域――の辺りをあてがわれたのだが。


 この寒い時期に、風を切って走るのはしんどい。


 坂を上り切った僕は、かじかむ手にはっと息を吹きかける。

 そのままゆっくりと歩いて、僕は自転車を引きながら御陵公園の中に入った。


 休憩は、適当に見計らってとってくれていいから。

 そう、採用担当者から言われている。


 ちなみに、今はまだ、昼の二時だし、お正月でもない。

 年賀状配達の当日ではないが――当日の配達ルートを覚えるために、使いっ走りに出されているのだ。というか、体のいい通常業務のお手伝いである。


「こりゃ、たっぷり色をつけて貰わないと、困るよな」


 そんなことを言いながら、近くの自販機でコーンスープを買う。

 一応、配達物が盗られるといけないので、自転車がついて回るのが落ち着かない。


 ベンチに腰掛けて、御陵公園から京都の街並みを眺める。

 ここ最近の日課だ。


 この街のどこかに前田が居る。

 そう思うと、何故だか、少しうきうきとした気分になった。


 いつ、彼女の手術は終わるのだろう。

 そして、いつ、また、前田に会うことができるのだろう。


 心ばかりが逸る。


 そんな時だ。

 ぶるりぶるりと、制服の中のスマホが鳴動した。

 急いでズボンの中からそれを取り出して、誰からかを確認する。


 ――驚いた。


「……やっほー」


「どしたの? 電話とかかけて大丈夫なんだ?」


「んー、なんかね、いつまでたっても手術が始まらないから、サボタージュ中。今、病院の屋上で、街並みを眺めてる」


「奇遇だなぁ。僕も今、バイトをサボタージュ中だよ」


「悪い奴」


「お前に言われたくない」


 前田だった。

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