進級~001

 冬休みの間、朋美が何か仕掛けてくる事は無かった。と、言うよりも、何も出来なかった。

 あのインフルエンザが治りきっていない状態で、いろいろ無茶した結果、入院となったのだ。

 肺炎を発症し、それが思いの外重症になったらしい。

 ともあれ一安心だ。いや、病気になったのを一安心とか思ってしまうのは、人としてどうかとは思うが。

 麻美とその事について話した所。

――自業自得でしょ?

 との事だった。一番しっくりくる言葉だった。

 ところで麻美だが、あれから現れる頻度がめっきり減った。

 呼び掛けても、出て来ない日々が結構続いた。幽霊も色々忙しいんだとの弁だが、以前みたいに、呼びもしないのに現れていた事と比べると、どこか言い訳っぽい。

 追及しようにも、出て来ないからお手上げ状態だ。

 それでも思い出したように、時々は反応するから、やっぱ信じるしかないのが現状だ。

 三学期、俺達はいつもと変わらずに過ごした。

 変わった事と言えば、黒木さんの惚気がウザい事と、朋美が入院しっぱなしな事だ。

 里中さん情報だと、肺炎で入院中に何回か脱走を企てて、それが無理を祟って内臓の病気に罹ってしまったらしい。肝臓だったか、腎臓だったか。

 俺にも見舞いに来いメールがいっぱい来たが、面会謝絶らしく、それを口実に断った。

 つか、面会謝絶って、凄い重い病気じゃないか?

 そんな状態でよく見舞いに来いとか言えたな、と、おかしな感心をした。

 三学期中、川岸さんと会う機会があって、なんで怒っていたのか聞いたが、もう諦めたからいいだそうだ。

 何を諦めたのかは、やっぱ教えてくれなかった。

 ああ、朋美にクリパの枠を売った海浜の真鍋君だが、あれから西高生に追われる日々が続いているらしい。

 元々木村の連れって事で、糞共の言う舐めた態度を見逃されてきた真鍋君だが、木村が絶縁宣言をした事で、鬱憤が溜まっていた糞共が標的にしたようだ。

 木村の名前でバリアして、よっぽどムカつく事をやっていたらしい。

 それに関しちゃ、全く知った事じゃないけれど。

 そんなこんなで季節は春。

 桜も咲き誇る春。

 俺達は二年になった。

 俺のクラスは二年E組。

 同じクラスになったのは誰だ?

 少しだけウキウキしながら、新しいクラスに入る。

 黒板にEクラス生徒の名前が貼られているのを発見。それを見た。

「……ヒロも同じクラスか…」

 前の二年の時は、ヒロと里中さん、槙原さんが同じクラスになっていた。今回はどうだ?

「お、国枝君もか!!赤坂君も…蟹江君と吉田君は別クラスか…」

 男子で知った顔ではこの三人か。女子は…

「やっぱ槙原さんと里中さんは同じクラスか。黒木さんも。なんと!!春日さんと楠木さんも!!」

 これは驚いた。

 前回、春日さんはBクラスだった筈だが、やっぱ微妙に変わってきているんだな!!

 何か知らないが、感動を覚える。

 ぱん!!と背中を叩かれ、振り返ると、槙原さんがニコニコ顔でそこにいた。

「同じクラスになったね!!これから一年間よろしく!!」

 妙にテンション高めで、握手を催促してきた。

「うん。よろしく槙原さん」

「うん!!そう言えば、春日ちゃんも美咲ちゃんも、同じクラスになったんだよ!!」

 知っている。さっき黒板見たから。

 そう言いたかったが、やけに嬉しそうなので、俺も笑いながら頷いて返した。

「国枝君もだよ。あと、知っているのは里中さんと黒木さんもだな」

「大沢君忘れちゃ駄目でしょ!!」

 ケラケラ笑う槙原さん。赤坂君は忘れたままでいいのか?

「……おはよう隆君…あ、あの…お、同じクラス…」

 もじもじしながら入ってきて、挨拶する春日さん。

 言いたい事は解っている。

 だから先回りして、俺から言った。。

「同じクラスになったね。これから一年よろしくね」

 真っ赤になって俯きながら、何回か頷く春日さん。素顔を晒して結構経つのに、この小動物っぷりは相変わらずだ。

 だが、そこが可愛い。

「おはー。隆君、席どこ?私、隣りキープするー」

 それは確定とばかりに楠木さん。

「いや、どうだろ?そう言えば、席はどうなっているんだ?」

「取り敢えず、好きな席に座っていいみたいだね」

 眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げながら、国枝君がナチュラルに会話に参加してきた。

「そうか。後ろの席がいいかな…」

「あ、私目があんまり良くないから、本当の後ろは勘弁ね」

 と、槙原さん。

「……私もコンタクトだから…で、でも、どうしてもって言うなら…」

 と、春日さん。

 成程、彼女達の中では、俺の隣は確定なのか。

 つか、修羅場は勘弁だ。マジで。  

「おい隆、つってもど真ん中は嫌だぞ。後ろ寄りにしようぜ」

 これまたナチュラルに会話に参加してきたヒロ。

 つか、お前も俺の隣は確定なのかよ?

 しかも、よくよく見ると、全員まだカバンを持っている。

 と言う事は、俺が座らん限り、動かないって事?

 まさかな。そんな自惚れ、恥ずかしい。

 恥ずかしさを誤魔化す為に、俺は廊下の方から二列目の、やや後方にカバンを置いた。

 ダッシュで右隣を取った春日さん。この速さにみんな面食らって動けなかった。

 だが、それも一瞬。直ぐに楠木さんが左隣にカバンを放り投げる。

 槙原さんの舌打ちが聞こえた。その槙原さんは慌てず騒がず、俺の右斜め前に陣取った。

 苦笑して国枝君が。俺の前に座る。ヒロは無言で俺の後ろ。俺を盾に睡眠を取ろうと言う魂胆が丸見えだ。

 つか、こうも固まっていいのか?

 まあ、自由らしいし、何か言われてから移動すればいいのか…

「おろ?なんだなんだ?仲良し同士で固まっちゃって?」

 里中さんがニヤニヤしながら教室に入って、ヒロの隣にカバンを置いて座ってしまった。

「里中さん、その席でいいの?」

「うん。後ろ大好きだから。寝ていてもバレ難い席大好きだからー」

 微妙に歌いながら、既にカバンの中身をせっせと机の中に入れている。

 まあ…いいんだが。里中さんがいいのなら。

 しかし、朋美と仲良し設定の筈だが、このポジで何か文句を言われないか、心配ではある。

「おはよー。じゃあ私ここ。誰も取ってないよね?」

 黒木さんが国枝君の左隣を指差す。

 頷くと、黒木さんはホッとしたように、そこに座った。

 新しいクラスには知っている人が少ないから。と言うのが、後で聞いた答えだった。

 因みに遅刻ギリギリで入って来た赤坂君は、問答無用でど真ん中のど真ん前。教員の目と鼻の先の席になった。

 赤坂君の事はどうでもいいが、念の為に一応報告として。


 そして今日は午前で終わりと言う事で、親睦を深めるべく、みんなで昼飯食いに街まで出た。

 提案者は里中さん。つか、この面子では里中さんだけが違うクラスだったのだが、この積極性はなかなかいい。

 学校近くの喫茶店に入店し、一番広いテーブルに腰を落ち着かせる。

「ここ、須藤の目に触れないかな…」

 不安でそう呟いた黒木さんに、里中さんはあっけらかんと答えた。

「朋美?朋美はまだ入院中だから大丈夫だよ」

「そう言えば、内臓の病気に掛かったとか…」

「うん。肝臓病だったかな?退院しても、暫くは無茶できないから安心しよう!!」

 ……あんま安心はできないんだが…それよりも、一応親友の位置付けにある朋美を、全然気遣う所を見せないとは、里中さんもなかなかの性格をしている。

 今回槙原さんは無料チケを持っていなかったので、それぞれが自腹で好きな物を注文した。

 俺とヒロと国枝君はコーヒー。黒木さんと槙原さんが紅茶。里中さんはオレンジジュース。楠木さんは抹茶オレ。で、春日さんは生クリームにコーヒー添えである。

 コーヒーに生クリームを入れた、ウインナコーヒーじゃないところがミソだ。

 グラスに並々と注がれている(?)生クリームにコーヒーを数滴垂らした代物だ。

「そんなのあるんだ…」

 感心した風な楠木さんに、春日さんが答えた。

「……特注」

 だろうな。と、一同頷く。

「じゃ、取り敢えず、これから一年間よろしくと言う事で乾杯!!」

 里中さんが徐に立ち上がってコップを掲げた。

「乾杯!!」

 こういうのはノリだ。スルーしたら、これから一年間ギクシャクしながら付き合っていく事になる。

 当然俺も倣って乾杯した。

 ちょっと零れたコーヒーの熱さに我慢しながら。

 そういや、と話を振る。

「黒木さんと里中さんは彼氏持ちだろ?こんな感じで同級生の男とお茶したら、妬いたりしないの?」

「やきもち焼かれたらいいんだけどねえ…」

 黒木さんが遠い目で呟く。

 まあ、あの木村が嫉妬する姿なんか想像できないが。

「こんな程度で妬いたりしたら、一か月口聞かない刑にするから」

 こっちはドSだった。

 なんだその刑?キツイの?

 そわそわしながら楠木さんが口を開く。

「ねえねえ里中さん。彼氏どこの人?何歳?」

「ん?海浜の三年」

 おお~。と、どよめく。

 進学校の年上さんとは。しかし海浜か…

 知り合いと言えるのかどうかだが、海浜の眞鍋君は今大変らしい。

「そう言えば国枝君は海浜キャラだよね?なんでウチ来たの?」

 楠木さんの指摘に噴いた。言い得て妙だ。

 国枝君は苦笑いして答える。

「海浜キャラって何さ?でもまあ…別に理由は無いよ」

 まあ確かに、この歳で将来を見据えて高校選ぶ奴は少ないだろうな。白浜でも大学進学はできるんだし。

 さて、ここからが本題だ。

 その話題に最初に切り込んだのは、意外や意外、黒木さんだった。

 一瞬会話が途切れた隙を狙ってか、それともただの話題作りか、本意は定かじゃないが。

「そう言えばさ、緒方君、あれからどうなの?」

「あれからって?」

「う~んと、須藤の方は入院中だから、リアクション起こせないからいいとして、こっちから攻撃する材料は揃えているの?」

 特にしていない。と言えば怒られそうな雰囲気を醸し出している。

 実際何にもしていなくて心苦しいが…と、槙原さんに視線を送る。

「あ、冬に関わった阿部さんと連絡取り合っているから。その他の人達からも情報貰っているし、証拠品があるなら出して貰っている」

「ふ~ん…それっていつ頃結着付きそう?」

「まだまだかな。後ろ盾が大き過ぎだからね。言っちゃ何だけど、ガキの証言なんか簡単に握り潰されちゃうから、もっと大きなスキャンダルないかな、って掘っているけど」

「麻美さんを殺したのは、大きなスキャンダルにはならないの?」

「無理だね。あの五人がターゲットならそれでも可能だけど、須藤はお金渡して隆君虐めてくれって頼んだだけだから」

 要するに不幸な事故扱いで終わりだと。

 世間様から裏でバッシングを受ける程度だろうと。

 今のネット社会でも、ネット見なけりゃダメージは少ないしな。まだまだネタが欲しい、と言った所だろう。

 しかし、黒木さんは不満気だ。

「もうちょっと早くなんない?」

「……何か理由有りそうだけど、どうして急ぐの?」

 黒木さんが俺をチラリと見る。

「……う~ん…」

 言っていいのかどうか迷っているようだ。

「俺になんか原因があるんだったら、逆に言って欲しいけど…」

「う~ん…やっぱいい。実の所、私もよく解んないし」

 ここで沈黙を守っていた、のかどうかは知らないが、国枝君が入ってきた。

「そうだね。解らないのなら言わない方がいいよ。それじゃあ無責任ってものだよ」

「そ、そうだよね」

 慌てる黒木さん。

 国枝君は何か知っているのか?

 黒木さんと国枝君の共通点と言えば…

 そうだ、川岸さんだ。

「川岸さんから何か言われたの?」

 明らかにギクッとした黒木さん。国枝君も一瞬だが、固まった。

「緒方君、僕は何も言われてないよ」

 僕は、か…つまり黒木さんは何か言われたのだろう。

 だが、国枝君は察したように、黒木さんの口を噤んだ。

 言われていないのに、だ。

「もしかして…麻美の事か?」

 押し黙る国枝君と黒木さん。やっぱりそうか…

 国枝君も川岸さんのように霊感があった。

 麻美の事は自力で気付いたんだと思う。もしくは麻美に言われたか。

「話してくれるだろ?」

 やんわりと聞いたつもりだったが、黒木さんがカタカタ震え出した。

 そんなに怖く言った覚えは無いんだが…

「ちょっと…真っ青じゃない?大丈夫黒木さん?」

 楠木さんが異変に気付いて、黒木さんを気遣った。

「あ…うん…大丈夫…」

 咄嗟に笑って返した黒木さんだが、笑顔も真っ青だ。

「……緒方君、気になるのなら、直接日向さんに聞いた方がいい」

「う、うん…でも、あいつこの頃出て来ないんだよ。ちょっと前なら、鬱陶しい程頻繁に出て来ていたのに」

「呼び掛ければいいじゃないか。緒方君はそれができるんだろう?」

「この頃は呼んでも出て来ないんだ。いや、出て来るには来るけど、直ぐに現れないって言うか…」

 国枝君は真剣な面持ちを作り、残ったコーヒーを一気に煽る。

 そして、カップを置いて槙原さんに向かって言う。

「秋までに決着を付けてくれないかな?」

 反論しようとして、口を開いたが、喉の所で止める槙原さん。

 キチンと椅子に座り直して言う。

「……解った。秋までには必ず…」

「良かった。頼んだよ槙原さん。緒方君も」

「う、うん…」

 何が何だか解らないが、秋までの期限を設けられたのなら、それを目標にやるしかない。

 

 親睦が深まったかどうか定かでは無いが、この後春日さんはバイト、国枝君も用事があると言うので、ここでお開きとなった。

 ヒロはこれから波崎さんとデートだとか自慢していたが、知ったこっちゃないので無視した。

 席を立つ時に黒木さんがピコピコメールを打っている。

 聞いてもいないのに、「木村君に迎えに来てってメールしているんだよ」と話してくれた。

 わざわざ。

「あ、私も彼氏に迎えに来いって連絡入れなきゃ」

 里中さんも無表情でメールを打っている。

 今日はどこの学校も午前で終わるのだろう。放課後デートってやつなんだな。

 つか、他人の惚気ってうぜーな。俺も気を付けなきゃ。

 彼女いないけどな。

 渇いた笑いが唇から漏れ出る。

「どうした隆?」

「いや、なんでも無い」

 ヒロが訝しんで聞いてきたが、自嘲の笑いとは言える訳が無いので、普通にすっとぼけた。

  此の儘ジムに行こうか、とも考えたが、折角の半ドン。何か別の事でもしよう。

 そうだな、例えば趣味に没頭するとか。

 そう考えて気が付く。

 俺、趣味持ってねえじゃねえか。

 この期になんか趣味でも作るか。つか、趣味ってわざわざ作るものなのか?

 そんなくだらない事を考えながら、家に到着。

 カバンを机に放り投げて、着替えもしないでベッドに仰向けに倒れた。

 趣味ねえ…俺に相応しい趣味は…

「おい麻美」

 何の気なしに麻美を呼ぶ。趣味について聞こうとか思った訳じゃ無い。

 ただの世間話的な呼び出し。

 だが、麻美は現れない。

 さっきも国枝君に言ったが、この所呼んでも出て来る率が低い、いや、低すぎる。

 黒木さんも川岸さんから何か聞いたみたいだし、ここは出て来るまで呼んでみようか…

「麻美」

 出て来ない。

「麻美!!」

 出て来ない。

「麻美い!!」

 やはり出て来ない…

 成仏したのならいい。寂しいが、それは在るべき所に行ったのだから。

 だが、また規定みたいなので縛られた、とかなら、俺も協力するべきだ。

「麻美!!」

 がっ!!と後ろから手首を掴まれた。

 びっくりして振り解こうとした。

 だが、それはもの凄い力で、俺の手首をがっちりと捕まえている!!

 バクバクと心臓が尋常じゃないくらいに鼓動する!!

 俺は完璧にビビッていた!!

 しかし、この恐怖は俺に振り解こうと、足掻く力を加速させた。

 掴まれているのは左手首、右はフリーだ。

 右手でそれを振り解こうと、左手首の位置に目を向ける。

 左手はベッドの突っ張っていた状態だ。ならばその左手首を掴んでいるものはどこにあるか、と言うと、ベッドから『生えて』いた手に掴まれていたのだ!!

 声にならない悲鳴を上げて、その手を右手で払おうとして『触った』。

 ぞくりとする程冷たかった。

 しかもこれは…女の手?指が細い?

 なんだこれ!?なんだ!?マジなんなんだよ!?

 パニックになる俺、その時…


 プルルルルルルル…プルルルルルルル…


 スマホから着信音が鳴った。

 同時に『冷たい女の手』は、俺の左手首を離してするっとベッドの中に潜って、沈んでいった。

 茫然としてそれを見る…

 着信音は、相変わらず鳴りっぱなしだった……

 暫く鳴っていた着信が切れた。

 と、思ったら、また直ぐに鳴りだす。

 我に返って電話に出た。

「も、もしもし……?」

『緒方君、大丈夫かい?』

 国枝君だった。俺は安堵して答える。

「大丈夫だ…って、国枝君、俺が今何していたのか、知っているのか!?」

『うん。知っている。と言うより、教えてもらったんだ』

「だ、誰に…?」

『日向さんにだよ』

 麻美に…国枝君に助っ人を頼んでくれたのか…

 姿が見えないと思っていたが、俺の為に色々動いてくれていたんだな…

「あ、あれはなんだ?ベッドから手が生えて来て、俺の手首を…」

『うん。解っているよ。あれは俗に言う悪霊の類だよ。悪霊になる寸前、と言った方がいいのかな』

 悪霊…

 左手首を見ながら息を飲む。

 握られた跡が、くっきりと残っていた…

『それとね、須藤さんは当分姿を現さないよ。病気が悪化したようだ。少なくても、一学期は復学できそうもないようだよ』

「麻美が調べてくれたのか。なんだかんだ言って、世話になりっぱなしだな」

『………』

 国枝君が妙な沈黙を作った。

 麻美が調べた訳じゃ無いのか?まあ、病気の悪化なら、親友を謳っている里中さんに、直ぐに連絡が行くか…

『緒方君、さっきも言ったけど、早めに結着を付けた方がいい』

「結着ってもな…朋美は長期入院が決定したんだろ?」

『そうだけど、それだけじゃない。君には恋心を寄せて助けてくれている女子が三人もいるだろ?』

 誰かを選んで付き合っちゃえ、って事か?

「それはそうだけど、こういう事はじっくり慎重に決めないと…」

『今なら誰を選んでも大して変わらないよ。だけど、時間が経つにつれて、厳しくなってくる』

 厳しくなる…?一体どういう意味なのか?

 だけど、その弁じゃあ、誰でもいいから早く決めろと言っているようで、何か嫌な感じだ。

「だ、だけど国枝君は秋までに決着って言っていただろ?なら、秋までは猶予がある筈じゃないのか?」

『それはそうだけど、早く決着つけるに越した事は無いじゃないか』

 もう沈黙するしか無かった。

 国枝君の言う事も解るが、急かし過ぎじゃないか?

『……ちょっと急がせちゃったね。でも、僕の言った事は、ちゃんと胸に留めておいてくれよ?』

「う、うん。そりゃ勿論…」

 申し訳なさそうな国枝君の声。言っている事も解るから、俺も申し訳なかった。

 何より、あの三人に申し訳ない。

 協力だけさせて俺からは何も返していない。そのお返しが付き合うと言うのは、何か違うだろうし、そんな理由で恋人になっても、あの三人は喜ばないだろう。

 そんな事を考えながら、国枝君と少し話をした。

 気が付いたら、あのベッドから生えてきた腕の存在が、すっかり薄れていた。

 しかし、薄れたと言っても、夜に電気を消してベッドに潜ったら思い出す。

 何か怖い。誰かと話して気を紛らわせたい。

 麻美を呼ぼうとして我に返る。

 そういやあいつも幽霊じゃねーか。

 幽霊怖いと言って幽霊と話そうと思うとは、何ともおかしな話だ。

 と、その時スマホの着信が鳴る。

 超ビックリしながらも、それを取った。

「も、もしもし?」

『……響子です。寝てた?』

 春日さんだ。全力で胸を撫で下ろす。

「い、いや、大丈夫。どうしたの春日さん?」

『……須藤さんの長期入院が決まったみたい。隆君に言っておいてって言伝頼まれたの…』

  聞いた、と、言おうとしたが、別の言葉が口から出た。

「誰から?」

『……里中さんから。隆君に直接連絡すれば、彼氏がやきもち焼くかもって。だから私に…多分私の番号が最初に入っていたから、私に頼んだんだと思うけど…』

 そうか。春日さんに連絡した理由は解った。

 じゃあ、国枝君は朋美の事を誰から聞いた?

 握られた左手首を見る…

 その痕がまだ、消えずに残っている…

『……どうしたの?心配事?』

 ドキッとしてスマホに向き合った。

「いや、何でも無い…つか、どうしてそう思う?」

『……なんとなく…』

 なんとなく、か。何となくで、電話向こうの俺の状態を感じたのか。

「そうか。うん。大した事じゃ無いから大丈夫」

『……そう。大丈夫じゃなかったら、ウチに来ていいよ?』

「なんでそうなる!?」

『……なんとなく、一人になりたくないのかなあ、って思ったから…』

 すげえ。どこかで様子を見ているんじゃねーか?マジで感心する。

「行きたいけど無理だな」

『……どうして?』

「理性を保てる自信が無いから」

 おちゃらけで返した。かなり気が楽になった証だった。

 やや沈黙の後。

『……いいんだよ?遊びでも…』

 飲み物を飲んでいたら確実に噴いていた。

「遊びでそんな事出来る訳ねーだろ!!」

 夜だと言うのに大声で突っ込んでしまった。

『……じゃあ本気?』

「本気も本気、いや、違う。本気と言うのは春日さんに本気だって意味じゃ無く…いや!!いやいや!!本気だけどそう言う意味じゃない!!」

 もう何が何だか…

 言い訳か口説いているのか、自分でも何言っているのか意味不明だ。

『……解っているよ。今は駄目、って事でしょ?』

 胸を撫で下ろしながら頷く。向こうには見えていないのに。

『……待ってる…』

「うん?」

『……私、待ってるから…じゃあ…』

 軽い音がして電話が切れた。

 待っているって…春日さんを選ぶのを待っているって事だよな…

 かなり嬉しいが、若干重たいのは気のせいだろうか?

 いや、重いなんて言ったらいけない。気持ちを真っ直ぐにぶつけてくれただけだから。

 俺にまだ受け止める覚悟が無いだけの話だ…

 少し紛れた気だが、再び重くなったのは気のせいだろう。きっと。


 二年生になって一月が経った。

 世間はゴールデンウィークとやらに浮かれて遠出したり、惰眠を貪ったりして思い思いに過ごしている事だろう。

 勿論俺もだ。

 日帰りだが、早朝から電車に揺られて、例の温泉プールがある駅に来ている。

 隣にはやっぱり槙原さんがいる。

「いや~。温泉プール日和だねえ」

 日差しも強くないのに、夏真っ盛りよろしくな感じで、額に手を翳して空を見上げている。

 つか、微妙に曇っているし。

 そしていきなり腕を組んで爆乳を密着させた。

「楽しみだねえ。温泉プール」

「うん。楽しみだ。ある意味」

 俺の拳に気付いて、槙原さんがそっと手を添えた。

「まさか、頑張ってここまで段取りした、私の苦労を無にするとか無いよね?」

「はは…ま、まさか…」

 思いっ切り目を泳がせて否定した。

 そう。今日ここに来たのは、遊びに来た訳じゃない。

 槙原さんが神尾の呼び出しに成功したのだ。

 朋美に雇われ、俺を虐め抜いた揚句、麻美を殺した糞共とやり取りしていた槙原さんは、朋美の長期入院の情報を与え、地元に呼び出そうとした。

 だが、流石に地元は無理だと、皆が皆拒否った。

 ならば近くまで来られないか?と打診した所、神尾はこのプールの所までなら、と妥協したのだ。

 だから正確には温泉プールじゃなく、その近くの喫茶店で待ち合わせになった。

 しかし俺は水着を持って来ている。勿論槙原さんもだ。

 糞の神尾の糞話が終わったら、そのままプールに突入しようとの魂胆だ。

 この爆乳を布一枚越しで凝視できる、実に楽しみなイベントだが、メインは神尾との話。

 正直神尾はぶん殴って終わらせたい。

 だが、朋美の長期入院で多少の安心感を得られた神尾が、どんな暴露話を聞かせてくれるのかも興味深い。

 俺達に付き纏う事が出来ないネタを提供してくれないかなあ。そうなれば最高だが。

「と、言ってもさ、あんま期待しない方がいいかもね」

 期待すんなとは水着にか?それとも神尾の話か?

 せめて水着には期待したいけどなあ…

 一応待ち合わせ場所には着いたが、まだ神尾は来ていない。

 ふざけやがって、あの野郎。こっちは一時間も前から来ているってのに。まだ店も開いていないってのに。

「やっぱまだ来てないね。お店も開いてないし、どうしようか?」

「散歩して時間潰すか、槙原さんが水着に着替えて俺を楽しませるか、どっちかかなあ」

「ここで着替えるのは、流石の私も抵抗有り捲りなんだけど」

 水着に着替える案は却下された。暗に。

 じゃあ散歩くらいしか、時間潰せないじゃねーか。

「確か、近くに公園があった筈だが…」

「公園?なんかいやらしい!!」

 なんでだよ。こんな朝っぱらから、公園でどんな事するっつーの。

 公園も却下されたのか?まあいいけど。

「じゃあどうすんだよ?」

「この近くにモーテルがあるん」

「却下だ」

 どっちがやらしいんだ。行きたいけどな。物凄く。

「ちぇーっ。仕方ないなあ。じゃあ公園でいやらしい事しよう」

「何でだ!?普通に散歩でいいだろ!!」

 朝っぱらから全力で突っ込んでしまった。まだ一日が長いってのに。

「え?モーテル断ったから、てっきり見られる方がいいのかと思って…」

「ヤダよ!!誰にも見られたくねーよ!!どんな変態だ!!」

 でも、このやり取りがいい。

 付き合っちゃえば、ナイスカップルになれるだろう。

 阿吽の呼吸ってやつだ。

「じゃ、まあ…公園はやめて、コンビニかどこかで時間潰すか」

「えー?コンビニでデートとか、有り得ないでしょ?」

 いや、デートじゃねーよ。神尾の話だろ?

 終ってからデートになるのは確定みたいだけど。

 つか、コンビニも御不満らしい。じゃあ、どうすりゃいいのだろうか?

「っても、何処も空いてないぞ」

 ここは田舎。お店は大体9時ころ開く。

「だからモーテルなら開いて」

「何度も言わせんなや!!」

 確かにモーテルなら開いているだろうな!!客が来ていなきゃ!!

「モーテルが不満なら、ラブホテルでもいいけど?」

「同じ!!ただ言葉変えただけ!!」

 どんだけそう言う所に行きたいのだろうか?

 俺だって行きたいわ。理性が頑張っているだけで、健全な高校生なんだぞ。

 取り敢えず突っ込み過ぎて喉がカラカラだ。

 丁度いい所に自販機がある。ベンチも。

「つか、あそこに座って待ってりゃいいんだよ」

「ち、ベンチの存在に気付かれたか…」

 本気で悔しそうな槙原さん。

 どこまで本気なのかが解らない!!

 取り敢えずベンチに座ろう。

 見た目濡れていたり、汚れていたりはしてないが、奇跡的に持っていたハンカチを敷いて、槙原さんを座らせる。

「あら、紳士的ね」

「それはどうも」

 そして、自販機でコーヒー購入。槙原さんは紅茶だ。

「おお。私の好みを熟知している!!!」

「いや、大抵それ飲んでいるだろ…」

 とか言いつつ、大袈裟に感動している槙原さんにキュンキュンした。俺って乙女チックだな。

 カシュッとプルトップを開け、コクコク飲む槙原さん。

 一息ついた時に、徐に口を開いた。

「ところでさ」

「なんだ?」

 俺もコーヒーを一口含んだ。

「神尾さん、あそこに来ているんだけど」

 指差した先。喫茶店の駐車場。

 そこに置かれている単車に跨りながら、神尾が微妙な顔をして此方を見ていた!!

 俺は盛大にコーヒーを噴きだした…

「うわ、大丈夫?びしょびしょ」

 服に付いたコーヒーをハンカチで拭いてくれる槙原さん。

 いや、嬉しいんだが、そんな事より…

「神尾はいつから居た?」

「モーテルの件あたりかな?」

 ほぼ一通り見られていたって事じゃねーか!!

 ハズい!!マジハズい!!よりによってあんな糞にっ!!

 蹲って顔を押さえる俺!!

「大丈夫よ!!私達のラブラブ振りを見せつけただけだから!!」

「それがハズいって言っているんだが…」

「え?ラブラブは認めるの?」

 そこに食い付くな、あざといなあ…

 焦れたのか、神尾が単車から降りて、ゆっくりと俺達に近付いて来て、言った。

「……お前等ホントに仲良いな…」

「あ?馴れ馴れしいなあ神尾?お前とそんな話する間柄だったかよ?」

 どっちかって言ったら敵だ。それも見たらぶち砕くレベルの。

「ちょ…そんなおっかねえ顔すんなよ…去年もお前等一緒にいたから、ちゃんと続いているんだな、って思っただけだよ」

 後退りしながら弁解をする神尾。

 だが、ちゃんと続いていたってなんだ?

 俺の表情を読んだのか、神尾が微妙な表情を作って言った。

「……お前等って、付き合っているんだろ?」

「はあ?付き合って…うお!?」

 俺を突き飛ばして前に出た槙原さん。

 何故か瞳がキラキラ輝いている。

「隆君、神尾さんっていい人っぽいよ?」

「うん。機嫌良いのは解ったから、ちょっと落ち着こうな」

 どうどうと宥める俺。神尾の手を握って、ぶんぶん振り捲っていたからだ。

 槙原さんを引き剥がして、改めて神尾を睨みつけた。

「まだ早いが、早速話をしようじゃないか?幸い此処にベンチがある」

「なるべく人目は避けたい。どこか静かな場所に移動していいか?」

 まあ、それくらいなら…

 だが、人目に付かない場所って、ここらへんにあるのか?

 いや、寧ろあり捲りか。田舎だしな。

 ならば、と、槙原さんに訊ねた。

「この辺で、どこか静かな場所ってある?」

「静かな場所って言ったら、モーテ」

「解った。もういい」

 まだ引っ張るか、と思いながら、スマホを開いて時計を見る。

「あと20分くらいで、あの喫茶店が開く。あそこでいいか?」

「いいけど、それまでどうする?」

 俺は神尾を再び睨み付けて言った。

「俺達は友達じゃねえ。店が開くまでツルむ必要はねーだろが」

「そうか。って事は、待ち合わせ場所も時間も変わらないって事だな。じゃあ単車でそこら辺走って時間潰して来るよ」

「そうしろよ。ああ、スピード出し過ぎて警察に捕まるなよ?面倒臭いからな。それとヘルメットはちゃんと被ってろ。お前を知っている奴に出会ってもバレないようにな」

 一応釘を刺してこの場は分かれた。

 神尾が此処に来ていると知れたら、面倒な事になる。

 特に朋美には知られちゃいけない。

 単車で走り去る神尾を見送っていた槙原さんは、その姿が見えなくなると、俺を若干ではあるが咎めるように見た。

「どうせ話するんだから、それまで一緒に居ても良かったんじゃない?」

「一緒に居てぶち砕かないって保証が全くできないからな。実を言うと、何度か殴りそうになった」

 握った拳を槙原さんに見せると、溜息をつき、頷いた。

「そっか。一応隆君なりの配慮って事ね」

 配慮って言うか、単に自信が無いだけだ。そんな優しい心は持ち合わせてはいない。

 槙原さんがセッティングしなきゃ、単に偶然出くわしただけなら、間違いなく病院送りにしていた自信はある。

 仕切り直しとばかりに、もう一度ベンチに座る。

「神尾との待ち合わせまで、ここでゆっくりしてようぜ」

「はぁい。ベンチでプレイってのも、癖になりそうだからいいか」

「しないからな!?何にもする気ないからな!?」

 槙原さんの気遣いが嬉しい。いつも通りに接してくれた事が。

 もしかしたら、限りなく本心に近いのかも知れないが…


 そうこうしている内に、喫茶店が開いた。

 神尾の姿はまだ見えないが、いちいち待ってやる義理は無い。いや、あるのか?一応こっちが呼び出した形になるんだから。

 迷っていると、槙原さんが俺の手を引き、歩き出す。

「……待たないのか?」

「待ち合わせはこの喫茶店でしょ?外で待つって言っていないし」

 俺よりドライだったが、それもそうか。

「それにちょっとお腹空いたから、モーニングも食べたいし」

「そっちがメインだな!?」

 言いつつも、確かにちょっと小腹が空いている。ここは槙原さんに賛成だ。

 入店すると、ちょっと古ぼけた内装ながらも、結構な雰囲気の店内。

「いらっしゃいませ」

 開店とほぼ同時に入って来た俺達に動じないところから、そこそこ集客はあるようだ。

 適当に席を取り、座る。

「何食べようかな~」

 ウキウキしながらメニューを見る槙原さんだが、ここはモーニングが無難だろ。つか、モーニング食いたいって言っていた筈だよな?

 お冷を持って来たマスターに、直ぐに注文を入れる。

「モーニング」

「う~ん…私もそれ」

 結局モーニングかよ。まあ、メニューを見る限りは、モーニングが当然か。

 何しろモーニングセット500円(トースト、スクランブルエッグ、サラダ、コーヒー)に対し、ミックスサンド(ハムチーズとツナ)が500円なのだ。

 コーヒー一杯350円を踏まえても、モーニングの方が圧倒的にお得だ。

「かしこまりました」と一礼して踵を返すマスターだが、この展開は予想済みなのだろう。

 モーニングを頼まない客は少数だろうし。

 かちゃり

 扉が開く。「いらっしゃいませ」とマスターが挨拶する。

「御一人様ですか?」

「いや、待ち合わせ。もう来ている筈だけど、高校生のカップル来てる?」

「あちらでお待ちです」

 来やがった。神尾だ。

 まだモーニング食ってない、来てすらいないってのに。

 何となくぶち壊された気分になってムカついた。いや、神尾には終始ムカついているけど。

 その神尾が、つかつかと俺達の席に来る。

「えっと…俺はどこに座れば…」

 ワザとらしく俺と槙原さんの隣を交互に見る。やはりムカつくわこいつ。

「お前が槙原さんの隣に座る事を許すと思ってんのか糞が?」

 ついつい語尾が強めになったが、神尾は『だよね』的に頷いて、俺の隣に座った。

 それはそれでムカつくな。お前は床に正座していろよ。

「いらっしゃい神尾さん。私達モーニング注文したけど、神尾さんはどうする?」

 槙原さんが優しさMAXでメニューを神尾の前に広げて見せた。

「いや、俺牛丼食って来たから、コーヒーだけで」

 この野郎、俺達を待たせて牛丼食って来たのか?

 やはりムカついた。俺も牛丼食いたいのに。

 マスターがお冷を持って来たと同時に、コーヒーを頼む神尾。

 しかもブルマンとか。どんだけ悪い事やって金持ちになりやがったんだこの野郎は?

「隆君、気持ちは解るけど、さっきから目つき怖すぎ」

 槙原さんに注意された。悲しいじゃねーか。これと言うのも、この神尾の糞が…

「緒方」

「ああ?」

 やべ、つい喧嘩腰になっちゃった。

 ちょっとだけ反省していると、神尾が俺に向かって頭を下げた。それもテーブルに擦りつく程に。

「お、おい…」

 ちょっと引いた俺だが、そんな俺を無視して続ける。

「中学の時は悪かった。もう阿部から聞いているだろうが、俺達は金でお前をいたぶっていた。それはこんな事じゃ許せないだろうが、もっと許せない事があるだろう。それでも俺はこうして頭を下げるしか出来ない…」

 詫び、か…そういや、正式に謝られたのは、これが初めてだったか?

 だけど許せない。許すつもりも無い。

 だが、まあ…殴るのはやめよう。

 ほら、拳も痛むから。心は全く痛まないが。

 ぱん、と手を叩く槙原さん。

「まあまあ、積もる話は後で。先ずは腹ごしらえですよ、ダーリン」

 トーストと卵を焼いた匂いが鼻腔を擽る。

 マスターがモーニングを二つ持って来たのだ。

 ブルマンはまだ淹れている途中らしく、お盆に乗ってなかったが。

 旨そうだ。だが、その前に一言言わなければならない。

「ダーリンはやめろ」

 まだ付き合ってないっつうのに、何もしてないのに、既成事実が築かれそうだ。

「まあまあ、せっかくの神尾さんのオゴリだよ?食事は楽しく、深く気にせず、だよ」

「お、おい、いつオゴるって言った?」

 神尾が動揺している。そりゃそうだ。まるで友人のような扱いだからだ。

 槙原さん、気をまわし過ぎだ。

 苦笑しながら追記する。

「仕方ない。モーニングで水に流すってのは流石に無理だが、ここでの身の安全は保証しようか」

 俺のギリギリの譲歩に神尾も面食らった顔を作る。

 槙原さんに感謝しろよ神尾。それとここのモーニングにもな。

 程なくして、神尾のブルマンも到着。

 頃合いなのか、槙原さんが切り出した。

「神尾さん、大体の事は阿部さんと武蔵野さんと安田さんから聞いたから、端折っていいんだけど、これだけは教えて。何か物的証拠は無いの?」

 物的証拠か…証言だけじゃ弱いからな。

 だが、流石に無いだろうな。

「ああ、領収書なら持っていたけど…」

 マジでコーヒーを噴き出した。

「うわ!!きたねえ!!いきなりなんだよ緒方!?」

「い、いきなりになっちゃうだろうが!!何だ領収書ってよ!?」

 咳込みながら聞く。まさか虐めの料金の領収書じゃないだろうな?

「ああ…何かおかしな話だが、須藤から頼まれた時に、安田が冗談で領収書を切れって言ったんだよ。そしたら…」

「マジで持って来た!?」

 頷く神尾。

「だけど乗りってか、そんな類なんだろうけどな。流石に本気のビジネスって訳じゃ無いだろ」

 そ、そりゃそうだろうな。乗りじゃなくてマジなら、朋美は本気の病人だ。

 心療内科に通わなければならないレベルの。

「その領収書は須藤の手書き?みんな持っていたの?」

 槙原さんの問いに頷いて肯定する神尾。

「だけど期待していないだろうが、俺はそれを捨てたから持っていない」

 そ、そりゃそうだろうな…

 そんなママゴトみたいな紙切れ、普通は捨てるだろう。

「じゃあ持っている可能性のある人は?」

 暫く考え込む神尾。凄いしかめっ面を作って答える。

「阿部ならもしかして…あいつ、そんなくだらない物捨てないで取っておく癖があるから…」

 自信が全く無さげだった。そりゃ当然だ。

 しかし今度は槙原さんが渋い顔をする。

「……阿部さんが万が一持っていたとしても、手に入れるのはちょっと無理かな…」

「な、なんで?」

「阿部さん、今京都だもん。郵送して貰う手もあるけど、郵便事故とかにあったらオジャンだから、ちょっと使いたくないし…」

 あいつ京都に逃げたのか!?

 確かに仕事辞めて引っ越すとは言っていたが、また随分遠い所に逃げたもんだな!!

「だ、だけど郵便事故なんて滅多にあるもんじゃないだろ?郵送して貰えば…」

「隆君家の郵便や宅配をチェックしているかも知れないよ?」

 苦笑いした。まさかそこまでするか?

「須藤は病気だよ?しないかも知れないし、しているかも知れない」

 ………

 どこまで疑えば終わるんだ…そしてどこまで気を配ればいいんだ…

「勿論、私宛に送って貰っても構わないけど、万が一私の郵便までチェックしていたら?」

「さ、流石にそこまでは…」

 渇いた笑いで答える。まさかそこまではなぁ?

「須藤は病気。流石に私も無いとは思うけど、もしかしたら?」

 ………

 槙原さんも充分病気だと思うが…

 そこまで気を回すなんて、今までどれだけの修羅場を渡って来たんだ?

 想像しただけで恐ろしい…

「わ、解った。郵送は無し」

 こう言うしかねーだろ。ごり押ししても仕方ないし。

「……お前等そこまで警戒するのか…何だかんだ言っても、高校生の女だぞ?」

 神尾の言う通り、激しく同意なのだが、槙原さんがそう思うんだから仕方無いだろが。

 朋美と槙原さん、どっちを信頼するかって事だからな。

「あはは~。流石に私も無いと思うけどね。だから万が一」

 笑って返す槙原さんだが、その瞳は警戒心バリバリだった。

 成程、阿部が裏切って、こっちの情報を朋美にリークするかも知れないと思ってるんだな。

 この分だと神尾も信用していないんだろうな。

 少し悲しい気持ちになる。

 俺の事は信用しているんだろうか?と。

「そうすると、もしも持っているとしたら、直接受け取るのが一番安全かな…」

 顎に指を当てて考えていた槙原さんが、とんでもない事を言い出した!!

「と、取りに行くって、阿部は京都だぞ?」

 流石に遠すぎる!!!無理だろ!?

 槙原さんはキョトンとして答える。

「そのようだけど、京都なら何とかなりそうでしょ?」

「な、何とかなる距離じゃないだろ?」

「距離は遠いけど、逆に京都で良かったんじゃない?」

 唖然とする俺。京都で良かったって何だ!?遠すぎだろ!!

「その顔は知らないみたいだね」

「知らないって…何が?」

 槙原さんは本当に嬉しそうな顔をして言った。

「今年の修学旅行、京都だよ。北海道から変更になったんだ」

 ………知らないよ、そんな情報…

 つか、その笑顔、槙原さんてマジドSだな…

 取り敢えず、阿部にその事を連絡し、返事を待つことにして、更に進む。

「神尾さん、物的証拠になりそうな物、あと心当たりない?」

「う~ん…武蔵野が貰った金貯金したって言っていたが、それは証拠にならないよな?」

「そうねえ…須藤が通帳に振り込んだのなら証拠になるんだろうけど、自分で貯金通帳に入れたんでしょ?

 頷く神尾。じゃあ無理だな。つか、物的証拠がある方が奇跡だろ。

 俺は神尾を睨みながら言った。

「お前等が警察に出頭して話してくれりゃあ、いいんだがな」

 俯いて黙ってしまった。

 流石に警察は勘弁なんだろう。バラした後の、朋美の家の報復も恐ろしいだろうし。

「…まあいいさ。そこまでは期待しねーよ」

「……悪いな緒方…その他の事なら、なるべく協力するからさ」

 どうせその場しのぎの、ただの台詞だろうに。

 俺は頷く事も無く、残ったコーヒーを一気に啜った。

 これ以上は、新しい話は引っ張れそうも無い。

 思い出した事があったらまた連絡すると言って、神尾は喫茶店から出て行った。

 俺達のモーニング代金も支払ってくれた。

 ささやかな罪滅ぼしのつもりなのか?まあいいんだけどな。

 もう一杯コーヒーを頼み(槙原さんは紅茶だ)ちょっと休憩。

「この後どうする?」

「あれ?隆君私の爆乳、布一枚越しで見たくないの?」

 コーヒーを噴き出しそうになったが堪える。

「つ、つまり温泉プールに行くと」

「モーテルなら布無しの爆乳見られるけど」

 今度は本気で噴いた。

「げほ!!げほ!!……温泉プールで…」

「え~?不満だけど、健全な高校生を演出するにはいいかな?」

 台詞の所々が不健全だが、突っ込まない。

 泳ぐ前に疲れそうだったからだ。

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