第9話 市場へ

「ふうー、終わった終わった」


 ある日の仕事終わり、僕は思い切り伸びをしていた。背骨が鈍い音を立てて軋む。近ごろ仕事に熱中しすぎていて、姿勢が悪いからだろうか。


「いてて」


 僕が肩を回していると、ピぺが背後から僕の肩を揉んでくる。


「ジューンくん、お疲れ様!」


「う!」


 思わず変な声が出た。背中に柔らかいものが。それもピペが一回揉む事に背中でポニョポニョ弾む。何とも蕩けそうな温かな感触。


「痛かったですか?」


「い、いや、大丈夫だよ」


 心臓の鼓動が鳴り響く。耳元が熱い。僕は平静を装って動揺を隠す。


「ねぇ、それよりジュンくん!」


ピペは肩に手を置いたまま耳元で提案した。近い近い。


「今日はお給料日ですよ。もし良かったら、これから市場に買い物に行きませんか?」


 僕の背中に当たる物も近い距離も気にしない様子のピペ。こそばゆい気分。もう限界だ。


 さり気なく身を離しながら尋ねる。


「いいけど、何か欲しいものがあるの?」


「いえ、ジュンくん、筆記用具とか、着替えとか色々必要かと思って」


 確かに、今の僕は持ち物がすごく少ない。

 前の住人が残していったと思われる鉛筆とノートをそのまま使っているし、仕事仲間から借りた服で生活している。そろそろ自分の持ち物を揃えなきゃ。


 それに、実は近くに市場があるというのは聞いていたけど実は一度も行ったことが無かったし。


 僕は頷いた。


「分かった。一緒に市場へ行こう」



 



「さあ、着きました!」


 研究所から歩くこと十五分。

 僕たちは市場に到着した。


 薄暗くなり始めた空に色どりを添える、屋台ののぼりや提灯。

 漂ってくる海産物の焼けるいい匂い。まるでお祭りみたいで、何だかフワフワした気分になる。


 市場の入口には「ハチオージ市民市場・いれぶんせぶん」という看板。


「賑やかだなあ」


 市場「いれぶんせぶん」は野菜から魚、洋服や本に至るまでなんでも売ってる近隣住民の台所なのだそうだ。


「市場の『いれぶんせぶん』という名前は、神話に出てくる何でも手に入る魔法のお店からつけられたみたいですよ」

「そうなんだ」


「言い伝えによると、いれぶんせぶんは二十四時間店が開いていたんだとか」


「二十四時間?」


「ええ。人間が働ける時間というのは八時間ぐらいが限度だと科学的にも証明されていますから、ちょっと誇張されているかもしれませんけど」


 二人で人混みの中を歩く。ピカピカ光る南国の野菜。パイナップルやバナナ、見たこともない果物。


 ヤシの実を買い物カゴに入れるピぺの目が、急に見開かれる。


「ハッ、それともまさか、いれぶんせぶんで働いていた人たちは人間じゃなくて宇宙人だったのでしょうか」


「いやまさか」


「いえ、そうに決まってます! そう考えれば全ての辻褄が合うのではないでしょうか。宇宙人、恐るべし」


 ピペは屋台に並ぶ巨大なカニを見ながら唸った。


 青みがかったカニの横には、絵の具で色をつけたかのような、青や黄色、ピンクのカラフルな魚も並んでいる。


「ピぺは本当に宇宙人が好きだね」


 僕は見慣れない魚たちを眺めながら笑った。


「はい。実は私、小さい頃に宇宙人を見たことがあるんです!」


「宇宙人を?」


 ピぺは香ばしい匂いのする屋台に引き寄せられるようにフラフラと歩いていく。


「あ、待ってよ」


 ピペは何やら茶色い揚げ物のようなものを買い込む。どうやら「パンカツ」というパンを揚げたこの地域に伝わる伝統食のようだ。


「みんな夢だとか見間違いだとか言うんですけど、私はバッチリこの目で見たんです! 空から宇宙船がスーッと落ちてきて」


「へー」


「あっ、その顔、信じてませんね!?」


 僕の頬を、むぎゅっと両掌で挟むピぺ。


「ひんひれるよ!」


「本当ですか~~?」


「本当だよっ!」


 ......半分、嘘だけど。


 僕とピぺはこんな調子で市場を歩き回ると、一緒に買ったヤシの実のジュースを飲んだ。乾いた喉に、ヤシの実の甘さが染み渡る。


「沢山買い出ししましたねー」


「うん」


 僕ピぺに袋を見せた。筆記用具に、予備の下着。買い物かばんも買った。大満足だ。


「ピペは随分たくさん服を買ったんだね」


 僕はピペの買い物袋をチラリと見た。そこにははち切れんばかりの服が詰まっている。


「はい。安いですし母国では、背が低いので合うものがなかなかなかったんですが、ここの服はサイズがぴったり合うので、つい」


 てへへ、頭を掻くピぺ。


「母国の人は、そんなに大きいの?」


「はい。縦にも横にも」


「縦にも横にも!?」


 ピぺの故郷。どんなところなんだろう。

 鉄道が走っていたり、大きい工場や店があったりして、ハチオージと違いかなり発展したところみたいだけど。



「あれ、こんなお店あったんですねー」


 市場の端までたどり着き帰ろうとした僕たちだったが、ピペが急に一件の屋台の前で立ち止まる。


 それは、古本を無造作に茣蓙ござの上に敷いただけの簡素な古本屋だった。面白そうだ。


「ねぇ、ここ、見ていってもいいかな?」


「いいですよ」


 僕たちは、古本屋の前にしゃがみ込んだ。


 小説や雑誌、専門書、図鑑。ジャンルの別なく、無造作に様々な本が並んでいる。


 最初僕は見るだけで本を買う予定は無かったけど、ふと目の前にあった一冊の本に目がいく。


「『タカオサン自然ガイド』か......」


 ツヤツヤとした表紙には、安っぽい山の絵が書かれている。


 なんてことない本なんだけど、何故か僕はその本が気になった。


 タカオサン......タカオサン。


 何だか聞き覚えのある地名のような気がする。


 ――ズキン。


 頭痛がした。


 頭の中に声が響く。



 『――覚えてない?』


 何だ?


 『覚えてない? ――へ行ったこと』


 なんだ、この声。女の人?

 あの夢と同じ――



 『覚えてない? へ行ったこと――』




 高尾山......?


「どうしたんですか? ジュンくん」


 ピペが僕の顔をのぞき込む。


「いや、何でもないよ」


 僕は頭を押さえながら答えた。

 ズキズキと締め付けるように頭が痛い。

 これは......過去の記憶?


 高尾山――ひょっとして、僕はそこに行ったことがあるのか?



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