第11話 いざ、高尾山へ(2)
僕は二転三転しながら雨に濡れた斜面を転がり落ちた。
「痛たたた」
ようやく体が止まる。どうやら落ち葉が積もってできた腐葉土の上に落ちたため、何とか大怪我はせずに済んだようだ。
僕はふらふらする頭で自分の体を確認し、ため息をついた。
ここはどこだろう。
木の葉の隙間から、先ほど自分が転がり落ちた崖が見えた。何メートル落ちたのだろう。とてもじゃないが、ここから崖をよじ登るのは不可能に見える。
「ピぺーー!! オム先生!!」
叫ぶも返事はない。孤独が闇に響く。
雨はますます強くなるし、空はますます暗くなっていく。分厚い雲の影から雷光が差し込み、唸るような音が響いた。雷だ。かなり近い。
ぶるりと体を震わせた。とりあえず体を冷やすといけない。どこかで雨宿りするか。
鬱蒼とした木々が生い茂る一帯を見回す。
「お、丁度いい洞窟があるな」
藪の中にぽっかりと口を開けるのは、人が一人丁度入れるぐらいの小さな洞窟だった。
真っ暗で、中に何がいるかも分からないが、背に腹は代えられない。
「まあ、入り口にちょっと入るくらいなら大丈夫だろ」
草木をかき分け中に入ると、意外と洞窟は広く、雨風も防げて暖かかった。
「ふうー、助かった......」
脱力してその場にへたり込む。
闇の中にしとしと降り注ぐ雨だれ。僕はどんどん不安になってきた。
この雨は、一体いつやむんだろう。僕はピペたちのいる場所に帰れるのだろうか。
雨が止んだからと言って、すぐに見つけてもらえる保証もないし......
ぐるるるる、とお腹が鳴る。
おにぎりの入ったバスケットはピぺに預けたままだ。
「腹減った」
闇の中、僕は途方に暮れながらしばらく過ごした。
聞きなれた声が聞こえてきたのは、それからしばらく経ってからだった。
「ジュンくん!」
「ジュンくーーん!」
ピぺ!? オム先生!!
僕は洞穴から身を乗り出した。
「おーーい、こっちだ!」
遠くでオム先生とピペの顔がちらりと見えた。
「おーーい、おーーーーい!!」
見慣れた二人が近づいてくる。
「ジュンくん、ジュンくん!!」
ピぺが泣きはらした顔で抱き着いてきた。
「ジュンくーーん、無事でよかったですぅぅぅぅ」
ぐすぐす言うピぺ。
「ごめんな、心配かけて」
僕はピペの柔らかい体を抱きしめ、滑らかな髪を撫でた。ピペはまるで小動物のように頬を寄せてくる。
「ゴホン!」
オム先生が咳払いをする。
僕たちは、ハッと我に返り体を離した。
「別に私のことは気にせず、抱き合っていても大丈夫よ?」
「ち、違いますよ」
僕は慌てて弁解する。顔に変な汗が浮かぶ。
「まあ、いいんですけど」
「二人はどうやってここへ?」
「オム先生のリュックの中にロープが入っていたのでそれを伝って降りてきたんです」
なるほど。オム先生の重装備も無駄じゃなかったというわけか。
辺りを見回すオム先生。
「それにしても、こんなところがあったなんて。かなり広いわね」
「凄い暗いです」
「ちょっと待って、今灯りつけるから」
オム先生はリュックの中からカンテラを取り出し明かりをつけた。
オレンジ色のぼわっとした光に包まれる洞窟内。
そこで僕たちは、ある事に気が付いた。
「この壁......」
壁面には、びっしりと何かの絵が彫り込まれていたのだ。
「これは......地図ですか!?」
ピぺがその内の一部を指さす。
「これ、古代文字じゃないですか? もしかして、かなり古い......古代文明のものじゃないですか!?」
興奮して早口でまくし立てるピぺ。
「オム先生、これって」
僕もオム先生にこれが何であるか尋ねようとした。だが、オム先生の返事はない。
「そんな......まさか」
オム先生は目を見開き絶句したままだ。
「オム先生、これは一体何なんです?」
オム先生は、ハッと気を取り直したように説明してくれる。
「これは、古代トウキョウの地図だわ。ほら、ここにハチオージって書いてある」
確かに、オム先生の指さす場所には『八王子』と書かれている。
「え? でも、こんなに場所に」
僕は首を捻った。地図に描かれた地形は、今僕たちが知っているものと全然違っていたからだ。
今のハチオージはすぐそこに海が見える沿岸の街だけど、地図では凄く内陸にあるかのように書かれている。
いや......でも。
ここで「常識」とされている地図よりも、僕にはなんだか、この壁画の地図のほうがしっくりくるような、そんな気がした。
間違いない。これはトウキョウの地図だ。でも、だとすると......
「まさか......じゃあ、この沿岸部の街は?」
ピペが東京湾周辺の地域を指さす。
「今は海の底に沈んでいる可能性はあるわね。この地図が本当なら」
ピペの瞳がカンテラの光を浴びてオレンジ色に揺れる。
「海底に沈む都市......すっ、すごい発見をしてしまいました!」
子供のようにはじゃぐピペ。
オム先生は神妙な顔で頷く。
「オム先生、これ、この赤い文字はなんて書いてあるんですか?」
顔を蒸気させるピぺ。
「え?」
オム先生はピペの指さす文字を見ると、壁画に飛びついた。
「これは......『ニジュウサンク』って書いてあるわ!」
「ニジュウサンク?」
ズキリと頭が痛む。何となく、胸騒ぎがした。
「ほら、この丁度赤の線で囲まれた場所よ」
「ニジュウサンク......」
僕は唾を飲み込んだ。
吸い込まれるように、カンテラの仄かな灯りに照らされた壁画を見上げる。
「そうなの。実はここハチオージや周辺の町や村には『ニジュウサンクの伝説』というのがあって、海の底に街があると昔から言われていたの」
「そうなんですか。ニジュウサンク......」
「ええ。でも、それが古代トウキョウと同一のものなのか、別の文明なのかは専門家の間でも意見が分かれていたんだけど」
オム先生は壁画を見上げ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「でもこの壁画を見る限りではニジュウサンクは古代トウキョウ文明の一地域ということになるみたいね。古代トウキョウ文明も、これを見る限りでは通説よりもかなり広範囲に渡っていたことになるし......これは大発見になるかも知れないわ」
オム先生が洞窟の中を照らして回る。
「他にも壁面があるかもしれないわ。ちょっと辺りを照らしてみましょう」
洞窟の内部には地図だけではなく、町並みや人々の暮らしを描いた絵がそこかしこにあった。
「これは本当に興味深い発見だわ」
「そうですね!!」
発見を喜び、興奮するピペとオム先生。
だけども僕は、その場に黙って立ち尽くすしかできなかった。
山の中の洞窟に、壁いっぱいに描かれた沈んでしまった街。ただ描くだけでなく、最初にナイフか何かで彫りこまれ、そこにわざわざ塗料が流し込まれているようにも見える。
僕には、分からないことだらけだ。
この絵を描いた人は一体どんな人で、どこから来て、何を思って、何のためにこの絵を描いたのか。
きっと古代トウキョウは、この絵を書いた人物にとって特別な街だったに違いない。忘れたくない、大切な場所だったに違いない。
僕にもあったのだろうか? 大切な思い出がたくさんつまった「僕の街」が。
そこは、一体どこだなのだろう?
僕は、一体誰なんだ?
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