第29話 冒険、してみない?

 翌日。ピぺは髪をきっちりとまとめ、仕立ての良いワンピースを着て港に立っていた。


 渚ですました顔をして遠くを見つめるピペ。何だか知らないお嬢様みたいで、酷くピぺが遠くに思えた。


「では皆様、ピぺがお世話になりました」


 頭を下げるお母さん。その顔からは険しい色が消え、心なしか柔らかな気配が漂っていた。


「ほら、ピぺも挨拶なさい」


「えっと、皆さん、お世話になりました。ここにいる皆には色々と迷惑を......」


「全くよ!」


 静かな雰囲気をぶち破り、叫んだのはヤスナだった。皆ぎょっとしてヤスナを見つめる。


「何よ、勝手に居なくなるって。こんな勝手に、あっさりと居なくなっちゃうなんて......」


 ピペが頭を下げる。


「すみません、まだ研究も途中なのに......」


「そういう事じゃないわよ!」


 ピシャリと言うヤスナ。


「あんたはそれでいいわけ!? 流されるだけの人生で。古代遺跡は? ジュンは......」


 スカートの端を握りしめるヤスナの手が震える。


「ジュンはどうするのよ!」


 ヤスナの目が赤く染まる。


「どうするのって」


 困惑した様子のピぺを、ヤスナは睨みつける。


「あなたが要らないって言うのなら、私がジュンを取っちゃうんだからね!」


 僕がびっくりしてヤスナを見ると、ヤスナは唇を噛み締めて駆け出して行った。


「ヤスナ!」


 ピペはその後を追わなかった。ただヤスナの後ろ姿をしばらく見つめたあと、視線を落とした。そして苦笑する。


「ジュンくんは物じゃありませんよ」


「......確かに」


 僕は、それしか言えなかった。他にも言いたいことが沢山あったはずなのに、いざ本人を目の前にすると、何も言葉が出てこない。


「ヤスナは寂しいのよ、あなたが居なくなって」


 オム先生がそっとピぺの肩に手を置いた。


「オム先生」


「またいつでも戻ってらっしゃい。あなたの部屋は残しておくから」


「はい」


 今にも泣きそうな顔で頷くピぺ。


 けれども僕は知っていた。ピぺの部屋にはあのピンクのカーテンもシーツも残っていなかった。


 もう戻って来るつもりは無いのだ。


 戻ってくるつもりなら、カーテンなんてそのまんまにしておくだろう。


 僕はそれが、無性に悲しかった。


 ピぺのお母さんが促す。


「お別れは済んだわね? さあ、行きましょう」


 一礼して船に乗り込むピぺ。

 蒸気船が唸り声を上げる。


 ピぺを乗せた大きな船は、ゆっくりと僕の知らない場所へと旅立って行った。





「ジュンは......それでいいの?」


 ゲストハウスに戻った僕を、ヤスナが食堂の壁に寄りかかって睨む。


「だって私たち、やり残したこと、沢山あるじゃない」


 ヤスナの声が震える。悔しそうに唇を噛む。


「うん......」


 色々と言いたいことがあったんだけど、出てきたのはこれだけだった。


「でも仕方ないよ」


 ヤスナが眉をひそめ、刺すような目で僕を見る。


「ジュンは、ジュンはそれでいいの? どうしてそんなに平気でいられるの?」


「僕だって平気なわけじゃない......けど」


「私は、そんな風にウジウジしてるジュンは嫌いですわ!」


「勝手に嫌ってくれよ」


 僕が拗ねて横を向くと、ヤスナは僕の両腕をガッチリと掴んだ。


「ピぺを迎えに行きましょうよ」


「そんなこと......!」


 僕は唇を噛み締めた。


「そんなことできないよ。だって今さら、もう船だって出発したのに」


「飛翔船がありますわ!」


「まさか」


 ヤスナの提案に、僕は目を見開く。


「二人で飛翔船に乗って、ピぺの船を追いかけましょう。でなきゃ、もう二度と会えないかもしれなくてよ!」


 手を広げ、懇願するように、ヤスナは僕を見つめる。



 会えない。

 もう二度と。


 その言葉が棘のように、僕の胸に刺さる。


「どうして......ヤスナはそこまでしてピペのこと」


「友達だからですわ!」


 ヤスナが吐き出すように言う。


「私にとって、ジュンは唯一の男友達ですけど、唯一の女友達はピペなのですわ!」


 ヤスナの声が震える。


「私はジュンが好きですけど、ピペのことも好きなのです。ジュンはいいんですの? もう、ピぺに言いたいことは無いんですの? 二人でしたかった事を、全部やり切ったの!?」


 僕が言いたかったこと。

 二人でしたかったこと。


 僕は――


 その時、父さんの声が頭の中にこだました。


『本当に愛しているんなら、その手を放すべきでは無かったんだ』



『だから――行くよ』



 





「どうしてこうなった......」


 およそ三十分後、僕は海の上にいた。


「しっかりしてくださいな。貴方が決めたことですわ」


 運転席のヤスナが叱責する。その顔は、心なしか晴れ晴れしている。

 

 飛翔船に乗って、ピぺの乗る船を追いかける。


「さてと、見えてきましたわ、あの船ですわね」


 海の上を木の葉のように漂う黒い蒸気船。

 近づいてみると、そこには灰色のワンピースを着た金髪の不機嫌そうな女の子がいた。


「......ピぺだ!」


 ヤスナが不敵な笑を浮かべる。


「丁度いいですわ。このまま、あの船に横付けします」


「えええっ!?」


 僕の心の準備が出来ないうちに、ヤスナは飛翔船を急降下させた。

 揺れる機内。ピぺの乗った船がぐんぐん近づいてくる。もう後戻りはできない。覚悟を決めるしかない。


 一体何を怖がっている? 僕には失うものなんて何もないのに。


 あの日ピペは言った。「冒険してみない?」って。


 きっと今がその時なんだ。




 今冒険しなくて、いつするんだ?





「ピぺ……ピぺーーーーッ!!」


 僕の叫び声に、船のデッキに立っていたピぺが振り返る。大きな青の瞳がきらりと太陽を反射する。


「ジュンくん……ヤスナまで!? どうしてここに」


 驚愕の表情がピペの顔に浮かぶ。


「どうしてって……きみをさらいに来たんだよ、ピぺ!」


「ええっ!?」


 船の横すれすれに飛翔船を寄せるヤスナ。

 僕は困惑するピぺへ腕を伸ばした。


「まだ君を帰すわけにはいかない。そうだろう? 僕たちはまだ新宿にも、23区にもたどり着いていない!」


 今しかない。今この時を逃すと、もう僕は一生新宿も、23区も見ることはできない。なんとなくだけど、そんな気がして。



「時間がない。早く!」


「ピぺ……!」


 ヤスナもピペを急かす。顔に焦りの色が浮かぶ。


 すると、ピぺのお母さんが出てきてこちらへ駆け寄ってきた。


「あなたたち、これはどういう事ですか! 一体どうしてこんなところまで」


 まずい。


「ピぺ、早く」


 僕は再度腕を伸ばした。


「ジュンくん……だめです、お母さんとも約束したし」


 首を振るピぺ。

 僕は叫んだ。


「お母さんは関係ない! ピペ、君の人生は君のものだ」


 ピぺの目が潤む。


「大事なのは、君がどうしたいかだ!」


 そう、それはピぺ、君が僕に教えてくれたこと。


「きみは、超古代文明の遺跡を見つけたいんだろう? 冒険してみたいんだろう!?」


 冒険、してみようよ。


「一緒に、新宿を見に行こう!」


 僕は精一杯、ピペに向かって手を伸ばした。







「待って、父さん!」


 僕は手を伸ばし、父さんの袖を掴んだ。


「父さん、僕も行くよ!」


 父さんは目に戸惑いを浮かべる。


「でも、行ったら最後、もう戻れないかもしれない」


「それでもいい。僕も、母さんを探しに行くよ!」


 記憶が段々と戻ってくる。


「僕は、東京へ行く!」


 そうだ。

 一緒に行こう。


 懐かしい、あの場所へ――

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