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みどりが怪我人の手当をして、帰路に着くことができたのは結局二時間後のことであった。禅のもとには鉄男が行き、事なきを得たらしい。
事なきを得た、と言う割には、盛大な炎が上がったわけであるが。
「みどりさんにはいつも悪いことしちゃってるわね」
「まあ、他に頼れる人がいませんから」
「まあね。適当な医者でも抱き込んでおかないと駄目ねぇ」
日々谷警備保障にほど近い、寂れた中華料理店。仕事帰りのサラリーマンが飲み会のシメにラーメンを食べたり、また、二次会三次会と称して微妙なサイズのグラスでビールを傾けたりしている。壁に貼られた水着のオネエチャンがビール片手に微笑むポスターは、煙草のヤニですっかり煤けていた。
そんな店の端、大きめのテーブルに所狭しと料理を並べて随分と遅い夕食を取っているのは、社長の小百合と社員の千鶴だ。
千鶴はところどころ包帯を巻いたまま。制服着用のままでの出退勤が認められているので、服装も制服のシャツとスラックスのままだ。
千鶴と英治と保の手当ては全てみどりが行った。医療従事経験があるのは彼女だけであるので、社員全員が「とりあえずみどりに頼めばいい」と考えている。みどり自身はいつも「後で必ずまともな病院なり医者なりに診てもらえ」と言うが、別にわざわざ病院に行かなくても問題ないので行った試しはない。
で、いつも「そんな調子だとお茶淹れてやらんぞ!」などと怒られるのだが、それでもなんのかんので結局は淹れてくれるのだから甘い。
「で、どうだった?」
「派手にやったつもりです。できてる、とは思いますが」
「なら良し」
青椒肉絲の皿を千鶴の前に押し出してやると、当然のように千鶴は食べ始めた。食えば大抵の傷は塞がる、というのが千鶴の持論であり、実際すぐに治ってしまうのだからとんでもない話だ。小さかったり浅かったりする傷であるなら翌日にはほぼ完治してしまうし、鋭い切り傷であるならしばらく押さえていればくっついてしまう。
みどりはそれを見て、「新陳代謝が激しい。傷が治るのはいいことだが、それによる弊害もあるから気を付けろ」と言ったが、千鶴は特に気にしてもいないようだ。
「あいつら全員、一人残らず消すからには、それなりの挨拶をしておかないといけないからね。ちゃんと伝わるように。千鶴くんはどう、楽しめた?」
「ええ。社長はきちんと約束を守ってくれるからありがたいです」
「約束って言うか、そういう契約で社員になってもらったからね。当然よ」
微笑む小百合に、同じく笑顔で返す千鶴。
契約内容は簡単なものだ。『絶え間ない闘争』、たったこれだけ。千鶴が望むだけの闘争を、望む限り。
「まだしばらくこんな感じのが続くから。殲滅戦よ、頑張ってお仕事してね」
「頑張ります」
目の前の中華を片っ端から平らげて、千鶴はようやっと席を立つ。
「ごちそうさまでした」
「はい。明日は出れそう?」
「勿論です。遅番ですし、ゆっくり休んでから出勤しますよ」
椅子に引っ掛けたコートを、着るのも面倒だったのか肩に引っ掛けて、当たり前のようにそのまま店から出てゆく。小百合もそれを当然のように放置して、空いた皿を重ねて端に避けた。
千鶴が出ていくのと入れ違うように、一人の男が店に入ってくる。ちょうど千鶴と同じような具合に背広の上着を肩に引っ掛けて、爪楊枝を咥えている。くたびれたような風体の男は真っ直ぐに小百合のもとまでやってきた。
「さっきのが噂の殺戮兵器ですか」
千鶴が座っていた椅子に腰掛け、小百合に対し気さくに喋る。小百合も笑顔で迎える。
「そうよ、凄いでしょう」
「凄いなんてもんじゃないですよ、おっかない。ありゃ簡単に殺されますわ。おぉコワコワ」
大袈裟に肩を竦めて、男はへらへらと笑ってみせた。
この男、六平信(むさかしん)という刑事である。何故、警察官が小百合と懇意にしているのか。
「どう、信ちゃんの上司は確認してくれた?」
「ええ、肉眼で煙が見えたって。比喩ではなく、本当に狼煙を上げるとは思いませんでしたよ」
咥えていた爪楊枝を捨てて、残っていた春巻きをつまむ。信の言葉に小百合はころころと笑いながら、まあねと返す。
「禅くんにもよく言っておいたからね、頑張ってくれてる。もう許可は出てるんでしょう?」
「はい。もしその気があるなら、一人か二人は残しておいてくれると嬉しいんですけど……」
「それは無理。ごめんね、最初から殲滅戦のつもりでやってるから。そうねぇ、討ち漏らしをそちらが見つけたら、そのまましょっ引いてくれると助かるかな」
「ブタ箱ブチ込んだら、翌日には死んでる流れですか」
「うん」
もう一度、今度は小さく肩を竦めて、信は二本目の春巻きをつまむ。物騒なことを喋っているのにどうにも軽い印象が拭えないのは、二人の口調が世間話でもしているかのような調子だからだろう。
「せめて少しくらいは取調べさせてください。俺らの立場無くなっちゃうじゃないですか」
「ごめんね、こればっかりはどうにも」
「……仕方ないなぁ。小百合さんにそんな顔されちゃ、あんまり強く言えないですよ」
最初からそのつもりであったくせに、信は困ったような顔でぼやいた。
「夕飯奢るから」
「ビールもつけてください」
「二本まで」
「おっしゃ! すいませーん、瓶ビール二本くださーい」
威瀬会系暴力団天誠組本部の火事は、ごく普通の家屋の火災として報じられた。
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