一年の夏~001

 暫く麻美を見て、いや、凝視していると、苦笑に変わる麻美。

――確かに少し早いけど、言いたい事があってね

 言いたい事なら俺もある。だから先に口を出した。

「取り敢えず麻美!結婚してくれ!」

 麻美は大きな目をパチクリさせて、唖然とした。

――あの…私所謂幽霊なんだけど…

「解っている!だが聞いてくれ。要するに俺は高校生活で三人の女子と付き合う事になるんだろ?三人の内誰を選ぶかで、運命が決まる訳だ?」

 一年の夏に楠木美咲と付き合えば、俺は電車で轢死。楠木さんとヒロが巻き込まれ死亡。

 一年の冬に春日響子と付き合えば、春日さんに刺殺され死亡。春日さんは後追い自殺。

 二年の春に槙原遥香と付き合えば、やはり春日さんによって刺殺、槙原さんは楠木さんによって刺殺、楠木さんは車に跳ねられて死亡。春日さんは後追い、そして何故か朋美が自殺。

 つまり、こう言う事だ。

「俺が既に誰かのものになってりゃ、誰も死なずに乗り越えられるって寸法だ。ほら、お前屋上から落ちる前まで俺と付き合っていたようなもんだし、俺もお前を好きだし、問題無いだろ?」

 我ながら名案だ。既婚者な俺は三人に心奪われる事も無く、平穏に高校生活を送れ、無事卒業…

――馬鹿じゃないの?

 麻美は俺の名案を一蹴し、ジト目で俺を見た。

――確かに私は隆が大好きだし、付き合っていたって言えば微妙だけど、そうかもだし、プロポーズとか嬉しいっちゃ嬉しいけど、私は成仏しなきゃなんないの!そんな事言われたら未練残って彷徨っちゃうよ!現世に留まり続けたら悪霊化しちゃうよ!!

 彷徨う…

 それは…駄目な事なのか?

「え?じゃお前、今まで何回も何回も俺をやり直しさせて累計百年近く…だっけ?よく悪霊化しなかったな?」

 ひょっとしたら悪霊になっているのかも知れないが、そんな雰囲気は微塵も感じない。

――それは罪を償う為に所謂『苦行』を行っていたから。残念な脳の隆にヒントだけで私だって解るように

 残念とか言うな。

「これでも中学の最初の方は成績は真ん中だったんだぞ」

 ムキになって返すも、更にジト目で返される。

――それは私が教えていたからじゃない

 そうだった。

 中学時代は麻美にかなぁりお世話になったんだっけ。

――そんな訳でプロポーズはお断りさせて戴きます

 三つ指をつき、丁寧にお辞儀をされてつっ返された。

 やっぱり幽霊と結婚とか無理かと頭を掻いて反省した。

――そんな馬鹿な話はどうでもいいから、今度は私の話ね

 馬鹿な話とか言われて軽くムカつくも、俺も正座をしてちゃんと話を聞く姿勢を作る。

――私の禊は終わった。次は隆の番。いや、禊は実は終わっていないのかも知れない。あれから考えたんだけど、無い運命を作ったのは確かに私だけど、その原因は別にある。そしてその原因を知り、どう行動を起こすのかが隆の『苦行』だと思う

 ……解らん…原因も何も、あの糞共が軽い気持ちで他人をいたぶるからだろが。

 行動なら既に起こした。ボクシングを習い、糞共に報復して、その後も追い込みをかけた。

 要するに俺は絶対許す事は無く、これからも似たような糞共をぶち砕く。

「これが『苦行』ってヤツ?別に苦しくも何ともねーけど」

 証拠に、確かに殴り返されたら痛いが、ただそれだけ。特に心も痛まない。

 糞共にとっては、今まで弱い者虐めしてきた自業自得。

 俺が糞共に報復され、結果命を失う事になっても自業自得ってもんだ。

――苦行だとしたら知る事。温情だとしたら知らずに逝く事。真実を知ったら隆、気が狂っちゃうかも知れないから

 嫌だよ。だったら普通に逝かせてくれ。

――だけどもう、答えは直ぐ目の前だから、いずれにしても知らなきゃならないかも

「知ったら狂うなら知りたくねーよ」

 見たら発狂して死に至るクネクネみたいなもんか?

 尤も、クネクネは某巨大掲示板から出て来た創作の都市伝説だが。創作と言ってもモデルはあるらしいけどな。

 いろんな似非霊能者や自称霊感持ちがあーだこーだ言っているが、真実はこんなもんだ。

 つまり真実を知っても、こんなもんかも知れない。

 つか、槙原さんも知ったら正気じゃいられないとか言っていたよーな…

「なぁ麻美、お前は敵も真実も知ってんだろ?勿体ぶらずに教えろよ?」

――だから規制が掛かって言えないんだって。言えたら何回も生をやり直す必要も無い

 そうだった。どこの誰かは知らないが、色々と面倒臭かったんだな。

 つか、そろそろロードワークの時間だ。

 俺は徐に立ち上がり、寝間着代わりに着ているスウェットを脱いだ。

――おー!流石鍛えているだけはあるね。格好良い!!

 感心し、拍手喝采な麻美。

「年頃の女子なんだから、男が脱いだらキャーとか言えよ」

――は?今更何言ってんの?私は累計百年近く隆の傍にずーっと居たんだよ?お風呂だってトイレだって、春日さんに上に乗っかられた事だって、槙原さんに胸を押し付けられて鼻の下伸ばしていた事だって、みんな知っているんだから

 両腕を広げて、こぉんなに、こぉんなに、とアピる麻美だが…

「お前、人の情事見てんじゃねぇよ!!」

 一年の冬に春日さん宅で一服盛られて拘束されて、えーっと…

――情事じゃないよ。ぶっちゃけ強姦じゃない

「だからそんな事言うなよ!!」

 人が折角言葉を濁したってのに…

――あと、隆が毎夜毎夜一人で…

「俺が悪かった!!」

 土下座した。

 思春期だからしょーがねぇんだよ。ブルーレイ画質良過ぎだし。

――そろそろロードワーク行かなくていいの?

「お前に出鼻挫かれたんだよ!!」

 プライバシーも何もあったもんじゃねー。

 やはり麻美を在るべき所へ送らなければならない。

 俺は改めて決意をした。


 ロードワークから帰り、シャワーを浴び、朝飯を食って飛び出すように家から出る。

 あれから麻美は姿を現していない。

 何でも、姿を現し続けるにはかなりの力を使うとか。

 長時間の継続は無理って事だ。

 だけど呼べば出てくるし、必要な時には現れると言ってくれたから心強い。

 つまり飛び出したのはテンションが上がっているからに他ならない。

「ちょっとした同棲気分だぜ」

 つい声に出してしまう程、俺は浮かれていた。

 幽霊とは言え、麻美と一緒。

 罪悪感から安心感へと変わっている心。

 今日からぐっすり眠れそうだ。

「なにはしゃいでんの隆?」

 名前を呼ばれて振り向くと、高校の制服を来た朋美が笑いながら駆け寄ってくる。

「なんだ朋美か」

「むっ、なんだとは失礼だな。不細工のくせに」

 不細工…?

 そうだ。俺は小さな頃から朋美に不細工だ、目つき悪過ぎだ、だからモテないんだと言われてきた。

 だが、麻美も春日さんも槙原さんも、そんな事は言わなかった。

 格好良いから見栄えが良いと言う理由で、楠木さんが告ってきたのだとも聞いた。

 勿論そんなお世辞を鵜呑みにする程自惚れちゃいない。

 だが、言われる程酷くは無いと今は思っている。

 つまり…何て言ったっけ…

 刷り込み?だっけ?

 俺は小さい頃から朋美に『だけ』言われ続けられている、その種のキーワードで、不細工だからモテないと思い込んだんだ。

 麻美に言われるまでは、朋美にずーっと言われ続けられた言葉に…

「どうしたのよ?間抜けヅラでボーっとしてさ?」

 顔を超接近させる朋美。

 近い!おっぱい当たる!!いや、当たる程デカくは無いか。

「間抜けヅラで結構。こんな俺でも相手にしてくれる女子は必ずいる」

「いないよ。馬鹿じゃないの?不細工で頭も弱い隆を相手する女子は、私しかいないよ。他の女子にボランティア精神を期待するな」

 ボランティア精神って。まぁいいや。いずれ解る事だし。

 そして二の鉄を踏まないように、慎重に行動しなければならないな。

 今回で最後…

 全員助ける。そして『敵』を知る。

 これが俺に唯一できる贖罪だから。

 学校に着き、掲示板なんかに目もくれず、真っ直ぐ教室を目指す。

「あれ?隆クラス見ないの?」

「あー。お前はAで俺はEだ」

 何度も繰り返している入学式だ。全ての記憶を継承しているので、解りきった事でもある。

「……本当だ…何で解ったのよ?」

「ロードワーク、学校周辺にしたから、ついでに見たんだよ」

 適当に誤魔化した。どうせ本当の事を話しても信じちゃくれまい。

「そんな早朝から貼り出してんの?まぁいいや。大沢もEか…良かったね隆。唯一の友達と同じクラスになれてさ」

 嫌味かよ。だが俺にはこの先女子と知り合える運命が待っているから気にしない。

 つか、その運命がヤバスなんだが。

「先ずは夏か…ヒロも助けなきゃな…」

「ん?何か言った?」

「早く夏休み来ねーかなぁってさ」

「中間、期末が先で、その結果次第で夏休みを補習に費やす事になるよ」

 そうだったな。つか、問題も解っているんだが、これはカンニングになるのだろうか?

 尤も、問題が解った所で答えは解らんけど。

 残念な頭で良かった。のかも知れない。

 Aを通る。ここで朋美とお別れだ。互いに軽く手を上げて、俺は先に進む。

 Bの前に来た。窓越しで覗くと、ど真ん中の席に俯いて着席している春日さんが居た。

 春日さんがかなぁり可愛いのは、今現在俺しか知らない。ちょっと得した気分だ。

 Cの前に来た。やはり窓越しで覗くと、後ろの席で男共に囲まれながら談笑している楠木さんが居た。

 人気ある子だなぁとは思っていたが、今思うと、客かボディガードを捜して、愛想を振っているのかも知れない。売人なんてやめさせなきゃな。

 どんな目論見があろうとも、仮にも恋人だった事もあったし。

 Dの前に来た。またまた窓越しで覗くと、前の席に槙原さんが何の躊躇も無く鞄を置いている最中だった。

 三人の中で最初に縁を得るのは槙原さんだ。

 明後日だったか?に、上級生に絡まれている所を助けるんだったな。いや、助けるんじゃない、自己満か。

 そして俺は自分の教室のドアを開けた。

 同級生が一斉に俺を見て、あからさまに怯える表情になった。

 なりたい自分になった対価がこれだ。

 これでいいと思うし、後悔はしていないが、今回は『俺』を押さえよう。

 こんな小さな積み重ねで、少しでも運命を変えられたらいいと思う。

 先ずはヒロ待ちだ。

 俺は適当に空いている席に鞄を置いた。

 少し考えて席を移動。最後尾に鞄を置く。

 いつもと違う席でのスタート。少しでも運命を変える努力をしなければならないから。


 今日は槙原さんを上級生から助ける日だ。

 だが、変に気負っても仕方ない。いつも通り、俺らしく振る舞うだけだ。

――んで、策はあるの?

 麻美が浮きながら肩に手をかけ、話かけて来る。普通に肩が重い。幽霊に触られているからか?

「策なんか無いよ。強いて言うなら、ぶち砕くのを控える事かな?」

――へぇ?なんで?

「単純に少しでも抗う為だよ。普段の俺なら絶対にぶち砕くが、その普段を変えれば少しでも何かが変わるんじゃないかな、と」

 無意味かも知れない。無駄かも知れない。

 だが、今までやった事が無い事をやろう。その程度でも何かが変わるかも知れない。

――う~んと、楠木美咲の卵焼きを覚えてる?

 覚えているけど、それが何だ?

――楠木美咲の卵焼きには、稀に中身が入っている場合があって、カニカマだったり、ほうれん草だったりなんだけど、中身が変わっても運命は変わらなかった。って事だよ

 因果律が変わらない限り運命も変わらないってヤツか…

 だったら因果律そのものを変えたらどうだ?

「例えば『助けない』とかはどうだ?」

 これならば、少なくとも槙原さんとの因果は無くなるとは思う。

『助けない』選択を取るのなら、槙原さんと知り合う事も無くなる訳で、縁も無くなる。少なくとも槙原さんを巻き込む事は無い。

 我ながら名案かも。

――う~ん…『助けない』選択は確かに今までした事無かったけど、どうかなぁ…どこかで必ず繋がると思うけど…縁が先延ばしになるだけでさ

 ……俺の残念な頭では色々と整理が追い付かない。

 でも縁が先延ばしって事は、少なくとも運命が変わる可能性も出てくる訳で。

「あ、槙原さんは爆乳でよく痴漢にあったり、絡まられたりしていたって言ったな?つまり『助けない選択』の他にファーストコンタクトでの『爆乳に興味津々』な旨を伝えたら…」

 槙原さんは俺が上級生から助けた時に、胸の事なんか興味も示さずに早く行け、と追い払ったから好きになったと言ってくれた。

 逆に助けずに下心バリバリで接したら?

――う~ん…本当に解らないなぁ…今までは100パーセントの確率で助けていたから。でも、やってみる価値はあるかも知れないね

 初めての試みは、麻美も返答に困っている様子だ。

 取り敢えずやってみよう。

 そう思い、校門を潜った。

 校門を潜って靴箱の入り口で、やはりと言うか、当然と言うか、上級生に囲まれた槙原さんを発見した。

 他の生徒は見て見ぬ振りで、通り過ぎ入っていく。

 しっかし、以前は上級生に苛ついて全く槙原さんを見なかったから解らなかったが、槙原さんは確かに嫌がっている仕草をしているように見えるが、そんなに抵抗しているようには見えない。

 巧みに誘って隙を作っているようにも見える。

――槙原遥香は別に助けて貰わなくても良かった

「うん。報復するつもりだったようだからな。誘っているように見えるのも、より被害者になる為の作戦だな」

 最大限の効果を得る為に、敢えて触られる隙を作っている訳だ。

 最低退学とか言っていたもんなぁ。

――で、どうする?

「取り敢えずスルーして通り過ぎる」

 上手く行けば縁が無かった事になる。

 俺は上級生を避けるように、迂回して校舎に入ろうとした。

 途端、槙原さんが「いい加減やめて!」と言いながら、上級生を突き飛ばした。

 その上級生は俺に向かって大袈裟に倒れ込んだ。

「いてぇ!この女俺を突き飛ばしたあ!!」

 上級生はわざとらしく転がって、被害者ヅラをアピール。

 その転がっている最中、俺を故意か偶然か、何回か蹴り飛ばした。

 流石にイラッとして睨むと、やはり糞共。槙原さんから離れて俺を囲み出した。

「何だ一年?生意気そうなツラしやがって!!」

「文句あんのか?あ?」

 糞共の常套句、テンプレートの台詞をズラズラ並べ出す。

――隆、堪えてよ?

 解っているよ…ムカついてムカついて仕方ないが、解っている…

 俺は下げたくも無い頭を下げ、場から立ち去ろうとした。

「待てよ一年!連れを転ばしておいて、侘びも無しか!?」

 糞が俺の肩に手を掛けた。

 つか、勝手に転んだんだろ。馬鹿じゃね?

――隆!!

 解っている、解っているから。

「ちょっと!彼が転ばせた訳じゃないでしょ!!」

 槙原さんが糞と俺の間に割って入って来た。

「うるせぇよ。お前には後でゆっくり付き合って貰うから、今は引っ込んでろ」

 パシッと槙原さんの頬を叩いた糞……

 これも退学に追い込む為の計算か解らない。

 だが、槙原さんは打たれた頬を押さえて倒れた。


 プチッ


 キレた音と共に、俺の左ストレートは、糞の鼻っ柱に何の躊躇も無く、叩き込まれた。

 鮮血が舞い、糞が受け身も取れずにぶっ倒れると同時に、その糞を踏みつけて、真正面の糞のボディを叩いた。

 ゲロを吐き、蹲る糞。丁度膝の位置に顔が来たので、遠慮無く膝を入れる。

――やっちゃったぁ!!

 視界の端で、麻美が頭を抱えてムンクの叫び状態。

 いや、やっちゃったけどさ、やっぱり無理だ。

 俺はこう言う奴等をぶち砕く為に強くなったんだから。

 その時、右側から拳を振り翳して向かって来る糞が目に入る。

 俺の利き腕は右だ。左よりも破壊力、貫通力が優れてんだよ。

 踏み込んでの右ストレート。

 簡単に飛んだ糞。へなちょこな腰の入っていない、怯えたパンチを打つからだ。

 三人倒して残り四人。その内一人は半歩踏み出せば直ぐに間合いだ。

 と言う訳で、半歩踏み出しての左ストレート。

 簡単に転がった糞。

 つまんねえ。弱い者しか相手にしてないから簡単に倒れやがるんだ。

 転がった四人の糞を放って、残りの三人が叫びながら逃げ出した。

 馬鹿じゃねぇ?逃がさねぇよ。

 と、その時、追う為に踏み出した俺の正面に、槙原さんが両腕を広げて立ち塞がった。

「……なんだよ?退け…」

 凄い目で槙原さんを睨んだ。自分でも吃驚だった。

「これ以上追い込んだら危ないのはこっちだよ。もういいでしょ?」

 対して咎める視線を浴びせる槙原さん。

――おお!縁が変わった!!

 確かに。前は先に追い払ってから糞共をぶち砕いたから、こんな会話もしないし、止めに入って来る事も無かった。

 軽くだが、運命が変わった?

 じゃあもっと嫌われたらどうなる?試しにやってみよう。

「退けよおっぱい姉ちゃん。奴等の代わりに揉まれたく無いならな」

 わざとらしく指をワキワキさせて挑発する。

「…………」

 相変わらず咎める視線を向け続ける槙原さん。こんな視線は未だかつて槙原さんに向けられた事が無い。

 こ、心が痛いな…

「……なんか無理してない?」

「は?」

「今一瞬素に戻ったような……」

 心を痛めた刹那を見逃さないとは、何と言う洞察力だ。やっぱり槙原さんは凄ぇ。

 俺は本気で感心し、今度こそ素に戻って脱力した。

「名前とクラスは?」

「うん?」

「だから名前とクラス教えてよ?」

 この会話も過去には無い。名前とクラスは、あれから槙原さんが勝手に調べるからだ。

「Eの緒方…」

「下の名前は?」

 ぐいぐい接近して来る槙原さん。おっぱい当たるって!!

 軽く引いて名乗った。

「緒方隆」

「ふぅ~ん…緒方隆君…ふぅ~ん」

 引いた分だけ接近し、まじまじと顔を見られた。

「な、なんだよ?」

「私はDの槙原遥香。保健委員。因みにEカップ」

「カップはどうでもいい」

「ならクラスと名前はどうでも良くない、って事だよね?」

 あー、この感じ、懐かしいかも…蘇る良き日々だ。

――隆、おかしな感じになってない?

過去に浸っている俺を現実に引き戻す麻美。

 おかしな感じ…確かにな。このまま勢いに乗って告白されそうだ。流石にそれは無いだろうが。

「ね、緒方君って彼女いる?」

 いきなりタイムリーな発言を…

 マジビビった俺と麻美。

――ここで告白されたら運命がガラッと変わりそうだけど…

 確かに、過去の事例でもそんな事は無かった。

「彼女いるのって聞いているんだけど?」

「あ、ああ、いないよ」

 ふぅ~ん、ふぅ~んと興味深気に、俺の回りをぐるぐる回り始める。

「なんだよ。それがどうした?」

「いや、騒ぎを聞きつけた先生が駆け付けるまでの時間稼ぎだけど」

「なんつー事してやがるんだ!やっぱりスルーしておけば良かった!!」

 別に停学とかは気にしないが、流石に入学まもなくじゃヤバいだろ!

 慌てて場を去ろうとした俺の手を取り、そのまま校内に入って行く槙原さん。

 唖然としながら、そのまま引っ張られる形となった。

 小走りで向かった先は保健室。ガラッと勢い良くドアを開け、ピシャリと勢い良くドアを閉めて鍵まで掛ける。

「な、なんだよいきなり…」

「拳。血が出てる」

 言われて見ると、左拳から血が滴り落ちている。

「ああ、多分さっきの糞共をぶち砕いた時、誰かの歯に当たって切れたんだな」

 喧嘩すればよくある事だ。

「ほら、座って。消毒して包帯巻くから」

「…先生待ちじゃなかったのかよ?」

 言いながら椅子に座る。

「あれは真意を知る為の口実だよ。『スルーしておけば良かった』って言ったよね?助けようって考えていたって事でしょ?」

 ……あのボケにはそんな意味があったのか…

 助けようとした訳じゃなく、どうにかして無視しようと頑張っていたんだが、あの場面じゃそう見えるのも仕方ないかもしれない。

 槙原さんは実に手際良く、俺の拳を治療してくれた。治療と言っても消毒して包帯を巻いただけだが。

「どう?包帯キツく無い?」

 手をグーパーして感触を確かめる。

「いや、大丈夫。ありがとう」

「いやいや。お礼はメアドでいいよ」

 槙原さんはそう言いながらスマホを出した。

「………は?」

 俺は普通に素で反応した。

 お礼はメアドとか言ったような?

「なんならケー番も交換しよっか?」

「い、いや、あの、何故メアド?え?ケー番も?」

 いきなり過ぎて色々思考が追い付かない。

 いや、確か過去では既に調べられて知られていたけど、本人から直接聞いてきたのも初めてだった。

「ほら、予鈴鳴っちゃう前にさ。大丈夫、悪用しないから。逆に教えてくれなきゃ、さっきの事先生にリークする所存でございます」

 深々と頭を下げて、下手に出ているように見えるが、台詞は色々物騒だった。

「リークされちゃ適わん。教えるから変な事に使うなよ?」

「変な事って、例えば夜のオカズとか?」

「どこをどうすればアドレスとケー番が夜のオカズに成り得るんだよ!!逆にやり方教えてくれよ!!興味湧いちゃったよ!!」

 このやり取り、すげー安心するなぁ。

 俺は苦笑いをしながら、槙原さんとアドレスとケー番交換をした。


 予鈴寸前で教室に滑り込む。

 いつも遅刻ギリギリのヒロが既に席に着いていたのに軽く驚き、自分の席に鞄を放り投げた。

「隆、朝っぱらからやり合ったんだって?」

 ヒロがニヤニヤしながら聞いてきた。

「なんだ、情報早いな?まぁその通りだけど」

「須藤から聞いたんだよ。胸がやたらデカい女子を助けたんだって?」

 ニヤニヤの理由がそれか。

「槙原さんは胸だけじゃねーよ。って、朋美から聞いた?」

 あの場面にいたのか。そして見ていたのか。それならば、もしかして過去に糞共をぶち砕いた時にも見られていたのか?

 そんな事今まで聞いた事ねーぞ?

 おい麻美、朋美は過去にもあの喧嘩見ていたのか?

 麻美を呼び出すも反応が無い。

 そう言えば、姿を現すのにはかなり力が必要とか何とか。

 今日は早朝から出ていたから、早々に力を使い果たしたのか?

「報復に来たら次は俺も交ぜろよな。たまには運動しなきゃ」

 シャドーの真似事をしながら、話し掛けられて我に返る。

「報復は無いだろ。俺が緒方だと知ったら更に無い」

「そりゃそうだ。ポンコツになりたくねぇだろうしな」

 ポンコツって。

 それより、なぁんか引っ掛かる。

 それが何なのか、今は全く解らない。

 だが、確実に何かが違っていた。

 学校が終わり、帰宅する。

 校門を出た所で、一人黙々と歩いている朋美を発見して近付いた。

「今日は早ぇな」

 声を掛けると一瞬だけ俺を向き、再び黙々と歩き出す。

「おい何無視してんだよ?」

 無視し、黙々と。何だか機嫌が悪いみたいだが…

「まぁいいや。俺がお前の機嫌を直す必要も無い。じゃあな」

 機嫌が悪いなら仕方ない。

 そしてわざわざ朋美の機嫌に俺が合わせる必要も無い。

 その儘朋美の横を通り過ぎた。と、俺の肩に手を掛ける。

「何だ?」

「……」

 沈黙。しかし、めっさ俺を睨んでいる。

 俺何かしたっけ?全く心当たりが無いが。

「用が無いなら俺は行くぞ。ジムに顔出さなきゃならんから」

「……ある」

「じゃ、言え」

「……」

 再び沈黙一体何なんだ?

「だから何の用事だよ?」

「今日は女子とお近付きになれたようだけど、何か進展あった?」

 一体何の事だろうと激しく首を捻る。

 それに、朋美が段々と苛立ってきた。

「Dの槙原と何かあったのかって聞いてんのよ!!」

 槙原さん?ああ、今朝のアレか。

「治療して貰ったけど?」

 拳に巻いた包帯を見せる。

「ほう。へぇ。下手くそな包帯の巻き方だね」

「何だその意味不明な嫌味は?お前の方が下手くそじゃねーか」

 前に怪我をした時、朋美に包帯を巻いて貰った事があるが、掠り傷なのに骨折したような巻き方をされて、結局自分で巻き直した事があった。

「なにそれ!?嫌味!?」

「お前の方から俺への善意の治療の嫌味言ったんじゃねぇかよ」

「善意!?あれが!?槙原の顔見たの!?何か企んでいる顔していたじゃん!!」

 企んでいた、な。おかげでメアドとケー番交換したんだし。

 だが、それを朋美に言われる筋合いは無い。

 その旨を伝えると、朋美が真っ赤になって怒鳴った。

「隆はいっっつもそう!!関係無いからとか!!必要無いとか!!私にそんな事言うの隆だけだよ!!」

 そりゃお前の父ちゃんは代議士様で、アレで、お前に粗相がありゃ、どんな目に遭うか解らんからだろ。

 だが、俺はお前の父ちゃんと友達な訳じゃない。

 俺はあくまでも朋美と友達で、父ちゃんが代議士だろうが警察官だろうが、俺には関係無い事だからだ。

 まぁ兎も角だ。

「俺はこれからジムに行かなきゃならないから。悪いけどお先」

 シュタッと右手を上げて、ダッシュで去った。

 朋美の癇癪が聞こえて来たが、面倒なので無視をした。

 あいつはたまにだが、自分の思い通りにならないと癇癪を起こしてキレる。

 俺の初恋が終わったのも、その癇癪に引いたからだったりする。

 っと、スマホから着信音が。

『まだ話は終わって無いでしょ!!』

 出ると朋美だった。

「あのな、お前が不機嫌だろうが、何に対して面白く無いのか解らんがな、俺にはとばっちりにしか思えないんだよ。とばっちりにわざわざ付き合ってやる程俺はお人好しじゃない。知っているだろ?」

『…………』

 電話向こうで押し黙った。

『……そうだったね…中学の時も、そうだった…』

 中学の時…

 時期は解らないが、麻美が屋上から落ちる前。

 俺があからさまに虐められる少し前。

 朋美とこんな感じで言い合った事があった。

 あの時も何が気に入らないのか解らなかったが、兎に角マジキレして、いきなり殴りかかって来やがった。

 その頃はボクシングを習っていなかった訳だから、俺は普通に殴られっぱなしだった。

 つうか、流石に女相手に殴り返す程堕ちちゃいなかった。

 それを止めたのは麻美。

 俺と朋美の間に割って入り、朋美のパンチが麻美に直撃。

 俺は何するんだとか言って朋美を突き飛ばし、麻美から遠ざけたんだ。

 そこで漸く、朋美は殴るのをやめた。

 肩で息をして。

 何かをブツブツ呟いて。

 俺は「何に対して怒っているのか解らないけど、俺から言わせりゃお前の不機嫌のとばっちりだ!!!」と叫んだ。

 さっきの台詞と同じ事を叫んだ。

 それから少しして、糞共にいたぶられる様になったんだよなあ…

「お前が怒っている理由が解らん限り、俺はとばっちりを受けているとしか思えない」

『だからとばっちりじゃないってば…』

「じゃあ俺に解るように、何で怒っているのか言え」

『………』

 またまた押し黙った。

 俺は溜め息をつき、電話を切った。


 あれから俺はジムに行き、汗を流した。

 帰宅したのはもう夜の事。

「10時じゃねぇか…腹減った…」

 ジムに行けば会長がやたらと張り切ってしごくので、いつも夜遅くの帰宅になる。

 晩飯も食ってねーのに…

 ボクサーなら減量があるが、俺はぶち砕く為だけにボクシングを始めたので減量は全然しない。

 なので、夜10時を回っても普通にカップめんとか菓子パンを食べる。

 ボクサーに限らず、年頃の女子が聞いたら卒倒する事間違い無しだ。

 それらを食いながらスマホチェック。

「……うお…」

 非通知着信。

 あの楠木さんとの夏、槙原さんとの春にあった非通知着信が三件入っていた。

「今回もかよ」

 この非通知の発信者が敵なのには間違い無いのだが、誰がこんな暇な真似をすると言うのか。

 そして目的は何だ?

「つか、嫌がらせ以外何物でも無いな」

 残念だが嫌がらせされる心当たりは無数にある。

 つまり嫌がらせの特定は難しいという事だ。

 そしていつも通り、非通知を着信拒否にしてベッドに転がった。

 着信拒否にしても履歴があるから、無意味っちゃー無意味だが。

 そういや二年の春に槙原さんに非通知着信の事を相談したっけ。

 なんだっけ……確か…

 ふーん…あの子らしい陰湿さねぇ…

 とか言っていたような…

 あの子…つまり女か?いや、年下の男子?

 年下の男子にも糞が居る訳で、俺はそれをぶち砕いている訳だから。

「心当たりがあり過ぎる…」

 とてもじゃないが絞り込める量じゃない。

 いや待てよ、俺のケー番を知っている人間は限られているな。

 果たして年下の糞ガキが俺のケー番をゲットできるだろうか?

 俺のケー番を知っている人間が、年下の糞ガキにケー番を教えるだろうか?

「有り得ん…」

 ヒロが俺のケー番を売る筈が無い。

 後はジムの会長、先輩達。

 親父、お袋も含めて、俺がケー番を教えたがらないのを知っているから、これも無い。

 あとは、俺のケー番を知っている人間は朋美くらいだが…

 チリチリと頭が痛み出す。

 今は麻美が出て来るから、所謂信号としての頭痛は発症しない筈なのに…

 

 それから一学期の間、毎日ではないが、非通知着信は相変わらず続いた。

 麻美に訊いても微妙にはぐらかし、教えてくれない。

 まぁ、前回のようにアホみたいに来る訳じゃないから、精神的に楽だが。

 そして残念な頭の俺だが、中間、期末とギリギリながら赤点を回避する事に成功した。

 理由は槙原さんに教えて貰っているからだ。

 あれからちょくちょくとメールのやり取りをしていたのだが、俺の成績が末期過ぎる事を知った槙原さんが、勉強を教えてくれる事になったのだ。

 あの心地良いボケと突っ込みは、微妙ながらに変化はしたが。

 下系のネタがあまり出ないのだ。

 そりゃそうだ。以前は好意を持ってのボケ。今は友達としてのボケ。

 この先はまだ解らないが、俺達は現在、仲のよい友人と言った所だ。でも、物足りない訳じゃない。

 やはり槙原さんとお喋りするのは楽しい。それは変わらなかった。

 そしてそれだけで、俺は安心するのだった。

 朋美は相変わらず不機嫌だが、ヒステリーをあまり起こす事も無く、まぁ取り敢えずだが普通に話をしている。

 槙原さんに勉強を教えて貰っていると言った時に、再発したくらいか。

 麻美は馬鹿じゃね、と、俺をジト目で見たが、何の事なのかさっぱり解らん。

――隆ははっきり言わないと解らないもんね

 咎める目だった。

――それが数々の悲劇を生み出した原因の一つだって事は覚えておいて

 脅迫に近い警告だった。

――隆は格好いいんだから。モテない訳じゃないんだから

 物凄い飴の再確認だった。

「解っているよ。いや、解っていないかも知れんけど」

――だから馬鹿じゃねって言ってんだけど

 鞭は容赦無く俺の心を叩いた。

 そして一学期終盤。

 夏休みまで後数日となった頃、あのイベントがやってくる。

 楠木さんが俺に告白してくると言う、一年の夏最大のイベントが。

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