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 山奥に、その施設はあった。かつて病院として建てられたものであるらしいが、それにしては随分豪奢な作りである。よくよく調べてみれば、ごく一部の富裕層のために作られたサナトリウムであることが分かる。故に周辺には人家もなければ商業施設もない。山の中にぽつんと建てられた、建物。窓から見下ろせば、眼下には浅い渓谷。正面に見える小さな山々。夕暮れになれば、沈む夕日を見ることができる。

 建物に押し寄せるように、車が何台もやってきた。動きからも慌てているのが分かる。わらわらと中から人間が出てきて、その中には伯の姿もあった。手足を拘束され、口も塞がれて、まるで荷物のように運ばれてゆく。伯は藻掻いて振りほどこうとするが、如何せん相手の数が数である。為す術もなく建物の中へ吸い込まれていった。


 伯が連れてゆかれたのは、小さな部屋だった。学ランを脱がされ、武器の類を所持していないか確認を受けたあと、立派な猫脚の椅子に括りつけられる。こいつが値段に見合った頑丈さを持った椅子だと伯は知っていた。そうそう簡単に壊せるようなものではない。僅かな期待を込めて藻掻いてみるが、拘束はびくともしなかった。


「……おかえり、『兄貴』」


 聞き慣れた声に呼び掛けられて、伯は怒りに燃える視線を眼前の薄暗がりへと向ける。


「んだよ、かわいい弟の歓迎だぞ? んな目で睨むことねぇだろ」


 視線の先に、伯がいた。いや、伯と同じ顔、同じ体格だが、纏う空気はあまりにも違った。乱暴に伯本人の猿ぐつわを外す。


「叔、何をした!」

「何って、お前に帰ってきてもらっただけだろ、伯。まあ、ついでなんだけどさ」


 叔と呼ばれた少年は、伯の苦悶を楽しんでいた。


「いやぁビビった、竜馬とかいうジジイ引っ張ってくる算段つけてたら、お前いるんだもん。ナニお前、フツーの学校生活とかしてんの? フツーの人間のフリしてんの?」


 浮かべた笑顔には憎しみと怒りが詰め込まれている。それらは抑えることができず、溢れ出して、叔は伯の胸倉を掴む。


「お前、信忠の名前もらってんだからさあ、今更普通の人間のフリなんてするなよ」


 掴んで、捻り上げる。首周りが締まって、伯をより苦しめる。自分と同じ顔をした少年の浮かべる苦悶の表情が、彼をより悦ばせる。


「あのジジイどもが、お前見つけた途端に喜びやがって……何が『生かして捕らえろ』だ、お前なんぞ以蔵のオッサンに殺されときゃ良かったんだよ。そうすれば、この俺が晴れて信忠の名を……」

「……なら、あげるよ。信忠の、名前」


 締まる喉の奥から、伯は声を絞り出した。叔の顔付きがますます、苛立ちでどす黒く染まる。


「あげる、だァ? いつもそうだ、お前はクソみてぇな上から目線でしか話さねぇな……!」

「君がそう思うって、ことは、君が僕より下だって、自分で宣言してるようなものだよ」


 その瞬間、叔の拳が伯の顎に入った。椅子ごと吹っ飛ばされ、したたかに体を打ちつける。


「何だその言い方はよォ! テメェ立場分かってんのか? あァ?」


 倒れた伯を引き起こし、もう一度殴る。今度は拳が伯の顔を正面から捕らえ、形の良い鼻梁を潰した。鼻血が叔の手を汚したが、彼はお構いなしに殴り続ける。


「俺はなあ、お前より実力が上だってことを、あのジジイ達に分からせるために! お前を生かしてやってるだけなんだ! それを、そこんところを分かれよぉおッ!」


 何度も殴られ、顔に痣と傷が増える。だが伯は黙って耐えた。

 前に、保からこんなことを言われたことがある。曰く、『敵を怒らせろ』。怒りは眼を曇らせる。動きは憤怒という燃料を食って良くなるかもしれないが、心は隙だらけになる。そこに漬け込め。判断を鈍らせろ。脳味噌を愚鈍にしろ。一番手っ取り早い方法こそ、相手を怒らせることだ。使えるものはなんでも使え。知っている相手なら尚更。徹底的に抉れ。言葉も武器だ。

 おおコワイ、と笑いながら聞いていた二郎。だが、否定はしなかった。だからよく覚えていた。


 あの人達なら、必ず来る。だから、待つ。自分にできる下準備は出来得る限りやっておく。伯の瞳には「屈しない」という熾火が燃えていた。その光を心の奥底で捉えてしまった叔は、更に強く殴る。

 折れるものか。絶対に、あの場所へ戻る。ここは己の居場所ではない。必ず、必ず。



 この山奥にある建物こそが、十鬼懸組の総本山である。威瀬会系を成す三つの組の中で最も古い組織であるが故に、彼等の所有する土地及び建物資産は多かった。

 そして今、ここに十鬼懸組の幹部達が集結しつつあった。『十傑』と称される十人の幹部。義経、与一、信長、信玄、秀吉、家康、武蔵、十兵衛、歳三、以蔵。いや、本来ならば以蔵ではなく竜馬という名の幹部が居るはずなのだが、その名を固辞したために暫定的に以蔵となった。

 だが、仙石寺大付属に行ったきり、以蔵と歳三の二人と連絡が取れない。


「どうせ、竜馬に殺されたんだろうよ」


 義経が笑いながら言う。


「以蔵なんざぁ歳三あたりに殺されちまったんじゃないのか? まあ仕方あるまい、あいつら、仲が悪かったからな」

「仲が悪い、で殺されては堪ったものではない。何のための十傑か」


 諌めるのは信玄。だが、他の幹部たちは我関せずと言った体である。


「で、この十傑が揃ったからには……本格的に叩くんだろ?」

「そうだ。日々谷警備保障、とか言ったか。家康、確かお前、調べていただろう」

「与一、私は便利屋じゃないぞ」

「似たようなもんだろう。で、どうなんだ」


 口では抗っておきながら、家康はこの状況を予測していたようだ。プリントアウトした紙の資料を取り出して、軽く目を通しながら読み上げる。


「……日々谷警備保障。警備会社ってことになってはいるが、そんなもんは名義だけだ。武装集団、私設軍隊、暴力装置。どれでも好きな言い方を選べ」

「俺達とそんなに変わりゃあしねぇじゃねぇか」

「秀吉の言うことも、あながち間違ってないな。徹底的に非合法だ。暴力そのものを商売のネタにしてる、そんなところだ」

「どうしてそんな奴等が、うちにちょっかい掛けてきたんだ」

「天誠組、と言ったら分かるだろう」

「……あそこを潰した奴等か!」


 上の連中がこんなにも情報を把握していないのだ、ここまで戦力を削られるのも仕方あるまい。家康は心の中だけで呟いて、それでもこの組に最後まで付き合おうとしている己を嗤う。末端や下部組織はあんなにも日々谷警備保障と火花を散らしていたのに、十傑は手をこまねいてばかりで結局は何もしなかった。気が付けば下部組織は壊滅、残りはこの「旧本部」施設内に収容できるだけの人数しかいない。


「詳しいことが知りたい奴は、これを置いておくから目を通せ。私は準備をしてくる」

「準備?」

「戦う準備さ」


 家康は書類を放り投げ、部屋を去る。残された幹部達は背中を見送って、だが部屋から動くことはなかった。


「そういえば、武蔵と十兵衛はどこに行った?」

「ああ、あの二人ならご執心のアレと遊んでるさ。ここに来るなり、即、だ」

「元気でいいこった。信長公が見たらさぞや怒るだろうよ」


 信長、という名に、幹部達の表情は曇る。


「……信長、か」

「何が言いたい、与一」

「あれを生きていると言えるのか」

「だから、信忠を連れ戻したんだろ」

「それも、そうだな」

「信長は十鬼懸組の象徴みたいなもんだ。信長の名を冠する者がいなけりゃ、話にならん」

「なんだったら、俺が信玄の名を捨てて信長を継いでもいいぞ?」

「何を言って」


 普段は愚か者の皮を被っていた信玄の目が、肉食獣のような輝きを宿している。本気だ。いざとなったら簒奪する、その機会を伺っていただけなのか。


「こんな時にお前、何言ってんだ」

「こんな時だからこそ……」


 言葉を隠すように、外から衝撃音。屋内にまで響くような。幹部達は言葉を失い、慌てて窓に張り付き外を見る。ただ一人、与一だけは本能的に危機を悟り「やめろ」と言いかけたがもう遅い。真っ先に窓へ向かった義経が、微かな飛来音と共に倒れた。窓ガラスに穴。義経の額には弾痕。後頭部が弾け飛んで、脳漿と血液と液状になった大脳が飛沫を上げる。

 急ぎ身を伏せる幹部達。恐る恐る覗き込む階下の外庭に、一台のピックアップトラックが突入していた。正門は扉がひしゃげ、見るも無残な状態になっている。そして荷台には一人の男と、重機関銃。


「襲撃……!」


 重機関銃が吠える。建物の正面玄関が穿たれ、一応立たせていた見張りはとうの昔に蜂の巣だ。上からちらりとしか見ていない幹部達に分からないことであったが、荷台の男は満面の笑みを浮かべていた。これ以上ないほど楽しそうな、笑顔だ。


「なんでだ、こんなに早く?」

「四の五の言ってる場合じゃないだろう! 殺せ、反撃しろ!」

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