第5話 しつこそうだったから

 はたして、僕のその言葉が、前田の心をほだしたのかは分からない。

 けれど、少しだけ彼女は落ち着いてくれたらしかった。


 すぅ、と、息をゆっくりと吸い込んで、それから吐き出す前田。

 そして彼女はいつものように、パッツン姫カットの下に、爛々と光る眼を輝かせると、真っすぐに僕の顔を見て来たのだった。


「そうだね。そろそろ、話をした方がいいかもしれないね」


「うん。そろそろだと、僕も思うんだ」


「まずはそこのステップを越えないと、前に進めないもんね」


「……ステップ、が、何かは分からないけれど」


 教えてくれないかな。

 僕は前田に、懇願するように言うと、黙って頭を下げた。


 やめてよ、と、そんな僕の頭に前田の声がかかる。


「言わなかったのは私なんだから。鈴木くんが謝る理由なんて、どこにもないよ」


「……けど、言いたくないから、今まで引っ張ったんだろう?」


「……うん」


 彼女はそれを素直に認めた。


 なんだか、とても素直な前田らしい反応だった。

 そして、いつだって元気な前田らしくない悲しい返事だった。


 何がそれほど、彼女に真実を告げるのを躊躇させるのだろうか。

 それの正体について考えてみる。


 けれど、散々に罵られたその通りなのだ。

 馬鹿な僕にはその理由について皆目見当がつかない。


 彼女の口から、それを直接聞かないと分からない。

 もう、それは仕方のないことだった。


 先ほどまで、フルートを吹いていた桃色の唇が震えた。


「本当に、言っても分からないと思うの」


「分からなくても聞きたいんだ。理解したいと、思っている」


「……鈴木くんの、そういう所、好きよ」


 どうなんだろう。


 このしつこい性格で、僕は結構いままでひどい目を見てきている。

 それこそ、女の子たちから散々に嫌われてきたのも、この性格が原因だ。


 執念深いというか、嫉妬深いというか。

 そして、フられた女の子のことを、いつまでたっても忘れられない。


 そんな自分がもうどうしようもなく嫌いだった。


 入学式の日に、「もう恋なんてしない」と、言ったのはそういうことだ。

 どうしようもなく女々しい自分と決別したくて。

 僕はその言葉を口にしたつもりだった。


 前田によって、結局また、それは阻止されてしまった訳だが。


 だから、それを好きと言われても。


 正直、微妙という感想だった。


 流石は僕の彼女である。

 そう言われて、僕の顔色がかげったのに、前田はすぐに気が付いたようだ。

 ふふっと、と、笑って、彼女はすかさずフォローを入れて来た。


「鈴木くんは、そういう自分が嫌い?」


「……正直に言って、あまりいい性格だとは思っていないよ」


「けど、私はそんな鈴木くんが好き」


 うぅん、と、彼女は首を横にふる。


 短く切りそろえられた、黒色の短髪が静かに揺れた。

 爛々と輝く丸い瞳が閉じられて、短い睫毛がその代わりに輝いている。


 そして――。

 再び目を開くと、彼女はまた真剣マジモードで僕を見た。


「だから好きなの」


「……どういうこと?」


「どうしようもなく女々しくって、そして執念深くって、過去にフられた女の子たちのことをまだ引きずってる。そんな、貴方に、私はあの日、あの時、恋をしたの」


「……え?」


 ちょっと、言っている意味がよく分からない。

 彼女の語った言葉のどこに、ときめく要素があったのだろうか。


 いっちゃ悪いが、それ、最低の男じゃないか。


 自分のことだけど。


 惚れる要素なんて、少しもないように思うよ。


 自分のことだけれど。


 ほら、やっぱり分からないでしょう。

 そんな風に言いたげに、前田がにこりと微笑んだ。


 そして――。


「ねぇ、鈴木くん」


「……なに?」


「分からなくってもいいの。これは私の問題だから」


「けど、彼女の問題なら、それは僕の問題でもある」


 僕はもし、それが前田にとって大切なことであるならば、それを尊重したい。

 どうしようもなく女々しくって、ゴールデンボンバーの歌並みに情けない僕だけれど。それを好きだと、前田が言ってくれるなら。


 僕は、そんな僕を好きにならなくちゃならない。

 いや、なろうと思う。


 そんな決意の裏腹。

 なぜか、前田がすっとクッションから立ち上がった。


 いつの間にか、窓からは、紅色の日差しが入り込んできている。


 まだ八月も終わったばかり。

 だというのに、気の早い太陽だ。

 しかし、ここは山に囲まれた京都。

 ちょっと日が沈むのは早いのはしかたない。


 またそんな余計なことを考えているうちに、前田は僕の隣に座っていた。

 僕の、右手に両手を重ね、熱っぽい目でこちらを見ている。


 ちまっこくて、中学生みたいで、華奢で、それで悪戯っぽくて。

 けれども顔だけは大人びている前田だ。


 そんな彼女が、ほうと蕩けた顔をして、僕の顔をすぐ近くで見つめている。

 その状況に僕の脳髄は痺れてしまったのだろう。


 もう、僕はその時、指先の一つだって自由に動かせなくなってしまった。


 ねぇ、鈴木くん、と、前田のピンク色をした唇が震えた。


「キスの仕方って、知ってる?」


「……し、知らない」


 なら君は知っているのだろうか、と、僕は続けて問いかけたかった。

 けれど、それ以上、言葉を発することができなかった。


 独白した通りだ。

 僕は前田の顔が間近にあるという状況に、脳髄が痺れてしまっていた。


 たとえ、僕がその仕方を知っていたとしても。


 彼女に迫れないくらいにビリビリと。


 僕の状態を知ってか知らずか、ふふっ、と、笑って、前田が舌を舐める。

 顔だけを見れば、これだけエロティックなモノもないだろう。


 もし、僕の瞳がカメラだったなら、連射機能で余すことなく撮影していた。

 いや、動画でとっていたかもしれない。


「だったら、私が、教えてあげる」


「……え?」


「だから……」


 忘れないでね、私のことを。


 このキスのことを忘れないでではない。

 この瞬間を忘れないででもない。


 彼女は確かにそう言った。


 私のことを忘れないでと。


 忘れるもんか。


 この柔らかい唇の感触も。

 心地よく顔にかかる穏やかな息遣いも。

 蜂蜜のように甘いその唾液も。

 僕の手を強く握りしめる、君の両手の力強さも。


 全部全部。


 忘れたりなんかするもんか。

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