最終話 付き合いましょう、って、言ったの

「鈴木悠一!! 桂徳中学校出身!! 中学校ではテニス部所属でした!! 趣味はゲーム!! 高校での目標は――もうです!!」


 一字一句、僕はその言葉を間違えずに言ってみせた。


 別にそういう特殊な能力が備わっている訳じゃない。

 執念深いのは確かだけれども、記憶力がいいのとまたそれは別の話だ。


 その日。

 僕はこのセリフを言うために、結構、練習をしていたのだ。

 三年間、彼女を作らないつもりです、なんて、よく考えなくても、そんな軽々しく言えるものじゃない。


 ウケを狙って、ぽっとこんな台詞が出てくるほど、僕はおちゃらけてはいない。

 なによりも、ウケようとも思っていなかったし、むしろ本気で――女子たちから距離を取ろうと思っていた。

 この宣言は入学前日から――いや、それより前から考えていたのだ。


 だから、忘れる忘れないの話じゃない。

 嫌でも覚えてしまっているんだ。


 そんな僕の姿を見て、ふっと、前田が遠い目をする。


 どうした、と、声をかける。

 すると、はっと我に帰った顔をして、ふるりふるりと、その顔を左右に振った。


「ごめんね、そう、そんな感じだった」


「だろう」


「なに言ってるんだろうな、この人って、その時の私は思ったんだった」


「ひどい。素直な感想にしても、ひどい」


「あははは、ごめんごめん。けどさ、女子にそう思われるつもりで、鈴木くんもこれは言ったんでしょう?」


 ごもっともである。

 しかし、実の彼女の口からそういうわれるのはまたショッキングだ。

 少しくらい、言葉を選んでくれてもよかったのにと、恨めしく思った。


 けれども。

 それよりも彼女が当時の記憶を思い出してくれたことが、うれしい。


 前田の脳の中で、分断された記憶が、また一つ繋がったみたいだった。

 こうやって、少しずつ少しずつ。

 彼女の記憶を引き上げていけばきっといつかは――。


 なんて、そんな甘い話では済まないのだろうけれど。


「そうか。何を言っているんだろう、なんて、思われていたのか」


「うん、思っちゃった。ごめんね、隠しても仕方のないことだからさ」


「……それで?」


 思わず、僕は、彼女に対してそう聞き返していた。


 それでとは?

 そんな視線が僕に返って来た。


 その切り返しはちょっと、考えてもみなかったよとばかりだ。

 彼女の大きく見開かれた眼が、そんな言葉と感情を僕に投げかけてきた。


「そこから、どうして、僕に付き合おうなんて言おうと思ったの」


「……あ、イタタタ。頭が、頭が急に痛く。頭痛が痛い」


「そういう小ボケはいいからさ。もうちょっと、思い出してみようよ」


 僕と、君が、付き合うきっかけになった、大切な感情じゃないか。

 それを忘れちゃったままなんて、悲しい話しだろう。


 というかその様子だ。


 きっともう、思い出しているよね。


 彼女とのいつものやり取りを思い出す。

 僕と前田は、真剣な話をするときに、いつだって、真正面から向き合って、お互いの視線を逸らさずに会話していた。


 病気から回復しても、そのやり取りは変わらない。

 それは自然に、僕が教えるまでもなく、そうするようになっていた。


 だから、彼女は僕の表情から逃げられない。

 期待することから逃げることができない。


 参ったな、という感じに彼女もまたため息を吐き出す。

 けれども、視線だけは、真っすぐに僕の顔を見ていた。

 真剣に僕を見てくれていた。


「そのあと、鈴木くんは、隣の浅田くんと話をしはじめたんだよね」


「うん」


「それでその……小学校時代のこととか、中学校時代のこととか、引くくらいあれこれ詳しく話をしはじめた」


「……引いてたんだ」


「うん。割と、本気で、ドン引きしてましたよ?」


 ショックだ。

 だから、そういう事実を、彼女の口から聞かされるこちらの身にもなってくれよ。

 言葉を選んで、前田さん。


 けど、と、前田が言う。

 彼女はなんだか気の抜けたような笑顔を見せて、こちらを向いていた。

 夕闇が、彼女の短い髪の毛を照らし出している。


 爛々と輝く瞳は、オレンジ色の夕焼けを拾って、より一層美しく煌く。

 ポケットからスマホを取り出して、前田を撮りたかった。

 それくらいに、絵になる顔をして彼女は僕を見てくれていた。


「逆に、思っちゃったの」


「……逆って?」


「誰かのことをここまで純粋に思えるのって、なんだかすごいことなんじゃないか」


 ってね。

 そう言って、彼女は口元を隠すと、くすくす、と、からかうように笑う。


 凄いことなのだろうか。

 僕には、ただ、女々しいだけの、馬鹿な男にしか思えない。


 けれども彼女がそれを凄いと思ったのならば。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけれども。


 そんな女々しい自分を、僕は誇らしく思えた。


「けど、前に説明してくれた時には、しつこそう、って、言ったよね」


「言った。それも同時に思った事だから」


「良い方を聞かせてよ。結構、あれも傷ついたんだよ」


「ごめんごめん……。そうだね、そう言えばきっと、よかったのかもしれないね」


「そうだよ」


「むぅ。なんだか上げ足を取られましたか?」


 ぷくり、と、前田が頬を膨らませた。


 上げ足をこれまでずっと取られ続けて来たんだ。

 今日くらい、別に僕が取ったっていいじゃないか。


 それにまだを僕は彼女から聞いていない。


「で?」


 僕は少し意地悪に、笑って前田に向かって微笑んだ。

 上げ足を取った気に乗じて、言って貰おう。


「君はそれで僕に、いったいなんて言ったんだっけ?」


 かぁ、と、夕焼けの中にも分かるくらいに、前田の顔が赤くなるのが見えた。

 本当に言うのか、と、尋ねるように彼女が目をしばたたかせる。


 当然、と、僕は無言で頷いて返した。


 僕はやったんだ。

 彼女もやらないと。

 それは当然フェアじゃないよね。


 それでなくても、あんなこっぱずかしい台詞を言ったんだから。


「……あぁ、えっと。咄嗟の事だったから、よく覚えてないや」


「覚えてないの?」


「うん、まだ、記憶の混乱が」


「そう、だったら、僕が教えてあげるから。続けて言ってみてよ」


「……えぇっ!?」


 そんな殺生な。

 残酷なことを言わないでちょうだいよ。

 というか、本当に勘弁して。


 そんな目で、こちらを見てくる前田が、おかしくって噴き出してしまった。


 大笑いだ。

 腹の奥から出てくる息が、まったくもって止まる気がしない。


「そんなに笑うことないじゃない!!」


「だって、君が困る顔を見るのなんて、随分久しぶりだからさ」


「……意地悪。私の彼氏は、こんなに意地悪だったのか」


「自業自得という奴だよ。恨むなら、そうだね、女々しい僕を彼氏に選んだ、あの日の君を恨んでくれよ」


「……恨むわ、あの日の私。なにもこんなの捕まえなくてもよかったじゃない」


「おい!!」


 そうやって、話をうやむやにしようとしているだろう。

 釘を刺すように、僕は彼女に微笑みかけた。


 どうやら、観念したみたいだ。

 短くなった後ろ髪を、前田はぽりぽりとかきむしる。


「……本当は、憶えてる。というか、さっきのを聞いて思い出したの」


「なんだよ、勿体つけるなよ」


「つけるよ。恥ずかしいんだから」


 僕はつけずに、恥ずかしいことを言ったよ。


 さぁ、次は君の番だ。


 あの時は、完全に不意打ちだった。


 入学式の朝。

 ホームルーム。

 自己紹介での彼女の言葉を――僕は、夕闇に暮れる教室の中で待った。


 彼女のさくら色をした唇が、それを奏でるのを待った。


 阪急電車の高架の上を、ごとりごとりと電車が走っていく音がする。

 ぱぁう、と、夕闇に警笛が響いたのに合わせて――。


「前田恵理。私立、立命館中学校から来ました。趣味は読書で、ここの卒業生の綾辻行人先生の作品が好きです。それと、高校三年間での目標は――」


 少し、溜めて。

 一度目を閉じて。

 それからまた、僕の顔をはっきりと見て――。


「素敵な彼氏を作ることです!!」


 絶叫に近い声色で、前田は僕に言った。


 はたして、僕は君の素敵な彼氏になれたのだろうかね。

 それは、これからも付き合っていかないと、分からないことなのかもしれない。


 けど。


「鈴木くん!! 付き合いましょう!!」


 そう言って僕の前に立つ前田。

 そんな彼女に応えるように、僕はその小さな体を抱き寄せると、少しだけ屈んだ。


 いいよ、と、答える必要はない。

 正しいキスの仕方をもう、僕達は知っている仲なんだから。


【了】

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前田の季節 kattern @kattern

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