第5話 同じ空を見ている
前田から、電話がかかって来たのはそれきりだった。
そして、彼女について、かかりわずらっていられるのも、その日が最後だった。
二十九日、三十日、大晦日。
日を追うごとに、洛西郵便局の空気がぴりぴりとしてくる。
外回りに出ていて、気楽に仕事をしている僕でも、正月の年賀状ラッシュに向けて、空気が引き締まって来るのを感じずにはいられなかった。
そして、満を持しての元旦。
僕は朝七時にバスで洛西郵便局に到着すると、与えられたロッカーでそそくさと制服へと着替えた。
僕と同じようないきさつで雇われた同年代のアルバイトの子達。
通う学校も、興味の方向も違う彼らと、しょうもない話をしつつ、年賀状の配達開始時刻をしばらく待った。
「それではこれより年賀状の配達業務を始めます。皆さん、よろしくお願いします」
「お願いします!!」
洛西郵便局の局長が年始の挨拶をすると、業務が開始される。
今までで一番重たい郵便籠を自転車に乗せて、僕はそこから出発した。
重量がいつもの倍。
いや、三倍くらいあるんじゃないだろうか。
坂を登るのが正直しんどい。
ともすると、バランスを崩してこけてしまいそうになる。
もうちょっと体を鍛えておくべきだったな。なんて、今さらになって後悔した。
そんな後悔と自転車の車輪を引きずりながら、僕は一軒一軒のポストに、本と同じくらいの厚みがある年賀状の束を投函していく。
いつもは、通り過ぎるだけの坂道だ。
けれども今日ばかりは、時間をかけて登らなければならない。
ようやくいつもの休憩スポット――御陵公園の前にたどり着いたのは、十時過ぎの事だった。ちょっと休憩、と、僕はまたいつものように、自販機でコーンスープを買って、ベンチへと移動する。
ちょうどここで折り返しだ。
休憩は常識の範囲内で適度にとれと言われている。
缶ジュースの一杯飲むくらい、常識的な休憩だろう。
しんとしずまりかえった御陵公園。
元旦の朝から、遊びに来るような人なんていない。
初日の出を見に来るにしても、午前十時は遅すぎる。
また、前田の居る京都の街を眺めながら、僕は白い吐息を吐き出した。
コーンスープの熱で、温まったそれが湿っぽく僕の眼鏡を濡らす。
五分休んだら折り返そう。
時間を確認しようと、スマートフォンをポケットの中から取り出すと、通知欄にメッセージが入っているのに気が付いた。
あけましておめでとう。
なぜか、それは浅田からのメールだった。
しかもCCで、あまり付き合いのない男子生徒に一斉送信。
ほんと、こいつのこういうガサツな所、どうにかならないんだろうか。
というかメールって。
LINEじゃダメなの?
と、考えた所で思い出した。
僕、浅田にメールアドレスは教えたけど、LINEのIDは教えてなかった。
それは一斉送信でやっつけ仕事になるのも仕方ないか。
「しかしね。元旦に来るメールが、どうでもいいクラスメイトから一通のみって」
そりゃどうなのよ、と、ついつい気分が落ち込んだ。
僕、一応、彼女持ちのはずなんだけれどなぁ。
仕方ない。
その彼女は今、逃れられない病気と、真正面に向き合って闘っている最中なのだ。
そんな彼女に期待するのは――。
なんて思った時だ。
ぶるり、と、スマートフォンが震えて、新しい通知が表示された。
LINEだ。
メッセージの文面は――やっぱりこの日は誰もかれも、書く内容は同じらしい。
「あけまして、おめでとう。か」
それと同時に、窓越しに写る京都の街と太陽の写真が送られてきた。
遅い初日の出写真である。
窓にほど近い棚机には――前田がクリスマスに僕へとプレゼントしてくれた物と同じ――写真立てが置かれているのが目に入った。
本当に、もう、買っていたんだな、なんてことに感心してしまう。
どれ。
僕は持っていたコーンスープの缶を足元に置く。
そして、スマートフォンを両手で持った。
少しばかり御料公園から離れて、京都大学桂キャンパスの中へと入ってみた。
人はいないし、少しくらい自転車を離れても大丈夫だろう。
すぐ右手に吹き抜けになっている場所が目に入った。どうも、レストランやら食堂やらが入っている区画らしい。
当然、正月である。休業中。こちらにも人の気配はない。
吹き抜けの廊下を歩いていき、一番景色のいい場所へと僕は移動した。
太陽の光を浴びて、輝いている京都の街。
それをスマートフォンの液晶画面の中へと納めると、僕は画面をタップする。
パシャリ、と、派手な音がして、写真が撮れた。
人が居なくてよかったなと思う。
こんな時間に配達員が何してるんだと、きっと怪しまれていただろう。
「あけましておめでとう。今年もよろしく……っと」
LINEでメッセージを入れる。
そして、先ほどの写真を送り返す。
どこに居るのか分からない前田。
何を想っているのか分からない彼女。
けれども今。
この時。
僕と彼女が同じ空を見上げていたのは――紛れもない事実だった。
グッドと、親指を立てたLINEスタンプが送られてくる。
どうやら僕が送った写真を、彼女は気に入ってくれたみたいだった。
そして、それっきり。
彼女も手術の準備で忙しいのだろう。
返信は特になかった。
僕は急いで自転車を駐輪していた場所に戻ると、地面に置いておいたコーンポタージュスープを拾い上げた。
残っている量も少なかっただろう。
すっかりとそれは冷え切っていた。
少し飲むのは躊躇われたが、もったいない根性たくましい僕である。
中身をえいよと口の中に流し込む。
それから、底を人差し指で小気味よく叩いて、中のコーンを落とした。
それだけやったら、休憩は終わりだ。
「思わず、元気を貰っちまったなぁ。これなら、なんとか頑張れそうだ」
元旦の今日を乗り切れば、あとは消化試合だ。
まさか二日目に、倍の量の手紙が届くなんてことはあるまい。
まだまだ、底が見えない郵便籠の中を覗き込みため息を吐き出す。
買った自販機の横にあるゴミ箱に缶を詰め込む。
僕は、自転車に乗って次の配達場所へとえっちらおっちら漕ぎだしたのだった。
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