第32話 海に沈んだ真実

「『旧東京都庁』? 何ですか、それ」


「分からない」


 僕の記憶の中の声は「都庁」に行けと言っていた。でもこの看板によるとここは「旧都庁」らしい。


 だとしたら、僕の目指すべき「都庁」はこことは違う場所にあるのだろうか?



「ともかく、もう一度潜ってみよう」


「はい」


 僕たちは再び水に足をつける。


「サメがまだいるかもしれないから、慎重にね」


「ええ」


 冷たい海の中へと、思い切って身を沈める、


 ドボン。


 眩しい光の指す地上から、薄暗い海底へと落ちていく。


 水を蹴って、どんどん光の届かない場所へ。


 心の奥深く、失くした記憶を探るかのように。


 静かの海へと。




 魚の群れをかき分け、遺跡の中へと進んでいく。どうやら先ほどのサメはどこかへ行ってしまったらしく、影も形もない。


 程なくして、先ほど僕が石版を見つけた辺りに辿り着いた。


 泥や土砂に埋もれた遺跡。胸が高鳴る。


 ――あった。この辺だ。


 泥の中を探すと、石版の埋まっていた跡を発見した。


 ――周辺を掘ってみよう。


 ジェスチャーで会話し、頷き合う。


 泥の中に手を突っ込むとすぐに、硬い岩盤につき当たった。


 二人で、岩盤についた泥を懸命に払っていくと、黒く光る岩盤が姿を現した。


 頭上から差し込む微かな光がそこに刻まれた文字を映し出す。


 所々破損していて読めないが、読める部分だけ解読してみる。



『旧東京都庁は、2――年まで東京都庁として――建物で、首都機能の宇宙移転に伴い――現在では――を後世に残す文化遺産として――いる』



 首都機能の......宇宙移転?










「どうして都庁に行くの?」


 尋ねる僕の髪を、母さんはくしゃりと撫でた。暖かな、お日様のような匂いのする手だ。


『都庁には展望台があるでしょ? そこからなら見えるから。東京タワーも、スカイツリーも、富士山も……東京の街並みが』


「東京の街並み?」


 僕は首を傾げた。

 ガタンゴトン、と電車が揺れる。

 僕らを置いて、次々と遠ざかって行く景色。


「忘れないでほしいの。私たちが生きている東京のことを」


 寂しげな母さんの横顔。



 次々と蘇ってくる記憶。



 そうだ、僕はに住んでいた。




 ピぺがジェスチャーでもっと中を見て回ろうと合図する。


 僕は鳴り止まない心臓の音を隠すように頷いた。


 海水を蹴り、建物の奥へと進む。


 壊れた窓。ボロボロに朽ちた壁と床。だけれども、柱は意外としっかり残っていて、都庁として使われていたという当時の姿を思い起こさせる。


 旧都庁の中を泳ぎ回る僕たち。一面の藍色世界。呼吸音だけが響く。



 ゴポゴポゴポ......ゴポゴポゴポ......





「わぁ、見て! あそこにスカイツリーが見える」


 はしゃぐ僕に、母さんは懐かしそうに目を細める。


「あそこにスカイツリーがあるってことは、浅草はあの辺かしら」


「浅草って、雷門があるところだよね」


「ええ。ずっと前だけど、お父さんと一緒に浅草でサンバカーニバルを見たことがあるわ」


「サンバ? 浅草で? へんなのー」


 母さんと二人、都庁の展望台で笑い合う。ちっぽけだけど、大切な記憶。



 次々とフラッシュバックしてくる過去の記憶たち。



 ゴポゴポゴポ......ゴポゴポゴポ......




 地面が大きく歪む。軋む車体。人々の叫び声が聞こえる。


「地震だ!」


 誰かが叫んだ。そんな。「それ」が起きるのは。まだ先のはずでは......




 ゴポゴポゴポ......ゴポゴポゴポ......




「プロキシマbへの早期移民組に当選したぞ!」


 父さんが頬を高揚させる。


「リスクの高い都心部の人の方が当選しやすいって聞いていたけど、ダメ元で応募してよかった」


「じゃあ、僕たち、宇宙船に乗れるの?」


「ああ、そうだよ」


 喜ぶ父さんと僕。母さんだけが浮かない顔だ。


「いつの間に応募していたの」


「母さんが乗り気じゃなかったのは知ってる。でも、当選したんだから――」


「私は行かないわ」


 ピシャリと言う母さん。


「プロキシマbに辿り着くまでには何千年もかかるって言うじゃない。ずっと宇宙船の中なのよ?」


 父さんは必死で説明する。


「寝ている間に着くんだ。あっという間だよ。それに、技術は日々進歩してるんだ。きっと宇宙船に乗っている間にも新たな技術が発明されて、その時間は飛躍的に縮まるだろう」


「人が冬眠だなんて、危なくないの?」


「確かにリスクはある」


 イライラしたように言う父さん。


「でも冬眠システムは99%安全だと言われているし、遺伝子データと記憶データをJ-システム残しておけば、体が駄目になってもまた新しい体にデータを落として人生を始められる。死ぬ事は無いんだよ」


 だが母さんの表情は曇ったままだ。

 父さんは吐き捨てるように言った。


「こんな危険な場所に居て死ぬよりずっとマシだよ!」


 頑として首を縦に振らない母さん。


「いいえ、ここにいた方がまだマシよ」


 母さんの肩を、父さんは無理矢理掴む。


「向こうなら死んでもやり直せるんだぞ!?」


 母さんがその手を振り払う。


「私は東京に残る。私はここで生まれ育ったのよ。ここ以外に行く気はない。行くならあなた達だけで行って頂戴」


 部屋を出ていく母さん。

 ドアの音が、虚しくリビングに響く。


「......全く、頭が硬いんだから。年寄りみたいだ。旧世代じみた考え方だよ」


 父さんはため息をついてソファーにへたり込む。


「レン、お前はどうするんだ?」


 僕は数日前にあった大地震の事を思い出し体を震わせる。滅びの日は、すぐ側まで迫っている気がした。


「僕は......ここには居たくない。死にたくないよ。ねえ父さん、三人で宇宙に移住しようよ」


 三人で......。



 ゴポゴポゴポ......ゴポゴポゴポ......




 そうだ。僕は――





 そこまで思い出したところで、ピぺに肩を叩かれる。


 帰ろうというジェスチャーだ。

 確かにこれ以上は危険だ。



 急いで浮上し、陸に上がる。たき火をして、冷えた体を温める。


「凄かったですねー!」


 笑顔のピペ。


「ああ......凄かった。それに、色々と分かったし」


「そういえば、あの石版、随分熱心に読んでましたけど何て書いてあったんですか?」


 目を輝かせるピぺに、僕は自分が思い出したこの星の歴史と、石版の内容とを話して聞かせた。


 この地球でははるか昔から地殻変動と気候変動を何度も繰り返してきてその度に文明が滅びる変革期が起きていたこと。


 大昔に起きた「大変革」により、今よりも高度な文明を持っていた人々は他の地球型惑星への移住を余儀なくされたこと。


 あの「旧都庁」は以前に東京の行政機関として使われていたもので、首都機能が地球外に移った後は歴史的建造物として保存されていたこと。


 僕と父さんは、体を仮死状態にし低温保存する「冬眠システム」を使い、遠い他の惑星へ移住したこと。



 そんな事をポツポツと、僕は話した。


「他の惑星......ジュンくんは、他の惑星からやってきたんですか!?」


「自分でも信じられないことだけど......どうやらそれが真実みたいだ」


「凄いです!」


 ピぺが濡れた手でがっしりと僕の肩をつかむ。


「ああ、上手く言葉にできないけど、凄いです。やっぱり凄いテクノロジーを持った超古代文明はあったんですね!」


 僕はピぺの勢いに少し気圧されながら頷いた。


 微笑んだピぺの瞳が、うっとりと空を見上げる。


「そっかあ。何だか私の想像を遥かに超えた話です。ジュンくんは他の惑星から時を超えてやってきたってことなんですね」


「ああ。まだ全部思い出してないから分からないことも多いけど......」


 僕は頭をポリポリとかいた。

 頭には、まだモヤがかかったままだ。


 僕はまだ、重要な何かを忘れている――。



「凄いです。この空の向こうには、かつて地球を離れた人類が生きているんですね。宇宙人は、かつての地球人だったんです!」


 ピぺが息を吸い込む。そして言った。


「これでもう、思い残す事はありません」



 ああ。


 そっか。ピぺは宇宙人と超古代文明の秘密を探るという目標、両方を達成してしまったんだ。


 その意味するところに気づいた僕は、思わずピぺを真正面から見つめた。


「もういいの?」


 我ながら、弱弱しい声になったと思う。

 ピぺが視線を落とす。



「......はい。ジュンくん、ありがとうございます。私にはそれが分かっただけでも、もう充分です」


 満足したような笑顔のピぺ。


 その何かを決心したような瞳に、僕の胸はぎゅっと締め付けられた。


「ありがとう、私を連れ出してくれて」


 いやだ。


「ありがとう、ジュンくんからは、夢をたくさん貰いました」


 ――いやだ!


「そんなことない!」


 僕は思わず叫んだ。


「そんな事ないよ。僕たちの夢はまだ始まったばかりじゃないか」


 ピぺの手を取る。


「ピぺ、ここで、もっとたくさんの遺跡を探そうよ!」


 ピぺはゆっくりと頭を横に振った。


「いえ、もうこれでお終いです」


「どうして」


「ジュンくん、私の今ある貯金も結局親からのお小遣いですし、飛行船だってそこから買ったものですし、私、自分では冒険しているつもりだったけどそこがずっと気になってて――」


 ピペは決意を込めた瞳で僕の目を射抜いた。


「家に帰って、もう一度両親を説得して、自分の力でお金を貯めて――それでまたここに自分で戻って来ます。だから、待ってて下さい!」


 その力強い笑顔を見て、僕は何も言えなかった。


 ピぺは強い。優しくて明るく見えるけど、自分で心に決めたことは絶対に曲げない。


 いいじゃないか。ピぺはいつかまた戻ってくると言った。それだけで、今は十分じゃないか。


「......うん、分かった」


 僕は頷いた。何度も何度も頷いた。目が涙で潤んでいるのが分かった。


「今まで、本当にありがとう」


 僕たちは、硬い握手を交わした。

 再び会えることを信じて。


 本当に――これでお別れなのだろうか?

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