一年の夏~002

――今日は隆がミラクルを起こす日だよね。

 開口一番、麻美が酷い事を言った。

「ミラクルじゃねーだろ。楠木さんの目的はハッキリしている訳だしな」

 槙原さん曰わく、連れて歩くのに見栄えがいいボディガード、だったか。

――解っているとは思うけど…

「受けたら電車で轢死。受けなかったら秋まで持ち越し。だろ」

 一番繰り返したのが一年の夏だ。だから慣れてはいる。

――だから、どうするつもり?受けても受けなくても死んじゃうんだけど?

「また別の道を作るさ」

――簡単に言っちゃってさ…

 ジト目の麻美を無視して校舎に入る。

 確か告られるのは昼休みの中庭だったな。楠木さんの知人に呼び出される筈だ。

「まぁ、色々と考えはあるから心配すんな」

 誰一人死なせやしない。

 俺が俺に課せたルール。

――隆の残念な頭での考えか…期待薄そう…

「ちょっとは応援しろよ!!シリアス思考がぶち壊しだ!!」

 俺は半分泣きながら、教室に入った。

 そして昼休み…

 弁当を広げようとした矢先、やはり教室に一人の女子がやって来た。

「あの、緒方隆君はいますか?」

 既に弁当を広げていたヒロが、目をまん丸にして箸を落としたのもいつも通り。

「あ、俺だけど」

 平然と席を立ったのは、いつもと違う。

 いつもならテンパって、弁当をひっくり返したんだが、今回はそれも無い。知っているからな。

「あの、ウチのクラスの子が、話があるらしいんで、ちょっと来て貰えますか?」

「ん。いいよ」

 ここもいつもと違う。

 いつもなら、ははははは話っていいいいい一体何???え?俺刺されちゃうの?と、訳の解らん動揺をするのだが、知っているからそれも無い。

「ヒロ、ちょっと出てくるわ」

「お?おお…」

 ヒロも感じたであろう違和感。女子相手に、こんなに堂々としている俺を見た事は無いだろうから。

「で、どこ行けばいいの?」

「あ、ついて来てくれたら。ありがとうございます」

「あ、はい了解」

 アホヅラで俺を見送るヒロ。これも初めての事だ。

 いつもなら俺がやたらとキョドって、ヒロが大爆笑するからだ。


 予定通りと言うか、設定通りと言うか、やはり中庭に連れて来られた。

 ベンチに座っていたのは、肩までの癖っ毛のちょっと小柄な女子、楠木さん。

 改めて見ると、春日さんより少し背が高いかな。

 座っていた楠木さんは俺に気が付き、立ち上がる。

「あの子が、話があるって子。じゃあ、後は若い者だけでと言う事で~」

 楠木さんに手を振りながら帰る女子。楠木さんもそれに応えて手を振り返す。

 そして俺に向き直し、軽く俯いた。


 ………


 間!何だこの間は!!

 これが百戦錬磨の女子の間か!!

 以前はテンパって、間なんか知らんがなって感じだが、今はこの絶妙な間すらも楠木さんの空間だと理解できる。

 女子は演出家だな。

 そしてモジモジと、聞こえるか聞こえないかの絶妙な声で名乗った。

「あの…私Cの楠木美咲と言います…あの…緒方隆君…」

 …女子は演技で頬を赤く染める事ができるのか…

 余裕を持てば、女子の凄さに感心するばかりだった。

「あの…あの、あの!つっ!付き合って下さいっ!!」

 ガバッと腰からってか、全身で頭を下げるような楠木さん。

 しかし、確か、『上級生から同級生を助けたのを見て気になってました』だったような?

 やはり微妙だが変わってはいるな。

 しかし、いきなりの告白とは。

 俺は気付かれないように、意識を学食へ向けた。

 見られているな。視線を感じる。

 これを見ているのが槙原さんな筈だ。

――どうするの隆?

 麻美が不安そうに耳元で囁いた。

 だが、いきなり告られて、そうですかと言う男子も少ないだろ?

 もしかして、そうでも無いのかも知れないが。

「なんで俺?楠木さんならモテそうだけどな」

「そ、そんな!私ぜんっぜんモテないし!!」

 ふむ、否定も手をパタパタと叩いて可愛らしい。

「楠木さんは可愛いから『うん』って言いたい気持ちはあるけど、よく知らないからなぁ」

「付き合っているうちに解ってくるのが恋愛だと思う!!」

 今度は握り拳を作っての力説。

 いや、既に解っているんだけどね。と言いたいが、言えない俺がそこに居た。

 俺は徐にスマホを取り出して楠木さんに向けた。

「?」

 小首を傾げる楠木さん。可愛いなぁ…

 じゃなくて!!

「取り敢えず、もう少し楠木さんを知りたいからさ。メアドだけでいいから」

「え?あ、はいっ!!」

 楠木さんが慌てながらスマホを出し、そしてここでアドレス交換。

「確かに」

「あの、いつでもメール大丈夫だから!」

 よぉく考えたら、一年の夏に付き合った時はメールのやり取りもあんま無く、電話も殆どしなかったなぁ。

 まぁ、付き合っていたと言っても、要するに利用されていた訳だけど。

「じゃ、後で連絡するから」

「はいっ!待ってますっ!」

 両手で握り拳を作って期待していますアピール。そして所謂女子走りでパタパタ立ち去った。

――で、この後はどうする?

 突如現れ、いきなり訊ねてくる麻美。つか、今までどこ行っていたんだ?まぁいいけど。

「西高に行く」

――西高?なんで?

「厳密には西高じゃ無いけどな」

 まぁ見てろ。絶対誰も死なせない。不幸にさせないから。

 俺はヘラヘラ笑ってはいたが、その実物凄い決意を固めていた。

 だいっ嫌いな糞を、絶対にぶち砕かないと言う決意を。

 

 放課後。西白浜駅。俺は電車で西高生徒の御用達の駅に居た。

 西高生は俺を見るなり、ビビり、身構え、あまつさえ仲間までスマホで呼んでいたが、俺はギロリと睨み付けるのみで駅から出た。

 大抵の糞はホッとしていたが、やはり中にはどうしようも無い糞も居る訳で。 

 黙ってりゃ何もしねーっつーのに、わざわざ俺の前に立ち、ガムを下品に噛んでバカな顔で笑う。

「お前白浜の緒方だよなぁ?ノコノコ乗り込んで来るなんざ、馬鹿丸出しだろ?」

 馬鹿はお前だっつーの。

 だから優しく言ってやる。

「お前誰?知らねーよ小物。俺が用事あるのは、お前みたいなやられキャラじゃねーんだよ」

 馬鹿な糞は簡単に激情し、これまた簡単に聞きかえした。

「俺がやられキャラだと!?なめんなよ緒方あ!じゃあ誰に用事があるって言うんだコラァ!!」

 バカな大振りパンチを超楽勝で躱して足をかけ、すっ転ばした。

「ぐあ!!」

「ぐあ、じゃねーよ。受け身も取れないザコキャラが。俺が用事あんのは木村って奴だ。失せろ。肩慣らしにもなんねーよ」

 木村の名前を出した途端ざわめく西高生。

 同じ一年ながら、木村ってのはなかなかやるようだ。過去に負けた事は無いけどな。

 木村の居る場所は大体当たりがついている。雰囲気悪い喫茶店だ。

 過去に何度もそこでぶち砕いたから間違い無い。

「っと、ここだ」

 駅から近いからすぐに着く。

 ドアを開けると、ガラの悪い店員がじろっと俺を見て、小声でいらっしゃいと呟いた。

 注文なんか無いが、木村は…

 居たよ!!奥まった席に仲間か舎弟か知らんが、三人でコーヒーを啜って煙草を吸ってるよ!!

 毎回毎回直ぐ見つかるなぁ。まぁ兎も角一安心だ。

 俺はその席にズンズン進んだ。

 木村が気付いて俺を見る。

 同時に仲間か舎弟か知らんが、残り二人も俺を見た。

 アホみたいな長いリーゼントが「何だコラァ!」と、いきなり喧嘩腰で立ち上がった。

 俺はそいつの襟首を掴み、ポーイとぶん投げた。

「うわあああっ!!」

 アホみたいな長いリーゼント野郎は簡単にすっ転び、アホみたいな悲鳴を上げた。

 ちょうど席が空いたから、アホなりに役立ったか。

 俺はその椅子にどっかと座り、大声でホット一つ、と注文した。

 同席していた残り一人、やたら剃り込みを入れた小僧みたいな奴が、俺を見ながら蒼白になった。

「お、緒方!お前緒方だろ!!」

「そうだけど、よく知っていたな?どこかでぶち砕いたっけか?」

 まぁ、どうでもいいけど。

「悪いけどさ、あのアホリーゼントと二人で消えてくれ。俺は木村に用があるんだ」

 ピクリと木村の眉尻が上がる。

「き、木村に何の用が…」

「るせぇぞ黙れ」

 剃り込みハゲを押した声で止め、追い払うように手の甲を振る木村。

「だ、誰か呼ぼうか木村君…」

「あ?俺は消えろって言ってんだよ」

 木村が言葉に出した事で、キョドりながらもアホリーゼントと共に店を出る剃り込みハゲ。

 そして客は俺と木村だけになった。

 最初に言葉を発したのは木村だった。

「オメェが緒方か。噂は聞いているぜ。俺達みたいな奴等なら問答無用でぶっ叩く、やたらと危ない野郎だってな…」

 静かな口調ながらも臨戦態勢を取っていた木村。いつでも俺をぶん殴る用意はあるようだが。

「やめとけ糞。俺はぶち砕きに来た訳じゃねーんだ。俺に拳を握らせんな。解ったか糞が」

 …穏やかに進めようとしているが、やっぱりこの手の連中を見ると、ムカムカしてしまう。

 喧嘩売りに来たと思われたなぁ、と、軽く反省した。

 本当に軽く。

「喧嘩売りに来たようだな緒方あ!!」

「いやいやいやいや、喧嘩売りに来たんなら、お前とっくに顔面柘榴になっているから。勘違いすんな。俺はお前に話があって来たんだよ」

 運ばれてきたホットを啜り、心を落ち着かせる。

 マジィホットだな…益々苛々してくるが…

「話だ?何の話だ!早く言え!内容によっちゃテメェを此処で…」

「へぇ?お前みたいな糞でも話は聞けるのか?こりゃ驚きだ…じゃなくて!じゃなくてだな、聞いてくれるか、有り難い」

 形式だけでも頭は下げよう。

 糞に下げる頭は持ち合わせていないが、ここは仕方無い。

「さっきから何なんだテメェ!」

 苛立つ木村。安心しろ、俺もムカムカしているから、おあいこだ。

 だが、この儘では話が進まない。

 面倒なので単刀直入に言った。

「お前、売人のボディガードやめろ」

 木村の握った拳がピクリと動く。

 更に目を見開き、言った。

「テメェ…なんでそれを…」

 マジ驚きな木村。流石に知っているからとは言えないが。

「まぁいいじゃねーか。どうせお前も潮時だと思っていたんだろ?」

 押し黙る木村。警察の厄介は流石に勘弁だろうからな。

「……楠木か?」

「ん?」

「楠木から頼まれたのか!?テメェと楠木は同じ学校だからな!俺を切ってお前に鞍替えしようと、嘘っぱちを並べてテメェをけしかけた!そうだろう!!」

 いやぁ、楠木さん信用されてねーなぁ。まぁ、そうだろうけど。

「楠木さんからはお前の事は何も言われてねーよ。今日告られたけど」

「告られただ?楠木の野郎…やっぱり鞍替えするつもりかよ…」

 野郎じゃねーよ。女子だろ。

 との突っ込みはやめておく。

 糞に突っ込むよりも、槙原さんに突っ込む方が遥かに楽しいからな。

「で、テメェは付き合うのかよ?言っとくが、楠木は目的の為なら簡単に裏切るし、簡単に股開くぜ?」

「付き合うかどうかはまだ決めてねーが、生憎と俺は『知っている』からな。お前の情報なんか今更だ」

「じゃあ何でわざわざ乗り込んで来た?知っているなら無視もできるだろうが?」

 無視できないから仕方無しに、超嫌々お前みたいな糞に話をしにきたんだろうが。

 と、思うだけにしておこう。

 言葉に出すと、色々面倒な事になりそうだし。

「解った。望み通り手ぇ引いてやろうじゃねぇか。確かにそろそろ潮時だと思っていたからな」

 何か偉そうな口振りだが、要するに安全策だろそれ。

 俺は助かったけどな。

「礼代わりに、ここの糞マズい茶代支払ってやるよ」

 言いながら伝票を取る。

「……お前、こんな糞マズい喫茶店で、糞高いキリマンジャロ頼むんじゃねぇよ!!」

 何だよこの800円て!残りの二人はアイスコーヒーだから納得だけどよ!!

 なんでこんな糞マズい喫茶店のコーヒーに、合計2100円も支払わなきゃならねーんだ!!

――自分から言い出したんじゃ?

 いやそうだけど!せめての礼代わりのつもりだったけど!!

「ちくしょう…俺が糞共の茶代を支払うなんて事が…確かに自分から言い出したんだけどさぁ…」

「嫌々過ぎだろ。声に出てんぞ」

 言いながら木村は俺から伝票をひったくり、マスターらしき奴にお金を支払った。

「おい、出ろ緒方。糞マズい喫茶店じゃねぇ、別の所で話そうじゃねぇか」

「出ろっつったって…あれ?ホットのお金…あれ?」

 キョドる俺の腕を引っ張り、喫茶店から出る木村。

 信じられないが、誠に信じられないが、糞が俺に茶を奢ってくれたようだ…

 木村に連れられた場所は、誰も寄り付きそうも無い、廃屋に近い空き家だった。

「不法侵入じゃねーか?」

「誰も来ねぇよこんな所」

 半分朽ちた畳部屋を避け、フローリングの床に座る木村。つかフローリングもヤバいような気もするが。雨漏りしているのか、所々腐っているんだけど。

「テメェ、本当に俺達みたいな奴等が嫌いなんだなぁ」

 言いながら煙草を咥える。

「嫌いも嫌い。だいっ嫌いだ。用事が無けりゃお前とも話そうと思わねーよ」

 財布から400円出して木村に放り渡す。それをキャッチして苦笑い。

「奢ってやるって言ってんだが、まぁいいや」

「で?こんな所に連れて来て、一体何の話だ?」

 木村は煙草を大きく吸い、ゆっくりと煙を吐き出した。

 なんだこの溜めは?いい加減イライラすんだけど。

「…楠木の商売だがな、知っているとか言っていたが、薬、言っても覚醒剤のようなヤバいモンじゃねぇ、合法ドラッグってヤツを売っているんだ」

 驚いた。木村は俺が聞くまでも無く、楠木さんの情報を話すつもりのようだ。

 俺が知らない事も出てくるかも知れない。

 俺も木村の正面に座って腰を落ち着かせ、ちゃんと話を聞く姿勢を取った。

「どうやって知り合ったのかは知らねぇが、チンピラにもなれねぇ半端モンから仕入れてんだ。合法だから軽いトリップ程度だがよ、楠木はタブーを犯した」

「タブー?」

「売人は商品に手ぇ付けねぇもんだが、楠木は手を付けてしまった。ヤル時は必ずキメてからヤってたよ。そしてそれは常用化しつつある」

「つまり?」

「今は合法で我慢しているが、後々もっとヤベェもんに手を付ける可能性があるって事だ。何せ股開けば貰えるんだからな」

 納得だった。

 あの二年の春に見た楠木さんは、別人と見間違う程変わり果て、瞳だけギョロつかせていた。

 木村の言う、もっとヤバいもんを服用したに違いない。

「実際、俺が張り付いている時だって、チンピラから大麻貰って吸っていたくらいだからな。合法ドラッグ売買は上の薬買う為かも知れねぇ。つまり、もうやっている可能性もある」

 既にやっている可能性か…

 つか、そこまで聞いたら、客観的には薬をやっていると思うだろう。

 木村も多少は言葉を選んではいるが、確信しているようではあった。

「俺が楠木に頼まれて、ぶっ飛ばした奴等は大抵素人だが、中にはそれなりの奴も居てな。詳しくは知らねぇが、楠木が騙して違う薬を売ったとか?顧客を横取りしたとか?まぁトラブルの種は尽きねぇな」

 再び大きく煙草を吸い、煙を吐き出す木村。その表情は何か寂しそうな、逆に嬉しそうな…

「お前楠木さんに惚れてんのか?」

「惚れてる?確かにツラだけはいいから、そこだけを取れば惚れるだろうが、さっきも言ったぜ。『目的の為なら簡単に股開く』ってな」

 楠木さんと木村はギブアンドテイクな関係だった筈だ。

 楠木さんがトラブルを起こした時に力でねじ伏せ、対価に身体を貪る。

 多分最初からそのような約束だったんだろう。

 だが、やっぱり嫉妬心が有る訳で。

『あんな女』と解っていても、惹かれる部分はある筈で。

 潮時なのは、警察とか揉め事処理の限界じゃない、自分の気持ちが楠木さんに偏ったのを認めたから、離れようと。

 約束違反だからと。

「お前…いや、いいや」

 俺は木村みたいな人種は嫌いだ。

 絶対に自分の事しか考えず、他人を貶めて嘲笑う奴等だと思っていた。

 だが、中にはこんな奴もいるんだ…

 軽いカルチャーショックを受けた気分だった。

「楠木の事、俺が知っている範囲なら全部教えてやる。忘れている場合もあるが、できるだけ思い出して知らせてやる」

 言いながらスマホを出して、プロフィールの画面を俺に見せた。

「メアドは兎も角、ケー番はいいのかよ?俺はお前等みたいな連中がだいっ嫌いだって事忘れてねーか?」

「個人情報流出ってヤツか?テメェも教えりゃチャラだろ」

 野郎と、しかもだいっ嫌いな糞とアドレスケー番交換か…

 しかしそんなに嫌じゃない。

「仕方無い。背に腹は変えられない。ここは涙を飲んで交換に応じようか」

「テメェ、それ単なる嫌な奴だぞ」

 糞に嫌な奴と言われた。

 傷ついた。やっぱり俺はこういう輩はだいっ嫌いだ。

 嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ!!

――何も必死に嫌わなくてもいいんじゃない?

「うるさい。無理やりにでも思い込まないと俺が俺じゃなくなるんだよ!!」

「何をいきなりキレてんだテメェ?アドレスとケー番送信しといたぞ」

 麻美の姿は俺にしか見えない。麻美の声は俺だけしか聞けない。木村がキョトンとするのは至極当然だった。

 つーか、 いつの間に送信したんだ?

 俺が呪文の如く連呼した時にか?

 だが手間が省けたから良しだ。

 だいっ嫌いな糞にでも礼は言わなければならない。

「色々助かった。手間まで取らせたな。ありがとう」

「へぇ?テメェでもちゃんと礼は言えんのか。意外だな?」

 傷ついた。嫌味を言われた。やはり俺はこういう輩がだいっ嫌いだ。

 嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ…

――だから、別にいいじゃないってば?

 良くねーよ!だいっ嫌いな人種だぞこいつは!

――大沢にも最初はこんな感じだったじゃない?

 ヒロはいいんだよ!糞じゃないから!

――彼もそんなに腐って無いと思うけどなぁ

 ………西高生じゃねーか。糞の掃き溜めじゃねーか。

――隆は西高だけには行きたくなかったから、受験は結構頑張っていたよね

「お前はいつから俺を見ていたんだよ!」

「なんだ?俺はテメェを見てねぇが、大丈夫か?まさかテメェまで薬を…」

「やるか。これは独り言だから気にすんな」

「訳解んねぇ奴だな…」

 そりゃ、端から見たら、独り言で叫ぶ、おかしな奴だろうよ。

 だからと言って憐れみの目を向けるな。糞に憐れたら傷つくだろうが。

 だが事情を言っても信じないだろう。だから俺はそこで無理やり話を終えた。

「まぁまぁ、兎に角助かる。聞きたい事ができたら、遠慮無く頼らせて貰うよ」

「あ、うん」

 拍子抜けの木村。「うん」とか。テラウケるとか言ったら喧嘩になるのだろうか?

 なるだろうな。やっぱり。

 さてと、と、わざとらしく声を出して立ち上がる。

「じゃあな」

「おう。またな」

 手を上げる木村に対し、俺は背を向けた儘手を上げて返した。

 ボロボロのドアを壊さないように、静かに閉めて数歩進む。

 その足を止めて空き家を眺めた。

「木村って案外いい奴なのかもなぁ…」

 いつもはあの喫茶店でぶち砕いて、話なんかしないで一方的に提示していた。

 だけど話せばそれなりに返してくれたばかりか、裏話まで教えてくれたんだ。

――少しは変わった?

「何がだよ?」

――所謂不良と呼ばれる人達。全員が全員腐っている訳じゃないって、考えが変わった?

「……さぁなぁ…」

 ぶっきらぼうに返す俺の横に並んで浮き、笑う麻美。

 ちゃんと返事していないのに、おかしな奴だと俺も笑う。


 その足でジムに行き、適度な汗を掻いて帰宅する途中、塾帰りのヒロとバッタリ遭遇した。

 マウンテンバイクで塾通いなんて贅沢な奴だ。

「今帰りか?」

「マウンテンバイクで塾通いなんて贅沢な奴だと思いながら帰る途中だよ」

「チャリは関係ねぇだろ」

 言いながら自販機でコーヒーを二本買い、俺に一本投げ渡す。

 俺はそれを桜木花道宜しく、リバウンドの如くキャッチした。

「Cの楠木だっけか?付き合うのか?」

「うん?ああ、いや、まだ解んないな」

 プルトップを開けて、有り難くコーヒーを戴きながら返事をする。

「ふーん…どころでよ、同じ塾の奴から聞いたんだがよ」

 ん?その話はまだ先じゃ?

 夏休み突入前だった筈だが、やっぱり運命は変わっている?

――運命は変わらないよ。新しい運命ができるだけ

 解った解った。いいじゃねぇか便宜上。

「どうした隆?」

「ああ、いや、続けて続けて」

 慌てて先を促した。そうは言っても、既に知っているから、やはり便宜上だ。

「楠木は西高の木村と付き合っているらしいんだよ」

 以前は既に俺と楠木さんが付き合っている中で、木村と楠木さんを見たヒロが滅茶苦茶キレて別れろと詰め寄って来たが、やはり違う。

 だけど、微妙に違ったり、順番が違ったりするだけで。何と言うか、結局線をなぞっているだけのような…そんな感じもする。

「……やっぱりショックか?」

 全く違う事を考えていた俺に、ヒロが心配そうに訊ねた。

「いやいや、ショックは無いよ」

 ある筈が無い。知っているし、もっととんでもない事も知っているから。

「その件に関してだが、今日木村と会って来たんだよ」

「ふぅん、木村と会って来たねぇ……って!お前が!?木村と!?西高生と会って来たあ!!?」

 大仰に仰け反って驚いたヒロ。

「あー。実は木村と楠木さんの関係を知っていたからさ。えーっと、実際どうなの?みたいな感じで、聞いて来たんだよ」

 ごめん嘘。普通に手を引けって言ったんだが、事情はやっぱり言いにくい。

 とは言え、ヒロは口をパクパクさせながら呆けて、俺の話なんか耳に入っていない状態だったが。

 ヒロの目の前で手を振る。

「き、気は失ってねぇよ…だが、あまりにも有り得ない事を聞いて、魂が抜けそうになった…」

 そのまま逝けばいいのに。

「有り得ない事って何だよ?」

「お前が所謂不良と呼ばれる人種と話そうとする事に驚いてんだよ!!」

 逆にキレられた。

 いや、キレた訳じゃないか。驚いて叫んだだけか。

「け、喧嘩になんなかったのか?」

「いや別に。木村も話せば普通にいい奴かも知れないとか思った」

「あの木村がいい奴!?目が合った、肩に触れただけで相手を病院送りにする奴だぞ!?」

 多分そうやって因縁付けて、楠木さんの頼みを聞いていたんだろうなぁ。

「因みにアドとケー番も交換した」

「はああああ!?あの木村と!?お前が!?」

 有り得ない、有り得ないと呪文の如く呟きを繰り返すヒロ。

 まぁ確かに、以前の俺からすれば100パーセント有り得ない事だけど。

「木村もお前にビビっていたのかなぁ…」

「アホぬかせ。あいつがそんなタマか」

 ビビるどころかぶっ飛ばそうとしていたし。

 まぁ、木村も木村で、俺がただ話しに来たとは思っていなかっただろうから、当たり前だけど。

「あ、そうだヒロ、ちょっと頼みがあるんだけど」

「頼み?」

「うん。楠木さんがチンピラモドキと仲が良いらしいんだが、そいつ調べられないか?」

 槙原さんに頼めば一発だろうが、今の段階では無理だろう。

 木村に聞いてもいいが、わざわざ調べさせる程仲良くは無いし。

「チンピラモドキな。塾の連れにそれとなく聞いておくよ」

「頼むわ」

 それと同時にスマホが鳴り、見てみるとメールが入った。

「槙原さんからメールだ」

「え?槙原ってあのDのメガネっ子巨乳の?確かにちょくちょく話してんの見た事あるが、まさかアドレスまでゲットしていたとは…」

 驚くヒロを余所にメールを見る。

「……ヒロ、さっき頼んだのキャンセルだ」

「早っ!いきなりのキャンセルかよ!つか何でよ?」

 黙って槙原さんから届いたメールをヒロに見せた。

「……槙原って何者なんだ?」

 驚くヒロ。そりゃそうだ。俺も驚いた。

 Sub【こんばんわー】

【Cの楠木さんに告られたんだって?一応忠告。西高の木村って生徒知ってる?彼といい感じらしいんだけど、隣町の武蔵野って人とも恋仲らしいよ】

 ビンゴだった。しかもダブルビンゴ。

 武蔵野…

 拳を握り固めた俺に、ヒロの不安そうな顔が視界の端に入った…

 そいつは麻美を殺した連中の一人。

 ボクシングを習ってから、報復した五人の内の一人。

 武蔵野に限らず、残りの四人を在学中に顔を見る度にぶち砕き、学校帰りに待ち伏せしてぶち砕き、時には三年の教室に乗り込んでぶち砕いた。

 それは糞共が卒業するまで続いた。

 暇を見つけては俺をいたぶって遊んでいた連中だ。自分も同じ目に遭っても、何も言えまい。いや、言わせなかった。

 確か武蔵野は左視力を殆ど失った筈。原因は当然ながら、俺が壊したからだ。

 今、俺が住んでいる街に居るのは安田って西高生のみ。残りは街から離れた。俺がツラ見たらぶち砕くと脅し、実際に追い込んだから逃げたのた。

 まさか隣町に居たとは。近いな。近すぎる。

「……おい隆、今日はやめとけ」

「……何が?」

「お前、ぶっ飛ばしに行こうとしてんだろ。解っているのは隣町ってだけだ。捜しても簡単に見つからない。俺も手伝うから早まるな」

 ……そりゃそうだな。確かに隣町ってだけじゃ話しにならないな。

「調べたら絶対教えてくれるのか?」

「約束する。だが俺も行く。ここは譲らねぇぞ」

 やり過ぎに心配してんのか。有り難くて涙が出て来そうだ。だから俺は素直に同意した。

 ヒロも露骨に安堵した表情を作って頷いた。

 それから数日…ヒロは学校を休んだ。

 一応親友だ。心配して電話するが、出ない。

 代わりにメールは来る。だが、たった一言【心配すんな】だけ。

「心配すんなって言われてもなぁ…」

――するよね。隆みたいに力任せの成り行き任せにしないとは思うけど

 ジト目で麻美を睨む。

「お前本当に俺の事好きだったのか?」

――好きだよ?大好きだし

 胸を張って威張るも、無い胸故に悲しいものがあった。

「ヒロを信じて待つしか無いかなぁ」

 ゴロンとベッドに横になり、何気無しにスマホを見ると、チカチカ光っていた。

 メール?マナーにしていたから解らなかった。

――ああ、それ、さっきから光ってたよ

「教えろよ!誰かからの急用だったらどうすんだよ!!」

 ブチブチ言いながら開くと、ヒロからだった。

 内容は【明日の夜7時駅に集合!!】だった。

「駅か…じゃあ…」

――多分武蔵野が見つかったんだね

 俺と麻美は顔を向け合い、力強く頷いた。

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