第8章 招かざる客

第27話 招かざる客

 台風が去ってから一夜。

 まだ少し風は強いものの、厚い雲は台風と共に消え、澄んだ青空が広がっていた。


「清々しい空だね」


 窓際で外を見ていたピぺに声をかける。


「雨漏りでもするかと思ったけど、何とかなったね。これなら調査に行けるかな?」


「そうですね。船が出せるかどうか、オム先生に聞いてみましょう」


「いや、僕が聞いてくるよ」


 僕は廊下を駆け出した。はやる気持ちが抑えきれない。早く調査がしたかった。


 早く......早く新宿へ――


「オム先生ー、オム先生!」


 部屋をノックするもオム先生の返事はない。


「研究所かな」


 研究所へと行ってみる。が、オム先生の姿はない。


 もしかして、台風の後だから海岸の様子でも見に行ってるのかな。


 研究所を出て海へと急ぐ。船に何か被害があったら大変だ。台風が来る前に陸には上げておいたけど、もし飛んできた木や瓦礫なんかが当たって破損していたら偉いことだ。


 港につくと、なんだか漁師さんたちがザワザワと騒がしい。


「......なんだろう」


 よく見ると、港には見慣れぬ大きな蒸気船が泊まっていた。


 真っ黒い船体に、物々しく噴き出す蒸気。

 その物々しさに、僕は思わず息を呑む。


「見慣れない船だな」


 思わず見入っていると、南国に似合わぬかっちりとしたコートを着た金髪の貴婦人が降りてきた。


 思わず周囲の空気がピリリと張り詰める。表情は固く、厳格さをまとい見るもの全てを威嚇しているようだ。


「ちょっとそこの坊や」


 貴婦人は僕を見つけると手招きする。


「ぼ、僕? なんでしょうか?」


 思わず背筋を正す。


「ピペット・ラフィットという子を知らないかしら。十七歳の小柄な金髪の女の子なんだけど」


「ピペット......? ああ、もしかして、ピぺ?」


 婦人は僕の肩をぐいと掴んだ。


「うちの娘を知っているの!?」


 鬼のような剣幕の婦人に、僕は少したじろぐ。


 娘だって!?

 僕は婦人をまじまじと見た。金色の髪。青い瞳。


「もしかしてあなたは......」


 貴婦人はコホン、と咳払いをすると、あらまった口調で言った。


「失礼いたしました。わたくしは、エルエル・ラフィット。ピぺの母です」


 ピぺのお母さん!?







「ピぺ? ピぺいるかい? お母さんが会いに来てるよ」


 僕はゲストハウスに戻りピぺの部屋をノックした。


「返事がないですね」


 僕が振り返ると、婦人は眉間に深い皺を刻む。


「どこへ行ったのかしら」


 こ、怖い。

 ちょうど廊下を歩いてきたヤスナに尋ねる。


「ヤスナ、ピぺ知らない?」


「さあ、先ほど慌ててどこかへ出かけて行きましたけれど」


 どこかへ出かけた?


「あの子ったら、一体どこへ」


「あの、ピぺのお母さん、今日はピぺに来ることは知らせてなかったんですか?」


 僕は恐る恐るピぺのお母さんに尋ねた。ピぺはお母さんが来るなんてこと、一言も話して無かったから。


 ピぺのお母さんは横目で僕をチラリと見るとため息をついた。


「知らせるも何も、娘は一年前にいきなり家を飛び出して、それっきり行方知れずになっていて連絡も取れませんでしたから」


「ええっ!?」


「そうだったんですの!?」


 僕とヤスナが同時に声を上げる。

 ってことは......ピぺって家出娘だったってことか? 全然知らなかった。


「遺跡博覧会であの子を見つけた知人がたまたま連絡してこなかったら、一生見つけられないところでした。まさかこんな遠い国まで」


「そうですよね......」


 僕は遺跡博覧会の時のことを思い出した。

 あの時ピぺは、知り合いのらしき男性と話していた。お母さんは元気かって。ひょっとしてあの人がピぺのお母さんに知らせたのだろうか。


「でも、よく考えたら何故今までここを探さなかったのか。こんな遠いところまで来るはずないと――子供だからとあなどっていた私の失態ですわね」


 お母さんの眉間のシワが深くなる。


「私としても、ここにはいい思い出はないし」


「え?」


「いえ。それにしても、あの子はどこへ行ったのやら。まさか私がここへ来るのに感づいて逃げたのかしら?」


 随分とイライラした様子だ。僕はとりあえずこう提案した。


「とりあえず、一階の食堂で帰ってくるのを待ちましょう」


「じゃ、じゃあ私、お茶でも淹れますわ」


 ヤスナも気を使い立ち上がる。


「では、そうさせてもらうわ。全く、あの子ったら、一体どこへ行ったのかしら」


 ブツブツ言うピぺのお母さん。こりゃあピぺ、見つかったらタダじゃ済まないぞ。


 だが食堂につくと、そこには口いっぱいにオニギリを頬張るピぺがいた。


「ピぺ!」

「探しましたわ!」


「ふがふがふが!」


 だが僕たちが言うより早く、ピぺのお母さんはツカツカとピぺに向かって歩いていく。


 ピぺの顔が真っ青になる。


 口からオニギリがこぼれ落ちた。


「お母さん......!? 何でここに......」


 僕は身を固くした。

 ピぺのお母さんは、かなりピリピリしていた。平手打ちどころじゃすまないんじゃないかと思っていた。


 でも、ピぺに駆け寄ったお母さんは、ピぺの腕を取り、こう言ったのだった。


「心配したのよ、ピぺ。生きていて良かった......!」


 その目には、大粒の涙が浮かんでいた。





「申し訳ありません、まさか、ピぺが家族の承諾なく勝手にこんなところまで来ているなんて思わなくて......」


 オム先生が平謝りする。


「いいえ、私が悪かったんですわ。主人が亡くなってからは、家業の傍ら、女手一つで育てて来ましたから、なかなか躾も行き届かず、先生にもご迷惑を」


「いえ、そんな。ピぺさんはよく気の利くできたお嬢さんで」


 事務室でそんなやりとりをした後、オム先生はピぺに向き直る。


「じゃあ、ピぺは家に帰るの?」


 オム先生がピぺに尋ねる。

 ピぺはうつむき、小さな声でこう言った。


「私は――帰りたくありません」


 ほっと胸をなで下ろす。良かった。ピぺには帰る気は無いんだ。そうだよな。


 だってこれからじゃないか。これから僕らは23区や新宿や――海に沈んだ色々な街を探すんだから。


「ピぺ! あなたまだそんな事を」


「そうよ、親御さんも心配しておられることですし」


 僕はなんだか胃がムカムカしてきた。なんでオム先生はお母さんの肩を持つんだろう。


 オム先生は、ピぺが帰るの嫌じゃないのか?


「お願いです、お母さん、オム先生。もう少しここに居させてください」


 ピぺが頭を下げる。


「......まあ、この子ったら!」


 オム先生は困ったように息を吐いた。


「私としても、もちろんピぺにはここにいて欲しいわ。でも、まだ未成年の子を親に無断で働かせるってのもね」


「......はい」


 か細い声で返事をするピぺ。


「もしどうしても働きたいというのならば、お母さんを説得してからにするべきよ」


「はい。説得します......」


「そう、良かったわ。――ジュンくん、こっちへ」

 

 席を立つオム先生。オム先生に促され、僕も席を立つ。


「しばらく二人きりにしましょう。ここでお母さんと二人、よくよく話し合った方がいいわ」


 部屋を出る僕とオム先生。


「ジュン、どうだった?」


 廊下にいたヤスナが駆け寄ってくる。


「ああ、今、ピぺとお母さん、二人で話し合いをしてる」


「そう。ここで働く同意を得られるといいわね......」


 僕らは事務室の前にあるベンチに座り、二人の話し合いが済むのを待った。だが、三十分、一時間経っても二人は部屋から出てこない。


「まだまだかかりそうだし、食堂でお茶でも......」


 そう言いかけた時、ガチャリと冷たい音を立てドアが空いた。


 重苦しい空気。ピぺもお母さんも泣き腫らしている。一体どんな事を話し合ったのだろう。


 ピぺが口を開く。



「――決めました。私、国に帰ります」



 え......えええええ!?



 






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