第26話 岩礁地帯

「今日も遺跡が見つかると良いですね」


 いつものように海底調査をしようとしていると、急に船が止まる。


「どうしたんです?」


「あの船、こちらに近づいてきやがる」


 イサームさんが指をポキポキ鳴らす。怖い、怖い!


 小さな小舟が、こちらへどんどん近づいてくる。どうやら漁船のようだ。


「この先には岩礁地帯がある。近づかんほうがいい!」


 漁船に乗っていた老人が叫ぶ。イサームさんは頭を掻いた。


「ああ......そうか。俺としたことが。こっち側から岩礁地帯に近づくのは初めてだから。ありがとうございます!」


 老人に頭を下げるイサームさん。

 オム先生が怪訝な顔をする。


「岩礁地帯?」


「ああ。岩が多くて潮の流れが早くて不規則な一帯のことだ。この先にある」


「でも岩を避けながら航行すれば」


 オム先生が言うと、イサームさんはため息をついた。


「いや、潮の流れが速すぎるし、昔からあの岩礁地帯には色んな伝説があるんだ」


「伝説?」


「ああ、一番多いのは近づいた船や飛行船が消えるって話かな。他にも竜巻みてェな変な海流が発生していているだとか、近づくとコンパスがぐるぐる回るだとか、火の玉が飛ぶだとかとか、後はUFOを目撃した奴もいるな」


「UFO」


 ピぺが喜びそうな話だ。しかし、ピペの顔を見ると、どうも浮かない表情をしている。


「ピペ?」


「......あ、いえ! うん、UFOですね。UFO。それがどうかしましたか?」


 どうしたんだピペ。何だか様子がおかしい。


「最近でもつい三ヶ月くらい前かな、火の玉とともに、怪しげな飛行物体が落ちてきたって話さ。だからさ、悪いことは言わねえ、引き返すんだな!」


 老人はそう叫んで去っていく。僕らは顔を見合わせた。


 イサームさんがオム先生に向き直る。


「どうします? 俺もこっちまでは漁に来ないんで詳しくは知らないんだが、岩礁地帯の噂は聞いたことある。近づかない方がいいって」


「オム先生......」


 僕はオム先生の顔を見た。


「......とりあえず行けるところまで行ってみましょう。駄目そうだったらすぐに引き返す。これでどう?」


「分かった。とりあえず近くまで行ってどんなものか見てみるだけ見てみっか」


 そろそろと船を進めるイサームさん。だが次第に辺りに霧が立ち込め出した。


「何だか不気味ですわ」


 ヤスナが腕にしがみついてくる。

 ピペは大丈夫だろうか?


 ピペは、じっと甲板に張り付いて海を見つめている。


「見てください......!」


 ピぺの指さすほうを見ると、その奥にぼやっと岩が見えた。


「岩だ!」

「あれが岩礁地帯ですの?」


 だがそこで船は止まった。


「これ以上はさすがに潮の流れが早くて進めねぇよ。それにあそこ」


 イサームさんが船の先を指さす。そこには波が岩礁に当たって海流が変わったのか、グルグルと渦が巻いているのが見えた。


「なるほど、あんな所に突っ込めば船は大破。行方不明になるってわけね」


「......見ろこれ!」


 イサームさんがコンパスを指さした。コンパスは気でもふれたようにグルグルと回っている。


「やだ......故障かしら」

「なんだか気味が悪いですわ」


 オム先生は信じられない、といった表情でしばらくコンパスを見つめたあと、イサームさんに指示した。


「仕方ないわ。戻りましょう」


「あいよ」


 岩礁地帯。一体あそこには、何があるのだろう。

 僕の目指す場所……新宿もそこにあるのだろうか?







 ――母さん、どこへ行くの?



『新宿よ』



『新宿なら、八王子から中央線に乗れば真っ直ぐ着くわ』



 ――新宿へ行ってどうするの?



『それはね......』



 春の日差しのような、穏やかな横顔。



『街を見るためよ』



 ざざり……と波が揺れた。


『ねぇ、覚えてる? が小さい頃、ランドとシーに連れていったこと』


 ――覚えてない。


『南房総の牧場に行ったことは? 高尾山に遠足に行ったことも、横浜や秩父へ行ったことも、覚えてない? SLを見てあんなに喜んでたじゃない。大きなカツを食べて――』


 ――覚えてないよ。


『あんなに色々連れて行ってあげたのに、レンくんったら何にも覚えてないのね』


 ――だって小さかったから、しょうがないよ。


『そうね。もうちょっと物心ついてから連れていけば良かったわ。でも仕方ないから、これから行く都庁のことだけは覚えておいてほしいの』


 ――どうして都庁なの?


『都庁には展望台があるでしょ? そこからなら見えるから。東京タワーも、スカイツリーも、富士山も……東京の街並みが』



 ――東京の街並み?


『忘れないでほしいの。私たちが生きている東京のことを』


 ――ねぇ、母さん。


 ――街は……僕たちの街は、どうなっちゃうの?





 ――東京は、どうなるの?










「外の様子はどう?」


 僕は、窓にかじりついているピぺに尋ねた。


「うーん、まだ雨も風も強いです」


 僕たちが岩礁地帯のすぐ側まで行き引き返したその数日後、強い嵐がハチオージを襲った。


 巻き起こる大雨と激しい風。研究所でも植木鉢が割れたり、看板や備品が飛ばされたり、雨漏りしたりと大変な騒ぎだった。

 僕も朝から屋根や壁の補強に駆り出されへとへとだった。


「所長の話によると、台風が来るのかも知れないんだって」


「台風......ですか。じゃあしばらく調査はできませんね」


「うん。この窓も午後から補強するって」


 外では、ヤシの木が風を受けてしなっている。波も高い。


「あとちょっとなのに、残念ですね」


 ピペが口を尖らせる。

 そう、あとちょっと。あと少しで、僕は真実に辿り着くはずなんだ。


「あのさ、ピペ」


 拳を握りしめる。

 僕は思い切って打ち明けた。


「はい」


「僕の名前、本当はレンって言うみたいなんだ」


 ピペは一瞬の間の後、寂しげに目を伏せた。


「そう......ですか。思い出して、きたんですね?」


「うん。あ、でも、いきなり呼び方を変えるとみんな混乱しちゃうから、これからも僕のことはジュンでいいよ」


「はい」


 口元に笑みをつくるピペ。


「それで、どこから来ただとか、どこに住んでいたかとか、そういうことはまだ分からないんですか?」


「うん、そうなんだ。思い出したと言ってもまだ断片的な記憶だけで完全に元通りってわけじゃない」


「そうですか」


 ピペが窓の外に視線を移す。

 風がガタガタと窓を揺らす。


「もうすぐだ......新宿に行けば、全部はっきりとするはずだ」


 空を灰色に覆い尽くす雲。


 僕の心の中には思い出したいという気持ちと思い出したくないという気持ちがせめぎ合っていた。


 思い出したら、ここでの暮らしはどうなるのか。もしかすると、ここには居られなくなるかもしれない。

 思い出す記憶そのものが、悲しくて、思い出さない方がいいという種類のものかも知れない。


 だけど、おそらくもう歯車は回り出してる。止まらないのだ。



『新宿に、行くのよ』


 僕は、自分の名前すら覚えていなかったけど、母さんの声と「新宿」は覚えていた。「ジュンくん」に聞き間違えてはいたけれど。


 それはきっと、忘れたくない重要な事だったからだ。


 ――母さん。

 僕は、新宿に行くよ。

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