第3話 きみは友達

「全く、ここの警察って役に立たないわ!」


 オム先生が目を吊り上げる。


 なんでこんなに怒ってるのかというと、あれから僕たちは、町で唯一の派出所に行ったのだが、そこには警官が一人しか居なくて、その警官もその辺にいるおじさんといった感じでかなり雑な対応。結局、僕の身元については何の手がかりも得られず、書類一枚書いて返されたからだ。


「仕方ないですよ。ここハチオージでは事件なんて滅多に起こりませんし」


 ピペがなだめる。どうやらここはかなり平和な場所らしい。


 だよな。僕は辺りを見回した。見た感じ研究所より大きな建物はないし、高いビルも無い。明らかに田舎だ。


 あるのは木だとか石でできた小屋みたいな家くらい。道路も舗装されていない。時々牛やニワトリが歩いてる。田舎ってレベルじゃない。ここ本当に日本か?


「はあ」


 空はだんだん暗くなり始めている。夕闇が海に溶け、青白い月が薄い光を放つ。


 僕は一体どうなるのだろう。住むところもお金もないまま外に放り出されるのだろうか?


 途方に暮れている僕の肩を、オム先生は叩いた。


「とりあえず部屋はピぺの部屋の隣のが空いてるから、記憶が戻るまでそこで寝泊まりしなさい。仕事はピぺの業務を手伝ってもらうとして......」


「えっ、良いんですか」


「とりあえず記憶が戻るまでよ」


 ――どうにかここに居られるらしい。ほっと息を吐く。


「ありがとうございます」


 オム先生はピペに向き直る。


「ピペ、今日からあなたはジュンくんの先輩よ。ちゃんとジュンくんの面倒見るのよ?」


「せんぱい……は、はい、勿論です」


 ムン、とこぶしを握り気合を入れるピペ。

 本当に大丈夫だろうか?


「じゃあ解散」


 ヒラヒラと手を振り、一階の自室に去っていくオム先生。良かった。思ったよりいい人みたいだ。ピペも、オム先生も。




「さてと、ジュンくんの部屋はここですね。私の部屋の隣です」


「ありがとう」


 僕の部屋はピぺの部屋のすぐ横、二階の突き当り。


 ピぺの部屋と同じように狭く、殺風景なワンルーム。だけど今の僕には充分すぎる。


「壁が薄いので、こうすれば壁ごしに会話できますね」


 ピぺが壁に耳をつけいたずらっぽく笑う。それは、便利なのか不便なのか。


「ではまた。詳しいことは明日教えますね。何かあったら呼んでください。宇宙人が出たときとか、地底人が出た時とか」


「うん......」


 宇宙人はそうそう出ないとは思うけど。地底人も。


「じゃあおやすみ」


「あ、そうです。ちょっと待っててください」


 部屋に入ろうとした僕をピペが引き止める。


「何?」


 ピペは一度部屋に入ると、もう一度顔を出す。頭に変な銀色の帽子を被っている。何だあれ。アルミホイル?


「古文書によると頭にこれを被っておけば、宇宙人からの有害な毒電波を遮断できるそうです。さ、ジュンくんも」


「いや、遠慮しておく」


 僕はピペの言葉を遮ってドアを閉めた。

 やっぱりピペは変な女の子だ。





「はー」


 狭くてかび臭いベッドの上に寝転がる。


 古代トウキョウ文明。

 海辺の町ハチオージ。

 無くなった僕の記憶。


 分からないことだらけだ。


 まるで大海原の中を一人、小船であてもなく漂っているみたいに、上も下も分からない深海をただひたすら潜っているみたいに、僕は心細くて不安だった。

 

 

 ドンドンドン、ドンドンドン……


 すると、静かな部屋にノックの音が響いた。思わず身を固くする。


「ジュンくん、ジューンくーん!」


 ピぺの声だ。ほっと息を吐く。一体どうしたんだろう。


 起き上がり、部屋が真っ暗なことに気づく。


 ベッドに少し横になるつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。


 ドアを開けるとそこには、ランプを手にしたピぺが立っていた。優しいオレンジ色の光がピぺの顔をぼやっと照らす。


「ごめん、いつの間にか寝てたみたいで。どうしたの?」


 僕が尋ねると、ピぺは白い歯を見せ、にぃと笑った。


「ちょっと外に出ませんか? 今日は月が綺麗ですよ!」


「うん、いいけど」


「こっちです!」


 ピぺが僕の手をグイグイと引っ張っていく。

 どこへ行くのだろう? 入り口とは逆の方向だ。


 ピぺが引っ張って行く先、廊下の突き当りには、古びたドアがあった。


「んんんんん......」


 錆びて開きにくくなったドアを押し開けた。外の空気が勢いよく流れ込んできて前髪を押し上げる。


「ここは――」


「屋根の上です!」


 ドアの向こうは、一階の屋根の上へと続いていた。


 目の前に広がっていたのは、大きな満月。

 月光をチカチカと反射する穏やかな波。

 そして僕たちを飲み込もうとばかりに広がる群青の星空――


「わあ......」


 言葉を失っている僕に、ピぺが教えてくれる。


「元々は非常用の出口だったんですが、皆さん布団を干したりするのに使ってますね」


「そうなんだ」


 屋根の上に寝転がるピぺ。


「ジュンくんもどうですか?」


「う、うん」


 恐る恐る屋根の上に寝転がる。

 気持ちいい。半袖の腕に当たる心地良い潮風。波音が寄せては返す。


「――どうですか?」


 ピぺが微笑む。青白い頬を月光が照らす。瞳の中にきらきらと星が光る。まわる銀河。まるで宇宙に寝転がっているみたいだ。


「......綺麗だ」


「そうですよね!」


 ピぺの目が三日月みたいに細くなる。


「良かったー、ジュンくん、元気出してくれて」


「......僕、そんなに元気が無さそうに見えたかな」


「少し。あっ、でも当然ですよね。名前以外なんの記憶も無いんですから......」


「うん」


 僕は夜空を見上げた。

 確かに、分からないことだらけだ。


 記憶が無いってことは、過去の経験が全て失われたってことだ。

 僕を今まで形作ってきた、僕が僕であるための何かが。

 それがきっと、今の僕の漠然とした不安感に繋がっているのだろう。でも......


「でも今は......そうでもない」


「そうですか。良かった」


 とりあえず住む場所が見つかったからだろうか。今の僕はここに来た時よりも少し気が楽だった。



「これからも、元気が無い時や不安な時は言ってくださいね。一緒に星を見ることぐらいはできますから!」


「ああ。ありがとう」


 寄せては返す波の音だけが支配する世界。星と月の明 の他は何もない真っ暗な夜。静かで、寂しくて......だけど、なんだか落ちつく。



 ぐるるるるるるる……


 僕たちが二人並んでじっと空を見つめていると、まるで宇宙人の鳴き声みたいな音が、急に夜空に響き渡った。


 僕たちは顔を見合わせた。

 ピぺがお腹を押さえて恥ずかしそうにしている。


「......えへへ、お腹、空きましたね。晩御飯一緒に食べに行きましょう!」


「ああ」


 そういえば、晩御飯まだだった。


「行こ行こっ!」


 ピぺの白くて冷たい手が僕の手を掴む。踊るように階段を下りる。


 一階に降りると、階段のすぐ横に食堂が見えた。

 晩御飯はそこで食べるのかと思っていたのだが、ピぺは食堂を通り過ぎる。

 

「ご飯って……食堂じゃないの?」


 僕が不安に思い聞いてみると、ピぺはふふ、と頬をほころばせる。


「はい。研究所の裏手に美味しいラーメン屋があるんです。ジュンくんに教えてあげたいなと思って」


 出会った時のように、グイグイと僕の腕を引っ張っていくピペ。

 白い横顔が、月のように輝く。


「大丈夫です。これから沢山、美味しいものや楽しいこと、知っていけばいいんですから」


 僕がキョトンとしていると、ピぺは笑った。


「私が色々教えてあげます。たとえ記憶がなくても、これからここで作り上げていけばいいんです」


「......うん」


 そうかもしれない。

 例え記憶が無くても、これから沢山覚えていけば良いだけなのかもしれない。

 背中に背負っていた荷物を下ろしたみたいに、何だか心がすっと軽くなったような気がした。


 食堂の前ですれ違った男性がピぺに声をかける。


「おや、ピぺちゃん、お友達かい?」


「はい!」


 笑顔で即答するピぺ。 


「お友達......」


 僕が呟くと、ピぺは首を傾げた。


「お友達じゃないんですか?」


「いや、お友達......かな?」


「ですよね! 今日から私たちは、友達です!」


 ピぺは満足したように大きく伸びをすると、目もくらむような眩しい笑顔で僕の腕を引っ張った。


「さ、行きましょう!」


 外に出る。冷たい夜の空気を吸い込む。空には、満点の星が輝いてる。


 僕には何も無い。

 記憶も、過去も、両親も、何もかも。



 だけれど――


 はしゃぐピぺの横顔をチラリと見る。



 住む場所ができた。働く場所もできた。

 そして――



 はできた。


「これからここでいっぱい古代文明とか宇宙人とか不思議を見つけて……冒険しましょう!」


 ピぺが叫ぶ。


「この世は冒険なのです!」


 星がチカチカと瞬いている。


 こうして、僕らの夏は始まった。

 何もかも無くした僕の、新しい生活が始まったんだ。

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