第2話 彼氏が先か、彼女が先か

 文化祭が明々後日しあさってと迫った日曜日。

 僕は、最後の打ち合わせを前田とするべく、彼女の家へと訪れていた。


 そしてそれは同時に、ということでもあった。


 五条通上がる。

 烏丸通と堀川通のちょうど真ん中。


 そこにある六階建ての新築分譲マンション。

 パレシオン602号室が、彼女の住居だ。


 こんな所から、毎朝、自転車で通学しているのかと思うとちょっと驚いた。

 本人は大した距離じゃないよと言っていたが、たいしたことあるだろう。


 そして――。


「普通にお金持ちなんだなぁ」


 京都で、五条より上の地域に住んでいるというのは、一種のステータスだ。

 新築分譲のマンションでも、なかなか住むのは難しい。


 もともと京都に住んでいる人間か、あるいは、京都住みの箔をつけたい金持ちか。


 前田の家がそのどちらかであるかはよく知らない。

 けど、立命館小学校・中学校に通っていたことを考えれば、たぶん、お金持ちということだけは間違いないだろう。


 純粋に羨ましい。


 一応、うちも京都に住んでいることになっている。

 だが、桂は京都市であって京都でない。


 京都に出稼ぎにやってきた、労働市民たちのベッドタウン。

 そういう認識が京都では一般的だ。


 向日市や、長岡京市なども、そんな感じだろう。

 実際のところ、学校の前を走っている阪急電車は、長岡京から桂にかけて住んでいる労働者たちを、毎朝大量に京都市内に運んでいるのだ。


 そして、僕もいずれはそんな労働者の一人になる。


 大学には――流石に行くだろう。

 だが、きっと市内のしがない企業に就職することになる。

 そして、そんな京都の労働の歯車に組み込まれることになるのだ。


「なに難しい顔してるの、鈴木くん」


「あ、いや」


「ごめんね、待たせちゃって。今、入り口のロック解除したから」


 分譲マンションのエントランス。

 備え付けのインターフォンから前田の部屋にコールを入れていた僕。


 ちょうどそこから前田の声が返ってきた。


 彼女から返事がくるまでの間、京都の闇についてつい考えてしまった。

 きっとまた、後で、彼女にいろいろと言われるのだろう。


 しかし――。


「彼氏の家より先に、彼女の家に行くって、それはどうなんだろう」


 どっちがこういうのって先なのが普通なんだろう。

 やっぱり、彼氏の家に遊びに行くというのが、一般的なんじゃないのかな。


 なんてことを、少ないラブコメの知識からは感じてしまう。


 というか女の子の部屋って、こんな気軽に入っていいものなのだろうか。

 もっとこう神聖なもののように思っていたんだが。


「また悩んでる?」


「……あ、うん」


「いいから早く来てよ。そこ、一分以上放置してると、自動で閉まるんだから」


 せかされるように、僕はエントランスから高級マンションの中へと入った。

 

 大理石が敷き詰められたそこは、少し広々とした空間になっている。

 居住区は当然ない。


 ただ、トランクルームや喫煙ルームだろうか。

 エレベーターのほかにいくつか部屋があるのが見かけられた。


 僕は入ってすぐの所にあるエレベーターへと近づく。

 上昇ボタンを押下すると、ちょうど、一階に停まっていたそれの扉が開く。


 今までで乗った、どんなエレベーターよりも高級な内装をしたそれ。

 赤い絨毯が敷かれたその感触をスニーカーで楽しみながら六階のボタンを押す。


 昇り方もまったくスムーズなもの。

 少しも重力を感じずに僕は六階へと辿りついた。


 エレベーターの扉が開き、左右を見渡す。


 すぐに、「こっちこっち」と、声がする。

 扉から顔を出して、僕を手招いている前田の姿はすぐに見つかった。


 鮮やかな青色をしたワンピース。


 膝くらいまであるそれは少し薄地。

 うっすらとだが、彼女の身体のラインが浮き出ている。


 なんだろう。

 ちょっとだけエッチだ。


 すぐに小走りでそこへと駆け寄る。

 なんだかこの廊下に立っているだけで、場違いな気がしたからだ。


「……悪いね。せっかくの休日だってのに」


「大丈夫だよ。というか、実行委員だから仕方ないじゃん」


「そして、良かったの? お家の人とか怒らないの?」


「大丈夫。今日はお父さんもお母さんも、出かけていて居ないから」


 なんだって!?

 それっていったい、どういう意味だい!?


 漫画や小説、ドラマなんかではその台詞の意味するところはつまり――。


 


 そういうことだと僕は思っているんだけど。


 どうしよう。

 そりゃ、僕達は恋人同士だ。

 けれどもまだ、キスも、ハグもしていない、そんな間柄だ。


 だというのに。

 いきなりそんなことをして大丈夫なんだろうか。

 いや、大丈夫とは思えない。

 絶対にいけない。


 というかNGだ。


 なにより、何も僕は準備してきていない。

 財布の中には野口しかいないぞ。


「しまった。彼女の家に来るというのに、いささか準備が疎かだった」


「うわ、またなんか気持ち悪いこと想像してる?」


「気持ち悪いって――誘ったのは前田の方じゃないか!!」


「いやいや、今回の件は、そもそも鈴木くんが原因でしょ?」


「僕が原因!?」


「弟と部屋をシェアしてるから、相談するには向かない――って、言ったじゃん」


 確かに言った。

 どこで最後の打ち合わせをするという話をして、僕のウチは無理だよと僕は言った。


 けれど、それは社交辞令という奴だ。

 別にどうしてもというなら、我が家に来てくれたって構わなかった。

 弟だって、野口を握らせて遊びに行かせることだってできたんだ。


 なのに前田があっけなく。

 じゃぁ、彼女のウチでやろうか、なんて言うから。


「だからこうして、私の家にお招きした訳でしょう?」


「そうだけれど」


「けれど?」


「……普通にサイゼやマクドで打ち合わせとか、それでもよかったじゃないか」


「まぁ、そうだね」


「けど君が、それなら家でって言うから!! 言ったから!!」


「人の家の玄関でさめざめ泣かないでくれるかな。ちょっと迷惑」


 めそめそと泣く僕の肩を前田が叩く。


「ほら、気にしなくていいから、早く入って。」


 そう言うと、前田は僕を家へと引き込むと、その扉にロックをかけた。


「まぁ、どっちの家に行ったとしても、こういう空気になるかなとは思ったよ」


「前田さん!?」


「心配しなくても、文化祭前に不健全なことする余力なんてないでしょ」


 それに、そんなことより、よっぽど先にやることがあるし。

 そう言うと前田は、少し儚げに僕に微笑んだ。

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