第5話 忘れんBOY

 もうなんか、疲れて来たぞ。


 何を聞いても、何を話しても、返って来るのは予想外の言葉ばかりなのだ。


 いや。

 そんな会話が楽しくないというと、そういう訳ではないのだけれど。


 前田とこのまま話を続けていても不毛なのではないか。


 彼女が言う通り、好きになった理由も分からなければ、彼女について僕は何も知ることができないのではないだろうか。

 そんな気がしてしまった。


 すると途端に、僕は彼女に対しての興味を失った。

 というより、知りたいと思う熱みたいなものがすっかりと胸から消え失せたのだ。


 とりあえず、彼女の口からそれを聞いてみよう。

 そう思ったのだ。


 おずおずと、前田はそれを口にするのをためらっているようだった。


 クラスメイト達の前ではっきりと、付き合おうと言い放った勇気ある少女。

 そんな彼女の面影は微塵もそこにない。


 引っ込み思案の少女が、勇気を出して何かを口にしようとしている。


 どうしてそっちの方が彼女には似合っているように見えた。


 お人形みたいな容姿のせいだろうか。

 それとも、その小さい背のせいだろうか。


 クラスメイトたちの前で、とてつもない勇気でもって付き合おうといった前田。

 そして、僕だけを前にして、もじもじと、その理由を述べられずに黙る前田。


 はたしてどちらが本当の彼女なのか。


 いや、そもそも、本当なんてあるんだろうか。


「……あのね」


「うん」


「私が鈴木くんと、付き合いたいなって思った理由は――」


 前田の顔が紅潮する。

 そして爛々と輝く瞳が僕を捉える。


 告白におあつらえ向きの夕焼けが窓から差し込む――にはまだ早い時間。

 そして、周りにはまだ数人のクラスメイトたちの姿。


 告白シーンとしては最悪のコンディションだろう。

 けど、僕の視線は前田に釘付けだった。


 この瞬間だけは、確かに僕は前田に恋心を抱いていた。

 惚れやすい男で本当に申し訳ないのだけれど――事実、そうだったのだ。


 だが。


「忘れ物ぉ~♪ 忘れ物ぉ~♪ 大事なPSVita~♪ って、おぉっ!?」


 突如、教室に入って来た、僕の隣の席に座る軽薄な男。

 彼によって、前田の口は開いたまま、凍えたように固まってしまった。


 そして、僕の視線もまた、その軽薄な男に釘付けになってしまった。


 なんだよ、そんな僕と前田をガン見することなんてないだろう。


 というかなんだよその変な歌。

 どういうセンスしてんだ。


「なになになになに!? マジで!? 鈴木、お前、本当に前田ちゃんと付き合っちゃう訳!? 恋しないんじゃなかったの!?」


「だぁもう!! 違うよ、これには色々と理由があって――!!」


「照れるなよ、OTOKOだろ!?」


 サムズアップしてウィンクする軽薄男――浅田。

 軽薄だけれども、きっと根はいい奴なんだろうな。


 全力で、僕と前田のことを祝福している。

 そんな感じのサムズアップ&スマイルであった。


 今すぐ、その親指を握りしめて、関節と逆方向に曲げてやろうか。


 祝福されているにも関わらず、ふつふつと僕の中に沸いてくる苛立ちの感情。


 それがどこから来るのかは考えるまでもない。


 前田から聞きたかった、

 それをこの馬鹿のせいで聞き損ねたからだ。


 せっかく勇気を出してそれを言ってくれそうになっていた前田だったのに。

 なんで要らないところで入って来るんだ、この男は。


「とにかく、そんなんじゃないから」


「んだよ違うの? 遠目に見て、もうなんか、付き合う感じの姿に見えたよ?」


「今すぐ眼科に行けよ」


「ふっ、視力2.0の俺に、眼科は不要の存在」


「おう。網膜剥離するくらいにしこたま殴られて、お世話にならせてやろうか」


 座っている時には気づかなかったが、浅田は結構身長が小さい。

 僕より頭一個分差がある感じだ。


 たぶん150cm台。

 高校生男子にしては小柄な部類だ。


 これだけ体格差があれば喧嘩すりゃまず勝てる。


 ぼきりぼきりと拳を鳴らしてやる。

 すると、浅田の顔が青白く染まった。


 軽薄男で、素行もそんなによくなさそう。

 だが、あまり腕っぷしの方には自信がないみたいだ。


 ちょっと待てよと、浅田は両手を挙げて僕に待ったをかけた。


 まぁ、もちろん冗談だ。

 入学初日からもめごとを起こすつもりもない。


 というかそもそもそ、僕はそういうキャラじゃない。


 それでも、話を邪魔されて腹は立っている。

 さっさと帰れよという威圧を瞳に込めて僕は浅田に迫った。


「ダメだよ!!」


 そんな僕を――後ろから前田が止める。

 柔らかく、そして細いその腕が、僕の胸にやんわりと絡みついた。


 女の子にこんな風に体に触れられることなんて、今まであっただろうか。

 いや――ない。


「喧嘩はダメだよ、鈴木くん」


「……え、いや、けど」


「なんか、盛り上がってるところ邪魔して悪かったな。それじゃ、俺はブツを回収したからこれで――さいなら!!」


「あ、ちょっと!!」


 そそくさと、教室から逃げ出す浅田。

 彼はまるで風のように机の間を抜けると、そのまま僕たちの視界から消えた。


 代わりに、残っていたクラスメイト達の視線がこちらに向かう。


 さきほどまでは、ちょっと雑談をしている程度の認識だったのだろう。

 だが、どこぞのバカが騒いだおかげだ。


 それは明らかに、「」に変わっていた。


 女子たちが、期待を込めた視線でこちらを見ていた。

 こちらが告白した時には、残酷な仕打ちをしてきたのに。

 勝手なものだ。


 男子が、男らしくないぞという顔でこちらを見ていた。

 僕が迫害された時には、むっつりだから駄目なんだと見放してきたのに。

 これまた勝手なものだ。


 みんな、みんな、勝手な奴ばっかりだ。

 あぁ、もう。


「ねぇ、鈴木くん」


「……なんだよぉ」


「そのうち、好きになった理由は絶対に話すよ。話すから」


 恋人になってよ。


 背中の彼女はクラスメイトの中でも、とびっきりに理不尽な勝手を言ってきた。


 好きになった理由をいま告げられないのに彼氏になれだって。

 冗談みたいなことを言うなよ。


 けど。


「……いいよ。僕の負けだ」


 敗北宣言と共に、僕は前田の手をほどくと、彼女の方を振り返った。


 あっけにとられた顔をして、彼女は僕を見ている。

 まるで、僕の言葉が信じられない、そんな顔だ。


 なんでそんな顔するんだよ。

 君が付き合えっていったんだろう。

 まったく。


 自分の彼女まで勝手だなんて、もう本当に嫌になる。


「もっと喜んでくれてもいいんじゃないかな」


「えっ、あっ、ごめん」


「謝るとこじゃないでしょ」


「ほんと、ごめん。私も、彼氏できるのはじめてで、リアクション、困って」


 なんだよそれ。


 なんなんだよそれ。


 こんだけ積極的にアプローチしておいて、それってちょっと反則すぎない。


 相変わらず真っ赤な顔をして、後ろ髪をくりくりと指で巻く前田。

 そんな仕草を見せつけられた僕は、もう、どういう反応をしていいかわからず、「うがぁー!!」と、雄叫びをあげてしまった。


 なにこれ、前田。


 なんだよ、前田。


 付き合おうって言ってきたのはそっちの癖に。


 そんな仕草見せられたら、一瞬で好きになっちゃうだろ、前田。


「前田!! 言っとくけどな!! ムッツリ鈴木の異名は伊達じゃないぞ!! しつこいからな!! けっこう独占欲とか強いからな!! あと、普通にその、あれだからな――スケベだからな!!」


「が、合点承知!!」


「付き合ってから、こんな重い奴だなんて……とか、ナシにしてね!!」


「大丈夫!! それも含めて――私は鈴木くんがいいって思ったから!!」


 よくわからんけど、これが恋愛なのか。


 告白の正しいやり取りなのか。


 恋人のステップアップの一段目なのか。


 分からないけれど、とりあえず――前田と付き合うことになりました。


 僕の、高校での目標は、たった一日、ほんの一日で、見事に破壊されてしまった。


 この前田恵理という、よくわからん可愛い生物のせいで。


 ぱちりぱちりと、まばらな拍手がクラスメイトの間から起こる。


 それはあれよあれよと大音声の拍手へと変わる。

 そんな祝福モードに入ったクラスメイト達に向かって、「みせもんじゃねーから」、と、僕は叫んだ。

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