第2話 変態じゃありません
「参ったな」
ここは僕が倒れていた海岸から徒歩三分のところにあるピペの部屋。......の中にあるシャワー室。
砂や海水にまみれていてベタベタだからとシャワーを浴びることを提案された僕は、言われるがままに冷たい水を浴びていた。
「はあ......」
ため息しか出てこない。
鏡に映る、十代後半の黒髪の男。
自分の姿を見ても、名前も住所も何も浮かんでこない。
僕は、誰なんだ?
生ぬるい水を浴びる。ふいに後頭部が痛んだ。
「いたっ」
手をやると、大きなタンコブがある。もしかして、頭を打ったせいで記憶を失くしたのだろうか。
“......ジュンくん”
後頭部をおさえ、シャワーを止めると頭の中で声がした。
フラッシュバックする女性の声。
“......ジュンくん”
ジュン? もしかして、それが僕の名前だろうか。
確信は無かった。
でもこの際、それが自分の名前ってことにしてしまおう。名前が無いと呼ぶ時不便だし。
「よし」
とりあえず自分の名前は決まった。
気合いを入れてシャワー室を出る。
「あれ? 僕の服が無い」
畳んで床に置いておいたはずの僕の服が無い。ピペがどこかへ持っていったのだろうか?
とりあえずその辺にあったピンクのバスタオルを巻いてシャワー室を出る。
「ピペ、シャワーありがとう」
僕が声をかけると、ピペは嬉しそうに目を細める。
「いえいえ、スッキリしましたか?」
「うん。ところで、僕の服は」
「汚れていたので洗濯しました」
そこまで言うと急にピペの笑顔が引き攣る。
「しまった、替えの服がありません! 後で誰か男の人に借りましょう」
どうやらかなりそそっかしい性格のようだ。
「それまでは私の服......何か着れそうななの無いですかね。ちょっと探してみます」
ピペは小さな洋服ダンスを開けるとああでもない、こうでもないと悩み始める。
僕は窓の外を見つめた。潮風でピンクのカーテンが揺れ、その奥にでは海が宝石のように煌めいている。
ハチオージ研究所とか言ったな、ここ。ハチオージ......八王子? 僕は心の中で何度も反復した。ハチオージという地名は聞き覚えがあるような気がした。でも.....
気のせいだろうか。僕の知ってる八王子はこんな風じゃなかった気がする。
僕の知ってる東京は、こんなふうに青い海や、白い砂浜や、ヤシの木の生い茂った海岸なんか無かった気がする。
じゃあ「僕の知ってる東京」ってのがどんなのだったかって聞かれると、頭の中に霧がかかったみたいに全く思い出せないのだけど。
ぼうっと窓の外を見ている僕に、ピペが声をかける。
「あ、立ったままだと疲れるでしょう、適当に腰掛けていて下さい」
「うん」
バスタオル一枚でベッドに腰掛ける。他に腰掛けるところがないから仕方が無い。
部屋の中に視線を移す。
ピンクで統一された可愛らしい部屋。壁にはなぜかパイロット帽とジャケット。それに古びた写真が数枚と地図。
僕は地図をじっと見た。何かがおかしい。
いや。きっとおかしいのは自分の頭だよな。地形がそんな急に変わるわけないし。
もしかすると頭を強く打ったせいで、普通より広範囲の脳細胞が死滅たのかもしれない。それで国の形だとかそういう知識まで消えてしまったんだな。きっとそうだ。
だって、ここは日本だし、東京の八王子だってあの子が言ってたじゃないか。
「きっと僕は頭を打っておかしくなっちゃったんだな」
そうに違いない。でなければ......いや、深く考えるのはやめよう。後はおいおい思い出していけばいい。記憶が戻れば全てハッキリするはずだ。
「あ、そうだ。僕の名前、どうやらジュンっていうみたいなんだ」
「そうなんですか。良かった」
ぱぁっと明るい表情を見せるピぺ。
「他には何か思い出しましたか? どこから来ただとか」
「いや、全く」
それどころか自分の脳みそすら信用できない。
ピぺは、途方に暮れる僕をじっと見つめた。つぶらな瞳。長い睫毛。
「ピ......ピぺ? 一体」
気が付くと、ピぺの顔がずいぶんと近くにあった。熱い視線を受け、思わず体温が上がる。
ドクン......ドクン......
心臓が大きな音を立てる。え? 何かな? この展開は――
「ジュンくん......」
ピぺが僕の方へ手を伸ばす――と、次の瞬間、地面がひっくり返る。
気がつくと、僕はタオル一枚のまま狭いベッドに押し倒されていた。
ふわり、いい匂いのする金髪が僕の顔にかかる。潤んだ瞳。
「えっ......えええええ? ピ、ピぺ!?」
「丁度いい機会です。このまま――してしまいましょう」
「へっ?」
するって何を!?
「シャワー浴びたてだし、服も着てないし、これはまたとないチャンスかもしれません」
「ええ!?」
心臓の鼓動が馬鹿みたいに速くなる。熱を帯び、潤んだ瞳が間近に迫る。吐息混じりの声。
「ジュンくん......あなたの体......もっと見せてください......!」
背中からどっと汗が出た。
「えっ......ええええええっ!? だ、ダメだよピペ、僕たち、まだ出会ったばかりだし......!」
動揺のあまり口の回らなくなる僕に、ピぺは熱のこもった瞳で言う。
「先程も言いましたが、ジュンくんは宇宙人に攫われた可能性があります。検査しなくては!」
はぁ!?
僕の上に覆いかぶさり、興奮した様子で首筋やら背中、脇腹と身体中をペタペタと触りだすピぺ。
「宇宙人に攫われた人は、記憶を消されたり、体に妙なチップを埋め込まれたりするんです。中には宇宙人との間に子供を宿しているなんてことも」
「ないから。チップとかないから」
慌てて否定するも、ピぺの猛攻は止みそうにない。
「分かりませんよ? 自分じゃ見えない場所にあるのかも。どれ、このバスタオルの下も」
「そっ、それはやめてくれっ」
必死でピぺをどかそうとするも、可愛い小島......いや、大きな膨らみが二つゆさゆさ揺れるだけで動きそうにない。うっ、これは青少年にはちょっと刺激が強いぞ。
「頼むからどいてくれよっ」
「嫌ですっ」
必死で下半身に巻いたバスタオルを死守していると、急にノックの音がしてドアが開いた。
「ピぺ、帰ってきたの? あのさ、この前言ってた......」
眼鏡をかけた長い髪の妙齢の女性が部屋に入ってくる。
「あっ、オム先生。あのですね、この人が」
僕のお腹の上で、タオルに手をかけながら元気よく返事するピぺ。
オム先生と呼ばれた女性の顔が、見る見るうちに赤くなっていく。
「あの、これは」
だがオム先生はそれを無視し、顔を真っ赤にして叫んだのだった。
「ヘ、ヘ、ヘンターーーイ!!」
*
「記憶喪失?」
ベッドの上で脚を組み、胡散臭そうに僕を見つめるオム先生。タイツに覆われた美脚がまぶしい。
ピぺが言うには、オム先生は偉い考古学の先生で、ピぺはこの人の助手のようなことをしているそうだ。
「はい。『ジュン』という名前以外、何も思い出せないらしいです」
僕はタオル一枚のまま床に正座し、ピぺとオム先生が会話するのをじっと見つめていた。
「だって。記憶喪失だなんて、宇宙人の仕業に決まっています」
「またそんな下らない事を言って。この間は超能力、その前は幽霊にハマっていたと思ったら、今度は宇宙人!?」
「宇宙人は前々から好きですよー」
ピぺが口を尖らせる。
「と・に・か・く、宇宙人がどうとかそんな馬鹿なこと言ってないで元いた場所に戻して来なさい」
ビシッ、と海岸を指さすオム先生。あの、捨て猫か何かみたいに言うのはやめてもらえます?
「あなた、ジュンと言ったかしら? 記憶喪失なら、ここに居るより警察だとか病院に行った方がいいと思うの」
ハッとした。警察。思いつきもしなかったが、確かにその方が僕の身元も分かるかもしれない。
「そうですね。僕もそれがいいと思います」
「そんなぁ」
「じゃあ決まりね。早速警察に行きましょう」
オム先生に促され、僕は立ち上がった。
それと同時に、ひらりとタオルの結び目が解ける。
「あ」
パサリ。
狭い室内に、タオルが床に落ちる音が響く。
「あ......あの......これは」
オム先生の顔が再び沸騰したみたいに真っ赤になる。
「ヘ、ヘンターーーーイ!!」
誤解だっ!
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