第4話 足擦り合うもペアシートの中

 ネットカフェに入るのは実は初めてのことだった。


 いや、流石にその存在は知っている。

 桂駅の前と、西五条通りにそれがあり、漫画などが読める、インターネットがし放題、ドリンク飲み放題で、ビリヤードやダーツもできるということは把握していた。


 しかし、別にわざわざ行きたいとも思わない。


 そもそも論として、漫画が読みたいなら、古本屋に行けばよい。

 ジュースが飲みたいなら、マツモトやフレスコなんかのスーパーマーケットで買った方が安い。


 ダーツとビリヤードについてはどうしようもないが。

 そもそも、僕にはそういう趣味はない。


 なのでこうして前田に連れて来て貰わなければ、ネットカフェは僕にとって、一生縁のない場所だったかもしれない。


 四条大宮の交差点の北西側。


 ガラス製の柵が太陽光を反射している、古都を感じさせない近代的な建物。

 その4Fと5Fにそれはあった。


 前田の案内によりエレベータで受付がある5Fへと上がる。

 出てすぐ左手にネットカフェの入り口はあった。


 扉を引いて中に入れば、左手側がカウンター。

 右手側はどうしたことか、PCも何も置かれていない剥き出しの席があった。

 ネットカフェとはという気分になる。


 外から見ると、ガラス張りの建物で随分と明るそうなのだが。

 入ってみると妙に薄暗く、どこかひんやりとした静かな空間だった。


 ちょっと図書館に似ているかもしれない。


 来店音を察知してだろうか。

 呼んでも居ないのに、カウンターの奥からお姉さんが、するりと出て来た。


 茶色いウェーブがかった髪をした彼女。

 僕達とそう歳が変わらないように見える。


 もしかすると高校生、あるいは、大学生かもしれない。


 怖いおじさんでも出て来たらどうしようか。

 別にどうもしないのだけれど、なにせ初めて来る場所である。


 優しそうな――そして気心の知れそうな――店員さんに少し気分が楽になった。


 と、うかうかともしていられない。


 今日はデートなのだ。

 僕が前田をしっかりとエスコートしなくては。


 さっそく、待ち合わせに遅刻するという失態を犯してしまった後である。

 早急に挽回しなくては。


 そんな心地で、僕は前田に先んじてカウンターのお姉さんに話かけた。


「あの、すみません、ここ来るの初めてなんですけれども」


「学生さんですか?」


「あ、はい」


「当店は会員制となっておりまして、会員カードを作ってもらわなくてはいけないんですよ。本日は、身分証明書などはお持ちですか?」


 身分証明書。

 それであぁ、と、僕は妙な納得を覚えた。


 昨日の夜、LINEで前田から、「明日はちゃんと学生証を持ってくるように」と、念押しをされた。その時は、学校に行かないのになんのこっちゃと思ったのだ。


 けれどもなるほど。

 ここの会員証を作るのに必要だったのか。


 すぐさま、財布の中から学生証を取り出して、店員さんに提示する。

 お預かりします、と言って彼女はそれを受け取ると、入れ替わりに、カウンターの中から書類の挟まったバインダーを僕の前に差し出した。


「ここに生年月日とご住所、あと、電話番号などをご記入ください」


「あ、はい。それと、こっちの――」


 前田の会員証も作っていただけないだろうか。

 そう話題を振ろうとして、僕は後ろを向いた。


 しかし。


「あ、私はもう持ってるから平気」


 彼女はオレンジ色をした会員カードを手にして、にっこりと僕に微笑んだ。


 なるほど。

 割引券はそれで持っていたのか。


 よく使うんだ。へぇ、そりゃ意外ってもんだ。

 前田って、もしかしてオタク趣味でもあるんだろうか。


「学生証、コピー取らせていただきますね」


 あっけにとられている僕の背中で、店員さんが言う。


 あっはい、とすぐに返事をする。


 ネットカフェを知らぬは僕ばかりか。

 なんだ形容し難い寂しさを感じながら、僕はいそいそと必要事項を記載した。


「……というか、前田って、よく、ここ使ってたんだ」


「うん。家からほど近くて、自習するにはいい場所だから」


「自習」


「家だと集中できないじゃない。ほら、誘惑が多くって」


 そうなのかな、どうなのかな。

 少なくとも、僕はこっちの方が誘惑が多いきがするけど。


 あっ、ジャンプの今週号が置いてある。

 今週はなんやかんやしてて、結局読めてなかったんだよなぁ。


 マガジンやサンデーも。

 しかもバックナンバーが充実しているじゃないか。


 ツレチルの続き、気になってたんだよな。ちょっと読んで行こうかな。


「鈴木くん?」


「えっ、なに?」


「手、止まってるよ?」


「……あ、はい」


「もしかしてまたよそ事考えてたりしたでしょう」


 ばれてしまいましたか。

 はい、すみません、その通りでございます。


 僕は黙ってペンを再び走らせ始めた。


 そうだ、僕は今日、徒然チルドレンを読みに来たわけじゃないんだ。

 彼女とデートをしに来たんだ。


 しっかりしろ、鈴木悠一。


「……あとで、今週のマガジンとサンデーを読んでもよろしいでしょうか?」


「ダメです」


「……はい」


 すんごいいい笑顔で断られたよ。

 怖いね前田氏。そうだよね、デートなんだから、仕方ないよね。


 漫画は我慢するとしよう。


 そして、せっかく会員になったのだから、GW中にまたお邪魔することにしよう。

 そうしよう。


 さらりと、住所を書き上げて、ボクは店員さんにそれを渡す。

 それと入れ替わりに、学生証と一緒にオレンジのカードが僕に返された。


 前田が持っていた会員証だ。


 その裏に、自分の名前を書き、また店員さんに返す。

 最後に発行日を記載して貰うと、ようやく会員登録は完了したのだった。


 さて。


「ブースですけど、どこにされますか?」


「ブース?」


「フラットとか、リクライニングとか、いろいろな種類があるの。けど、今日は……ペアシートでお願いします」


 ここで突然、前田が出しゃばって、僕の前に出てくる。


 ペアシートってなんだ。

 その答えに僕が自力でたどりつく間もなく、はい分かりましたと、店員さんがなにやらカウンターの中でPCを操作する。


 少し、にやにやとしていたのが、ちょっと気になった。

 何がそんなに面白いのか、よく分からない。


「23・24番ペアシートをお取りしました。では、どうぞごゆっくり」


 そう言うと、店員のお姉さんは僕に――その部屋の番号が記載された感熱紙を挟んだ――伝票を、ひょいと差しだした。


 また、くすくすと何故だか笑いを押し殺しながら。


 とりあえず背後に人の影がある。

 立ち往生していても邪魔になるだけだ。


 素早くカウンターの前をどくと、僕は前田と一緒に歩き始めた。


「僕、何か笑われるようなこと、したのかな?」


「んー、なんていうか、微笑ましいってだけなんじゃないかな」


「微笑ましい?」


「学生がデートでペアシートを使う。青春してるなって、感じなんでしょ」


 そこの所が、よく分からない。

 どうしてペアシートを使うと青春しているな、ということになるのか。


 行って見ればそれは分かるのだろうか。


 店内に貼られている案内板に従って、23・24番のスペースを探す。

 外の張り紙には、四階が女性専用ブースと書いてあった気がしたのだが。

 なぜかそこは、カウンターの裏にある階段を下りた先、四階の階段から少しだけ歩いた場所にあった。


 うん。

 あきらかに、ほかの部屋と違って、大きいぞこのブース。


 ペアシート。

 その意味が、ちょっと分かった気がした。


 同時に少し嫌な予感がした。


 つつ、と、背中を冷たい汗が走る。

 前田が後ろに居るのにも関わらず身もだえしてしまいそうだった。


 厚く、透明なプラ板製の扉。

 黒い布が申し訳程度にかぶせてあるそこを、そっと押して中へと入ってみる。


 その中をみて――僕は素直に驚愕した。


 黒い革張りのマットが敷き詰められたそこ。


 これがだというのか。


 てっきり、二人で遊べるように、二つ椅子が置いてある。

 とか、そういうのを想像していたけれど――。


 これはちょっと、


 動画サイトのサンプルで見たことがあるような、そんな黒マット。

 突然現れたそれを前にして、唖然として立ち止まった僕。


 なのに、そんな僕の脇を通り抜けると、さっさと前田はそこ黒いブーツを脱いで、白いタイツを露わにして座り込んでしまった。


「何してるの、早く入りなよ」


「え、や、けど」


「遠慮しないのぉ。私たち、付き合ってるんだから」


「……遠慮とか、そういうのじゃない気がする」


 というか、たぶん、座ったらいろんなものが触れちゃうよね。


 脚とか、手とか、腕とか。


 なんていうか、ちょっと。

 健全な高校生が、こんな空間に入っていていいんでしょうか。


 神様、仏様、校長先生様。

 問題とかにならないですかね。


「なに? もしかして、興奮してるの?」


「……まっ、まっさかー!!」


「だよねー!!」


 ごめんなさい、ちょっと、前かがみになってしまいそうです。


 黒マットの床に白い前田のタイツはよく映える。


 そんなものを見せられれば、僕だって男の子だ。

 僕はちょっとだけ、ほんのちょびっとだけ、前かがみになってしまうのであった。


「あ、そうだ」


「な、何かな?」


「ドリンクドリンク。それ取って来るの忘れてた。お願いしてもいいかな?」


 もちろん。

 そしてそのついでに、ちょっとトイレに行って来よう。


 健全な高校生男子にこの空間は、ちょっと刺激が強すぎる。


 というか前田さん。

 こんな所に連れてくるなら、前もってそう言っておいて。


 僕、ネットカフェ初心者なんだから。

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