屋上には特に何もありません。

 さて一方、屋上である。少し前の時間だ。


 吹雪は屋上に登ってぼんやりするのが習慣になっていた。今夜はあまり寒くもなく暑くもなく、コンビニで買い込んだパンなどつまんで夜景を眺め、なんとなく過ごしてしまっていたのだ。

 部屋に戻る気力が無かった、とも言える。今住んでいる部屋はここから少し遠い。一々戻るのが面倒くさい。いざとなったらここの仮眠室を借りて寝てしまえばいい。


 それに、なんとなく、なのだが。

 部屋に戻ると、ここに来る前を思い出して少し嫌な気分になる。なんで嫌な気分になるのかは分からない。まあ、そもそもいい思い出なんて無いから、前のことを思い出せば自動的に嫌な気分にしかならない。


 こっちには何せ風呂があるわ洗濯機はあるわで生活はなんとかなってしまう。みどりが何故か用意している着替えまである。彼女曰く、不意の事態に備えているから、だそうだが。

 いっそのこと、この辺で部屋でも探そうかな。その方が面倒くさくないしな。……って俺、なんでここに腰を据える気になってんだよ。鉄男の野郎ブッ殺したらとっととおさらばするんじゃなかったのかよ。くそっ、最近の俺おかしくないか? どうも調子狂うんだよな……


 と、思考を巡らせていられるのはそこまでだった。突如、多数の車が下に停まる音。やたら多い。何事かと下を覗き込むと、車から降りてきた人間達が次々に自社ビルへと吸い込まれてゆくではないか。しかも皆が皆、銃火器を手にして。

 全身が総毛立った。襲撃だ。己自身も幾度となく繰り返した行為であるから嫌でも分かる。確か二階にはまだ社長とみどりが残っているのではなかったか。あの二人は戦えるのか?

 降りる? いや間に合わない。せめて連絡だけでも、と思うよりも先にスマホがけたたましく鳴った。会社のグループ通話、しかも緊急連絡用だ。もつれる手でポケットから引っ張り出す。応答すれば、みどりの怒号と銃撃音。

 やばい。かなりの数。と頭が認識するのとほぼ同時。気配だ。今度は上から。見上げる先は隣のビル。こちらよりも階が高い。その屋上から、ご丁寧に降下してきているのだ。


「今、屋上にいる! 敵が上からも来てやがる!」

「え、上?」

「隣のビルから来てる!」


 相手もこちらに気が付いているようだ。目が合った、多分。咄嗟に自前の銃を手に取り撃つが、相手の数が如何せん多い。始末できても雀の涙。ああクソッ、もうちょっと弾数の多いもんでも持ってりゃもうちょっとはマシだったのに。

 通話の方からは更に激しい銃撃戦の音が聞こえてくる。察するに、どうやらみどりなり社長なりが対応しているようだ。さっきからショットガンあたりを放っている音が聞こえる。ついでに、みどりの声も。


「ごめん吹雪くん、そっちひとり? なんとか持ちこたえられるかな、多分すぐにみんな来ると思うから」

「そっちこそ大丈夫なんですか」

「社長が全部なんとかしてくれるー」

「ちょっとやめてよみどりさん、働いてよぉ」

「ワハハハハ、残業代おくれ」


 軽い言葉とは裏腹に、連続する発砲音。小さく社長が舌打ちする。状況が芳しくないのは嫌でも分かる。


「ええと、こっち、やれるだけやってみます」

「頼むわよ吹雪くん、よろしくね!」

「吹雪くんならできるできるゥ! 殲滅戦だぁ」


 救援が来るとは言ったって、それがいつになるかなんて分からない。今この場で、自分で何とかするくらいのつもりでないといけない。


 こちらに降りてくる連中に向かって弾倉一本分をすべて撃ち終えてしまうと、マグチェンジしつつ吹雪は走る。既に何人かは屋上へと降り立っており、こちらに銃口を向けようとしていた。

 走る。走って、相手の背後に回り込むことに成功する。中腰にまで身を沈め、相手の腰の辺りに両腕を回す。そのまま、思い切り背後へ身を反らす。相手は脳天からコンクリートの床へ叩きつけられる……投げっぱなしのジャーマン・スープレックス。

 すかさず吹雪は体勢を復帰。次に近い奴はサブマシンガンをスリングで肩から下げていた。こいつも背後に回り込むと、斜め掛けしていたスリングを掴み背中側から引っ張る。いや、引っ張るというより、引き下げる。下の方にぶら下がっていたサブマシンガンがずるりと前身頃の上に移動。脇から腕を突っ込み、そいつの銃把を手に取った。今まで散々やったから慣れている。どれくらい引き上げ、どれくらいの位置にすれば、銃口が相手の顎の下に行くのかも知っている。銃口が顎の下の柔らかいところで固定されると同時にトリガーを引く。そいつ自身の銃弾がそいつの顎を砕いた。


 危なっかしい、とは昔からよく言われていた。だけど、これしか知らない。こんな戦い方しか。


 拳銃の銃口がこちらに向く。斜めに走りながら接近。手間合いにまで近付くと、その拳銃を最低限の挙動でくるりと回してもぎ取った。端から見ている分には、まるで銃の位置が変わらないまま向きだけが変わったかのように見えただろう。綺麗に構えていた分、銃口の向きが反対側に変わればそのまま顔面へと向く。勿論、即発砲。顔面に穿たれる銃痕。

 次に襲い掛かってきた相手は銃火器ではなく、サバイバルナイフを持っていた。飛び掛かってくる。吹雪にのしかかる。二人はもんどり打って倒れた。その場にいる誰もが、下になった吹雪こそとどめを刺されたのだと思った。だが、違った。断末魔の叫びを上げたのは相手だった。吹雪は倒されたのではなかった。寧ろ相手の胸倉を掴んで倒れ込んだのだ。しかも、ナイフを掴んだ手首ごと捻り上げ、切っ先を相手の腹に向けたままで。相手の自重によってナイフは腹部を貫く。

 邪魔なそいつの体をどかしつつ、突き刺したナイフを引き抜いて奪う。立ち上って次に狙うのは、すぐ近くにいた奴の目だ。


 止まるな。動け。常に動き続けろ。止まれば死に追い付かれてしまう。

 これが、吹雪が得た戦い方だった。死神の鎌から逃れ続けるために、自らが死神の鎌となるために。


 吹雪の方が速かった。ナイフの切っ先は相手の両目を横に裂いた。刃が眼窩の内側に当たって硬い感触を伝えてくる。そこまでダメージを与えられたのなら、もうそいつに構っている暇はない。ナイフを奥に押し込んで、次の獲物を探す。

 手近な奴の服を掴んで、振り回すように投げ付ける。投げた先にいたのは、今まさに銃の引き金を引いた男。放たれた銃弾は哀れ、彼の味方に全て当たってしまった。撃った奴が名前を叫ぶ。仲の良い仲間だったのだろうか。


「テメェ……ブッ殺してやる!」

「奇遇だな。俺もさ、そのつもりなんだ!」


 灼け付くような気配。殺意。より強く、より明確な。やばいな、と頭の中で呟く。全体の空気が、吹雪を適当にあしらって下に行こうという認識から、必ず殺すという意識へと変化した。先程までのような変則的な戦い方が通用しにくくなる。さて、どう戦うか……?


 だが、そんな考えも、敵の意識も、別方向からやってきた奴等によって引き裂かれた。


「おうおう、盛り上がってるじゃねーの!」


 横だ。声の方に顔を向ける。敵がやってきた方とは反対側、真横にある、自社ビルと同じ高さの建物。その屋上。奥の方から駆けてくる人影が二つ。


「俺らも混ぜろや、な?」


 二人分の声。聞き慣れた声だ。嫌という程。

 二つの人影は駆けてきた勢いのまま、屋上から、飛んだ。


「……鉄男! 貴士さん!」


 迷いも躊躇いもせず鉄火場に飛び込んできたのは、この二人だった。

 強引に自社ビルの屋上へ飛び移ると、着地直後のワンアクションで既に敵を屠っている。閃く白刃と、放たれる銃弾。


「おい鉄男ぉ、弾は取っとけよ。下にも行かにゃならんの忘れたのか? ボケか? 痴呆症か? おじいちゃん大丈夫?」

「うっせえ貴士うっせえ、んなこた分かってんだようっせえ。ところで吹雪、なんでお前さ、貴士はさん付けるのに俺は呼びつけなんだよ? おいザッケンナコラ」


 いつものように軽口を叩きながら、それでも嵐のように敵を薙ぎ倒す。

 突然の乱入によって発生した隙。吹雪もすかさず、先程殺意を向けてきた男に銃弾を叩き込んだ。


「何言ってんだよ、当たり前だよなあ? 鉄男に敬意なんて払う必要ねえもん。な、雪ちゃん?」

「……雪ちゃん?!」

「うん、雪ちゃん。言いやすいから」


 吹雪は目を丸くし、鉄男はゲラゲラと笑い転げる。


「雪ちゃん! 雪ちゃんて! やっべえ、似合いすぎだろ!」

「それより言いやすさに着目しろよ。そしてそこに気付いた俺を褒め称えろ」

「いや、どっちにしろちゃん付けは止めてくださいよ!」

「だからオメー、なんで俺には敬語使わねぇのに貴士には敬語使ってんだよ!」


 場にそぐわない、軽さ満点の会話を交わしながら、吹雪は安堵感に満ちるのを自覚した。しかも、必要以上に。ああもう大丈夫だ、と確信までしてしまった。

 どうしてだろう。どうして、そこまで安心してしまったのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る