夏休み~001

「あっちいなぁ…」

 棒状の氷タイプのアイスをかじりながら、学校へ向かう。

 と、言っても補習で学校に行くのでは無い。普通に図書室で、予習復習しに登校している最中なのだ。

 末期な頭ながら期末テストはギリギリで赤点無し。いやー、槙原さんに感謝だわ。

 いやいや、話は逸れたが、槙原さんにお世話になろうが、やはり頭は末期な訳で、勉強を怠ると簡単に転落してしまう。

 要するに自己の危機管理だ。

 家か街の図書館で自習しろってか?

 家で自習できるのなら末期にはなってないし。図書館は駅五つ先。遠い。

 はい以上。

 学校は少なくとも先生が居るから、解らなくなったら職員室に行けば何とかなるからな。

 そんな訳で、夏休みが始まっても、用事が無い限り学校に行っているのだ。

 因みに、槙原さんがメールやら電話やらで、教えるからと有り難くも誘ってくれるが、貴重な休みにそれはあまりにも申し訳無いから、泣く泣く断っている。

 つか、あの爆乳に気を取られないで、勉学に励むのは色々と大変なのが主な理由だ。

 期末テストの時は切羽詰まっていたから、何とか精神が耐えられたが、今は夏。薄着だ。

 図書室で二人きりは、思春期には拷問だろ。

そんな訳で一人寂しく図書室通いだ。。通いっつっても、まだ三日程度だがなっ!!

――それって勉学したつもりになっているだけじゃん

 お?出たな麻美。

 夏場に幽霊は必要だが、昼間は戴けないな。

 怪談は夜が相応しい。

 そしてジト目で俺を見るな。やめろ。咎めるな。

――だけど隆が自習かぁ…中学時代には考えられなかったよね

 お、今度は持ち上げるか?

 そうだそうだ。俺は誉められて伸びる子なんだ。いっぱい誉めてくれ。

――でも、所詮残念な末期脳だから、自習も結局残念な結果なんだけどね

「うるせーよ!!自らの限界なんかとっくに承知なんだよ!!」

 ついつい声に出して突っ込む。

 はぁ~…問題集も赤点だから、自習では限界なんだよなぁ…

 素直に槙原さんに頼るしかねーのかなぁ…

 だけど、何か依存ってか、調子良く利用しているような気がして嫌なんだよなぁ…

 晴れやかな夏場の天気なのに、一気にテンションはどんよりした。

 ともあれ、図書室へと向かう。

 

 思いっ切り経過は端折るが、既に帰宅中だ。

 一応午前中は勉強に励んだが、やっぱ解らないもんは解らない。

 そんな訳で心機一転、本屋に参考書を買いに行く事にした。

――それって現実逃避じゃ…

 違う。現実逃避では無い。己の限界を直視した結果でしか無い。

――つか、何回も人生やり直している筈なのに、今回は全ての記憶を継承している筈なのに、未だテストの点数が悪いとは…

 やめろ。言うな。悲しくなる。答えが解っているのに解らないとか言うな。

――自虐的だねぇ…

 溜め息をつく麻美。

 仕方無いだろ。何でもかんでも覚えられっか。だから今足掻くんだよ。

――なんか格好いい言い方だけど、覚えられない馬鹿な子なのには変わらないよね

「うるせー!!兎に角学力レベルアップしなきゃ、留年の危機が常に付き纏うんだよ!!」

 いくら全てを乗り越えようとも、馬鹿だから卒業できない事態になったら俺が可哀想過ぎる!!

 麻美の精神力苦痛を伴う突っ込みを喰らいながら、俺はよろめく足取りで本屋へと向かう。

 

 本屋に到着。

 外の灼熱地獄に比べて、エアコンの効いた室内は正に天国だ。

 そんな訳で漫画を立ち読み…

 じゃねぇ!!じゃねぇよ!!

 俺は参考書買いに来たんだよ!!

 漫画立ち読みでもう小一時間は過ぎているが、参考書を買いに来た事実は揺るがない!!

 最早麻美は呆れ果て、姿を現さず、声も聞こえずだが、参考書は買う!!

 参考書は…あ、あれ?

 そのコーナーに、小さくて牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた女子が、一番上の参考書を取ろうと、一生懸命に手を伸ばしていた姿があった。

 つか、春日さんじゃん。

 以前見た光景だが、時期がもう少し後だったような気がするが…やっぱり色々と変わっているのか…?

 いや、麻美曰わく『色々な可能性の道』の一つなのだろうけど…

 ぼんやりとそんな事を考えている間にも、春日さんが参考書を取れずに困っていた。

 我に返って慌てて近寄り、その参考書を取って渡した。

「あ…」

「これでしょ?」

 春日さんは一瞬驚いた表情をしたが、直ぐに頬を赤らめてコクンと頷く。

 ……やっぱ可愛いなぁ…

 眼鏡取った姿も、ゴスロリメイドさんルックも可愛いが、眼鏡の春日さんもやっぱり可愛い。

「……あ、あの…あ、ありがとう…」

 ちっさい声で、俯きながら、お礼を言う春日さん。

「気にしないでよ。誰だって同じ事する筈だし」

 プルプルと首を振り、否定される。

「……私…目立たないから…」

「目立つ目立たない関係無いよ。友達が困っていたら助けるのは当たり前だろ?」

「……友達……」

 あ、しまった。まだ春日さんとは一回しか会ってなかったんだっけ。

「う、うん。迷惑だったかな?」

 慌ててフォロー(?)を入れた所、プルプルと首を振り、否定。

「……嬉しい……」

 その時の春日さんの笑顔は、すんごい可愛くて、思わず持って帰って部屋に飾りたくなった。

「そ、そう。良かった。じゃあ友達の俺が困っているから、助けてくれない?」

「……?」

 首を傾げる仕草も超可愛いんですけど…

「俺も参考書買いに来たんだけど、おすすめ教えて」

 クスリと笑う。

「……どの教科?」

 そう聞いて来た。

「全教科」

 こう返した所、絶句された。

 馬鹿な友達は要らないとか思われませんように…と、切に祈った。。

 春日さんはちょっと考えた後、発した。

「……予算は?」

 予算…お金か…財布を広げたら、三千円入っていた。

「三千円」

「……三千円じゃ全教科は無理だよ…じゃあ一番苦手な教科は?」

 参考書意外と高いからな。

 初めから参考書買いに来るつもりなら、それなりにお金を持って来たが、今日の買い物は思い立ったが吉日的なアレだからなぁ…

「うーんと…物理かなぁ…」

 古典や歴史などは暗記だから何とかなる(筈)だが、物理は全く解らん。

 英語も全く解らんけど。数学もだが。

「……それじゃ…これ…かな?」

 春日さんが選んでくれた参考書は、以前選んでくれた物と同じ物だった。

 ここら辺には変化は無いんだなぁ。

 有り難く受け取り、一緒にレジに向かう。

 参考書は二千円ちょいだったが、小銭が結構あったので、所持金千円はキープした。取り敢えず電車賃は大丈夫だ。

「ありがとう春日さん。助かったよ」

「……ううん…私も…助けて貰ったから…」

 頬を染めながらの返事…すんげぇ可愛い…!!

 この後どこかに誘いたかったが、所持金千円じゃお茶代は厳しいので諦めた。

 それ以前に、女子を誘うなんて事は、ヘタレな俺にはできないが。

 二人並んで外に出る。

「……超あっちい…」

 忘れていたが、今は夏。

 外は心地良いエアコンの室内なんか、比べ物にならない灼熱地獄だった。

「……それじゃ…」

 春日さんが一礼して歩を進めた。

「あ、ちょっと待って」

「……?」

 わざわざ立ち止まって待ってくれた春日さん。このクソ暑い中、長時間の拘束はあまりにも失礼だ。

 なので、ヘタレな俺だが、単刀直入に用件を言った。スマホをポケットから取り出しながら。

「アドレス交換…いい?」

 春日さんフリーズ。

 そりゃそうだ。以前付き合った事もあったが、今回はまだ二回しか話をしていない。そう簡単にホイホイと教えていいものか悩むだろう。

 最悪断られても仕方無いかなぁ、と思っていたが、春日さんは真っ赤な顔で一つ頷き、自分のスマホを取り出した。

「……私…やり方よく解らないから…緒方君が…やってくれる?

 恥ずかしくて、顔を上げられず、だけど精一杯頑張って言ってくれた春日さん。

 当然ながら一も二も無く、俺は頷いた。

 他人のスマホは使い難い。

 焦れば焦る程モタモタするが、春日さんは文句一つ言わずに黙って待ってくれた。

「できたあ!!」

 互いのスマホに互いのアドレスを確認し、一安心の俺。

「……うん…でも…」

 ん?何か言いたそうだな…何だろう?何かヘマでもしたかな?

「……あの…」

「うん」

「……」

「……」

 俯いての沈黙。言いたそうだが言い出せない。そんな感じだが…

――ケー番も交換したいって言いたいんじゃない?

 見かねた麻美が助け舟を出してくれる。

 つか、成程そうか!!

 流石麻美!!女子の心が解ってらっしゃる!!

――隆が朴念仁なだけだと思うけど…

 軽くディスられたがスルーする。いちいち傷付いてなんかいられない。

 しかし、春日さんがケー番交換を求めるのか?まぁ、違ったら違ったで恥をかけばいいか。

「ケー番もいいかな?」

「……うん…」

 おお!!当たっていた!!流石だ麻美!!

 慌てながら俺は口頭で自分のケー番を言った。

 春日さんはピコピコ打ち、俺のスマホにワン切りする。

「おお!!これが春日さんのケー番!!」

「……うん…」

 ソッコー登録した俺。

 真っ赤な顔の儘はにかんでいる春日さんを横目で見ながら。


 幸せ気分でその儘ジムに行った。

 テンションが上がっていた俺は、積極的にスパーをして、申し訳無い程先輩方をぶっ倒してしまった。

 ヘッドギアを取りながら下村先輩がボヤく。

「ちくしょう。六回戦に上がってもまだこのザマかよ…」

「い、いや、何か今日は調子が良くて…」

 グルグルと右腕を回しながら言う。

「俺はジュニアミドルなんだよ!!いくら調子良くても、ウェルターのお前に完封されちゃ、堪ったもんじゃねぇよ!!」

「完封って、結構いいの貰ったじゃないすか!!」

 左ストレートと左ショートフックをボディに一つづつ貰ったし。結構痛いし。

 セコンドに入っていた荒木先輩が、腫れた顔で俺のグローブを外してくれた。

「博仁とお前が居れば二枚看板なんだけどなぁ。ほれ、俺の顔こんなに腫らしやがって」

「ヒロは確かに看板選手になれるとは思いますけどね…」

「お前、階級一つ下げて、博仁にウェルター譲れば?」

「いやだから、俺はプロにはなりませんから」

 俺は糞をぶっ叩く為にボクシングを始めただけで、プロなんて恐れ多い訳で。

 ヒロがジムに戻ってプロ目指すなら、寧ろ喜んで応援させて貰うし。

 これ以上ジムに居たら、先輩方及び会長の『プロになれ』攻撃を一斉に受けてしまう。文字通り飛び出すように逃げ出した。

 走って帰ります!!と、模範生みたいな言い訳をしながら。

 ジムが視界に入らない程小さくなった時、走っていた足を止める。

「うお~…ヤバかったなぁ…」

――隆が期待されている証拠だよ

 夜と言う幽霊に好条件な状態で現れた麻美。

「期待されてもな…本当に糞共をぶち砕く為だけに始めたしな…」

 逆に申し訳無い。辞めた方がいいのかな…

――折角続いているんだし、辞める必要は無いんじゃない?本当に嫌なら止めはしないけどさ

「嫌ならもう行って無いよな。何だかんだ言って好きなんだよなぁ…」

 ボクシングも先輩方も。

「プロは兎も角、ジムは辞めたく無いし、続けるか…」

――そうだね。隆の唯一と言っていい特技だしね

「唯一か…俺にも特技と呼べる物が出来たんなら、それでいいけどさ…」

 言っても喧嘩ボクシングだけどな。それでも俺のバックボーンには違いない。

 俺は顔を平手で叩き、再び走った。

 バックボーンを失わない為に。そして好きな物を裏切らない為に…


 早朝、ロードワークデで心地良い汗を流し、クールダウンを兼ねて歩いて帰る。

――今朝もコンビニ袋、玄関先にあったよね

「ああ。毎日毎日暇な奴だな。お前心当たりあるんだろ?」

――……………

 だんまりで返された。

 言いたくても言えない。そんな辛そうな表情をしながら。

「ま、まぁ、敵を見付けるのも俺のやる事だから」

――……ごめん

 申し訳無さそうに俯いて言う麻美。

 麻美は俺の為に色々手を尽くしてくれている。今だけじゃない、やり直した高校生活全てにおいて。

 だから謝られても俺が困る。寧ろ感謝したいのに。

「大丈夫だ麻美!!今回は全ての記憶を持ち越しているんだ!!現に色々と道が変わっているだろ?」

――だけど以前やった筈の勉強は全く覚えていないし…

 なんと!!不安を与えていたのは俺の記憶力だった!!

 末期脳で申し訳無い…

 天を仰いで涙が零れ落ちるのを止める。

――あ、あれ?

 家の門に近付くと、麻美が何かを発見して指を差す。

 釣られて見ると、こんな早朝に誰かが家の前に立っていたのを確認できた。

「人だな…誰だ?」

――誰って…前にもあったでしょうに…

 麻美は呆れ果て、項垂れる。そして続けた。

――隆、今回しかチャンスは無いんだよ!?今回死んじゃったら次は無いんだよ!?

 早朝から叱られた。しかも幽霊に。

「だ、大丈夫だって。えっと、あれは二年の春の話だから、違和感だったから口に出さなかっただけだ」

 一応言い訳をした。

 実は今の今まで忘れていたんだが、麻美の一言で思い出した。

 二年の春、こんな風に、いきなり早朝から押し掛けてプールに誘ってきた女子の事を。

 気持ち駆け足で門に行く。

 相手も俺を発見し、手を振っている。

「……おはよう槙原さん…何やってんの?」

 その爆乳と眼鏡は槙原さんだった。

 いや、爆乳で判断したのでは無い。早朝、いきなり訪ねてくる女子は、槙原さん以外に居ないからだ。

「おはよう緒方君。あれ?驚かせようと思ったけど、あんま驚いて無いね?」

 爆乳が非常に強調された、黒いタンクトップを着て、グイグイ迫って来た。

 細い脚を強調しているデニムのショートパンツで、足早に歩きながら。

「いや、充分驚いているけど」

 まぁ嘘だが。驚きより喜びの方がデカいからだ。

 爆乳が俺に触れるか触れないかの所で立ち止まる槙原さん。

「ほら、夏休み前に約束したじゃない?プール行こうって」

 ニコッと笑い、首を傾げた。

「メールで日にち連絡する筈じゃ…」

「だからほら、驚かせようと思って」

「あー、成程ね。じゃまぁ…立ち話も何だから…」

 家に入るよう促すと、何の迷いも無く入って行く。

「……まさか、既に上がり込んでいるとか……」

 二階の俺の部屋に向かいながら聞いた。

「え?なんで解るの!?」

 逆に驚く槙原さん。二年の春に同じ事あったからだとは言えない。

「まさかとは思ったが、本当だったとは…」

 わざと首を捻ってとぼけた。

「驚かせようとしたのに、逆に脅かされっぱなしだなぁ…」

「だから、充分驚いているって」

 苦笑を以て答える。

 部屋に入ると、案の定、飲みかけの冷めたコーヒーがテーブルに置かれていた。

「……えっと…取り敢えずシャワー浴びて来るから、ちょっと待ってて」

「了解です」

 敬礼し、送り出してくれたが、何故敬礼?

 まぁ、考えても仕方無い。

 あまり待たせるのも悪いからと、俺は速攻でシャワーを浴び、着替えた。

「お待たせ」

「早っ!!カラスの行水じゃん!!」

 ついでに台所からパクって来た麦茶を渡して、俺もベッドに腰を掛ける。

「ベッドってエロいよね?」

「いきなりエロいとか言うな!!」

 麦茶を一気に煽って平静を保つ。

 思春期真っ只中の男子の部屋で、そんな事言ったら貞操の危機だろ。

「あはは~。んじゃ本題。今日はデートのお誘いにやって来ました」

「プールか。さっきもそう言ってたしな」

「そう、プール。水着買ったよ。エロいヤツ」

「エロいヤツか…」

「エロいヤツだよ」

「いや、別にエロく無くても行くけどな。だけど朝早過ぎだろ。電車動いてないよ?」

「だからサプライズを兼ねてだね」

「朝飯食ってからでもいいでしょ?」

「それは勿論。自転車じゃちょっと遠いし……って、落ち着き過ぎだよなぁ…おかしい…怪しい…」

 眼鏡の奥で瞳が光ったような気がした。

「一周回って逆に落ち着いたんだよ」

「ふーん…確かにそう言う事もあるよね」

 イマイチ納得しきれてない様子だが、本当の事は言えない。無理やりにでも納得して貰うしか無い。

 さて朝飯。以前と同じく、槙原さんは親父にコーヒーを淹れて、俺のトーストにバターを塗っている。俺の隣で。

「……」

 どう反応していいのか解らず、トーストと睨めっこしていると…

「あれ?緒方君、トーストはバターだったよね?」

 間違えたか?と言わんばかりに、槙原さんが訊ねてきた。

「うん。バター」

「じゃあコーヒーかな?ブラックだよね?」

「うん。ブラック」

「サラダかなぁ…マヨネーズでいいと思ったんだけど…」

「うん。マヨネーズで合ってる」

「目玉焼き?塩胡椒からお醤油かソースに変えた?」

「いや、塩胡椒の儘」

 一つ頷き、言い切った。

「全部調べ上げた通り」

「調べ上げたのかよ…」

「じゃあ早く食べよ?冷めちゃうよ?」

 清々しい程聞いちゃいねーような返しだった。コンにゃろ、仕返ししてやる。

「うん…槙原さんはトーストはジャムだったっけ?」

 返事を待たずにジャムを塗る。

「コーヒーは砂糖一匙とミルク…と…」

 やはり返事を待たずに砂糖とミルクを入れる。

「サラダはドレッシングだな」

 更に返事を待たずにドレッシングを掛ける。

「目玉焼きは塩胡椒」

 問答無用で塩胡椒を振った。

「全部合っているじゃん!!」

 驚愕する槙原さん。知ってて当然だが、やはり言う事はできない。

「ほら遥香ちゃん。隆なんかほっといて、早くたべちゃいなさいよ。身体細過ぎでしょ?」

 遥香ちゃん…か…一年の夏に既に。

「そうだぞ遥香ちゃん。いやー、やっぱり女の子が居ると華やかていいなあ!!」

 やっぱり上機嫌かよ親父。

 昨日緑茶じゃないと散々文句言っていたよな。

「あはは~。私で良かったらいつでもコーヒー淹れますよ~」

 槙原さんは本気で毎朝コーヒー淹れる為だけに来るぞ。そうなったらそうなったで楽しそうだけど。

「さっ、隆君、ご飯食べよ?何なら『あーん』ってする?」

「早ぇーよ!!何もかもが早過ぎる!!」

 流石に突っ込んだ。名前で呼ぶとか、あーん、とか。

「あはは~。まあ、いいじゃない。いただきまーす」

 両手を合わせてトーストを齧る槙原さん。

「まぁ…考えてもしゃーねーしな…いただきます…」

 俺も微妙なテンションの儘、目玉焼きをフォークで割った。。

 ただ単に黄身を潰してトーストに付ける食べ方が好きだからだが。。


 そして俺は今、電車に揺られている。

 隣にはご機嫌宜しくポッキーをポリポリ食べている槙原さんが座っている。

「……しかしラッキーだったなぁ…親父の奴、小遣いだって八千円もくれてさ」

 二年の春には一万円だったが、こんな細かい違いはいらん!!素直に一万円にして欲しかった!!

「あはは~。おじさん葛藤していたよね。お財布見ながら『こ、これで遥香ちゃんに旨いもんでもご馳走してこい!!』ってさ」

 新しいゴルフクラブ買ってお金が無い筈だが、見栄って凄ぇな。

「おばさんからもお小遣い貰っていたよね~?」

「見ていたのかよ!!目ざといなぁ…」

 座席に深く腰を掛けて伸びながら呆れる。

 お袋から五千円頂いた。ついでに晩飯食べてこい、と。

 夕飯の支度が面倒だからと言う理由が、大半を絞めている事実は、伝えない方がいいのか?

「おばさん、夕飯の支度サボりたいって言っていたからね~」

「お見通しかよ!!」

 驚く程一致たので、ついつい突っ込んでしまった。しかも立ち上がって。

「でも晩ご飯に五千円は大金だよ。おばさんも単純にお小遣いあげたかったんじゃないかな?」

「そうかな?でも、理由が解らないな…」

 槙原さんは人差し指を前面に突き出して目を瞑って言った。フフンって感じで。

「息子に女子が早朝から遊びに誘ったのが嬉しかったんだよ。きっと」

「俺ってそんな心配されてんの!?」

 軽くショックだ。確かにモテないが、親に心配されるレベルだったとは。

「まぁ、何はともあれ」

「何はともあれ?」

「御両親公認て事で、間違い無いよね」

「早ぇえよ!!何もかもが早ぇえ!!」

 いや、確かに、全部の記憶を持っている今なら、槙原さんにバリバリ好意を抱いているが、同じくらい春日さんにも好意を抱いている訳で…

――その春日さんに刺殺されちゃうんじゃ…

 いやだから、今度こそそうなる前に敵を見つけ出してぶち砕かないといけない訳で…

――切っ掛けは槙原遥香の『取引』なんだけど…

 いやだから!!その取引をさせないように色々と動かなくちゃいけない訳だが…

 あれ?これって既に刺殺パターン?

 いやいや、楠木さんから手を退かせたから、刺殺パターンは無くなった…筈だよな?

――まだ解らないが正解

 一気に不安が襲い掛かる。

 やっぱり二人きりで遊びに出掛けるのは軽率だったか?

 いやしかし、早朝家に押し掛けて来た時期に、大幅なタイムラグが生じているし…

――兎に角、先手先手だよ。隆が言ったから槙原さんが楠木さんから手を引いたって事実もあるんだから

 幽霊の分際で超接近し、人差し指を俺に翳す麻美。

 つか、おっぱい当たる気配すら無ぇ!!

 悲しい。悲し過ぎるぞ麻美…

――何か邪な気配を感じるけど…

「いやいやいやいや!!気のせいだ!!俺は全く不埒な想像はしていないから!!」

 つい声に出して、ついでに立ち上がり、訂正した。

 だが、麻美は幽霊…俺にしか見えない幽霊…

 故に、俺一人で、勝手に取り乱しているようにしか、周りには見えてない訳で…

「いきなり何!?」

 お隣の槙原さんも吃驚仰天、身体を仰け反らして引いている。

 ま、周りの乗客の視線が…激しく痛い!!

 一つ咳払いをして座り直す。

「……槙原さんの水着を想像していたら、つい…」

「どんだけ思春期なの…」

 槙原さんの何か咎めるような視線…俺はプールに着くまで、それに耐えなければならなかった。

 

 結構な時間電車に揺られて着いた先は…

「やっぱり温泉プールか…」

 二年の春に誘われた温泉プールだった。

「お父さんがチケット貰ってねぇ。何か取引先の人がこのプールのお偉方と親戚とか何とか。三年前から何かとプールチケ貰って来るんだよねぇ」

「あ、そうなんだ?」

「うん。他にもあのコスプレファミレスの店長さんと知り合いらしくて、ドリンクチケ貰ったり、学校の近くの喫茶店のマスターが高校時代の後輩らしくて、コーヒーチケ貰ったり…お父さん、結構顔広いみたい」

 成程、あの幾多のチケットを所有している理由はそれか…

 ちょっと道が違うだけで、謎は解けるもんだなぁ。

「で、水着は?」

「そりゃ着替え終わったら幾らでも拝めますよ」

 只でさえ圧倒的な圧力を誇る胸を張りながら、何故か威張った。

「おーし、入ろう。早く入ろう!!」

「あはは~。了解了解」

 逸る気持ちを押さえる事も全く無く、俺は槙原さんを引っ張った。

 それ程までに、槙原さんの爆乳は魅力的過ぎるのだ。

 男子の着替えは早い。

 加えて槙原さんが爆乳を布一枚越しで見せてくれると言うのだから、俺の着替えは光速を上回った。最早神速と言って良い。

 しかしながら、いくら俺が神速で着替えたからと言っても、当の槙原さんが現れない事には全く無意味な訳だ。

 そうじゃなくても女子の着替えは遅いと聞く。

 つまり期待感がデカい分、苛々率も跳ね上がるのだ。

「とか愚痴を言っても仕方無い…槙原さんが来るまでプールに浸かろう…」

 ちゃぷんとプールにイン。

「……前来た時は春だったから人が疎らだったが、やっぱりシーズンだと結構な混みようだな…」

 俗に言う芋洗い状態では無いけれど、なかなかの密集具合だった。

 これがお盆とかなら、家族サービスでお子さん連れのお父さんお母さんで溢れ返るんだろうな。

 夏休みとは言え、今日は平日、故にそこまで混み合っていないんだろうなぁ。

と、水着の女子を目で追いながら考えていた。

 そう言えば、前は神尾の糞とその糞仲間達が槙原さんにちょっかい出して、俺がブチ切れて追い込んで、槙原さんに止められて、そんで槙原さんと付き合う事になったんだっけ…

 流石に神尾の糞とは遭遇しないだろうな。とか思いながら、一応は周りを気にする。

 …………………居たよ…

 あの糞野郎、呑気にベンチでビール呑んでやがる。

 売店の人は未成年にビール販売していいのかよ…

 超苛立ち、ゆっくりとプールから上がる。同時に姿を現す麻美。

――神尾を殴るの?

 ……場合によっちゃあな…だが、回はあんまりキレてない。少しばかり冷静な自分に驚いているくらいだ。

――じゃあ、何で神尾の所に行こうとするのよ?

 失せろと言いに行くだけだ。

 断ったらぶち砕くけどな!!

 何故か逸る気持ちを押さえ、ベンチで糞仲間と喋っている神尾の前に立つ。

 神尾がツラを上げて俺を睨み付けるが…

「…………お…緒方!!」

 ガタガタとベンチから滑り落ち、みっともなく地べたに尻を付けた。

 拳を握り締めて神尾の前に仁王立ちすると、案の定と言うか何と言うか、糞仲間が俺を囲んだ。

 今までの俺なら既に一発は放っているが、今回は我慢が効いた。

 代わりに神尾に言う。

「久し振りだな神尾先輩…こんないっぱい人が居る所でぶち砕かれたくないんなら、アンタの糞仲間に俺に触るなと言えよ…」

 一応ながら譲歩したつもりだ。

 だったが、やっぱり挑発になる訳で、神尾の糞仲間が簡単にキレて俺の肩に手を掛けた。

「おいお前!!いきなり何調子こいてくれてんだ…お…おおぉぇ…」

 糞が俺に何かしらのアクションを取ると、俺の拳は勝手に反応してしまう。

 糞仲間にボディを喰らわせると、簡単に蹲った。

「言ったよな?ぶち砕かれたくなきゃ俺に触るなってよぉ…」

 いつもなら追い討ちを掛けるが、今回は我慢だ。

 せっかく誘ってくれた槙原さんに申し訳無いし、槙原さんが止めたら、もしかしたら付き合う事になってしまう。

 チャンスがあれば是非にと言いたいが、全てに決着を付けるまではそれはできない。

「わ、解った緒方…だから殴るなよ…お、お前等こいつに触るなよ…口も利くな…」

 震える声で神尾が応じた。

「……緒方?もしかして的場の腕と鼻折った奴か!?」

 糞仲間の一人がビビって下がった。

 そいつに一瞥し、聞く。

「…的場の件は内緒にしてんだが…なんで的場の街から離れてる関係無いお前が知ってんだよ?ああ?糞が!!」

 ヤバい。興奮して口調が激荒になった。

 あんま反省はしないが、戒めなきゃ…

「……的場がどれだけ有名か知らねぇのかお前…その的場が大怪我したら、直ぐ広まるんだよ…」

 ふぅん…そう言えば木村も知っていたから、そうなのかな…?

 知らんけど。どうでもいいけど。

 ずいっと神尾に一歩近付く。

 神尾はやはり地べたに尻を付け、震えるのみ。

 糞仲間は神尾を助けようとせず、遠巻きに成り行きを見守っている。

 普段なら、そんな糞仲間にイラっとして全員ぶち砕くが、今回は我慢だ。

「……神尾ぉ…俺は今日、女子と遊びに来てんだよ…だから悪いけど失せてくんねぇか…?」

 これ以上の丁寧語は神尾相手には使えない。これでも頑張って押さえているのだ。

 言い終えると、神尾は安堵と媚びを混ぜ合わせた笑みを浮かべた。

「お、緒方、女できたのか…よ、良かったな…あの事ももう吹っ切れ…ひ!!」

 髪を思い切り引っ張って、口を止めた。

「あの事とは…お前等が麻美を殺した事か?俺を散々いたぶって遊んでくれた事か?それともその両方か?ああ!?」

 拳を振り上げる。

 我慢は一応した。

 あれを我慢したと言うのかと問われたら返す言葉も無いが、安田、神尾、武蔵野、阿部、佐伯…この五人は俺の中で『見たら殺す』レベルだ。

「ま、待て待て緒方!!解ったから!!直ぐ消えるから!!」

 涙目で腕をばたつかせ、必死の懇願とか…

 イラッとする。

「死ねよ神尾…」

「待って待って待って!!あああ!!畜生!!『街から離れれば大丈夫』とか適当な事言いやがって!!」

 何か喋っているが、聞こえない。どうせ直ぐに喋られなくなる。

 殺すつもりで拳を振り下ろそうとした。

 その手首を後ろからそっと握られる。

 苛立ちを露わにし、振り向くと…

 槙原さんが笑顔で手首を握った反対の手を振っていた。

「ま、槙原さん…」

我に返るとは正にこの事だ。

オレンジ色のビキニを首から掛けたタオルで少し隠しているが、あの爆乳がそんなもんで隠される筈も無く…

神尾の糞仲間達も、この状況下、その視線を槙原さんに集めていた。

「よ。どうかね?念願の布越し一枚だよ」

「ね、念願って…いや、念願だけど…」

 槙原さんは本当にニッコリ笑う。見惚れるような笑顔で。

「取り敢えず離してあげなよ。デートが台無しじゃない?

 慌てて神尾の髪を離した。

 逃れようとしていた神尾は、その儘後ろにすっ転ぶ。

 その神尾の前に行き、圧迫するように屈んで顔を覗く槙原さん。

「ね?神尾…先輩だっけ?さっき妙な事を口走っていたよね?あれ何?」

 微笑みながら、しかし目は全く笑っていないと言う槙原さんの圧力。

 ちょっと怖い…

 つか、冷静になると、確かに変な事を言っていたのを思い出した。

 街から離れたら大丈夫とか…

 一瞬目を見開き、槙原さんから視線を外す神尾。

 …何だ?

 明らかに失言だったと言わんばかりの、そのリアクションは?

 神尾の糞仲間に視線を投げるが、糞仲間はキョトンとし、首を横に振った。

 糞仲間は知らないようだが、神尾の反応が凄い気になった。

 俯いている神尾に近づくと、槙原さんは一瞬険しい顔になったが、直ぐに身体を避けて俺を隣に屈ませる。

「隆君、一応釘刺しとくけど…」

「解ってる。少しは我慢するさ」

 そう返すと首を振って否定した。

「口を割らないなら、口利けなくなるまで殴っていいから」

「暴力推進するの!?」

 驚いて槙原さんの方を向くと、槙原さんはウィンクをしてみせた。

 成程…脅しか…神尾が真っ青になって震え出した所を見ると、効果はあったようだが…

 えげつねぇ!!殴らせるつもりなんか微塵も無いのにえげつねぇ!!

 兎に角気を取り直して…

「神尾先輩…言うだろ?」

「……い、いや…それは…う…」

 気が付くと、神尾の髪を引っ張って顔を上げさせていた。

「お、緒方…!!」

「神尾先輩よぉ…別にいいんだぜ…公言通り、死ぬまでぶち砕けばいいしな…」

 半分、いや、九割本気だった。

 元々見たら最低病院送りにするつもりだったから。

 神尾は情けないツラで、大きく息を吐いた。

「…解った…言える所までなら…それ以上は…頼むよ緒方…」

「俺は全部言えっつってんだよ。お前が譲歩案出せる立場かよ?ああ?」

 再び握り締める拳。その拳にやはり手を添えて止める槙原さん。

「いいよそれで。私達もデートの続きしなきゃならないし、ね?」

 ……俺の怒りと言うか憤りと言うか、兎に角そんなもんが、しゅうしゅうと頭のてっぺんから抜け出る。

「か、神尾、それでいいから言え。今なら俺は拳に力が入らん」

「あはは~。そんな訳で、はいどうぞ?」

 ついっと手のひらを神尾に刺す。

 この切り返し…実に身も蓋も無い…

 神尾はいよいよ諦めたと溜め息を付く。

「……上級生…つまり俺達が毎日お前をボコってたのは…金の為だ…」

 金?金…

「何言ってんだ神尾?俺をぶん殴って誰が金出すってんだ?」

 意味がさっぱりだ。俺を殴って誰が得をする?

「雇い主は…言えねぇ…言ったら俺達はとんでもない目に遭う…俺達もそうだが、親父やお袋…家族にも…」

 何だその組織?言い逃れにしちゃ酷すぎだろ?

 どんな秘密結社だよ?

 やはり拳に力が籠もるが、槙原さんが添えている手が力を増し、俺に冷静を取り戻させた。

「中学時代、隆君をいたぶっていたのはお金が貰えるから。雇い主の正体を話すと自分は愚か、家族にも迷惑が掛かる…か…」

 槙原さんは何やら納得したように頷いた。

 そして神尾に顔を近付けて続けた。

「神尾先輩、中学時代、隆君を虐めていたの、先輩だけじゃ無いんでしょ?」

「あ、ああ…俺の他に四人…」

「違う違う、そんなメジャー所じゃなくてさ。アンタ達五人の他にも居たか?って事」

 安田、神尾、武蔵野、阿部、佐伯の糞ったれをメジャー所って…

 だが、そうだ。色んな奴が俺をいたぶってくれたが、最後まで残ったのがこの五人。

「ああ…勿論居たけど…分け前が減るから、この五人でやるって佐伯が他の奴等をやっちまって…」

 思わず身を乗り出す。

「おい、ある時からお前等糞共しか俺をいたぶりに来なかったのは、佐伯が仕切ったからって事か?」

「う、うん…お前も知っているだろうが、佐伯が俺達の頭みたいなもんだっただろ?」

 佐伯…この糞共の中で一番強かった奴だ。一番狂暴だった奴でもある。

 力を付けた俺は、こいつ等五人をぶち砕いた。

 完膚無きまでに、身体だけじゃなく心もぶち砕いた。

 その時、俺に何度も何度もぶん殴られても、最後まで抵抗したのが佐伯だ。

 最初に五人仲良く病院送りした時、その病室に追い込みをかけても、退院した時クラスに乗り込んで散々ぶっ飛ばして再び入院させた時も、意地かプライドか知らないが、ムカつくツラを俺に向けていた。

 佐伯が土下座したのは、四度目の入院の際、やはり病室に追い込みをかけた時だったか。

 まぁ、他の四人は最初の追い込みで土下座したが。

 尤も、土下座しようが許す筈も無く、卒業まで執拗に付け狙ったけど。

「ふぅん…要するに、その佐伯って人が仕切っていた訳だ?隆君をいたぶったり、雇い主からお金を受け取ったり?」

「佐伯が金を貰って俺達に分配したのは、他の奴等をシメた後だ。これからは俺達が仕切るから、金は俺に寄越せってな」

「なんでアンタ達を仲間にしたの?」

「昔から連んでいたからな、俺達は…そして共犯が欲しかったって所だろ。俺達も金だけじゃなく、佐伯に仕切られていた苛立ちから、緒方をぶん殴っていた理由がデカい」

 なんだ。何のことは無い、やっぱり憂さ晴らしかよ。そこに金って付加価値が付いただけだろう?

 俺の思考を読んだように、槙原さんが俺に身体を密着させて囁いた。

「気持ちは解るよ。でもちょっと落ち着こうかダーリン?」

 爆乳の柔らかさと心地良い囁き…

 俺が簡単に落ち着いたのは言うまでもない。

 思春期ですから。

「ま、大体解ったよ」

 槙原さんは俺と腕を組み、立ち上がる。

 おっぱいバリバリ当たってる~!!

 もう爆乳が気持ち良過ぎてのぼせそうだ。

「じゃ、神尾先輩。とっとと帰ってよ」

 俺の思春期思考なんかお構いなしに、冷たい言葉を浴びせる槙原さん。

 神尾を見る目が氷のようだ。

 だが、おっぱいは当たった儘だった。

 神尾は一瞬唖然としたが、納得したように頷き、立ち上がった。

「解った、帰るよ。つか、聞きたい事はもう無いのか?」

「本当に聞きたい事は喋らないでしょ?さっさと失せて。じゃないと私のダーリンの精神衛生上良く無いから」

「ダーリンとか言うな」

「私のふくよかな胸を堪能して、鼻の下伸びまくりなのに?」

「く!!の、伸びてねぇよ!!おら神尾、糞仲間連れてさっさと消えろ。槙原さんを見るな。解ったか?あ?」

 八つ当たりで神尾に蹴りを入れる真似をする。

「…緒方、あの時は悪かった…お前は信じないとは思うけど、屋上であの女が死んだ時、少なくとも俺は…」

「うるせぇ。お前の言い訳なんか信じねえ。お前等は俺の永遠の敵だ」

 いくら糞にもまともな奴が居ようとも、木村や的場は兎も角、こいつ等五人に心を許す訳にはいかない。

 俺は神尾の返事を待たずに、槙原さんを無理やり振り向かせる形で、神尾に背を向けて歩き出した。


 パラソルの日陰を頼りに、椅子を倒してぼーっとした。

「お待たせー。コーラでいいよね?」

 槙原さんが優しくも気を遣ってくれて、冷たい飲み物を買ってきてくれた。

「ああ…うん…ありがとう…」

 この体勢で受け取るなど、最低な行為は流石にぼーっとしていても解っている。

 身体を起こしてコーラを受け取り、一口飲んだ。

「どうしたのさ隆君?神尾さんを殴らなかった事を後悔しているの?」

「うーん…それは結構どうでも良かったかなぁ…」

「あはは~。まぁ止めたの私だしね~。そこ後悔されたら、咎められるの私だし」

 咎めないよ。何があっても絶対に。

 数多の世界で、槙原さんに助けられた事を知ってんだ。

 槙原さんが俺の為、ぶっちゃけると自分自身の為に、頑張っていたのを一番知ってんだ。

「ぼーっとしていたのは、金と言う付加価値を含めても、結局糞くだらねぇ理由で俺をなぶっていたのを再認識したからだよ。深い理由なんて無く、麻美まで殺しやがった…」

「うん。そうだね。でも、疑惑が確証に近付いたのは収穫だったよ」

 確証…その単語に惹かれて、俺は槙原さんを見た。

 槙原さんは笑いながら頷き、俺に接近して小声で喋り出す。

「かなぁり申し訳無いけど…入学直後に助けられた時、隆君の事色々調べたんだ…その事は何となく知っているよね?色々バレちゃってるみたいだし…」

 知っているも何もだ。

「その情報源の一つが、中学時代に隆君をいたぶっていた人達…あの五人とは違う人達なんだよ」

 そうだよな…恥ずかしながら、俺はそれに気付かなかったよ。

 逆に言えば、あの五人以外には興味が失せたからだが。

「裏でお金を渡していた人も簡単に解ったよ。だって他の人は隆君に狙われてないし、麻美さんの事件にも関わっていないから」

「……誰だ?」

「……今は言えない。戦うにも戦力が足りないから」

「戦力って?」

「決定的な証拠とか、脅せるネタとか」

 真顔でしれっと言い放った。全く表情を変えずに。

 怖えぇ…マジ怖えぇな…

 だが、そのおかげで、俺はかなり助けられた。

 あの時、槙原さんが絡まられていた時、単にああ言う糞が許せなく、自分の都合でぶち砕いた俺の為に。

 糞をぶち砕く為に鍛えに鍛えた拳を、格好いいと言ってくれさえした。

 ……思い出した。

 二年の春、この鍛えた武器が役に立たないと言われた事を。

 今の俺でも無理なんだろうか?

「なぁ槙原さん、そいつ俺がぶち砕ける奴か?」

 拳を握って目の前に突き出してみせる。

 ボクシングはハードパンチャーな程、拳や手首を痛めやすい。

 俺もハードパンチャーの部類に入るらしく、故障に気をつけろと先輩方や会長に口を酸っぱくして言われた。

 ヒロがその解決策を教えてくれて、俺はそれを練習に組み込んだ。

 空手の巻き藁突きだ。

 拳の強化と言うよりは、手首の強化だとヒロが言っていた。

 そのヒロは、何故かバケツに砂を入れて、手刀で突いていたが。

 少林寺かよと突っ込んだが、手首強化には違いないと言っていたな。

 効果の程は…実際良く解らないが、今まで故障はした事が無い。

 その故障知らずの拳に手を添えて首を横に振る。

「そう言う問題じゃないんだよ。隆君がその事実を知った時にどうなるか、それが想像つかなくて怖いの」

 それは…前にも似たような事を言われたな…

 腕っ節だけでは勝てない。全ては俺の心次第。

 その事実とやらを知ったら、俺はどうなるのか…それについては自信が無い。

 俺は弱い儘だからだ。

 いずれにしても、槙原さんは言わない。

 あの二年の春、あれほど親密になったにも関わらず、決して言わなかった槙原さんだ。

「解ったよ。だけど近い内に絶対に教えてくれよな?色々心構えしとくからさ」

 槙原さんは意外そうな表情を見せるも、直ぐににっこり笑って頷いた。

「勿論。さって、せっかく来たんだし、泳ごうか?」

 立ち上がり、手を伸ばされる。

 その手を拒否する事なんで有り得ない。

「んじゃ青春しますか」

 手を取った時に感じた体温は温かく、優しかった。

「あはは~。なんか卑猥」

「そりゃ、そんな反則な胸を持っているから卑猥に聞こえるんだよ」

「あ、ねぇねぇ、どう?この水着?」

「脚細いよね」

「ありがと。じゃなくて、水着!!」

「みかん食いたくなる」

「色だけか!!」

 そんな感じでじゃれあって、プール出てから飯食って、この日のデート(?)はそこそこ平和に終わった。


 夜。プールで遊んでクタクタだったから、ジムには行かず、久し振りに部屋でゴロゴロ転がっていた。

 要するに暇を持て余していた。

 同じように暇を持て余していた麻美が、ぬーんと姿を現す。

――いやー、槙原さんやっぱり凄いよねー

 そう言って自分の胸に両手を当てる。

「ありゃ兵器だ。近寄ったら爆死する」

――その兵器を堪能しまくりだったよね

 ジト目で俺を見るが、自分の胸からは手を離していない。コンプレックス有りまくりだろ。

「しかし、二年の春の前倒しみたいな形だが、やっぱり敵の正体は解らずじまいか」

――華麗にスルーしたね

「あと、夏のイベントで記憶にあるのはファミレスか」

――ファミレス?

「ほら、朋美が嘘を言って、ヒロと里中さん巻き込んで、ファミレスで安田ぶち砕いたヤツだよ」

 言い終えると、麻美が俯いて口を噤む。

「どうした麻美?」

 声を掛けると、顔を上げてパクパクと口を動かし、そして悔しそうな顔になる。

「麻美?」

――……隆…結構ヒント出てるよ。今までの事も、今日の槙原さんも、そして…今も…

「ヒント…か…」

 頭が末期と言えど、考えなきゃならない。

 この悲しそうで苦しそうな麻美を助ける為に。

 俺自身助かる為に。

 俺は暫く考えて考えて……

 気が付くと、朝になっていた…

 あの状況で寝落ちとか…我ながら情けなくなる…

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