第3話 壁に耳あり、斜め前の席に前田

「浅田くんとの話、席が近くだから聞こえていたの。小中と、女の子に告白してはことごとく玉砕して来たんだよね?」


「聞こえてたの!?」


「そう言ってるじゃん」


 また聞いてない、と、前田が今度は手の甲で口を隠した。


 くすくす、と、前田はおかしそうに首をかがめて笑う。

 そのうちにお腹を抱えて笑いだしてしまいそう――そんな勢いだ。


 一応、浅田との話の際には、周りに聞こえないようにと声量を絞っていた。

 ――そのつもりだったのだが。


 そうか、聞こえていたのか。


 畜生、恥ずかしい。


 何が恥ずかしいって、女子にこの秘密を知られてしまったことが恥ずかしい。

 僕がそんなトラウマを持っていると、知られてしまったことが恥ずかしい。


「なんだよ、そんなに笑うことはないだろう!!」


 ちょっと強めの口調で言うと、ぴたりと、前田が笑うのを止めた。

 そして――それまでの強気な態度とは打って変わり、どこか不安げな視線で彼女は僕の表情を窺ってきたのだ。


 なんだろう。

 このころころと変わる前田の表情は。


 そして、まずいことをしたんじゃないかなぁと、押し寄せてくる罪悪感は。


 ここは怒ってもいいところだよね。

 普通に考えて、怒ってもなにも問題のない場面だよね。


 それまで僕に向かって真っすぐに視線を向けて話しかけて来ていた前田。

 そんな彼女が、初めて僕の顔から視線を逸らした。


 なんだかその事実が地味にショックであった。

 そして、寂し気な顔が輪をかけてダメージを与えてくれた。


 フられるより、これはダメージのある表情ですよ。


「ごめん、そんなに気にしてた?」


「……まぁ、それなりに」


「大丈夫。言いふらしたりはしないから。浅田くんは知らないけど」


「いいんだ。言いふらされたって。その方が、女子の方から寄って来なくなって、僕も勘違いしなくて済む」


「……やっぱり、鈴木くんって変だよね」


 だからそんな変だ変だと言わなくってもいいじゃないか。

 僕はこれでも至極まっとう、自分に対して正直に、そして誠実に生きているつもりなのだから。


「えっと、前田恵理さん、だっけ」


「前田でも、恵理さんでもいいよ」


「いや、下の名前はちょっと」


「これからお付き合いするんだから、そんな遠慮なんてしなくていいのよ。鈴木くんが、呼びたいように私のことを呼んでくれれば、私はそれを受け入れるわ」


「……待って待って待って。どうして付き合う前提で話が進んでるんだい?」


「付き合わないの?」


 付き合わないだろう。

 普通に考えて。


 またころりと前田の表情が変わる。

 今度は困惑だ。


 どうしてそんなことを言うのだろう。わからないわ。

 と、言いたげな感じの顔だ。


 よほど自分の顔に自信があるということだろうか。

 あるいは僕の惚れっぽさを信頼しているということだろうか。


 それとも、自分のスタイルに――いやそれはないだろ。


 とにかく僕はきっぱりと、彼女に向かってNOを突きつけた。


 よく知らない女の子に告白され、すぐOKと言えるほど尻の軽い男じゃない。

 それに、恋愛というのは、その過程を楽しむものだろう。


「よく知りもしない相手と、いきなり付き合うなんて考えられない」


「いきなりまともなことを言うね」


「だから!! 僕が常時変なことを口走っているような、そんな風ないい方は幾らなんでも失礼じゃないかなぁ!?」


「ごめんごめんって、落ち着いて……」


 そっか、と、前田。

 どうやら彼女は彼女なりに、僕の主張を納得してくれたらしかった。


 よかった。


 なんの脈絡もなく、僕と付き合おうなんて言いだす変な娘だ。

 こちらの言い分が通じるのか、ちょっと不安だったのだ。


 けれど、どうやら、彼女は分かってくれたらしい。


 それじゃあ僕は帰るから、と、鞄を肩に担いで逃げるように彼女へ背中を向けた。


 だが。


 空いていた左手を、前田に僕は引っ張られた。

 そして、またしても彼女に僕は引き留められた。


「分かった、よく知らないっていうのなら、なんでも答えてあげる」


「……はぁ?」


「誕生日? 趣味? 好きな漫画? なんだっていいよ? 鈴木くんが、私を好きになるのに必要な情報なら、なんでも聞いて?」


 私、なんだって答えてみせるから。

 前田はまた力強い表情に戻っていた。


 そして自信満々という表情で僕に言った。


 この――正直に言って中学生の域を出ていない――ちびっこ娘さんは、いったいどこからそんな勇気を絞り出して来ているのだろう。

 なんというか、それが本当に不思議で仕方がない。


 彼女が見せるその得体の知れない必死さ。

 それは僕にとって、彼女に興味を持たせる、ちょっとしたきっかけにはなった。


 ここまで情熱的に僕のことを彼氏にしたいと言ってくれる彼女なら。


 あるいはもしかして――。


「……じゃぁ、教えてくれる?」


「なになに、なんでも聞いて!!」


「どうして僕と付き合おうって思ったの」


 その答えがもし、僕の納得のいくものであるならば。

 彼氏彼女という関係はさておいて、彼女と交友を持つことはやぶさかではない。


 素直に僕はそう思った。


 前田恵里の顔を真っすぐに見る。

 これまでの意趣返しのようにだ。


 真剣に、誠実に、そして情熱的に、僕はその答えを求めた。


 けど――。


「……か、顔かな?」


 嘘つけ。


 あきらか、動揺して視線を横に逸らした前田。


 もうわざわざと聞き返すまでもない。

 それは分かりやすい嘘。


 僕はとても死にたい気分になった。


 なんでも答えてくれるんじゃなかったのか。


 これだから女子は何を考えているのか分からなくって怖いんだ。

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