一年の夏~004

 武蔵野から手を引かせてから数日後。

 楠木さんから告白の返事の催促のメールが呆れる程届いて、スマホを開くのも面倒な日々が続いている。

 恐らくは木村が手を引き、武蔵野から薬が流れて来ない事から、何か脅迫観念が働いて、身を守る手段を早く得ようと言う思惑だと推理する。

 最初は『好き好き』メールだったのが、『助けて』メールに変わったのが根拠だ。

 つか、なんで助けなきゃならないんだ?付き合っていないのにな?

――なにをしたり顔で説明してんの?考えたの私じゃない

 ジト目の麻美。

 はいそうでした。全部麻美の受け売りでした。

 だって麻美が…隆は馬鹿だから考えないでと、真顔で言ったんだもん。

 凄い傷ついて暫くヘコんだんだからな。

――三時間くらいを暫くって言うの?

「うるせーな。いいだろ繊細をアピってもよー」

 制服にのそのそ着替えながら返した。

「だけどメールラッシュで思わぬ副産物があったぜ。スマホ開かないから、非通知着信も見ずに済んでいるぞ」

――非通知は元々スルーしているじゃん

 いいだろ別に!!些細な事に突っ込むな!!

 こいつ本当に俺の事好きだったのか?と疑問が湧き出るわ。

 朝から麻美といい感じの漫才なんかを交わしながら、学校に到着。

 楠木さんに捕まると長いから、素早く教室に入る。

「あれ?ヒロ、早いな?」

 いつもは遅刻ギリギリに飛び込んで来るヒロが、俺より先に登校していた。

「お前に話あったから早めに来たんだよ」

 仏頂面のヒロ。

「用事か?ならメールとか電話すりゃ…」

「メールも返信来ねぇ、電話にも出ねぇから早く登校したんだ!!」

 ……ああ、楠木さんのメールラッシュを回避すべく、スマホ開いていなかったからな。こりゃ俺が完璧に悪い。

「悪い悪い。で、話って?」

「今日の放課後、楠木連れて此処に来い」

 つっと差し出されたのは、春日さんのバイト先の、味が普通のメイドコスファミレスのドリンクバーチケット。

 つか、楠木さんと?

 意味が解らす呆ける俺だが、ヒロがしつこく必ず来いと言いまくるので、キョドりながらも頷いた。

 何故キョドったかと言えば、春日さんは勿論、槙原さんの友達も働いているからだ。

 何となくだが、間違い無く槙原さんに話が通るな、と思ったからだ。

 この先の展開が白紙状態だから、尚更キョドったのだった。

 しかし、楠木さんを連れて来いと言う事は、楠木さんを誘わなきゃならない訳で。

「あっ!足取りが覚束ないっっっ!!」

 多分昼休みは中庭に居るだろうと思い、中庭に行こうとしているのだが、脚が拒絶反応を起こして、膝がグニャグニャしてまともに歩けないっっっ!!

 あのメールラッシュが無ければ多分まともに誘えたんだが、必死さが伝わって来て、正直ドン引きなのだ。

 必死とは所謂保身の事だが、知らないのなら感動したかもだが、知っている今は痛々しい程痛々しい。

「ちくしょう!どんな罰ゲームだコレ!!」

――と、言う事は、告白を受ける気は無いって事だよね?

 いきなり現れた麻美。

 当たり前だろ。本当に好きなら考えるが、違うじゃねーか。俺はボランティアは嫌いなんだよ。

――ま、当然かぁ…でも、一年の夏で轢死は無くなったみたいだね。油断は出来ないけど

 確かに、電車で轢死は、楠木さんと付き合って成り立つ運命だ。

 それを今までに無い方法で回避出来た事は、結構デカいような気がする。

 

 物凄い頑張って中庭に着いた俺。

 楠木さんはいつもの営業スマイルが消え失せ、ベンチに座って俯いた儘スマホを触っていた。

 メールチェック?いや、めっさ凄い勢いでメールを打っている。

――多分隆の他にボディガード候補が居たんじゃない?

 成程、そいつ等に、俺に送ったメールと似たような内容を送りつけているのか。

 楠木さんは可愛いから、簡単に見付かるとは思うが、木村レベルの腕っ節を持つとなると限られて来るなぁ。

――もしくは武蔵野に代わるルートを探している最中とか?

 成程、武蔵野一本じゃ無い可能性もあるか。

 だがあれ以上は動くの面倒い。俺の轢死運命を変えただけでも良しだ。。

――でも、二年の秋に逆恨みみたいな形で槙原さんを刺殺したよね?断った、助けてくれなかった逆恨みで刺殺されるかも…

 それは激しく困る!!ど、どうしよう麻美!!

――解り易く狼狽演技しない。知っているなら楠木さん警戒して返り討ち、じゃん

 まぁそうだけど。刺殺される理由が無いしな。

 麻美とそんな会話を交わしている内に、とうとう楠木さんの傍に来た。

 楠木さんは俺に気付かず、アホみたいにメールを打ち捲っていた。

「楠木さん」

 あからさまに不機嫌な顔で見上げたが、俺だと知った瞬間、瞬時にいつもの営業スマイルにチェンジ。

 サッと立ち上がり、ニコッと笑い、首を傾げたり。すげぇな女って。

「緒方君お昼なの?一緒に食べない?玉子焼きあげちゃう!!」

 玉子焼きか。何もかも懐かしい。

 一年の夏に、何度も何度も食べた、旨い玉子焼き。

 あれだけは自分で作ったと言っていた、楠木さん好みの味。

「玉子焼きもそそるけど、今日は別の用事で…」

 ゴソゴソとポケットを漁り、出したのはヒロから貰ったドリンクバーチケット。

「?」

 だから小首傾げんな。惚れちゃうだろうが。

 まぁ兎に角…

「今日の放課後、用事が無かったら一緒にどうかと思っ」

「行きます!!」

 最後まで言わせず即決の楠木さん。

「これって所謂デート?」

「いや、デートってかチケット貰」

「今日パパもママも遅くなるって言ってた!!」

 やはり最後まで聞かずに握り拳を作り、何かアピって来た。

「ご両親が遅くなるのか。じゃ、ついでに晩」

「夕食もご一緒お願いしますっっ!!」

 もう水飲み鳥なんか目じゃ無い程、高速で頭を下げた。

 必死さがひしひしと伝わって来る1ページだ。

 つか、今俺から誘おうと思ったのに。

 ヒロが何の用事で呼び出したのか知らんが、一応ご足労おかけしたと言う感謝の意を込めての、当然俺(もしくはヒロ)のおごりでの夕食の誘いだったんだが…

 まぁいいや…結構今引いているしな…

「じ、じゃ、放課後…」

「校門!?それともクラスに迎えに行こっか!?」

「え?えーっと…じ、じゃあ校門で…」

「玉子焼きは!?お昼の玉子焼き!!」

「え?い、いや、今ちょっと友達を待たせているから…」

 俺は振り返らずに、楠木さんから視線を外さずに、徐々に後退りしながら言った。

 熊に遭遇した訳じゃねーんだが、色々怖かったのだ。

 そしてある程度の距離を取り、足早に立ち去った。

 マジで色々怖かったのだ。

 つかヒロも一緒に来ればいい話なんだが、何故か昼前にサボって早退しやがったし

「一体何の用事、いや、何企んでんだろうなぁ……」

 俺も昼飯食わなきゃ、食いっぱぐれてしまう。

 急いで教室に向かおうと購買の前に差し掛かった時、アホな男子生徒が購買のパンに群がって通り抜けできない状況にぶち当たった。

「うわー…弁当持って来いよ…つか、学食行けよ」

 育ち盛りの腹ぺこ男子が、パンで腹膨れるか。

 掻き分けて進もうとするが、人波に飲み込まれて、何故か購買最前線に到達してしまった。

「パン買わねーっつーのに!もう!!」

 苛々しながら脱出を試みようとしたが、あのパンが目に入って俺の身体が停止する。

 カスタード&生クリームDX!!

 反射的に、本当につい取ってしまったカスタード&生クリームDX…

 取ったもんだから、お金を払ってしまったカスタード&生クリームDX…

 春日さんの為に、毎日毎日ムサい男子生徒相手に揉みくちゃになり、苦労してゲットしていたカスタード&生クリームDX…

 それがこんなに簡単に手に入るとは…

 と、食わねーのに無駄金を使い、勝手に感動している俺が居た!!

 つか、どうするよこれ。こんな甘過ぎるパン食わねーよ。

 途方に暮れた俺の前に、オドオドしながら群がる男子生徒にビビって足踏みしている、小さな女子の姿が目に入った。

 牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネ。

 前髪で顔を隠していながら購買を見ている女子…

 春日さん。

 春日さんは目立たないと言うか、暗い感じな女子の印象だが、滅茶苦茶可愛いのを俺は知っている。

 出会いは夏休みの補習帰りの本屋だが…

――どうする隆?槙原さんと縁を持たないようにしようとして、結局失敗したよね?

 いきなり現れんなっつーの。でも、そうなんだよな…

 結局出会う運命みたいだし…未来を変える為に今動くか?

――だから未来は変わらないってば。新たな道が出来るだけだって

 解った解った面倒臭ぇな。

 まぁそれは兎も角、この甘過ぎるパンは俺にはキツい。

 ならば少しでも道が変わるよう、今動いてやろうじゃねーか。

 俺は覚悟を決めて、春日さんに話し掛けた。

「このパンいらない?間違って買っちゃったんだよ。引き取ってくれたらかなり助かるんだけど」

 いきなり話し掛けた春日さんは、あからさまにビクゥと身を固めて、瓶底メガネの向こうで怯えた瞳を作って俺を見た。

 かなぁり傷ついた。

 カスタード&生クリームDXを差し出している手がプルプル震えだした。

 何分固まってんだよ春日さん!

 焦れて焦れて、再び言った。

「あの、このパンなんだけど、間違っちゃったから、貰ってくれたら有り難いんだけど…」

「……………」

 反応無し。微動だにしない春日さんだった。

 もう面倒臭くなって、春日さんの腕を取る。するとビクゥ!と硬直する様が伝って来た。

 だから傷つくっつーの。

 俺はその手にカスタード&生クリームDXを置いて手を離す。

「そんじゃね」

 どうせ返事は来ないと思い、春日さんに背を向けて歩いた瞬間、結構な力でシャツを掴まれて、俺の歩みは止められた。

 振り向くと、春日さんが俺のシャツの背中を春日パワー(そんなに力は無いが、必死さが伝わるパワーだ)で、がっちり握っている。

「……ありがとう…」

 ちっさいちっさい、絞り出したような声。

 春日さんの声を聞くのは久し振りだったので、腰が砕けそうになった。

 春日さんは声も可愛らしいのだった。

「……あの…あの…どうして私に…?」

 超オドオドしながら聞いて来た春日さん。

 彼女からすれば、それはかなりの勇気を要した筈だ。

「いや、このパン買っているのを見た事あるから」

 一年の冬まで、ほぼ毎日俺が買っていたんだし。

「……で、でも、このパン…人気あるから…結構買っている人いるよ…?」

「いや、昼休み購買通り掛かる度に見たから。このパン好きなんでしょ?」

「……うん…」

「じゃ、俺食べないから貰ってよ。間違えて買ったんだし、連れも甘いパン食べないからさ」

「……うん…ありがとう…」

 俯きながらも微笑んだ春日さん。すんげえ可愛いなぁ…

「……あの…お礼に…コーヒー…飲む?」

「いやぁ、礼なんていいんだ…う…」

 瓶底メガネの奥から、俯きながらも上目使いながらも、ジト目で俺を見ているのが解った。

「う、うん…ブラックのヤツ頼めるかな?」

 春日さんは満面の笑みを浮かべて顔を上げ、俺を直視し、大きく頷き、自販機にパタパタ走った。

 つか、直視されたのも久し振りだった。

 やっぱりすんげえ可愛いなぁ…と、感慨無量となった。

 春日さんからコーヒーを貰い、今度こそ弁当食うぞと急ぐ俺。

「緒方君」

 呼び止められて振り向くと、槙原さんが手を振って寄って来た。

「緒方君、今からお昼ご飯?」

「あ、うん。槙原さんは?」

「私もこれから。先生に用事押し付けられちゃってさ。お昼休み短くなったのよねぇ…」

 腕を組み、膨れっ面でブーブー文句を言う槙原さんは、その爆乳を、寧ろ俺に強調させて見せているように見えた。

 その爆乳を凝視する。

「私の爆乳に興味がおあり?」

「健全な男子なら興味を覚えて当然」

「あはは~。やっぱり緒方君素直だねぇ」

 素直ですから。その爆乳俺のものだった頃もあるんだぜ。言わないけどな。

「じゃ、私も素直になって、学食に付き合ってくれない?」

「昼飯のお誘いか。だけど俺弁当あるんだよなぁ…因みに何食べる予定?」

「今の時間じゃカレーかな?」

 カレーか。カレーはいい。

 この学校のカレーはチキン、ポーク、ビーフと三種類あり、そのどれもおいしいのだ。

 確かカレーのルーだけでも注文可能だった筈。俺の弁当の白米が、おいしいカレーライスに早変わりできる。

「いいよ。ちょっと待って。弁当取ってくるから」

「あら意外!素直にお誘いに応じるなんて!!」

「結構応じているだろ。勉強見て貰ってもいたし」

 そうなのだ。

 槙原さんにはかなぁりお世話になっているから、お誘いには可能な限り応じているのだ。

 いつだったか、ゴミ捨て手伝わされた事もあったし。勿論ゴミは俺が持ったし。

 でも不思議な事だが、こうやって槙原さんに付き合っていると、怖いと評判の俺だが、今回は周りにそんなに怖がられていない気がする。

 ヒロとばっか連んでいた時は、話し掛ける事すら憚れるとか言われていたのだが。

「あはは~。でしたでした。何か緒方君にはお誘い断られている印象があってさぁ。ゴメンゴメン」

 それはその通り。

 過去に槙原さんの誘いに乗った事はあまり無い。

 二年の春からちょいちょい乗るようになる。

 そんな訳でいつもの席を陣取り、俺と槙原さんはちょい遅めの昼飯を食べている。

 槙原さんはポークカレー。俺はルーだけにしようと思ったが、味噌汁代わりにうどんなんか注文してしまった。

 プロになる訳じゃないから、ウェイト気にしないからいいけど。

「緒方君、この間派手に暴れたらしいじゃない?」

 ジャガイモをスプーンで割りながら不意に言い出す槙原さん。

「この間って?」

「一週間くらい前かな?隣町の暴走族の有名人と戦って勝ったって。3対30だっけ?」

 すげーな、よく知ってんな。あの件は的場の顔を立てて、誰にも言わない事にしたんだが。

 木村から流れたか?いや木村もあれで筋通す奴だから、それも無い筈。

「楠木さん絡みだって?告られたもんね緒方君」

「やっぱり槙原さんは大したもんだ。よく知ってんな。だけどあんま広めないでくれよ?」

「勿論。暴走族のリーダーの人の顔立てて内緒にしていたんでしょ?私も空気読む方だから~」

 言いながら人参を、俺のうどんに運ぶ。

 人参食えよ。じゃないと爆乳維持できないぞ。と、思ったのは内緒だ。

「言うか言うまいか悩んだんだけどさ、緒方君、楠木さんさ、薬やっているよ」

 本当にいきなり言い出すな。しかし俺は平然としたものだった。

「知っている。だから的場とやり合ったようなもんだし」

 ズルズルと啜りながら返したら、槙原さんの方がびっくりしていた。

「緒方君の方が凄いよ!ああ、それで西高生とも…」

 ふむふむと納得し、ずいっと顔を近付けてきた。

「楠木さんと付き合うの?」

「楠木さんがマジで告って来たんなら考えるけど、違うだろ。だから付き合う事は無いな」

 今の所は。と付け加えるまで、微妙にはにかんでいた。

「今の所って?」

「改心して本当に好きになってくれるかも知れないだろ。真摯な態度には真剣に応えるのは当たり前だ」

「そうなったら解らない。と?」

「そう言う事」

 今度は腕を組み、う~むう~むと考え込んだ。

 一体何をしたいのやら、だ。

 そして思い付いたように、手をパンと叩いて言い出した。

「緒方君、夏休みの予定は?」

「ジムと予習、復習。休みだからって身体鈍らせちゃいけないし、頭が末期だから勉強は必要だ」

「じゃあさ、プール行かない?チケット二枚あるのよね~」

 可愛らしいお財布(ピンク色のガマグチタイプだった)から折り畳んだチケットを広げて、俺に見せる槙原さん。

 それを見たら、今度は俺が驚いた。

 あの温泉プールのチケットじゃねーか。

 あれは二年の春に、寒い思いをして入ったプールだ。そして槙原さんと親密度がマックスになった場所でもある。

 二年の春の前倒しでここに来るか?

 いや、楠木さんは薬から手を引いている、ってか、回って来ない状況だし、槙原さんが学校にリークするより俺に言った事から逆恨みは無い筈だし…

「行くんなら水着気合い入れちゃうよ?」

 爆乳強調の胸を張ったポーズ。

「…黒か白のビキニがいい…」

「指定するんだ!?」

「更に布一枚越しで、その爆乳を腕とか背中に押し付けてくれたら最高だ!!」

「おねだりしちゃうんだ!?」

 あー、このやり取り。何もかも懐かしい。

 二年の春に戻ったような…つか、今、一年の夏なのに、戻るとかちょいおかしいが、それはそれで。

「でもそれはOKって事だよね?」

「槙原さんの爆乳を布一枚で見られるチャンスだぜ?行かない訳が無い!!」

 拳を握っての力説。

「あはは~。緒方君って、怖がられて避けられているから、女子と話す事あまり無いとか言いながら、何気に扱い上手いよね~?あ、こんな事言われて喜んでいるのは私くらいか」

 そりゃ慣れていますよ。何回人生やり直したと思ってんだ。

「兎に角日にちは任せるよ。俺が合わせるから」

「了解。ほんじゃ今日街に繰り出して水着買いに行きますかね~。緒方君とも会うかも知れないしね」

 ……こりゃ知っているな。

 楠木さんとあのファミレスに行く事を。

 どっから流れてんだ?

 朝のヒロとのやり取りか?はたまた、さっきの中庭での楠木さんとのやり取りか?

「会ったら俺が紐みたいな水着を薦めるからそれ買って。つか、寧ろ身に着けて披露して。その場で」

「私露出癖無いんだけど…」

 と、こんなたわいも無いような、腹の探り合いのような会話をしながら、俺達は仲良くお喋りしながら昼飯を食べた。

 そして放課後…

「あっ!脚が重くて進み難いっっっ!!」

 完全に拒絶している身体を、文字通り引き摺って校門に向かう。

 先に来ていた楠木さんが目ざとく俺を発見、手を振りながら女子走りで駆けて来る。

 遅ぇ!!

 足の遅さをアピってんのか!!バリバリ演技臭がするっ!!

 そして俺の前で立ち止まり、ハァハァと肩で息をして軽く俯いてからの!!

「お待たせっ!!」

 満面のスマイルでの上目使い!!

 ならば俺はカウンターで返す!!

「いや、俺が今来たところだから」

 空気読まずの切り返しに、笑顔が微妙ながらも引き攣った楠木さん。

「う、ううん!校門からここまで待たせたからっ!!」

「いや、普通に待っていてくれたら、後5秒後には俺が到着したから」

 別に可愛さアピールや従順さアピールはいらん。

 流石にそこまでは言わない、と言うか口には出さないが。

「そ、そう?じゃ、早速行こっ!!」

 くるんと俺の左腕に腕を絡めて密着する楠木さん。

 以前ってか過去の俺ならば、天にも昇る気持ちだっただろうが、今の俺は生憎全ての記憶を持っているのだ。

 春日さんとの身体の温もりも、槙原さんの爆乳も既に知っているのだ。

 そんな俺相手に、楠木さんのおっぱいは、少しばかり役不足だったのだ。

 最寄り駅から五つ先。それから本当に少し行った所に、あの味は普通のコスプレファミレスがある。

 最初は本当に恥ずかしくて一人じゃ来られなかったが、一年の秋辺りから、春日さんに会いに、一人で行けるようになった。

「緒方君どうしたの?早く入ろうよぉ~?」

 楠木さんは甘えたような声を出して、左腕をぐいんぐいん引っ張って促す。

「そうだな。んじゃ…」

 入店すると…

「いらっしゃいませぇ~!!」

 黄色い声でお出迎えのメイドコスのウェイトレス集団。

 その中に槙原さんの友達の紫メイドコスさんがいた。

 俺を見て「あ」と小声を漏らした。

 後で槙原さんにメールか何かで教えるつもりだな、たぶん。

「お二人様ですかぁ?」

「ああ、多分」

「お煙草お吸いになりますかあ?」

「吸っても制服だからこんな目立つ所では吸わない」

「生憎と禁煙席は満席でして~。喫煙席で大丈夫ですかぁ~?」

「どこでもいい」

「では空いているお席、お好きな所へどうぞぉ~」

 結局自分で選べってか。

 マニュアルだろうが、いちいち面倒臭ぇなぁ…

 俺はやがて来るであろうヒロの為に、広めな席に陣取った。

 楠木さんは特に何も言わずに黙ってついて来た。

 ドリンクバーはチケットだから無料なのは良しとして、やはり少し寂しい。

「なんか頼む?」

「う~ん…レアチーズケーキのチョコクッキーセット」

 なかなかハイカロリーだな。

「じゃ、俺は軽くつまめる物を…フライドポテトでいいや」

 かくいう俺もハイカロリーだが。

 決まった所で店員呼び出しベルを押した。

「はぁい、お待たせしましたあ!!」

 やってきたのは、槙原さんの友達の紫メイドさんだった。絶対狙っていただろ。

「えーっと、ドリンクバーチケット2枚あるんで、それでドリンクバーと、レアチーズケーキのチョコクッキーセットとフライドポテト」

「はぁい畏まりましたぁ!!」

 じろじろじろじろと俺達を見ながら、注文を繰り返す紫メイドさん。

 絶対見定めしているな。

「あ、ドリンクはあちらからご自由にお取り下さい~!それでは少々お待ち下さい~!」

 含みのある笑みを浮かべながら厨房に戻った紫メイドさん。

 絶対槙原さんにリークする気だ。

 注文した物とか、細かい事を。

「…なんかさっきの店員さん、じろじろ見ていたよね。印象悪っ!!」

 毒づく楠木さんだが、それも印象悪いからやめた方がいいと思うが。

「あ、ねぇ緒方君、何飲むの?私取って来てあげる」

 営業スマイルで席を立つ楠木さんだが、さっきの印象を打ち消そうとしているのかは不明だ。

「いいよ、自分の分は自分で取るから」

「えー!?私が取りたいぃー!!」

 ぶーとほっぺを膨らませるが、これも嘘臭い。

 あー駄目だな。何やっても演技としか思えなくなっているわ。

「じゃあ、アイスコーヒーをブラックでお願い」

「うん、了解。ちょい待っててねぇ」

 言うや否や、超スピードでドリンクバーに向かって行った。

 なんか鼻歌歌いながら氷入れているし。

 あーヒロの野郎、早く来ねーかなぁ。ちょっと色々辛い。

――何が辛いのよ?つかマカロン無いのここ?

 うわビックリした!

 だぁかぁらぁ!いきなり現れんなっつってんだろ!

 つか、マカロンなんてあるか。ここはファミレスなんだぞ。しかも味は普通なんだよ。

 文句を言う俺に、含み笑いを浮かべる麻美。そして悪戯っぽく笑いながら言った。

――実はあ、楠木美咲とデートしたのは今回が初めてでしたぁ!!しかし演技だと知っている為に、全く嬉しくもときめきも無いのでしたあ!!

 もしもみんなに聞こえたとしたら、恐らく外にまで聞こえただろう、でっかい声。

 実はそうなのだ。

 付き合っていた筈の一年の夏も、一緒になるのは昼休みと下校くらいで、二人でお茶とか食事とかした事無かったのだ。

 メールも素っ気ない返事とか。例えば件名がRe:とか。

 Re:で解るように、俺が出したメールの返事だけみたいな。電話なんか半分は留守電だったし。

――今だから言うけどさ…

 ん?何かな?

――一年の夏、中庭でお弁当中に頭痛で倒れた事あったじゃない?

 あったな。お前が起こした頭痛でな。起きたら保健室で槙原さんが看病してくれてたっけな。

――あの時楠木美咲はね、うわ、いきなり倒れるなんて気持ち悪い!って言って、そそくさと中庭から出て行っちゃったんだよね

 初めて知った悲しい事実!!

 保健室に運んだのは先生だとしても、せめて知らせに行ったんだと思っていた!!

 仮にも彼氏が倒れたんだぞ?逃げるとか有り得ないっっ!!

 俺はガクンとテーブルに頭を打ち付けた程、項垂れてしまった。

――因みに隆の大好きな爆乳を堪能したのは、その後直ぐなんだよ?

 人差し指をピッと上げて、ウィンクなんかする麻美だが、誰にどんなアピールなんだ。

 つか、直ぐ後ってまさか?

 コックンと頷き、続ける。

――槙原遥香が学食からその様子見てて、すっ飛んで駆け付けてくれてぇ~。馬鹿みたいに倒れた隆を、汗いっぱい掻きながら保健室に運んだのでした

 俺は超速でスマホを開き、槙原さんにメールを打った。

 Sub【あの時は】

【ありがとうございましたあ!!】

 送信、と。

 数秒も待たずに返事が来た。

 Sub【???】

【何言ってんの?】

――隆、知っていたけどさ…

 ああ、俺は頭が末期だ。だから衝動的にこんな馬鹿な真似できるのさ。

 しっかしマジいい子だ槙原さん。

 あんな子と付き合えたらいいなぁ…

 二年の春に付き合ったけど。

 やはり馬鹿みたいな事考えていたら、楠木さんが大袈裟に肩で息を切らせながらアイスコーヒーを持って来てくれた。

 自分の分は烏龍茶のようだ。

 やはりレアチーズケーキのチョコクッキーセットはハイカロリーのようだ。

 そのアイスコーヒーを受け取り、ひとまずお礼を言って一口。

 楠木さんはやっと落ち着いて(?)烏龍茶を一口。

「ふー…喉渇いていたから美味しい」

「なんか慌ただしくしていたからね」

 楠木さんはきょとんと首を傾げてポーズを作った。

 作った。うん。もう見切っているから。楠木さんの全ては『虚像』だから。

「おかしな緒方君」

 軽く目蓋を閉じて、ストローで烏龍茶を吸う仕種も虚像。

 運ばれて来たレアチーズケーキのチョコクッキーセットのケーキの方を少しフォークで切り取って口に運ぶ仕種も虚像。

 おぃしぃい~!!と、頬を赤らめて、ニコニコな笑顔も虚像。

 凄いな。これだけ自分を作れるなんて…

 知らず知らずに喉が鳴る。過去は有頂天で全く気が付かなかったが、いや、今も良く解っていないんだろうが、全てが偽りだと断定できる。

 木村は、多少は『真の顔』を知っていると思うが、多分それでも全然甘い。

 もう、やる事成す事全て演技だ…

――隆…

 戦慄していた俺の肩に、そっと手を添える麻美。

――そうだね。楠木美咲は虚像。全てが演技。良く解ったね

 良く解ったと言うか、今までの経験で勘が働いた、と言った方が良いが…

――怖い?

 麻美の声が本当に心配そうだった。

 怖い。証拠に背中が汗でびっしょりだ。

 ここでふと疑問が浮かび、麻美に聞いてみた。

 なぁ麻美、一年の夏に俺が電車に轢かれて死んだ時、楠木さんはその光景や俺の 返り血とか、まぁ内臓やらを見てしまって精神をやられて自殺した。って言ったよな?

――うん。

 それは嘘だろ?

 返事に躊躇するような間。だが、ちゃんと話してくれた。

――うん。精神をやられちゃったのは本当だけど、それは現実と夢の区別が出来なくなったから、みたいな感じかな…

 現実と夢の区別…

 つまり薬か。

 俺の死んだ様が、現実か幻覚かの判断が付かなかった。

 元々普段から自分を偽っている楠木さんだ。どれが本当か解らなくなったんだろうな。

 俺の事故が引き金なのには違い無いが、思考がグチャグチャになって、発作的に自殺。と言った所だろう。

 麻美と会話中、楠木さんが顔を超近付けて来た。

 その距離、ゼロ距離。

 軽く仰け反り、距離を置く。

「どうしたの緒方君?フライトポテト冷めちゃうよ?」

 言われて気が付く。

 いつの間にか、俺の前に注文したフライトポテトが置いてあった事を。

「俺は猫舌だから、ちょっと冷まさないと食べられないんだ」

 苦しい言い訳をしてみる。

 流石に幽霊と会話していたから気が付かなかったとは言えない。

「猫舌なんだね。ふーふーしてあげようか?」

 ……ヤバい。目が本気だ。楠木さんは本気でふーふーする!!

 自分を良く、可愛く見せる、いや、魅せる為に!!

「いや、自然に冷めた感じが一番好きなんだ」

 拒否る。全力で。

 これが春日さんとか槙原さんなら、デレデレになって土下座してお願いするかも知れないけど。

「変な遠慮しなくていいのに」

 コロコロ笑う楠木さん。それすらも演技だ。

 果たして本当の姿はどこにあるのか?

 ひょっとしたら、自分でも本当の自分が解らないのかも知れない。

「まぁ、程良く冷めるまで、アイスコーヒーで涼を取るさ」

 そう言ってあおる。乾いた喉が一気に潤った。

 つか、この短時間で喉がカラカラになるとか、汗びっしょりになるとか、ジムで減量苦に嘆いている先輩方に何となく申し訳無い。

「隆、お前減量気にしないからって、そんな油っこいもん、あんま食うなよな」

「うるせーな。いいだろ別に」

 言い返しながら振り向くと…

「ヒロ!!」

 そこにはヒロが気持ち笑いながら突っ立っていた。

「隆ぃ~?お前、女子とデートか?コラぁ?」

 腕に首を回し、グリグリと肘で小突いてくるヒロ。

「で、デートって、お前が俺に…」

「えっと、確かCの楠木さんだっけ?」

 俺に言わせまいとの体で、楠木さんに話を振った。

 楠木さんは営業スマイル全開で首を傾げながら返した。この辺りも流石だ。

「初めまして。緒方君のお友達だよね…えっと…」

「大沢ってんだ。ちょっとここいい?」

 返事を聞かずに、俺の横にどっかり座った。流石に楠木さんもムッとした表情を作った。

「ごめんね、連れと待ち合わせでさ、今来ると思うから、それまで時間潰させてよ」

 楠木さんにそう言って、くるんと俺の方を向く。

「いいだろ?」

 いいも悪いも、お前が指示した通りの行動しか起こしていないのだが…

「ああ、まぁ…いいんじゃ?」

 俺の後に、渋々と言った感じで、楠木さんが首を縦に振る。

「緒方君のお友達なら歓迎だよ」

 瞬時に営業スマイル全開になっての了承だった。やっぱ流石だ。渋々を一瞬で営業スマイルにチェンジできるとは。

「そりゃ助かる」

 ヒロは頷きいて、店員呼び出しの呼び鈴を押し、ドリンクバーを注文。直ぐ様コーラを持って再び俺の隣に座った。

「いやー、隆がフライトポテト頼んでいて助かったぜ」

 言いながら断りも無く、ひょいぱくひょいぱくとフライトポテトを口に運ぶ。

「大沢君が緒方君と一番仲いいの?」

 楠木さんは取り敢えず会話的に、チョコクッキーをかじりながら聞く。

「仲良いなんてもんじゃねぇな。中学時代にこいつをジムに誘ったの俺だし」

「へぇ?中学からの親友?」

「親友も親友!!中学時代、こいつ、ちょっとあってさ、俺が色々と面倒見たんだよ。な?」

 言いながら馴れ馴れしく肩を組んでくる。

 まぁ、確かにその通りだけど。

 つか、俺の過去話をする為に楠木さん呼んだ訳じゃねーだろ。そろそろ本題に入れよ。

「そんで、隆がやたら強くなってさあ。俺は同世代で自分より強いボクサーは居ないって自負していたんだけど、簡単に追い越されてさぁ」

 追い越した覚えは無い。お前がやめる直前まで、スパーでポイント負けしていただろうが。

「もう同世代、しかも同じ階級でこんな化物が居るんなら、将来見えちゃうじゃん?だから俺はボクシングやめて弁護士目指そうとした訳だよ」

 弁護士は初耳だ。つか、嘘だろ確実に。

 しかし、やはり苛々はする。

 だから軽く睨んで言った。

「おいヒロ、お前一体何の用事…」

「お、来た来た。おおい、こっちこっち!!」

 ファミレスで大声で連れを呼ぶとか!!

 恥ずかし過ぎる!!

 赤面宜しく顔を覆う俺。

「!!…な、なんでアンタ等が!!」

 ん?今楠木さん『アンタ等』って言わなかった?

 遂に地が出たか?いや、問題はそこじゃない。

『アンタ等』…つまり、楠木さんが知っている人間が二人以上来店したと言う事だ。

 それがヒロの連れ?

 そっと顔を上げ、顔を確認する。

 ……成程、こう言う事か…伊達に塾通いはしていなかったか…

 ついつい顔が綻んだ。

 ヒロが呼んだ連れは、木村、的場、そして武蔵野だったからだ。

 木村は腫れた顔で凄みを利かせ、的場は右腕を包帯で固め、鼻に痛々しいガーゼを貼り、武蔵野は見るも無残な顔面包帯だった。

「楠木、こいつ等が俺の連れだ。隆はもう知っているよな?」

 楠木さんはヒロが言った瞬間、顔を蒼白にして俺を見た。

 俺は気にしない振りをして頷く。

「武蔵野さん、あの後随分と制裁を受けたんだな」

 武蔵野は身体を震えさせながら大きく頷いた。その時の事を思い出したのか、ボロボロと汚い涙を流しながら。

 的場が武蔵野の前に出て、俺に顔を接近させる。

「おう緒方、武蔵野の件はこれでチャラにしてくれんだろうな?」

「俺としてはアンタの腕と鼻でチャラにしたつもりだったんだけど…制裁した事を俺の責任にするつもりかよ的場?」

「ち、ムカつく奴だ。だが、まぁいいさ」

 そう言って、楠木さんの左隣に、断りも無く座る的場。

 楠木さんは慌てて立ち上がり、逃げようとしたが、木村が楠木さんの右隣に素早く座って退路を絶つ。

 こいつ等打ち合わせでもしたのか?見事な連携だと、思わず苦笑してしまった。

「ち、ちょっと!!ど、退いてよ木村!!」

 木村の前を無理やり通ろうとする楠木さんだが、左隣の的場に腕を掴まれ、引っ張られて席に戻った。

「な、なによアンタ!!そ、そのデブの知り合い!?」

 言って武蔵野を顎でしゃくった。

 目つきが酷い事になっているのに、気付かない程キョドっている。

 成程、これが楠木さんの地か。漸く素顔を見れたような気がする。

 武蔵野はやはりボロボロと汚く泣きながら言う。

「デブって…お前がヘマしたおかげで俺がこんな目に遭ってんだろうに!!」

「ち、ちょ!!何さらっと言い掛かりを…」

 目がめっさ泳いでいる。要所要所で俺とも目が合った。

「つう訳で隆、悪いがここで連れと話させて貰うぜ」

「どう言う訳なのか解らないが、どうぞご自由に、だな」

 アイスコーヒーを啜りながら言う。

 氷が溶けて味がかなり薄まったが、気にしない。

 つか、このタイミングで替えのお代わりを取りに行く程自由人じゃない。

「おい木村、独り言でも言いたい気分じゃないか?」

 ヒロが促すと、木村が面倒臭そうに口を開けた。

「独り言を言う趣味は無ぇ。だからはっきり言わせて貰うが、楠木ぃ…」

 楠木さんの身体が硬直したのが解った。そんな楠木さんに目も向けずに続ける木村。

「お前の身体はもう飽きたからよ、俺は手を退かせて貰うわ。つうかこの頃お前、何故か急に痩せてきて、胸のカップが減ったから面白く無ぇんだよな」

 ガタンと必要以上に大きく音を立て、立ち上がった楠木さん。

「な、何を言ってんのアンタ!?私アンタなんか知らないし、初めて会ったし!!」

 いやいや、さっき退いてよ木村って言っただろ。俺だけじゃない、みんな聞いていたぞ?

 つか、解る。楠木さんの意識がビンビンに俺に向いている事が。

 この期に及んで、しらを切ろうとする根性が、天晴れ過ぎる。

「この頃急に痩せて来たってのは、どう言う事だ木村?」

 ヒロの合いの手。

「さぁな。大方薬でもやってんじゃねぇのかよ。それはそのデブに訊けば解るんじゃねぇか?」

 視線を突っ立った儘の武蔵野に向ける木村。武蔵野は項垂れて顔を上げようとしない。

 だん!!と、テーブルを叩きつける的場。

 楠木さんと武蔵野は同時に身体を硬直させた。

「……あ、あの、楠木…お、俺もお前にはもうど、ど、どど…ドラッグは流せない…も、もう的場さんにバレちゃったし…こ、これ以上は無理だ…」

「ドラッグって何よ!!あれはサプリメントでしょ!!そう言っていたよね!!」

 うーむ、凄い。この逃げ場の無い状況、微かな逃げ道を模索するとは…しかもさっき、知り合いじゃ無いようにそのデブと言っていたよな?んで今はサプリメントを貰ったと主張すんのか。

 感心するやら呆れるやらだ。

「と、兎に角、これ以上殴られたら死んじまうから!!お前の為に死ぬとか無理だし!!だ、だから溜まっているツケも、もう払わなくていいから!!その代わり連絡は金輪際寄越さないでくれ!!」

 溜まっているツケ?何それ?

 俺の疑問を代わりにヒロが聞いた。

「武蔵野、ツケって何だよ?」

「……く、楠木は俺に薬の金を半分も払って無いんだ。後で払うから待って、って言われて、利子代わりに、その、やらせて貰ったし…横流しとかも多少は目を瞑ってたんだけど…」

 吃驚だ。いや、そんなに驚いた訳でも無いか。木村が言った通り『利用する為なら簡単に股を開く』ってヤツだ。

 つか、武蔵野にまで…木村が可哀想過ぎる。

 ヒロが含み笑いをしながら俺に顔を向けた。

 そりゃ此処まで段取ってくれたんだ。後は簡単だ。

「楠木さん。この前の返事だけど、断らせて貰う」

 青ざめながら俺に首を向ける楠木さん。そして言った。

「緒方君、まさかこんな嘘信じるの!?有り得ないでしょ!?私ただの高校生だよ!!」

 おお…凄ぇ…凄過ぎる…

 偽る事に、ここまで真っ直ぐな奴は見た事が無い…

 だが、俺は知っているんだよ。

 何度も何度も繰り返してきたから知っているんだよ。

 ヒロのお膳立てが無くとも、同じ事を言って断ったよ。

 俺は真っ直ぐに楠木さんを見た。

 楠木さんは一瞬固まったが、流石と言うべきか、直ぐ様いつも見せる営業スマイルを作った。若干引き攣っているけども。

「楠木さんは俺の事、別に好きじゃないだろ?」

「そ、そんな事…」

 最後まで言わせずに続けた。

「万が一、億が一、いつか本当に俺を好きになってくれたら、その時に改めて言ってくれ」

「だから私は…」

 嘘はもういい。保身しなくてもいい。

 俺は楠木さんの手を両手で挟み、しっかり握った。

 そして真剣に、本当に心から言った。

「楠木さん、このままなら君は死ぬ。自殺、事故…どれか解らないけど、君は死んじゃうんだ」

「そ、そんな事…私が薬やっている前提での話であって…」

「俺は知っているんだよ、君の死ぬバリエーションを。今回はどれに該当するのか、それとも全く別の道に進むのか解らないけど、このままじゃ完璧に死ぬんだ」

 俺は何度も君と付き合ったんだ。

 何度も電車に轢かれたんだ。

 何度も君を自殺させた切っ掛けを作ったんだよ…

「……緒方、それは一般論…じゃねぇよな?俺の所に来た時もおかしな事抜かしていやがったし…お前一体…」

 最後まで言いかけた木村だが、俺の異様な雰囲気に飲まれたようで、言葉が続かなかった。

 ヒロも押し黙った儘、成り行きを見守っている。

「……バッカじゃない!?死ぬとか!!あと何?いつか本当に好きになってくれたら?自惚れ過ぎじゃない!?」

 そう言って必要以上の大きな音を立てて立ち上がり、凄い怖い目つきで俺を睨んだ。

「いいよ!!振られてあげるよ!!じゃあね!!木村、退け!!」

 そう言って木村を蹴って、店員さんを突き飛ばして、勢い良く店を出た楠木さん。

 彼女は…薬から手を切れるのだろうか…

 いずれにしても、俺にできるのは此処まで…

 窓から楠木さんの後ろ姿を見ながら、俺は祈った…

 楠木さんが去って暫し沈黙の後、的場が口を開いた。

「……さっきも言ったが、これでチャラだ」

 ヒロが我に返ったように反応し、言う。

「おお、悪かったな的場。わざわざ武蔵野のデブ連れて来て貰ってよ」

 的場が武蔵野を一睨みし、武蔵野が露骨に目を逸らした。そして舌打ち。

「仕方無ぇよな。武蔵野一人じゃ絶対バックレるだろうからよ」

 話を聞く限りじゃ、的場が武蔵野を引っ張って来たようだが、そこまでさせたヒロに感動する。

 わざわざ俺の為に、木村と武蔵野を楠木さんの前に連れて来たんだ。

 思わず口に出す。

「悪いなヒロ…」

「お前は頭末期だからな。綺麗に断れないだろ。全く、馬鹿な連れを持つと苦労するよ」

 大袈裟に、椅子に背中を預けて、疲労をアピった。

「ふん。ともあれ、もう用事は済んだ。俺は帰らせて貰う」

 立ち上がった的場。慌てて俺は礼を言った。

「的場、わざわざ悪かったな」

 的場は俺に一回だけ視線を向け、直ぐに背中を向けた。それに慌てて続く武蔵野。

 そして店から出る時、軽く左腕を上げた。

 じゃあな。

 その後ろ姿は確実にそう言っていた。

 所謂不良、俺のだいっ嫌いな糞…

 そんな奴が、一度しか会っていない、しかも喧嘩で負けた俺相手に、此処までやってくれた…

「……俺はやっぱり認識を改めなきゃいけないな…」

 ボソッと呟いた俺に、ヒロが怪訝な顔になる。そして何か言おうと口を開こうとした。

 しかし、それより先に、木村が口を開いた。

「緒方、ウチのモンをぶっ叩くのは相変わらず続けんのか?」

「……西高に限らず、俺はお前等みたいなのは嫌いだ。だけど…」

 そこまで言ったが、木村が口を挟み、続く言葉を制した。

「西高全体は兎も角、俺の仲間に手ぇ出したら、俺はお前とやり合う。それが俺の立場だ。お前から言わせりゃ、糞くだらねぇ意地だろうがな」

 それは…理解できる。

 以前は『だから何?』って感じだけど、木村とはやり合いたく無い気持ちの方がデカくなっている自分がいる。

「……なるべく我慢するよ」

「そうかよ。そうしてくれりゃ有り難い。俺もお前とやり合いたく無ぇからな」

 そう言って立ち上がり、的場と同じく一瞬だけ俺に目を向けて言った。

「またな緒方、大沢」

 またな…

 それは…敵同士で再び会う事になるからなのか、それとも、友人として会う事になり得るからなのか…

「おう、またな木村」

 ヒロは普通に手を振った。俺は釣られて「またな」と返した。

 木村は去り際に、微かに笑っているように見えた…

「さてと、俺も帰ろうかな。お前まだ居る?」

「馬鹿言うな。この店に一人で居るとか、そんな度胸俺には無いよ」

 言って伝票を持った。

 春日さんが居れば一人でも関係無く過ごせるが、生憎彼女は、今日は休みのようで、姿を見ない。

 つか、まだ春日さんと親しく無いから、いきなり待たれたりしたら春日さんが困る訳で。

「そっか。じゃあ出ようぜ。あ、俺が注文したドリンクは奢ってくれるよな?」

 ヒロが俺の顔を覗き込んで言う。

「仕方無いな。今日は特別だぞ?」

 そう、憎まれ口を叩くが、ヒロには本当に感謝しているから、寧ろドリンク程度でいいのか?と思ってしまう。

 俺はヒロの分のお金を支払う為にレジに行く。

 すると、あの紫メイドさんが会計に姿を現した。

 営業スマイルに見え隠れする、微妙な笑顔を以て――

 お金を支払いながらボソッと言う。

「……槙原さんによろしくね」

 笑顔が一瞬消える。

「……知ってたんだ?」

「まぁね」

「遥香は別に悪い子じゃ…」

「大丈夫、知っているから」

 知っている。誰よりも俺が知っている。

 俺の為にあそこまでしてくれた槙原さん。俺のせいで死んだ槙原さんを、俺は知っている。

 二年の春の事を思い出し、急に顔が見たくなった。

「槙原さん、今日水着買いに出ている筈だけど、何処に居るか知ってる?」

 紫メイドさんは心底驚いた顔をした。

「知っているんでしょ?」

「…緒方君がメールなり電話なりで連絡すれば早いと思うよ?」

 そして含み笑いを浮かべ、とあるデパートの名前をレシートに書いた。

「遥香は本当にいい子だよ」

「知っているよ。誰よりも」

 そのレシートをポケットにねじ込み、逆に笑い返しながら言った。

「告ってくれたら、遥香喜ぶかも」

「それは…まだ…駄目だ」

「どうして?」

「これから先は、まだ解ってないからだよ」

 取り敢えず、槙原さんが楠木さんに報復で刺される事は避けられたとは思う。

 だが、それだけじゃとても足りない。

 全員助けて、真の敵をぶち砕いてからじゃないと、『俺の事情』は進まない。

 ヒロは塾だからと早々に帰った。

 もっとちゃんと礼がしたかったが、今は槙原さんに会いたい。

 俺は足早にレシートに書いてあるデパートに向かう。

 耳元で麻美が囁く。

――槙原さんは二年の春に沢山助けてくれたからね

 含みのある笑みだった。麻美も知っているだろうにと苦笑する。

 そう、確かに助けてくれた。それだけじゃない。

「俺は槙原さんと付き合った事があるんだよ」

 そこには確実に好意が存在した。だから付き合ったんだ。

 やり直した今でも、その感情は消える事は無い。

――もう付き合っちゃえば?

「それは駄目だ!!」

 目的のデパートは意外に近い。

 走りながら、デパートに飛び込みながら、そう叫んだ。

――春日さんも好きだからかな?

「そうだけど、それだけでも無い!!」

 水着が売っている売り場は限られている。

 脇目も振らずに突き進んだ。

――じゃあ、後は何だろ?

「お前も好きだからに決まってんだろ!!」

 俺の為に犠牲になった麻美。

 そんな姿になってまで、俺を助けようとしてくれる麻美。

「お前の望みを叶えるまで、俺の事情は後回しだ!!」

 ビクリと強張る雰囲気が背後から感じたが、直ぐ様柔らかい、温かい感覚に変わった。

 今、槙原さんに会いたいのは俺の事情だが、本当は俺はこんな事している場合じゃないとは思うが…

 感情はそんな簡単にコントロール出来ないよ。

 百回以上人生をやり直したとしても、俺はただの頭が末期な高校生だぜ?

「たまにはいいだろ麻美!!感情を優先してもよ!!」

――勿論、いいよ

 ほわっと、温かい何かが俺を包んだ。

 悪いな麻美。

 ぐちゃぐちゃなようだが、滅茶苦茶なようだが、全部俺の本心なんだ。

 そして更に温かい何かが、俺を貫いた。

 足を止めた先に、水着を物色している最中の槙原さんを見つけた時に。

「槙原さん!!」

 呼ばれた槙原さんは一瞬固まった儘、俺の方を向く。

「緒方君?あれ?今日は楠木さんと一緒じゃ…」

 この調子だと、紫メイドさんからの情報はまだ流れていないようだ。

 いきなり現れた俺を見て、驚いた表情がそれを証明している。

「楠木さんの用事は早々に切り上げたんだよ。だってさ…」

「だって、何?」

「エロい水着を選ばなかったら俺が困るからだ!!」

 周りの女性客、フリーズ。当然槙原さんもフリーズ。

――隆…それじゃただの変態だよ…

 温かかった麻美の気配が、急激に冷え込んで行くのが解った…

「…………やっちまった感が…」

 辛うじて片膝を付かなかったのは、何度も人生をやり直した俺のキャリアか、単なる意地か。

――隆、一応言っておくけどさ…

 なんだ麻美?

――リセットはもうできないよ?

 俺が自殺する可能性を示唆してんのかよ!!

 しねぇよ!!つか、こんなつまらない事で人生やり直したいと思ったら駄目だろ!!

――あとさ隆…

 何だよ!!

――私はあくまでも隆が死なないようにフォローと言うか、一緒に頑張るだけと言うか…

 だから何だ?今更だろ?

――槙原さんに嫌われても、私の力じゃ関係修復不可能なんだよ?

 そんな事微塵たりとも望んでねぇよ!!

 つかやめろ!!哀れみで俺を見るな!!

 本当に片膝を付きそうになる程身体が揺れた。

 その時、俯いている俺の前に槙原さんが歩いてやってきた。

「緒方君」

「は、はい…」

 恐る恐る顔を上げる。

 少し持ち上がった眉尻だったが、俺の顔を見るなり、それが下がった。

「じゃあ、緒方君に選ばせてあげるよ」

 それはそれは、満面の笑みだった。

 しかし、俺に選ばせるとしたら、俺が水着を物色しなきゃいけない訳で。

「……罰ゲームだぞ、それ…」

 槙原さんが面白そうに笑う。

 彼女はドSかも知れない…

 槙原さんが俺に手を差し伸べる。その手を取って、起き上がる俺。

「いやー。緒方君大胆だねぇ」

「いや、あの、咄嗟にと言うか、成り行きと言うか…」

 もう、どんな言葉でも言い訳にしか過ぎなかった。

 俺はただ、槙原さんの顔を見たかっただけなのにっっっ!!

「だけど、ここに来たって事は、あのファミレスで優が何かしくじったからだよね」

 途端に自虐的に笑う。

「ゆ、ゆうさんて?」

「あのファミレスでバイトしている私の友達」

 あの紫メイドさんは優さんと言うのか…

「いや、違うよ。俺が槙原さんが水着を買いそうなデパートを、彼女から聞いたんだよ」

「うん。だからつまり、私が優に頼んで見張っていた事がバレたんだよね?」

 ああ、確かにそう考えるのは当たり前かも。

「違うよ。俺は実は知っていたんだよ。彼女が槙原さんの友達だって」

 言ったら心底驚いた表情になった。

「緒方君知っていたの?優と私が友達だって事?いつ?」

 食い付いて来たが、本当の事言っても信じないだろうし…うわぁ…困った!!

「……あ、先々週確かに優と会ったから…その時に見られたのか…」

 よく解らないが、勝手に納得してくれたようだ。

 俺はこれ以上墓穴を掘る事は出来ない為に、ただ頷くのみになった。

「だけど、うん。楠木さんにはちゃんと断ったんだよね?」

「う、うん。ヒロが色々と段取ってくれて、割と簡単に事が進んだよ」

 あのファミレスであった出来事を、ざっと説明した。

「そっか。じゃあ楠木さんは外してもいいね…」

 口元に親指を当てて、ブツブツと呟く槙原さん。

 外すとは何だ?

 何となく解るが、これで楠木さんが学校を辞める事も回避された…って事になるのか?

「あ、あの、楠木さんの事、リークするのは、やめ…」

「驚くなぁ…そこまで解っちゃったんだ?うん。薬も楠木さんに流れなくなったようだし、何より緒方君、はっきり断ったしね。私がでしゃばる所はもう無いよ」

「でしゃばるって、俺は充分嬉しかったけど…」

「私、まだ何もやってないけど…」

 それは、まだ情報収集中だったと言う事だろうが、過去に色々助けて貰っていたから。流石に言えないけど。

「まぁ、ともあれ」

 パン、と手を叩く槙原さん。そして眼鏡の奥の瞳からキランと光を放った。

「緒方君、どの水着がいいの?」

「やっぱり俺が選ぶのかよ!!」

 罰ゲーム執行はまだ生きているようだ。

 俺は平謝り、と言うか、激しくお願いして、どうにかそれは許して貰った。。

 

 家に帰ってベッドにダイブする。

 今日は色々と疲れたが良かった。

 楠木さんも、あれ以上薬に依存しなきゃいいんだけど…

――大丈夫じゃないかな?

「うおっ!!いきなり出てくんなよ!!吃驚するだろが!!」

――いや、私幽霊だから。脅かすのが仕事みたいなもんだから

 そういやそうか。

 じゃねぇよ!!

「大丈夫って?」

――楠木美咲は武蔵野から絶縁されたよね?武蔵野は的場に制裁されたよね?的場はあの街じゃちょっとした顔らしいから、武蔵野の不祥事は既に知れ渡っている筈…

「そうだよな」

――その的場に睨まれたく無いから、今後は武蔵野には薬は誰も売らないだろうし、もしも楠木美咲が一人で薬探そうとしても、武蔵野絡みだったのもバレバレだろうし

「的場にぶっ飛ばされたくないから楠木さんにも薬は売らない、って事か」

 そう考えると、的場は流石と言うか、やっぱり凄い。

「俺って、そんな奴をふち砕いたんだよなぁ…」

 呟くと、麻美がベッドに潜り込んで抱きついてきた。

「おお…幽霊に抱きつかれるとは…怖えぇだろ…」

――嘘つけー!!嬉しい癖に!!

 ぐいぐいと背中に身体を押し付けてくる。

――隆、本当に強くなったよね。喧嘩も心も

「心は…自信ないなあ…」

 本当は麻美が死ぬ前に、強くならなきゃいけなかった。

 それを少しは取り戻せただろうか…

 今は、麻美の嬉しそうな顔で、多少の自信を得るだけにしておこう。

 全てが終わってから、全てを知ればいい…

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