来客ですよ皆さん。
数日後のことである。
日々谷警備保障本社ビル、とは言ってもまあ小ぢんまりとした四階建てなのだが、そこの正面玄関に一台のリムジンが停まった。黒塗りの高級車というやつである。
中から現れたのは、着物姿の女性。美しいまっすぐ伸びた黒髪、白い肌、伸びた背筋。それら全てが現代社会からかけ離れているかのように見える。まるで絵画から飛び出してきたように。
そんな人物であるにも関わらず、彼女は屋内へ入ってゆく。慣れた足取りで事務所まで辿り着くと、出入り口からそっと顔を覗かせた。
「こんにちはー……」
業務時間中であるので、邪魔しないように小さな声だ。小さな声と覗き込んだ顔を、見逃さない人間がひとり。みどりである。
「うおぉ葉月ちゃんだー! おひさし!」
「わぁーみどりさん、お久しぶりです!」
二人でわちゃわちゃしながらキャアキャア言い合う。
「うおおーい社長、しゃっちょー! 葉月っしゃんが遊びに来てくれたよ! しゃっちょー!」
「えっ待って、そっち行く待って」
社長も顔を出し、女三人かしましいとは正にこのことだと証明するような事態に陥る。「これはうるさくなるぞ」と誰かが呟いたが、誰が発したのか分からない。
「……誰なんすか、あの人」
そんな光景を遠巻きに眺めながら吹雪が問う。彼の疑問ももっともだ。
そんな時に一番役に立つのはやはり菊之丞。とりあえず説明、だとかとりあえず正論、だとかとりあえず解説、となったら彼の出番である。
「
「分からないんですか?!」
「ああ。まあ女性だろうな、というのは分かる。出資者であるので資金があるのも分かる。だが、それ以外が全く分からない。年齢、国籍、資金源もさっぱりだ」
「そんな人が出資者でいいんですか……」
「別にいいんじゃねぇの?」
横槍を入れてきたのは鉄男。吹雪に思い切り睨みつけられるも、全く意に介さない。
「何も言わずに出資してくれるんだ、ありがてぇ話だろ。やれ何のかんのとケチつけて出し渋る奴に限って、身の潔白とか言うワケわかんねぇもんを振りかざしてくるんだ。だったら、正体不明だろうが何だろうが、気前よく金出してくれる方が圧倒的にいいだろ。んなことも分かんねぇのかオメーはよ」
「テメうっせえよそれくらいは分かるよ」
「嘘つけ、分かってねぇって顔に書いてあるぜ」
「んだとテメェ!」
鉄男と吹雪の喧嘩もすっかりお馴染みになってしまった。鉄男と貴士の交わす罵詈雑言と違って、この二人の場合は殴り合いにまで発展しかねないので困る。で、それを諌めるのが貴士というところまでがテンプレートでもある。
「まあまあ、落ち着けって。客人がいる前で喧嘩したら、お前ら社長に殺されるぞ」
「アッはい」
「アッはい」
一発で黙らせることに成功した貴士。その光景に拍手を送る保。だが、呑気に拍手なんぞしながら、先程の鉄男の言葉に異様な説得力が含まれているのも聞き逃さない。その説得力は経験に基づくものであろう。一応、覚えておくかと保はひとりごちる。
「まあ、アレだ。これだけは確実に言える」
貴士が真剣な顔をして腕組み。あまりにも鬼気迫る顔付きであるので、鉄男も吹雪も何事かと次の言葉を待った。が。
「葉月さんが髪を下ろしてて良かった」
「……なんで、そこで髪の話題が出るか」
「お前、あんな美人が、しかも着物美人がだな、ポニーテールなんぞになってみろよ! 俺死ぬぞ? 俺確実に死ぬぞ? ポッポポポポポポニテ! ポニテ着物美人!」
「あー……そうだった……このケツ毛野郎、ポニテだいしゅきだったんだっけ……」
鉄男をはじめとする周辺人物からの冷たい視線が突き刺さるが、貴士はそんなもの気にしちゃいない。
「いやーやばいそんなの即死するやばい、ポニテ……良すぎるだろポニテ……最高……絶対すきになっちゃう……」
「ほほう、そいつぁいいことを聞いた」
地の底から湧き上がるような、まるで邪悪を振動という形にしたかのような、声。その場にいた社員全員が振り向く。
みどりだ。盆を片手に、背後に立っていた。いつの間にそこに移動していたのか。と言うより、いつの間に給湯室へ行っていたのか。
「いぃーい、ことを、聞いたァ……」
顔が嗤いの形に歪む。正に邪悪。これこそが邪悪。邪にて悪。
しまった、と思うがもう遅い。盆の上にティーセットを載せたまま素早く移動。その先にいたのは、デスクにかじりついて働いている禅。何の迷いも躊躇いもなく禅の髪留めゴムを引き抜くと、そのまま猛ダッシュ。
「葉月っしゃーん、ちょっと髪を結ってもいーい?」
「はい、いいですよ」
「ッシャオラやったぜえええッ」
「っちょ、み、みどりさん何するんですか!」
不条理にゴムを取られた禅が抗議の声を上げるも華麗にスルー。紅茶を葉月に差し出すと、早速どこからか櫛を取り出し髪を梳き始めた。慣れた手つきで高い位置にまとめ上げ、きれいに整えてゴムで縛る。
「ほいできた、ポニーテール」
「総髪にはあまりしないのですが、たまには良いものですね。ありがとうございます、みどりさん」
後ろにいるみどりへ振り向いて微笑む葉月であったが、それは即ち遠巻きに見つめている社員達へ体の正面を向ける行為でもあった。よく手入れされている長く真っ直ぐな黒髪がさらりと揺れた。
「……ウッ」
呻き声。貴士が心臓の辺りを押さえて床にうずくまる。
「どっどどどどうしたんだよ貴士さん」
「大丈夫だ吹雪……ちょっと……ポニテが、可愛すぎただけ……だから……」
「テクノブレイク」
「おい鉄男やめろ鉄男」
「テクノブレイキン」
「やめてさしあげろ」
折角綺麗にまとめたポニーテールであったのに、みどりは何が気に食わないのか解いてしまう。再び櫛をなめらかな髪に入れながら、世間話。
「そういや、どうしたのさ。葉月っちゃんがこっちに顔出すなんて珍しい」
「お仕事でこちらを通りかかったので、皆さんのお顔が見たいなと思って」
髪を手で束ね、うなじの辺りからくるくると捻り上げる。
「頑張るねえー。部下とかいっぱい雇って、そっちに仕事回した方がいいんでないの?」
「うふふ、ありがとうみどりさん。だけどね、あまり沢山お仕事があるわけではないから、私一人で充分なの。お手伝いしてくれる方もいるし、大丈夫ですよ」
細長くまとめた髪の先端を折り返して適度に隠し、これまたどこから出したのか大きめのコームでひょいひょいとまとめてしまう。どこをどうやったのか、毛先もコームも見えない状態にまとまっていた。
「はいできた夜会巻き。あんまり高い位置でやるとさ、なんか夜の蝶になっちゃうから下の辺でまとめたった」
「アハハ分かる、こうさ、上にボリュームある感じでしょー?」
「社長それなー。ええと鏡かがみ……おーい鉄男くん、私の机の引き出し、二段目に鏡入ってるから取って。二枚な」
「へいへーい」
貴士や吹雪には罵詈雑言で返すが、それ以外には素直に従うのが鉄男だ。たまたま彼がみどりのデスクの近くにいたから、という実にひどい理由でもだ。
何でも出てくるみどりの引き出しから律儀に鏡を二枚引っ張り出し、ちなみにその際、引き出しの中身を見て一瞬ぎょっとした顔をして、見なかったことにしてから鏡をみどりと葉月に渡した。
「ほいありがとさん。後で飴あげようなあ」
「飴じゃなくて肉が良い」
「肉。塊?」
「ウン」
「おやつレベルじゃねえ」
けらけらと笑うみどり。その一方、続いて礼を言った葉月はふと真顔になった。
「鉄男さん」
呼ぶ声は控えめだが重い。見上げる瞳は真剣だ。鉄男の表情から、いつもの軽薄さが消える。
「……弟君のもの、とは確約できませんが、それらしき痕を発見したと報告がありました」
渡した漆塗りの手鏡をそっと手放した鉄男の表情は、恐ろしく冷酷なものへと変化していた。まるで別人のように。吹雪あたりが彼の様子を見たのなら、驚いて声も出ないだろう。それほどまでに気配が変わっていた。それも、彼を構成する一部であるのか。
他の社員達からは見えないように、背を向けたまま。いつものような、青年らしい元気さもない。小さな声で問う。
「どこだ」
「後ほど、屋敷へ来てくださいまし。資料と共に説明いたします」
「今すぐ寄越せ」
「流石にそれは。私も、お仕事の合間を縫ってこちらへ顔を出したのです。それくらいは察してくださいな」
「……チッ」
「あと、貴方もきちんとお仕事をしてくださらないと。そのような契約でしょう? ね、『鉄男』さん」
暗に、定時後でないと対応は出来ないと言われたわけだ。ますます険しい表情になる鉄男と、余裕を持って微笑んだままの葉月。
「ああそうだ、あと、ことづてをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「人をこき使う気か、貴様」
「ええとですね……エマさんに、先日はありがとうございましたと、お伝えください」
女性の名だ。それを聞いた途端、鉄男の顔は緩んだ。
「その件か。いいぜ、伝えておくよ。次があるなら、そんときはちゃんと予告してくれ」
「ふふ、努力します」
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