書類はきちんと提出しましょう。
「はいおつかれー」
事務所に入って第一声は社長の呑気な言葉。仕事を終えた三人が帰ってきたのは夜遅く。
「しゃちょ、ハンコ押してハンコ」
「んー? そんなに欲しいのハンコが? そこまで欲しいの?」
「ちょうらい! ハンコほしいのおおおおぉおお」
鉄男が書類をヒラヒラさせながら懇願し、社長はヘラヘラ笑いながら印鑑を見せ付ける。結局は普通に印鑑を押しているのだから、だったら最初からそうしていればいいのに。
なんでそんな元気なんだよ、と吹雪は口の中で呟いた。正直言って疲労困憊状態だ。そんな素振りだけは絶対に奴の前では見せられないが、本当は今すぐにでも座り込んで、いや、床の上でいいから大の字に転がってしまいたい。
どうして鉄男の野郎も貴士も、平気な顔して立っていられるんだ。相当に動き回り大立ち回りをやらかし、更にはその後に現場の始末をして車の運転して、どうして。なんで。
「ほい吹雪、お疲れさん」
横から名を呼ばれ、眉根を寄せたまま振り向く。貴士がコーヒーの入ったマグカップを差し出していた。
「まだ自分の持ってきてないんだろ? 明日持ってくるといいよ。みどりさんに自分のがどれかちゃんと言っとけよな」
もう片手に持っていたマグは、書類に自分の印鑑を押した鉄男へ。「ん」とか微妙な返事。礼を言わないのかこの野郎は、と考えて、自分がまず礼を告げていないことに気が付く。
「ありがとう、ございます」
「んー? ああいいよ別に、ついでに淹れただけだから」
「ヒドイ! アタイのもついでなのね?」
「そうだよ当たり前だろ。鉄男のやつには一味唐辛子入れといてやった」
「うわ何その味覚センス。それでお前生きていけるの」
「お前用のブレンドだから、世間一般のものとは違うから、嫌がらせのための味付けだから」
「キィー何その態度!」
「うるせえお前黙れそして死ね」
「美少女としての生を全うするまで死ぬに死ねない」
「美少女ではないから安心して死ね」
相変わらずガトリングガンの如く罵詈雑言を叩き付け合う二人。ずっとこの調子。戦っている時でさえこうだった。そう、喋りっぱなしなのだ。銃弾が飛び交い血飛沫が舞う中、轟音と悲鳴よりも大きな声で。
馬鹿なのか? それとも何かが壊れているのか?
だけど。
吹雪には分かっていた。どんなに言葉を繰って彼等二人を罵っても、貶めても、揺るがない事実はただ一つ。彼等は強いのだ。この二人を組ませれば、尚更。何もかもが自分とは違う。経験値も、力加減の配分も、判断力も。全てが。
「……どうしたの、そんな顔して」
横に人の気配。社長だ。そちらに振り向いた瞬間に顔を覗き込んでくるのだから、距離が近くなって、慌てて体を引く。なのに、社長はさらに接近してくるのだからどうして良いか分からない。
「どう、仕事は」
「……まあ、上手いことやってると思う……思います」
「良かった。どう、これからも続けられそう?」
「え、まあ、はい」
曖昧に返した答えに、社長は満足気に微笑む。こんな大人の女性に接したことあまりはないので、吹雪はいつも緊張してしまうのだ。
そもそも、この社長自体が何と言うか、どう接して良いのか分からない。鉄男の所属先を制服から割り出してこの本社へ乗り込んだ時もそうだった。社長に良いようにあしらわれて、気が付いたら正社員として雇用。掌の上で踊らされているのがよく分かる。
落ち着いて考えたら、あの時ここに居たのは社長一人だった。うまくすれば彼女一人、簡単に倒せたのかもしれない。その上で鉄男を待った方が良かったのでは?
いや、駄目だろう。明確な根拠はないが、そう思う。直感だが。
「どうしてもね、これからのことを考えると戦力増強しておきたいの。ごめんね、無理矢理入社させちゃって」
「あ……いえ、別に……大丈夫です」
「おっ、そーかそーか! そう言ってもらえると助かるわー」
大人の女性、といった風の顔立ちが一瞬、なんだか少年みたいになって、屈託ない笑顔を向けてくるものだから、何も言えなくなって顔を背ける。だけど社長は容赦なく頭を撫でてくるものだから、と言うか掻き混ぜるようにぐしゃぐしゃにしてしまうものだから、ますます何も言えなくなって俯いたまま、吹雪は紅潮した頬を隠すことで精一杯だ。
騙されているような気がしなくもないが、まあ、しばらくは様子を見てやるか。
吹雪は心の中で呟いて、コーヒーに口をつけた。
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