第28話 ピペの決断
「私は、お母さんと一緒に帰国します」
耳を疑った。僕は、ピぺが帰るのは嫌だと、ここに残ると言ってくれるものだとばかり思っていたから。
どうしてピぺは、そんなに簡単に帰るだなんて言うんだろう。
まだ調べていないことが沢山あるじゃないか。新宿も、23区も......
「そうね。お母さんも心配してるでしょうし」
オム先生は穏やかな口調で言う。
「あなたがいなくなって寂しいけど、向こうでも頑張ってね、ピぺ」
悲しげな笑顔。だってそうだ。オム先生だって、ピペには帰って欲しくないはずだ。それなのに、どうしてピペは......
「この子が帰る決心をしてくれて本当に良かった」
ほっとした表情を見せるピペのお母さん。
「このままでは、宇宙人だの超古代文明だの、下らない夢ばかり追いかけてろくな大人になれませんわ。この子には父親のようにはなって欲しくなかったから」
――下らないって何だよ。宇宙人も古代文明もピぺの子供の頃からの夢だ。そうだろう?
だけど、ピペの表情は動かない。
「この子には、きちんとした学校を出てきちんとした人と結婚して、いずれは家業を継いでもらわなくては」
――だって、そんな......
ピぺは伏せていた目をちらりとこちらに向け、蚊の鳴くような声で言った。
「......はい」
どうしてだよ。
僕の胸には、ふつふつと煮え切らない思いが湧き上がっていた。
*
「荷物の整理は進んでる?」
夜になり、僕はピぺの部屋を訪ねた。
「はい」
トランクに黙々と荷物を詰めていくピぺ。
ピぺの手が、枕元の古びた写真に伸びた。
金髪の男性が、旧式の飛翔船の前で誇らしげにポーズを取っている。
この人……そうだ。所長室で見た。
古代トウキョウ遺跡を見つけたっていう、前の所長だ。
「その人……」
「私の父です。ここの創設者なんです」
ピぺは写真を懐かしそうに眺めた。
そうか。外国人であるピぺがこの土地にわざわざ来たのは、父親である前の所長の影響だったんだ。
僕が所長室の写真に見覚えがあったのも、初めてここに来た日、ピペの部屋でこの写真を見たからだったんだ。
「そっか。凄いね」
「ええ。でも、数年前に友人と飛翔船で出かけたっきり行方不明になって」
「えっ?」
「恐らく、岩礁地帯で墜落したんじゃないかって」
ピペは窓の向こうの海を見つめた。
「私は、父のようになりたかったんです」
口元に笑みを作るピぺ。
「でも母にとって父は、家庭を顧みず、くだらない趣味に没頭し、挙句の果てに命を落としてしまうそんな人で――そんな父のようには、私にはなって欲しくなかったんでしょうね」
下らなくなんかない。立派な夢じゃないか。僕はその言葉を飲み込んだ。
「ピぺのお父さんも、宇宙人や超古代文明が好きだったんだ?」
「ええ。趣味が講じて、ここに研究所まで建ててしまったぐらい」
「そうか。すごいね」
でも君は、お父さんが作ったこの研究所からいなくなってしまうんだろう?
僕は部屋の中を見渡した。
あんなにごちゃごちゃだった机にはほとんど本が残っていない。
あの日――ピぺと出会った日に、僕が座ったベッドのピンクのシーツも、海を見た窓のハイビスカスのカーテンも、枕元の写真もパイロット帽も、すべてがガランと消え失せている。
ああ、本当にピぺは居なくなるんだ。帰ってくるつもりは無いんだ。そうひしひしと感じて、僕の心臓は焼けるように痛んだ。
「どうして?」
「何がです?」
「ピぺがこんなににすんなり帰国するなんて。まだやり残した事が沢山あるじゃないか」
ピぺは軽く頭振った。
「だって、仕方ないです」
「仕方ないって」
窓の外を見つめるピぺ。
「逃げ隠れしても、いずれは見つかるものだと分かっていました。心の隅では、いつかきっとこうなるんじゃないかって、覚悟してました」
弱々しく笑う声に、僕は少し視線を落とす。
「僕は......ピぺにだけはそういう事を言って欲しくなかった。ピペがそんないくじなしとは思わなかったよ」
僕にとってピぺは、いつだって自由で、明るくて、夢とやる気に満ち溢れていて......そういう女の子だったのに。
「そんなこと言われても、それはあなたが勝手に私に抱いていたイメージでしょう。現実には、親の前には子は無力です」
膝の上でこぶしを握り締めるピペ。
「ピぺは子供じゃない。もう十七じゃないか。自分の人生くらい自分で決められるはずだ」
「自分で考えた結果、決めたんです。家に戻るって」
「ピぺ......」
「決めたんです」
遠くを見つめる瞳。
もうだめなのか? どうにもならないのか?
僕は意を決して言った。
「二人で、星空を見ないか?」
*
僕たちは二人で星を眺めた。
静寂が、あたりを包む。
僕たちが出会ったあの日のように、波は寄せては返し、星は空で静かに瞬いている。
「ピペ......本当は帰りたくないんだろう?」
僕が言うと、ピペは悲しげに遠くを見つめた。
「分かりません」
台風の名残を残す冷たい風が吹き抜ける。
「私も、初めは絶対に帰るもんかって思ってたんです。でも私を最初に見たときのお母さん……あの厳しいお母さんが泣いたんです」
ピぺの目に涙が浮かんでいる。
「馬鹿なことをと殴られる覚悟はしていました。叱られると思っていました。でもお母さんは、私を見て『無事でよかった』と……」
「ピペ……」
「私には……母を裏切ることはできません」
月上りが、ピぺの頬を青白く照らす。決意に満ちた、その横顔を。
僕は、それ以上は何も言えなかった。だって、僕もお母さんが――顔もよく思い出せない、ただ声だけが記憶に残っているお母さんを大切に思っていたから。
「本当に――本当に帰るんだね?」
「はい」
ピペは静かに、だが力強く頷いた。
「明日の船で、私は帰ります」
僕は観念してこう言った。
「......そうか」
仕方ない。
「分かった。新宿は、僕一人で探す」
僕はそう言って部屋に戻った。
そうするしか無いんだ、きっと。
*
密封されていたサイダーの蓋を開けるように、思い出は次々とこぼれ落ちてくる。
そうだ、あれは――
あの日も、星の綺麗な晩だった。
僕は荷物をまとめる父さんの背中をじっと見つめていた。
「父さん、本当に行くの?」
「ああ。母さんを探しに行く」
思わず父さんの腕を掴む。
「待ってよ。あれからもう何年経ったと思ってるんだ。母さんはもうとっくに――」
父さんが振り返る。大きな目で僕を見ている。悲しいような、失望したような驚いたような、なんとも言えない色をした。
僕は思わず手を離した。
父さんを傷つけるつもりは無かった。
僕だって、そんなの信じたくなかった。でも、認めないと。認めないと、余計に苦しいままだ。
「分かってる」
静かだけどきっぱりとした父さんの口調。
「分かってるさ。僕だってそれぐらいの事は。でも、迎えに行かないと」
父さんは僕の頭をくしゃりと撫でた。
「あの時は、毎日一緒にいるのが当たり前で、気づかなかった。でも離れてみて分かったんだ。僕は本当に母さんを愛していたんだってね」
僕は目を見開いて父さんを見つめた。父さんがそんな事を言うのは初めてだった。父さんは少し視線を落として口元を引き締めた。
「それからすごく後悔した。あの時、母さんは東京に残ると言った。僕はその意志を尊重しようと思った。でも、今思えば、反対を押し切って、首に縄を着けて引っ張ってでもここに連れてくるべきだった」
僕の目を真っ直ぐに見つめる父さん。
「本当にその人を愛しているんなら、その手を放すべきでは無かったんだ。だから――許してくれ。僕は行くよ」
そして父さんは旅立った。
母さんが愛した、あの場所へ。
待って。待ってよ。
どうして皆居なくなってしまうんだ。
どうして。
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